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 果実
 〜フルーツ・ガール桃子〜

  第6話 「桃子の故郷」

 ここで、桃子の親友、めぐみと曽々素の村について記しておきましょう。
 曽々素は輪島と珠洲大谷のちょうど中間にあたり、源平の戦いで能登へと落ち延びてきた平時忠さまの子孫がいまも豪農として屋敷を守る時国家にもほど近い、海岸線にある村でした。
 めぐみは、桃子が幼少時代を過ごしたこの曽々素という村において、桃子の幼な友達として非常に仲の良かった少女で、通っていた大蔵尋常小学校では学年も一緒だったそうです。
 親友といって良かったでしょう。
 そしてこの親友のめぐみは、なんと桃子の名付け親でもあったのです。
 桃子と同学年でありながら、なにをいっているのか、エルフか何かでなければ無理なはずだと、いぶかる方もおいでるかも分かりません。
 しかし、実はというと、この桃子は、大変に複雑な生い立ちを秘めていたのです。
 話は、この物語の舞台である大正初期よりも9年か10年ほど前、あるいはまだ明治天皇が健在の頃だったかも知れませんが、その年までさかのぼることになります。
 その年のある冬の日、曽々素の村のとば口にある釈迦堂で毛布にくるまって座り、孤独に泣いていたのが、幼い頃の桃子だったのです。
 おそらく3歳くらいのときでしょう。
 捨て子でした。
 桃子は親から捨てられて、見ず知らずの村の中心地にしゃがまされていたのです。
 大正時代に入った頃においても、いまだ田舎には封建的な空気が色濃く残っており、貧農のなかには家族全員が食べていくことができない世帯も見られ、女の子どもは、口べらしのため、やむなくこうして捨てられることも決して珍しいことではなかったのだそうです。
 例えば越中五箇山に麦屋節を伝えたお小夜という女性も、もとは奥能登の生まれで、家が貧しかったために金沢の遊女屋に売られたことが流転の始まりだそうですね。
 遊女屋といっても「出会茶屋」といって、現代風にいえばソープランドやなにかのようなHな店であり、当時の金沢ではそうしたHな遊郭は認められていなかったことから違法営業とされ、このため流刑となり、五箇山にまで流されてきた、これによって、彼女が幼き日に門前で愛唱していた麦屋節が五箇山へと伝わったそうなのです。
 桃子の場合は、Hな店へ売られたのではないだけマシともいえたでしょう。
 そのようにして3歳で捨てられていた桃子……。
 この桃子を拾ってくれたのが、曽々素の村で民宿「首もみ」を切り盛りしていた当時58歳の星まつ枝というおばぁさんでした。
 現代では58歳はまだまだ若く、下手すれば「おねぇさん」と間違えるほどの容姿の女性もいますから、58歳をつかまえて「おばぁさん」などと言ったらパンチされかねませんが、当時の58歳は名実ともに「おばぁさん」で、まつ枝の容貌もその通りというしかなく、腰は曲がり、深い皺が刻まれ、指先は節くれだって森永製菓の「小枝」か、それとも指か、判別が難しいくらいでした。
 まつ枝には子はおらず、5つ年上の主人、星五郎作(63)と2人だけで長い間暮らしていたわけです。
 桃子は、その老夫婦へ投げ込まれた花束といえたかも知れませんね。
 もっとも、その時点では、この女の子に桃子という名前はまだありませんでした。
 桃子の実母が、子の名前をどこにも記さずに捨て、桃子本人も、自分の名前を名乗ろうとしなかったためでした。
 いいえ、名乗ろうとしないのではなく、名乗れなかったのかも分かりません。
 下手すると酷いネグレクトを受けており、親からは自分の名前すら教わっていなかったという可能性も否めません。
 困り果てたのは老夫妻……。まつ枝と五郎作でした。
 幼な子の名前を呼ぶときにその名前を言えなかったために、ジュゲムのように死んでしまっては困るというもの。
 一方で、名前について強いこだわりを抱いてもいたのが、この老夫婦でした。言霊というものを強く信じていた2人は、名というものを非常に重く考えていたのです。
 老夫妻は、この拾い子が自らの名前を自分で言えるか、あるいはなんらかの方法ででも知ることができるかするまでは、自分たちで勝手に命名することはしないでおこうと決め、2人には子どもがいなかったこともあって、単に子どものことを示す方言で「ねね」と呼称することにしていました。
 そこへ……。
 そう、めぐみです。
 そこへ、めぐみだったのです。
 実はまつ枝の経営していた民宿「首もみ」の隣が、めぐみの家でした。
 当時3歳のめぐみは、隣の家に突然現れた同い年の女の子というニューカマーに強く惹かれました。
 やがて一緒におじゃみや折り紙、おままごとなどで遊ぶようになるまで、そんなに日にちは必要ありませんでした。
 これに際し、めぐみもまた、この仲の良い女の子に名前というものが存在しないことは不便と感じるようになったのでしょう。
 ちょうどそのころ、桃子の自宅の戸棚のなかには、来客用にと用意したらしい桃の缶詰が大切に仕舞われていました。
 当時、缶詰は高級品だったのでしょう。
 3歳児にとって、めったなことでは食べることのできない大ご馳走でした。
 それで、めぐみはあんまり桃の缶詰が食べたくて食べたくて、しかし食べられないことで、もう桃で頭がいっぱいになっており、ついには大好きな名前の分からない女の子のことをも「もも」と呼ぶようになってしまったのです。
 まさに、すももももももももももというしかない……。
 めぐみにとって、戸棚に隠された桃缶は、仲良しになった隣人の女の子と同じくらいに大切なものに思えていたのです。
 こうして、めぐみは桃子のことを「ももちゃん」「ももちゃん」としきりに呼ぶようになりました。
 桃子自身も、もちろんそれに応じて、めぐみに「ももちゃん」と呼ばれればすぐに振り向きました。
 それを偶然、庭先で見とめたのが五郎作おじいさんです。
 おや、と思ったおじいさんは、
「めぐみちゃん、ウチのねんね〜“もも”て呼んどるね?」
 と何気なく問いました。
 3歳のめぐみは、
「そうや“ももちゃん”や、あの〜んね、えっと〜んね、“もも”ちゃんのことやし〜、“ももちゃん”って呼んどるげん」
 と、ゆっくり答えました。
 五郎作は、おう、と唸りました。
 ワシらのねんねを「ももちゃん」と呼んでいる、ということは、自分の名前を思い出したか、あるいはずっと強情に黙っていた本名を親友のめぐみには教えたのだ。
 このようにじいさんは思ったのでしょう。
「ウチのねね、本当は“もも”ちゅうがか? “もも”け? それは本当け? なんも、名前のことやけどぉ〜お」
 おじいさんがあんまり真面目な顔でまくしたてるので、めぐみにはそれが面白く、ついイタズラ心を起こしてしまったようです。
 次の瞬間には、
「な〜ん、ほんとうは、“ももこ”ちゃんや」
 と告げたのです。
 おじいさんは、ウオーイッと叫ぶや、その場でジャンプしました。
 そして着地しました。
 ついに名前が分かったぞ、桃子やといや! 星桃子や!!
 おじいさんは、すぐさま茶の間に戻ると、引き出しを開けて半紙を広げて、
 「桃子」
 そのように勢いの良い筆で大書しました。
 このエピソードについて、めぐみ本人は桃子について語ることになるたび、少し恥ずかしそうにはにかむのですが、本心として、自分の大好きな親友その当人の名前を、自らが名付けたような格好になったわけで、しかもそれが自分の大好きな名前と同じ名前であるということについて、得がたいことである、幸福なことであると思っている、こう語っていたそうです。
 さて、その桃子はいま──。
 その桃子はいま、鬼と向かい合っていました。
「あなたは鬼だね!」
 桃子は敵たる鬼にそう宣告するや、その場でパラパラを踊り始めました。
 さかんに両手両腕を使って踊ります、踊ります、そして踊ります。
 その動きのなかで、桃子は羽織から柄のついたペロペロキャンディー状の用具を取り出し、その手に保持しました。
 それは本当にキャンディーであるかのように、柄のさきには赤と黄色で渦巻き状になった丸いものがありました。
 桃子はその渦巻きにそって、指さきを滑らせていきました。するとなんとその渦巻き部分がバネ仕掛けのようにボワッと上方へ開きました。渦巻き模様のある面は蓋だったのです。
 中身は鏡で、それはコンパクトミラーでした。
 桃子は、鬼にその鏡面を向けました。
 桃! 百! 桃! 百! 桃!
 そのような文字が、空中に浮かんでは消えています。
「フルーツ・ミラクル! 鏡の刺身!」
 桃子が叫ぶや、鏡から光線が一瞬で突き出て、鬼の上半身をみごとに射抜きました。
 桃子は、苦しんでいる鬼に背を向けました。
「爆発」
 桃子が告げたのは、それだけでした。
 その直後、鏡を構えたままの桃子の身体が1cmほど横へずれると同時に、鬼の身体から火花が飛び散りはじめました。
 ──鬼は爆発しました。
 その爆風がかなりの時間を経て完全にかきけされていったあと、煙の向こう側に1人の少女が立っているのを桃子は認めました。
 その少女は、大きな瞳を糸のように細めて笑いました。
「お疲れさま、ももちゃん」
 ペロペロキャンディーの先端をふっと吹いている桃子に、待ちかねたように駆け寄ったおさげ髪のその少女……。
 そう、親友のめぐみでした。
 桃子は差し出された桃の絵柄のハンカチーフを受けとると、返礼として、最高に素晴らしい笑顔をめぐみにプレゼントしました。
「うふふ」
 めぐみも眼を糸にして笑っていました。
 めぐみの淡いピンクの唇が、桃子の視界のすぐ目の前でした。
「どっちが桃だか……」
 桃子のそれは独り言に終わり、眼をつむれば、甘い果実の香りがそこにあるのみでした。


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*この小説は完全なるフィクションです。実在の人物・団体・地名・書籍名とは、なんら関係ありません。

  令和3年(2021年)4月3日 公開


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