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 果実
 〜フルーツ・ガール桃子〜

  第5話 「極悪お好み焼き店」

 その往来にある一軒のお好み焼き店は、いつも物凄い行列でした。
 お好み焼き──。
 お好み焼きというのは、メリケン粉を水やあるいは卵で溶いて、こまかく刻んだキャベツや肉を混ぜてドロドロに練ったものを、熱くした鉄板で焼き、裏返してまた焼き上げた、ごく単純な食べ物です。
 しかし、単純であるからと、子どもの食べ物のように捨て置く人は、いないとまでは決して言えませんが、ごく珍しい。
 甘辛いソースを刷毛でぽってりと塗ってもらい、上からかつお節をパラパラまぶしますと、たちのぼる香ばしいかおりは、もうたまりません。
 あのソースの焼ける匂い……。
 とくに金沢競馬場(金沢市八田町西1番地)のパドック横にある軽食堂で販売されている、焼きそばの上にお好み焼き半分を載せた「ペア」は人気が高く、本場開催日には行列ができることが珍しくありません。やはり競馬というのは観戦して馬券を購入して観戦してパドックを観てと案外、一瞬の時間も惜しいものですから、テイクアウトできて、レースやパドックを眺めながら気軽に腰をおろして食べることのできることは有利。それに、パドック周回を眺めているとき、いやおうなしにその匂いが風に乗って漂ってくることも最大の宣伝になっているのではないでしょうか。
 潟をわたって吹く風にカツオ節が飛び、その風のさきで馬がいななく……。なんともいえない牧歌的な雰囲気がそこにあります。
 このお好み焼きも、一般的には昭和期に入ってから全国へ流行した食べ物といわれていますが、奥能登町立図書館に所蔵されていた輪島焼蕎麦開発(株)の社内報「わ心」の昭和46年(1971年)8月号を開くと、「黎明期の粉もん、その姿は」と題した鼎談が掲載されており、当時の社長の方が、
『奥能登の門前町では明治の末期には現在でいう“お好み焼き”といえるものが伝わり、農民や旅行者にもふるまわれていた』
 と発言されています。
 さらにこれに応えるかたちで、会社の生き字引、最長老であったという地域連携課長の方が、
『北前船で栄えた日本海の玄関口といえる富浦の港から伝わったと聞きます』
 ともコメントされているではないですか。
 会社の社内報の、しかも社長を交えた鼎談のなかで出てきた挿話なのですから、実話である可能性が高まります。
 これがもし実話ということになれば、今回の舞台となる、大正時代の門前にあったという峠の軽食店とも屋台ともつかぬ粗末な店は、実は、当時としては非常に先進的な飲食店であったといえるでしょうね。
 さて、その屋台の立っているあたりにさしかかった一人の少女の影が、その日の午後にありました。
 桃子でした。
 一匹の白い犬が、桃子のあとを追ったり、ときには追い越して立ち止まり、ふりかえったりしながら、付き従っている様子でした。
 現代から見れば、放し飼いということにもなり、どうかと思うのですが、大正年間当時のことであり、おおらかでもあったのでしょうね。
 その桃子と白い犬もまた、胃袋を掴まれるような素晴らしく美味しそうな香りにさそわれるように、その赤いのれんの下がった店へと吸い寄せられていました。
 ここで待っているんだよ、と言い含める桃子の足元に、犬はくーんくーん、とすり寄ります。
 いちおう動物だからね……と思いつつも、ふところからきびあんころの包みを取り出そうとしたそのとき、ガラリと木戸が開きました。
「へい、らっしゃ〜い!」
 なんと、経営者が自ら外へ出てきて、桃子の背中を強引に押すのです。
 武蔵丸のような大男でした。
「犬がいるんです」
 桃子は言いましたが、経営者は、あらかわい! とドスの効いた声を響かせながら犬を抱き上げ、そのまま店へ戻ろうとします。
 犬は店主の太い腕のなかでじたばたと暴れていました。
「ちょ、ちょっと!」
 店内へと追う桃子の鼻に、なんともいえないソースの焦げた匂いが飛び込んできます。
「うちは、焼きそばとお好み焼きの大盛りがたったの7銭やちゃ!」
 武蔵丸のような大男の店主は、まさに猫なで声でまくしたてます。
 仕方ない……といわぬげに、桃子はガマ口の財布を開きました。
 貨幣をより分けて、7銭をつまんで手渡そうとした、そのときです。
 あろうことか、店主は腕のなかで抱いた犬の首に、出刃包丁の刃をかけていました。
 犬はワンワンと、もうイオンモールかほくのセルフレジのように吠えたてています。
「ちょっと、なんてことしたいんです?!」
 桃子が血相をかけて包丁を取り上げようました。
 しかし店主は、
「犬はおいしいが! うちのお好み焼きの肉は、みーんなそうなが!」
 と、このように叫びながら、高笑いとともに店の外へと走り出します。
 桃子は柄のついたペロペロキャンディー状のなにかを手に、店主を追いました。
「あんたはもしかして鬼だね!」
 桃子はそのペロペロキャンディー状のものを手にしたまま、パラパラを踊り始めました。
 さかんに両手両腕を使って踊ります、踊ります、そして踊ります。
 桃子はその動きのなかで、ペロペロキャンディーのようなものを前方へ掲げました。
 ペロペロキャンディー状といいましたが、本当にキャンディーであるかのように、柄のさきには赤と黄色で渦巻き状になった丸いものがありました。
 大きさはちょうど回転寿司屋の皿くらいのサイズでしょう。
 桃子はその渦巻きにそって、指さきを滑らせていきました。するとなんとその渦巻き部分がバネ仕掛けのようにパカッと上方へ開き、なかから鏡が出現しました。
 いまでいう指紋認証みたいなものですよ。
 桃! 百! 桃! 百! 桃!
 そのような漢字が空中に浮かび上がっては消えていくのを繰り返しています。
 それはもしかすると、現実に浮かび上がったものではなく、周囲のすべての人の網膜にそのような形で焼き付いた光なのかも知れませんでした。
 桃子は犬を抱いたまま逃げる店主の広い背中に、鏡を向けました。
「フルーツ・ミラクル、鏡の野球!」
 桃子が叫ぶや、鏡の表面がグニューと隆起して、ついに丸く球のようになって勢いよく鏡面から分離しました。放たれた銀色の球はどんどん速度を上げて店主の背中を追います。
 店主は肥えていたので、銀色の球は容易にスマッシュヒットしました。
 店主はオーッと叫び、跳ね飛びました。
 その衝撃で、白い犬は店主の手を離れ、ポーイと放り投げられたような形になって、後方へ飛ばされました。
 桃子は犬をキャッチしながら、倒れている店主に背を向けました。
「こわかったかいネコちゃん?」
 桃子は問いましたが、犬は無言でした。
 店主は、さかんにモゾモゾとのたくっています。ちょうど、釣り上げた魚がピチピチと跳ね踊っている様子に、それは似ていた!
 桃子はその店主を引きずり起こすと、その武蔵丸のような彫りの深い顔面を2、3回平手で打ちました。
 その衝撃で、店主の髪の毛からカツラが外れて、角のある頭部が露出しました。
「あんたは鬼ですね?!」
「調子に乗るなよ、ガキ!」
 店主──いや鬼はついに激怒し、桃子の羽織りを鷲掴みにすると力任せにリフトアップし、打ち捨てるように投げ飛ばしてしまいました。
 桃子の身体は空中へ放られましたが、うまくトンボを切って、見事に両足で着地しました。
 草履のつま先に、真珠のように可憐な爪が見えます。
「そんなものは、わたしには通用しないわよ!」
 桃子は羽織りにあしらわれた桃の紋様のかすりを汗ばむ手のひらでなでました。
「やはりお前が桃子か! ゆるさんちゃ!」
 再び襲いかかる鬼に、桃子は至近距離から鏡面を向けました。
「フルーツ・ミラクル! 鏡の刺身!」
 桃子が叫ぶや、鏡から光線が一瞬でのび、間合いを詰めていた鬼の上半身に一瞬で突き刺さりました。
 鬼はぶざまな悲鳴をあげながら、5mほど吹き飛ばされました。それはまるでストリートファイターIIでライフが0になった相手のような様相というしか形容のしようがないのではないでしょうか。
「爆発」
 桃子はそう宣告しました。
 すると桃子の身体が一瞬、1cmほど横へずれ、それとほとんど同時に、店主だった鬼の身体から火花がパチパチパチと飛び散りはじめました。
 ──その鬼は爆発しました。
 その爆風がお好み焼きの店舗を包み隠します……。
 すべてを背にして、すでに歩きだしていた桃子の足元に、白い犬がすりよりました。
「今日はおなかがすくわね、ネコちゃん……」
 桃子はチューイングガムを取り出すと、1枚を抜いて、包みをほどきました。
 鬼やミラクル・ミラーが、本当に実在したものなのか、とか、そもそも大正時代にお好み焼きやチューインガムがあったのか、とか、私に疑いの目を向けられるのは分かります。
 しかし、しかしです、いまこの令和の世に生きている誰もが、前田利家公ご本人に会ったことがないように、逆に、たしかだと信じられていた歴史の証拠が考古学者の捏造だと判明した事件もあったように、すべての事柄は、本当にあったかなかったか、事実と史実を完全に全く同化させることは、その事象とは別の時間軸に生きている限り、宇宙の誰にもできないのです。
 どんな歴史書も、書いてあること全部が本当にすべて真実の事実であったと、なぜ断言できますか?
 書物に書いてあるなら、すべて正しいとなぜ思うのですか?
 書いてある、ないに限らずです。あなた自身の昨日が、あなたの記憶通りの1日であったとなぜ断言できますか?
 あなたの脳に、何者かが細工をして、別な記憶が植え付けられた、その記憶をあなたは信じている、その可能性がゼロだと、あなたは断言できるのですか?
 しかし……。
 しかし、だ。
「鬼を絶滅させる!」
 この日、桃子が心に誓ったその言葉。
 それは少なくとも事実として、たしかに本当にあったことだったと私は信じています。
 それは、数ある大河ドラマの脚本家がそのつど、あやふやな綱渡りのロープを信じつつ書き記してきた物語の筋書き、セリフの数々、それらとの向き合い方とも似ていましょう。
 信じたからこそ書ける。
 信じていないのに書ける人は、自分自身の心を騙して、偽っていますから、その苦しみにいつか焼かれることになる。
 と、いうことは、嘘を書くということは、かたわらで読ませられる他人にとっては嘘でしかないとしても、嘘を書く本人自身にとっては、その瞬間においては、必ず本当のことなんだということなんですよ。
 そうでなければ、嘘と現実の乖離のなかで、いつしか自分自身がくるってしまう……。
 まぁ、しかし、そんなことはどうでも良いですよね。
 桃子と家来の犬は決意を新たに、その強い意思に固められた燃えるような瞳をたがいに確認しあい、頷きあった……。源平の合戦のころ打ち鳴らされた鐘の音のように、安宅の関での勧進帳のエピソードのように、私は史実として、事実として……、このことを伝えていきましょう。
 さてその頃、剱地沖の日本海に浮かぶ謎の孤島──能登鬼ノ島では、鬼の王国の大魔王とそれを補佐する首席助役ペッぺが大きな水晶玉をじっと見つめていました。
 水晶に映し出されているのは、ついいましがたのライブ映像でした。
「果実のガール桃子は……、犬を死守しおったようです。なんとも憎たらしい。あの武蔵丸が提案した、手下の犬を消しておく作戦は、まずは失敗だったようですな」
 首席のペッぺが水晶玉に黒い爪の目立つ手をかざして、映像をかき消しながら言うと、大魔王は無言で引き出しから葉巻を取り出し、その熊のように太い指にはさみました。
 首席のペッぺは、マッチの種火を大魔王の葉巻に移しながら、
「桃子を消すための作戦は、犬ころしだけではありません。案を持つ別の鬼がいくらでもおります。すでに、次の手は打っております」
 と、また言いました。
 大魔王は葉巻をくゆらせ、その巨大な嫁脅し肉付きの面のような複雑な形状の顔を大きくゆがめながら、ウウムと低い声で唸りました。
 それはまるで、ファミリーレストランの入口において、タバコをお吸いになりますか? と尋ねられたときの偉そうな壮年の会社役員か何かのような堂々たる態度でした。


 → 第6話「桃子の故郷」へ

*この小説は完全なるフィクションです。実在の人物・団体・地名・書籍名とは、なんら関係ありません。

  令和3年(2021年)3月26日 公開 (3)


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