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伝説の東京ストアー

 金沢の三大ローカルスーパーといえば、「マルエー」、「ニュー三久」、そして「東京ストアー」と、すぐに思い浮かんだものでした。

 “東スト”と呼ばれ、長らく親しまれた「東京ストアー」……。金沢市片町にあった本店のほか、石川県内各地に店舗を構えておられましたが、県外資本との激しい価格競争の末に挫折し、鬼籍へ入ってしまいました。

 なお、よくいわれたものですが、“東京”で店舗を営業していたことはないようです。創業者の方が“人が集まる東京のような賑やかなお店にしたい”と願ったことが、店名の由来といわれています。

 
 ▲東京ストアー

最終修正:令和6年4月15日 (2)


:: 東ストの歴史

 昭和28年(1953年)11月、東京に日本初のセルフサービス食料品店「紀ノ国屋」が登場し、昭和32年(1957年)9月には大阪に「主婦の店ダイエー」が創業。小売りの世界にスーパーマーケットというビッグバンが生じました。

 まさに日本の小売業にとって大きなエポックメーキングたる時期であったといえるでしょう。

 「東京ストア」は、そのようなスーパー旋風のなかで、昭和34年(1959年)6月24日、金沢片町で創業しています。

 そして、みるみるうちに店舗網を拡大し、県内の代表的食品スーパーとして知られるようになっていくのです。

 スーパー「どんたく」のお亡くなりになった2代目社長は、若い頃に(株)東京ストアーへ入社し、修行を積まれています。社長は「どんたく設立40周年記念誌」のなかで、こう語っておられました。
『全国レベルの経営を実践されていて、どんたくとは10年から15年ほどの開きがあった。コンサルタントを呼んで勉強会もやっていたし、店づくりも素晴らしい。生鮮部門の棚卸なども、当時どんたくは年一回だけだったのに、毎週やっていた』

 そして社長はチェーンストア理論など科学的な経営を取り入れ、旧態依然とした経営体質の刷新に取り組み、こんにちのどんたくを築いたのです。

 昭和63年(1988年)9月には、バブル景気のなかで「東京ハートフェルト(株)」という子会社が東京・晴海の流通センターに開業しています。東京ストアーの東京進出です。

 この会社は輸入業を手掛けていたようで、海外商品に独自の手を加えての商品開発が試みられたそうです。

 その後、健康志向の広まりからでしょうか、中国企業との合弁で漢方薬などの輸入なども実施し、その延長で平成4年(1992年)からはドラッグストアー業態の「スーパードラッグ薬の薬師堂」の店舗開発が進められた時期もありました。

 しかし、そんな(株)東京ストアーも平成25年(2013年)1月18日、民事再生法の適用を申請し、保全命令を受けました。

 長引く不況のなか、富山県のアルビス(株)や岐阜県の(株)バローなど県外資本のスーパーが次々と進出。低価格競争が激化し、名門の東ストも次第に疲弊していったのでしょうか。

 また、平成24年(2012年)に複数の有力店舗を(株)バローへ売却したことで、経営が危機的状況にあるのではないかという信用不安が広まり、卸が警戒したことで商品の仕入れ条件も厳しくなり、売り上げの回復を進められないというスパイラルに陥ってしまったようです。

 負債総額は約55億円ということでした。

 これにより、片町本店を含む多くの店舗が閉鎖されてしまいました。

 そして最後に残った西南部、畝田、田上、小松幸町の4店舗はアルビス(株)へ譲渡され、北陸に流通革命をもたらした東京ストアーは、全て消滅しました。

:: 片町店

 昭和34年(1959年)6月24日、竪町通りにてオープンした1号店舗でした。

 セルフサービス方式のスーパーマーケットという革命的商法は百貨店と対面販売の小売店しか知らない消費者は衝撃を受け、既成業界にも大きな影響を与え、北陸に流通革命をもたらしました。

 当初は食品のほかに衣料品も取り扱っていたそうですが、「いとはん」(のちの北陸ジャスコ)との価格競争に敗れ、食品に特化。ライバル店とのすみわけを進めていったそうです。

 オープン翌年の昭和35年(1960年)9月にはや増築、昭和36年(1961年)7月にもさらに増築をし、そして翌年からは野町店、長土塀店、馬場店と破竹の勢いで出店攻勢をかけていくことになります。

 昭和48年(1973年)11月1日にはスーパーと美術サロンをあわせた「東京ストアゆたかビル」(地下1階、地上5階建て)が完成しています。

 新店舗は店内にスポットを多く設けて明るくし、売り場も地下1階、地上1階あわせて1,240uと以前より1割広く取られました。

 長らく竪町通りの老舗スーパーとして市民に愛用されていましたが、民事再生法適用申請後の平成25年(2013年)2月26日に閉店しています。

 建物は取り壊され、跡地は「ファースト・レーベン竪町」となりました。

 
 ▲片町本店

    


:: 野町店

 昭和37年(1962年)8月にオープンした2号店。鉄道石川線野町駅近くにあった店舗です。

 出店にあたっては、鮮魚・精肉部門はそれぞれ魚屋さんと肉屋さんに入ってもらい、委託販売を行う方式が取られたようです。

 昭和45年(1970年)12月に増改築が行われています。これが晩年まで続いた建物ということになるのでしょうか。


 
 管理人にとっては、この野町店がもっとも思い出深い店舗です。幼い頃に別れた母方の祖父母が野町に住んでいたためですね。

 祖母は東京ストアー野町店のことを「いとはん」と呼んでいました。向かいにジャスコ野町店があり、それが昔「いとはん」だったためらしいのですが、なぜ「東京ストアー」へ行くことを「いとはんへ行く」と云うのか、不思議に思ったことを憶えています。


 
 ありし日の東京ストア野町店は、南大通り沿いの野町四丁目の信号機から少し下り坂になっている路地に入ると、すぐに見えてきました。


 
 坂の傾斜のために、高いところでは窓から店舗のなかをやや俯瞰するようにして見えたのが特徴的で、レジに並ぶ店員の方のきびきびした動きや、カートを押して店内をまわる買い物客の様子がジオラマ的に見えるのが子ども心に面白かったです。

 店内には焼きたてのパンのコーナーがあり、そこではパン屋さんのような感覚でトレイに載せて選ぶことができたように記憶しています。管理人は「まめパン」がそのころ好きで、当時かならず買ってもらっていました。

 後年、スーパーやコンビニで売っているメーカー品の「まめパン」を買ってみても、あの東京ストアー野町店で売っていた「まめパン」の美味しさをまったく感じません。舌が変わってしまったのか、それとも……?

 両親の離婚により、小学2年以降、野町へ行くことはなくなり、このお店も長い間疎遠になっていたのですが、大人になってから再び訪れてみると、建物はまったく変わらないものの、店内の活気は薄れていて、また焼きたてパンのコーナーもなくなっていたのが残念でした。


 
 東京ストアの民事再生法適用申請により、平成25年(2013年)2月26日に閉店となっています。地域唯一のスーパーとして親しまれた老舗店の、突然の最後でした。

 その後、跡地は分譲され、宅地となっています。

    


:: 馬場店

 昭和38年(1963年)12月オープン。現在の金沢ふらっとバス馬場児童公園バス停近くにあたります。昭和61年(1986年)10月に閉店し、「ひまわりチェーン馬場店」となりました。

    


:: 長土塀店

 昭和38年(1963年)12月オープン。芳斉2丁目の住宅街のなか、中央郵便局前交差点より東側に入った小路の突き当たりの角にあったようです。

 昭和51年(1976年)〜昭和52年(1977年)の間に閉店。ハイリスチェーンの(株)チェリーによる「ニューチェリー」となりました。現在は民家となっています。

    


:: 小松駅前店

 昭和41年(1966年)3月、「東京ストア小松店」としてオープン。当初は小松店と呼ばれていたようですが、小松幸町店のオープンとともに小松駅前店に改称されたのでしょうか。小松駅前の土居原中央交差点近くにありました。

 平成16年(2004年)〜平成17年(2005年)にかけて閉店し、解体。跡地は「金沢育英センター小松校」になりました。

    


:: 松任店

 関連会社の富士ショッピングセンター(株)が経営していた店舗で、昭和36年(1961年)8月8日に創業。昭和41年(1966年)8月、「東京ストアチェーン富士ショッピングセンター」としてオープンを果たしています。

 いまの中町(西新町方向)バス停前にあたる場所にあり、昭和51年(1976年)7月2日、向かい側に「ジョイモール」がオープンするとともに、同店の駐車場となったようです。現在も「契約店舗お客様専用駐車場」となっています。

 
 ▲現在は駐車場になっています

    


:: 金石店

 昭和43年(1968年)11月10日オープン。隣接地には衣料スーパー「ウィングゆき山」がありました。

 民事再生法適用申請後の平成25年(2013年)2月28日に閉店。これにより金石付近にスーパーがなくなってしまい、寺中や観音堂までバスに乗ってアルビスまで買い物に出る人が増加したという意外な影響もあったようです(現在はマルエーミニがありますね)。

 跡地は宅地化しています。

    


:: 横山町店

 昭和46年(1971年)11月19日オープン。横山町の住宅街、横山町広見に面して立地していた店舗でした。

 昭和49年(1974年)10月28日付け北國新聞朝刊に掲載されている企業PR欄によれば、県内初の全オープンケース使用のモデル店として開店したそうです。

 平成21年(2009年)4月7日に閉店。跡地は分譲され、宅地となっています。

    


:: 額店

 昭和50年(1975年)12月13日、金沢市大額の住宅街に(株)東京ストアーが手掛けた「陽光ビル」と「東陽ビル」が完成。いずれも上階がアパート、1階がショッピングセンターとなった建物で、「陽光ビル」のほうに東京ストアー額店が出店しました。

 平成24年(2012年)2月26日に閉店し、建物はすべて取り壊されました。

 跡地には平成27年(2015年)5月15日、「コープおおぬか」がオープンしました。

 こちらのページもご覧下さい。

    


:: ジョイモール店

 昭和51年(1976年)7月2日、松任市街地の中町にオープンしたショッピングセンター「ジョイモール」のキーテナントで、当初は関連会社の(株)富士ショッピングセンターによる経営だったようです。

 デベロッパーは松任中央ビル協同組合で、100台以上を収容できる駐車場「スカイパーキング」も用意され、館内は「たべもののまち」「本とオシャレのまち」「チビっ子広場」「子供といこいのまち」「ファッションのまち」「緑と滝のある広場」「ジョイコート(緑のある散歩道)」に分かれていました。

 当初のテナントは次の通りでした。

[1階]
 東京ストアチェーンジョイモール店((株)富士センター)
 ベーカリーボンボ
 ファーストフード スノーピア
 タイガークリーニング みやざき
 化粧品・アクセサリー ジュネ
 カバン・バッグ ジュネ
 佃書店
 お惣菜 ショップ丸中
 惣菜・8番スタミート
 キッチン・モリ
 ばらずし
 ラーメン中華スタンド(八)
 おつけもの源助
 タイ焼・タコ焼 ボンちゃん
 高級洋菓子店ハニー
 カメラ マーボ
 サントス直営 どんすき つるべ
 靴ジョイ

[2階]
 ウィング ミヤナガ
 毛糸・手芸 ほそかわ
 紳士服 テレス
 婦人外装 イブシャンセ
 進物・贈答品 雅
 おもちゃ バンビ
 北日本レクレーションクラブ
 喫茶 coffee gardenパチオ
 ビューティサロン みやにし

 旅行会社が「北日本レクレーションクラブ」なのが松任らしいですね。「ラーメン中華スタンド(八)」は8番らーめんとは関係があるのでしょうか??

 その後、平成6年(1994年)8月に開始された東京ストアによるドラッグストア業態「スーパードラッグ薬の薬師堂」の出店も行われました。

 平成10年(1998年)に衣料品部門の「ウイングミヤナガ」が撤退。空床を埋めるためか、旧松任市が「松任賑わい交流館プラザあさがお」を開設しています。

 平成22年(2010年)8月1日に東京ストアー松任店は閉店し、これにより「ジョイモール」は閉鎖され、取り壊されました。現在、跡地は「ファミリーマート白山中町店」となっています。

 
 ▲現在はファミマに


    

:: 千代野店

 昭和55年(1980年)9月27日オープン。千代野ニュータウンのショッピングセンター「グリーンベル」の核店舗で、当初は関連会社の(株)富士ショッピングセンターが経営していたようです。

 民事再生法適用申請後の平成25年(2013年)3月31日、閉店しました。建物もその後、取り壊されています。

 平成27年(2015年)5月14日、グリーンベル跡地には「ゲンキー千代野中店」がオープンしました。

    


:: 西南部店

 昭和52年(1977年)5月11日オープン。東京ストアー最後の4店舗のひとつでしたが、アルビスへの売却により、平成26年(2014年)2月28日に「アルビス西南部店」となりました。

    


:: 内灘店

 昭和52年(1977年)12月11日、「ショッピングセンターコーヨー」(東友ショッピングプラザ)として向陽台にオープンした店舗です。衣料スーパー「ウイング内灘店」との同居店舗でした。

 民事再生法適用申請後の平成25年(2013年)3月20日閉店。その後、後釜として平成25年(2013年)7月19日に「マルエー内灘店」がオープンしました。

 
 ▲現在はマルエーとなりました

    


:: 四十万店

 昭和54年(1979年)4月27日オープン。現在の四十万五丁目バス停前にあたる場所にあったようですが、平成10年(1998年)頃に閉店しました。

 現在、跡地は「ディサービスセンターグループホームぽーれぽーれ四十万」などになっています。

    


:: 小松幸町店

 昭和57年(1982年)9月8日、小松市幸町の国道8号線沿いにオープン。平成7年(1995年)12月22日には「スーパードラッグ薬の薬師堂」もオープンしました。

 平成18年(2006年)11月23日には廉売店「A-プライス」のフランチャイズに加盟し「A−プライス 東京ストアー小松幸町店」となりました。

 東京ストアー最後の4店舗のひとつでしたが、平成26年(2014年)2月28日に「アルビス小松幸町店」となりました。

 平成31年(2019年)3月、敷地の一部が北陸新幹線の用地として収用されるため、いったん閉店し、建物は解体されました。

 その後、令和元年(2019年)4月10日に元の位置で新築オープンを果たしています。

 
 ▲建て替えられた2代目店舗

    


:: 体養店

 昭和61年(1986年)11月19日オープン。寺井バイパスのインターチェンジ沿いにあり、「マリータウン」と称した新店舗として開発されました。

 「体養」とは地名ではなく、「体を養う」という意味だそうで、医食同源の考えにより、健康によい食品を中心に販売するというコンセプトで営業されていたのでしょうね。

 店舗名に所在地名を使わず、漢字2文字の造語で命名とする方式は、一時期の「ニュー三久」や廃業された「スーパー佑企」で好んで採用されていましたが、東ストにおいてはここが唯一です。

 平成元年(1989年)12月8日、旧駐車場部分に「マリータウン生活館」がオープン。健康志向の消費行動に対応して新たに薬局分野に進出し、医薬品のほか、食物繊維飲料などの機能性食品が販売されていたようです。

 「マリータウン生活館」は平成4年(1992年)より本格的ドラッグストア形態の「スーパードラッグ薬の薬師堂」となっています。

 しかし、平成10年(1998年)10月22日に「アルビス寺井店」がすぐ東隣に出店し、苦戦。平成23年(2011年)8月20日に閉店を余儀なくされました。

 現在は「フューネラルホール能美天翔閣」となっています。

    


:: 三ツ屋店

 平成8年(1996年)6月1日、旧「サニーフーズ三ツ屋店」跡にオープンした店舗です。

 平成23年(2011年)8月30日に閉店し、建物は解体。跡地は「セブンイレブン金沢三ツ屋店」となりました。現在も異様に広い駐車場にかつての面影を感じさせます。

    


:: 串店

 平成9年(1997年)10月30日、小松市のコマツ粟津工場正門に近く、串東口バス停前にてオープンした店舗です。

 平成24年(2012年)9月4日に閉店し、店舗は(株)バローへ売却されました。

 串店は優良店舗だったようで、だから好条件で売却できたのだろうと想像されますが、この店舗の売却あたりから、東ストの雲行きは明らかに微妙なものになってきていたように思えます。

 その後、平成24年(2012年)11月1日にバロー傘下となっていた福井市の(株)ユースによる「ユース串店」となり、石川県初のユースともなったのですが、それは束の間で、同社が(株)バローに吸収されたことにより、平成25年(2013年)10月1日にはさらに「バロー串店」となりました。

    


:: 矢作店

 平成9年(1997年)12月18日、旧「メルカード矢作店」跡に出店した店舗で、東京ストアーブランド最後の出店でもありました。

 メルカード時代にも入店経験のあるはくとさんによると、完全な居抜きではなく、骨組みまで戻して大規模にリノベーションされていたのではないかということでした。
 (情報ご提供:はくとさん)

 平成14年(2002年)7月に閉店。現在、建物はそのままでカラオケの「コートダジュール野々市矢作店」となっています。

 
 ▲元東ストのコート・ダジュール

    


:: フレッシュ・アリーナ御経塚店

 平成6年(1994年)12月6日、初の“フレッシュ・アリーナ店”としてオープンした店舗でした。御経塚北側のあやめ団地内にあり、上荒屋地区からも近い店構えでした。

 「フレッシュ・アリーナ」はお好み焼きのコテのようなマークが印象的でしたが、実はあれは「タマネギ」なのだそうです。

 民事再生法適用申請後の平成25年(2013年)3月20日に閉店。建物は取り壊され、平成27年(2013年)3月4日、跡地に「クスリのアオキ御経塚あやめ店」がオープンしました。

    


:: フレッシュ・アリーナ新庄店

 平成8年(1996年)12月20日オープン。新庄の加賀産業道路近く、「イオン野々市南店」真向かいに位置していました。当初「スーパードラッグ薬の薬師堂」も併設されていました。

 平成24年(2012年)9月10日に閉店し、(株)バローへ売却。同年10月18日に「バロー新庄店」となりました。しかし、同店も平成28年(2016年)1月31日限りで閉店しています。現在は「ホームセンタームサシ金沢南店資材館」となっています。

 
 ▲現在はムサシ資材館に

    


:: フレッシュ・アリーナ押越店

 平成12年(2000年)12月17日オープン。平成24年(2012年)9月12日に閉店し、(株)バローへ売却。同年11月8日に「バロー押越店」となりました。

    


:: フレッシュ・アリーナ田上店

 平成14年(2002年)7月12日、山側環状建設予定地に面した形でオープン。同時に「カーマ田上店」も隣接地にオープンしていますが、これは相乗効果を期待して歩調を合わせたものだったそうです。

 東京ストアー最後の4店舗のひとつでした。

 平成26年(2014年)2月28日に「アルビス田上店」としてリニューアルされています。

 
 ▲現在のアルビス田上店

    

:: フレッシュ・アリーナ畝田店

 平成15年(2003年)11月22日オープン。(株)東京ストアーが最後に出店させた単独店舗で、そして東京ストアー最後の4店舗のひとつでもありました。平成26年(2014年)2月28日に「アルビス畝田店」となりました。

 
 ▲現在のアルビス畝田店

 
 ▲海幹に面しているのはお店の裏側です

    


:: スプーンステーション店

 平成19年(2007年)5月26日にJR金沢駅の「かなざわ百番街」に新設オープンした「くつろぎ館」(現:あんと西)2階の食品スーパー「100Banマート」として開店しています。

 金沢駅徒歩0分の食料品スーパーということで、地元の利用客だけでなく観光客からも人気のお店でした。

 民事再生法適用申請後も営業が続けられていましたが、平成26年(2014年)2月21日より金沢ターミナル開発(株)直営として移管され、平成27年(2015年)2月2日からはAコープを運営する(株)ジャコム石川が手がける「Aガイヤ」となりました。

 
 ▲現在のあんと西


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参考文献
 「モロケン心得帳」(諸江賢二・著)北國新聞社
 「石川の企業」能登印刷出版部
 「北國新聞縮刷版」各号
 「住宅明細図」(各地版、各号)刊広社
 「明細区分図」(各地版、各号)日本地政協会
 「ゼンリン住宅地図」(各地版、各号)ゼンリン
 「山成商事株式会社・どんたく設立40周年記念誌」
 「日本スーパーマーケット名鑑」(各年版)商業界

    

 


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