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伝説の三崎ストアー

 金沢市森本地区を本拠地として営業されていた「三崎ストアー」。私は三崎が好きでした。ここは世界で唯一の三崎ストアーファンページです。


 
 ▲独自の電子マネー「Mカード」

最終修正:令和6年4月1日 (5)

:: 初代森本店

 昭和29年(1954年)、国鉄森本駅前の現在「ファ・ミ・レ」になっている場所の一角にて青果物小売業「三崎商店」として創業したのが、三崎ストアーのはじまりのようです。

 “魚の三崎”として人気がありましたが、意外にも最初は八百屋さんからのスタートだったのですね。

 昭和38年(1963年)の住宅地図では「三崎食料品店」のみの記載でした。昭和40年(1965年)の地図では「三崎食品店・三崎ストアー」と連名になっていましたので、この頃にはセルフサービス方式を取り入れて「三崎ストアー」を名乗り始めたのでしょう。

 法人としての「(株)三崎ストアー」は昭和42年(1967年)8月に設立されています。

 なお、昭和44年(1969年)の住宅地図まで、森本駅前の北鉄バスの停留所は「森本駅三崎ストアー前」と記載されていました。おそらくバス停の丸板に広告としてそう書かれてあったのでしょう。ですから北鉄ともちゃんと関わりがありますね。

 昭和53年(1978年)4月28日、本店舗のほか「マコトヤ靴店」「ミロクヤ呉服店」「岡本化粧品」「城北ホンダ」「左門茶屋うどん店」のあった区画が再開発され、「森本ターミナルビル ファ・ミ・レ」がオープン。その核店舗「ファ・ミ・レ店」として生まれ変わりました。


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:: 北口店

 南森本バス停前、現在北陸新幹線の高架になっているところに「北口店」があった模様です。かつて南森本バス停前に「ココス」というスナックがあったことを憶えている方はおいでるでしょうか、その「ココス」の南隣で店を構えていたようです。

 昭和42年(1967年)の地図では「東山食品店」。昭和43年(1968年)の地図では「三崎ストアー北口店」とあり、この間のいずれかの時期にオープンしたか、または東山食品店を買収して「北口店」としてオープンさせたのかも知れません。

 昭和53年(1978年)〜昭和54年(1979年)にかけて閉店。おそらくは同時期にオープンした「ファ・ミ・レ店」に集約される格好で店を閉めたのではないでしょうか。その後は「倉庫」を経て、建物は解体されたようで、最終的には空き地となっていましたが、北陸新幹線工事にあたって収用され、現在はその高架下となっています。

 
 ▲北口店跡


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:: ツカザキ店

 昭和43年(1968年)1月12日に塚崎町でオープン。吉原町交差点の東寄り、現在「孫悟空」駐車場という看板のかかっている場所にありました。昭和54年(1979年)12月17日に一度リニューアルしているようです。

 昭和63年(1988年)11月2日、東側へ少し進んだ塚崎バス停前へ移転するかっこうで、新店「セリオ店」として新しいスタートを切っています。


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:: モモサカ店

 昭和47年(1972年)4月1日、百坂町のショッピングセンター「モモサカプラザ」オープンに伴い、その核店舗として三崎ストアー「モモサカ店」が開店しています。建物は三崎ストアーの所有ではなく、賃借物件だったようです。

 三崎最後の3店舗のうちの1つです。

 「モモサカプラザ」の駐車場に隣接して、当初より敷地内で「8番ラーメン森本店」(現:8番らーめん)も営業。当初は写真とコーヒー「アーチェスト」というお店もテナントとして入っていたようですね。

 昭和54年(1979年)4月7日、西側への増築(東側入口付近の一部を解体)が完成し、店舗面積867平方メートル増床、駐車スペースが100台分増加しています。このとき長崎屋フランチャイズの「サンバード」のほか、うどん店、お好み焼き店が新規出店。食べる・見る・買うのショッピングゾーンが広がりました。

 改装オープン時には屋上に塔屋が設置されており、「長崎屋」のマークも誇らしげにアピールされていました。

 この改装時のテナントは次の通りです。
 三崎ストアー
 サンバード
 8番ラーメン
 靴とカバン ハニー
 じんずし
 お菓子の加賀藩
 コーヒー&スナック アーチスト
 クリーニングの新陽
 お好み焼き・やきそば・たこやき・パンダやき ふくぢゅう
 おもちゃの店 トムトム
 ひえだ園芸
 資生堂化粧品・くすり・本・文具 プラザやち

 このうち、8番ラーメン森本店は駐車場内で別店舗での営業でした。平成元年(1989年)頃までは敷地東側に立地。その後、建て替えにより西側へ移動し、ブランド名の変更により「8番らーめん」となっています。

 
 ▲8番らーめん

 
 ▲古い店舗だけに許された鉄板ギョウザ

 この8番らーめん森本店は馳知事も行きつけというお店で、ほかの店舗よりも炒め野菜の量が多く、本部から仕入れている具材だけでは足りないので、自費で野菜を買ってきて加えているというエピソードを耳にしたこともありました。また、古くから8番らーめんのフランチャイズ店舗を営業しているお店だけに特有の、ギョーザが鉄板の上に載って出てくる、通称「鉄板ギョーザ」を出していたお店でもありました。

 
 ▲観光バスが乗り付けていたことも……

 のちに「サンバード長崎屋」のマークを示していた大きな塔屋は撤去されてしまい、以降はいまのような平板な建物に変わっています。

 その「サンバード百坂店」は長崎屋本体の不振にも関係していたのでしょうか、遅くとも平成25年(2013年)までに地場の衣料ボランタリーチェーンである「ウイング」へと乗り換え、「ウイングモモサカ店」と改称されました。

 
 ▲モモサカプラザのテナント一覧

 令和元年(2019年)9月20日を最後に敷地内の「8番らーめん森本店」がいったん閉店しましたが、その後、令和元年(2019年)12月21日に別のオーナーによりリニューアルオープンを果たしています。

 令和4年(2022年)11月30日をもって「三崎ストアーモモサカ店」は閉店しました。三崎3店舗ではアオキへの譲渡日前日、つまり最後まで営業された店舗ということになります。

 三崎以外のテナントは営業を継続しましたが、「クスリのアオキ」としてリニューアルオープンすることが決まり、「加賀藩たかくら」は令和5年(2023年)1月31日をもって閉店(クスリのアオキ出店時に改めて開店予定)。「ウイングモモサカ店」「100円均一ポピア」「プレイランド」は令和5年(2023年)2月19日で完全閉店となりました。

 
 ▲モモサカプラザ

 そして、令和5年(2023年)10月4日、「クスリのアオキ百坂店」が旧三崎からの転換店としてはしんがりでオープンしました。アオキにとって石川県内100店舗目の記念すべきお店で、売り場はアオキ最大級の規模。鮮魚、寿司も扱うタイプのお店となっています。

 
 ▲クスリのアオキへ転換


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:: ファ・ミ・レ店

 現在は「金沢おぐら座」の建物となっている「ファ・ミ・レ」ですが、もともとは(株)三崎ストアーが中心となった「森本ターミナルビル協同組合」(昭和52年(1977年)7月1日結成)が昭和53年(1978年)4月28日にオープンさせたショッピングセンターで、往時は「ひろがりのアーチ」をキャッチフレーズに、1階、2階がショッピングフロアとして営業していました。

 
 ▲ファ・ミ・レもかつてはショッピングセンターでした

 開店当時のテナントは、食品スーパー「三崎ストアーファ・ミ・レ店」をキーに、呉服・婦人服「ミロク屋」、ファンシーリビング「マルミ」、チャームショップ「おかもと」、芝寿し、銘菓「みむら」、珈琲レストラン「ファ・ミ・レ」、こどもの「プレイランド」が営業しており、「ハロータウン」と並ぶ森本のショッピングセンターとなっていたものです。

 「ファ・ミ・レ」オープン前の昭和50年(1975年)の住宅地図によると、この場所には北側から「(株)三崎ストアー」「マコトヤ靴店」「ミロクヤ呉服店」「岡本化粧品」「城北ホンダ」「左門茶屋うどん店」といった店舗が並んでいたようです。これらが取り壊され、ターミナルビルとして開発されたのでしょう。


 
 平成9年(1997年)12月17日、かつてはライバル関係であった「マイモール・モリモト」に「三崎ストアー森本店」として移転。ファ・ミ・レにはスーパーマーケットとしての機能はなくなりました。

 その後は入口にあった「みむら茶屋」と2階で営業されていた衣料品店「ミロク屋」が1階の三崎ストアー跡へ移転し、その2店舗だけが営業を継続していました。


 
 まだ「ファ・ミ・レ」にテナントが入っており、商業施設として機能していた時代の様子です。

 その後、「ファ・ミ・レ」のテナントは全て撤退し、館内1階には大衆芝居小屋「金沢おぐら座」が入居しています。ただし建物自体はいまも(株)三崎ストアーが管理しているらしく、2階に同社の本社事務所が置かれているようです。

 (株)三崎ストアーは令和4年(2022年)12月1日付けで食品スーパー事業を(株)クスリのアオキへ譲渡。最後の3店舗をいずれも閉店させています。


 
 森本駅東広場の改修によりファ・ミ・レ横の歩道が広げられたため、元々歩道だったところは「もりえきテラス」としてリニューアルされました。Wi-Fiも飛んでいます。


 
 多目的広場と、森本ターミナルビル「ファ・ミ・レ」です。


 
 森本駅東広場の改修工事が行われる以前の「ファ・ミ・レ」の様子です。

 
 ▲よく見るとエスカレーターが隠れています


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:: サンパーク店

 辰口ハイタウンを支えるショッピングセンター「サンパーク辰口」のキーテナントとして営業されていました。


 
 「サンパーク辰口」は昭和61年(1986年)9月25日にオープン。デベロッパーは金沢工建(株)という会社さんで、当初は食品スーパーの「三崎ストアーサンパーク店」、衣料品部門の「暮らしの衣料きたがわ」の2つがメインのテナントとして入居し、軽食を楽しめるフードコートも備えていました。さらに平成9年(1997年)3月の増床時には「ミスタードーナツ辰口店」もオープンしています。

 金沢市森本を本拠地とする(株)三崎ストアーにとっては遠いところに1ヶ所だけ離れ島のようにして存在していた店舗であり、なぜ辰口に三崎が進出しているのか不思議なくらいでしたが、鮮魚部門の強さを武器に、遠く離れたニュータウンにおいて核家族世帯の台所として根付き、サンパークの目玉として奮闘していたように見受けられました。

 しかし、時代の流れとともに新しい商業施設が次々と進出した影響もあってのことでしょうか、まずフードコートが平成27年(2015年)8月25日に閉店。ミスタードーナツも平成30年(2018年)3月28日をもって閉店し、衣料品店についても遅くとも平成31年(2019年)4月までに撤退しています。

 
 ▲休憩場所のみの存在と化していたフードコート跡

 建物が古くなるとともに次第に衰退を見せていたこの頃のサンパーク。本来“外様”である森本の三崎ストアーだけが奮闘を続け、辰口ハイタウンになくてはならない地域密着の食品スーパーとして賑わいを見せていましたが、残念ながら令和2年(2020年)9月15日をもって、ついに閉店となりました。


 
 その後、リニューアル工事を経て令和3年(2021年)1月27日に新しいキーテナントとして「クスリのアオキ サンパーク辰口店」がオープンしましたが、なんと同店の生鮮食品売り場には(株)三崎ストアーがテナントという形で不死鳥のように再臨し、アオキ内の鮮魚、総菜、青果部門を一手に担うことになりました。辰口の台所を支えてきた三崎が、形を変えてまさかの返り咲きを果たしたわけです。

 
 ▲クスリのアオキで販売された「魚屋の寿司」

 
 ▲三崎ストアー製でした


 
 「クスリのアオキ」に変わったあとも、かつてフードコートだったスペースがイートインもできる休憩コーナーとして残っているなど、ショッピングセンターだった頃の名残りが各所に色濃く感じられます。

 令和4年(2022年)12月1日付けで(株)三崎ストアーの食品スーパー事業は(株)クスリのアオキに買収されましたので、名実ともにアオキみずからの手でフレッシュな鮮魚、寿司などをも手掛ける店舗となりました。


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:: セリオ店

 昭和63年(1988年)11月2日、ツカザキ店を移転新築する形で塚崎バス停前に「セリオ店」がオープンしています。

 店名になっている“SERIO”とはスペイン語で「まじめ」という意味で、日本一まじめなお店にしていくという決意が込められていたそうです。アイスクリーム「エストビアンコ」、フラワーランド「さとう」がテナントとして営業していました。

 平成22年(2010年)8月22日に閉店し、閉店後はそのままの建物で平成22年(2010年)10月13日より「コメヤ薬局塚崎店」が営業していましたが、遅くとも平成29年(2017年)6月までには閉店。取り壊されたのち、跡地には平成30年(2018年)12月1日に家族葬専用斎場「ピースフル森本」がオープンしました。


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:: パセオ店

 平成元年(1989年)10月4日、湖陽住宅地の北部公園向かいにてオープン。時計台を模したヨーロピアンな外観を持つ店舗でした。三崎最後の3店舗のうちの1つです。

 
 ▲パセオ店

 ファーストフード「エストビアンコ」と「ドラッグライフ」「クリーニング北陸クイーン」がテナントとして入っていました。このうち「ドラッグライフ」はパセオ閉店まで営業が続けられていました。

 閑静な住宅街のランドマークともいえる、とにかくオシャレな外観のお店で、店内の装飾も凝っており、オープン当初は非常に近代的なスーパーとして話題になったものでした。もともとコンパクトなお店でしたが、住宅街の高齢化とともに、お惣菜や刺身は小分けな食べ切りサイズが多くセッティングされるようになり、お年寄りの2人暮らしや単身者にも優しいスーパーとして工夫されていました。

 
 ▲小分けの冷やしうどん

 一時期、刺身はマルエー系の「マルストック」製のアウトパックを利用していたこともありましたが、やはり売れゆきは歴然としており、いつもマルストックの刺し身ばかりが売れずに残っているのを見かけたものでした。まもなく刺身、寿司はモモサカ店で製造されたものが提供されるようになりました。

 また、平成27年(2015年)2月頃からバローのプライベートブランド「Vセレクト」の商品が並ぶようになりました。そのままバロー化という流れも想像されましたが、どんたくとバローのような業務提携という形にも至らず、ゆるい繋がりで終わったようです。また、富山県のヴァローレなどが加盟しているオネストグループとも協力関係を構築していたようで、オネストと共同でシールを集めるとフライパンが格安で買えるキャンペーンが打ち出されたこともありました。

 
 ▲タラの子付けお刺身

 
 ▲カツオのたたき

 
 ▲鮮魚惣菜

 また、金沢競馬場内の大場町会売店へお弁当を卸していた時期もありました。小売価格は450円でしたが、なぜかラベルの値札が「1円」となっていたのが面白かったです。原材料や内容量などの表示のためにラベルを貼る必要があるものの、価格を入れなければ発行できないので、やむなく「1」と入力していたのかも知れません。

 
 ▲金沢競馬場売店へ卸していたお弁当

 令和3年(2021年)12月21日、パセオ店で初の「コストコフェア」が開催されました。コストコホールセールジャパンから仕入れた「コストコ」の商品を売り出すもので、アメリカ式の会員制スーパーの大容量商品を地元のお店で手軽に購入できるという催事です。のちに、ほかの店舗も含めてたびたび開催されるようになっています。

 
 ▲コストコフェア開催


 
 もともと木曜日が定休となるお店でしたが、令和4年(2022年)8月3日より水曜日も定休日になり、現代のチェーンストアとしては類を見ない、水曜・木曜の2日間連続で定休日になる店舗となりました。

 令和4年(2022年)11月22日をもって閉店となりました。

 
 ▲湖陽の時計台

 店舗は改装され、令和5年(2023年)9月20日、「クスリのアオキ湖陽店」として生まれ変わりました。

 
 ▲クスリのアオキへ生まれ変わりました


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:: ベルポート店

 平成6年(1994年)11月9日オープン。みどり団地の入口、現在の「クスリのアオキみどり団地口店」の位置にありました。

 
 ▲この建物はアオキへ受け継がれています

 鮮魚に強い三崎ならではの競争力で団地の奥さんらを味方につけ、奮闘されていたことと思います。みどり団地では森本地区の店舗とは客層が大きく異なるものと想像されますが、それに合わせてかお惣菜やお弁当類もボリュームが多く、食べ応えのありそうな盛り付けとなっていました。

 一方で寿しなどは3カンのみ170円のパックなど、たくさんは食べられない高齢者の世帯が少量でも美味しい寿しを楽しみたい場合に、あるいは若奥さんが昼食などにご褒美のプチ贅沢として味わうのにもピッタリといった感じの商品も並び、購買層に最適な商品を提供する工夫がされているなと思いました。

 平成28年(2016年)5月5日閉店。ベルポートが閉店したことにより、三崎ストアーチェーンで森本地域外にあるお店は辰口の「サンパーク店」だけということになりました。

 その後、もとの建物を増築した上で、平成28年(2016年)9月14日「クスリのアオキみどり団地口店」としてオープンしました。三崎とアオキとの縁はこのときからのものなのかも知れません。

 
 ▲ベルポート


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:: ラミー店

 平成10年(1998年)12月2日開店。富山県小矢部市の国道8号線沿い、現在の三井アウトレットパーク北陸小矢部の小矢部川をはさんだ東側に位置した「小矢部ショッピングセンター ラミー」のキーテナントとして営業されていました。

 平成9年(1997年)11月19日付け北日本新聞朝刊の記事によると、「ラミー」は高岡市の総合建設業の(株)広和がデベロッパーとなり開発されたものだったようです。三崎ストアーのほか、「ドラッグフジイ」(現:ウェルシアの前身)、ファミリーレストラン「ココス」「マクドナルド」が併設されていました。

 (株)広和では平成11年(1999年)春をめどに、東側に書店とカー用品店、園芸店、西側にボウリング場などのアミューズメント施設の出店も計画していたようです。

 しかし、これらは実現しませんでした。

 平成22年(2010年)4月10日、三崎ストアーはラミー店を閉店。富山県から撤退となりました。

 その後、スーパーマーケットは同年5月13日より(株)三喜有による「サンキュー小矢部芹川店」へ継承されましたが、これも平成28年(2016年)8月31日閉店。建物は解体されています。平成27年(2015年)12月9日に「アルビス小矢部店」がオープンしたことにも影響されたのでしょう。


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:: 森本店

 平成9年(1997年)12月17日、それまでライバル関係であった「マイモール・モリモト」のキーテナントとして出店し、ここが三崎最後の本店となりました。もちろん、三崎最後の3店舗のうちの1つです。

 現在は「クスリのアオキ森本店」として営業されています。

 詳しくはこちらのページをご覧下さい。


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:: 幻に終わった福光店

 このほか、実現はしなかったようですが、富山県では旧福光町(現:南砺市)への進出が計画されたこともあったようです。

 この「三崎ストアー福光店」が報じられたのは平成11年(1999年)5月29日付け北國新聞朝刊で、5月28日、三崎ストアーは福光店開業へ向けて大店法の三条申請(建物設置者の届け出)を行ったとあります。

 記事では平成12年(2000年)9月の開店を目指すとされていました(北日本新聞朝刊の同様の記事には9月1日と具体的な日付も明示)。

 福光町田中のスーパー農道沿いに10,784uの敷地を確保。鉄骨1階建ての2,470uの店舗棟と、薬販売を予定する450uのテナント棟が建設されることになっていたようです。

 しかし、その後の足取りはようとして知れず、オープンを知らせる記事はおろか、地図にもそのような店が出来た様子は見受けられません。

 開発前にあたる平成10年(1998年)と平成15年(2003年)の福光町の住宅地図を見比べましたが、それらしき建造物が新設された様子は、同業他社を含めまったく見当たりませんでした。


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:: 北陸セルコグループ

 『北陸セルコ〜グル〜プ〜♪』というCMでおなじみだったボランタリーチェーン「北陸セルコ」は、昭和44年(1969年)7月15日に発足しています。

 当初の加盟店は三崎ストアー、近江町センター(バザール)、カジマート、グリーンストア、スーパーどんたく、サンエースーパー、あだちストア、スーパーヒロハタの8社だったそうです。

 (株)北陸セルコの初代社長は三崎ストアーの社長がつとめ、その本部も三崎ストアー本社に置かれていました。

 昭和49年(1974年)7月23日時点の北陸セルコグループは次の通りでした。
 スーパーフナモト
 かくだストア
 おおつか
 どんたく
 あだちストア
 カジマート
 三崎ストアー
 グリーンストア
 ニューママサンエー

 この時点で近江町センター(バザール)、スーパーヒロハタが抜け、能登地区のフナモト、かくだ、おおつかが加入していることが分かります。

 最終的には三崎ストアーとカジマートのみが加盟を続け、カジマートが抜けたことで、三崎ストアー1社だけが残りました。

 
 ▲北陸セルコグループ共通レジ袋


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:: コンビニエンス経営

 三崎はごく短い期間ですが、コンビニエンスストアの経営に乗り出していた時期もあるようです。三崎ストアー子会社の「ケープコーポレーション」という会社さんが経営していたもので、当時存在した大手コンビニチェーン「ニコマート」のフランチャイズ店舗として営業されていたようです。

 平成5年(1993年)2月3日付け北國新聞朝刊によると、この年の2月2日までに長野市にあった「ヨシダフーズアンドグロッサリー」という会社さんから「ニコマート」の地域出店権を取得。当初は金沢市内および周辺で新規7店舗の出店を計画し、さらに「ニコマート」の店舗のない富山県、福井県へも進出する構想だったようです。

 ところが、あまりにも不幸なことに平成5年(1993年)6月24日におおもとの「(株)ニコマート」が倒産……。

 これを報じる北國新聞の記事で三崎社長は、
『商品の仕入れはケープコーポレーションが独自に行っていたため混乱はない。今後、店舗の名称をどうするかだけが問題だ』
 と気丈にコメントしていました。

 が、結局、倒産してしまった“ニコマート”の名での多店舗展開は難しいと判断されたようで、平成5年(1993年)12月4日に「ニコマート」の経営権は北陸スパー本部(現:アルビス)傘下の「(株)北陸ホットスパー」へと譲渡され、三崎はコンビニ経営から撤退ということになりました。

 三崎グループが経営していた「ニコマート」の店舗は次の通りでした。

「北町店」
 「ヨシダフーズ」から譲渡された店舗で、北町(郊外方向)バス停の並び、「コインランドリーあの店」の入っている「アサヒマンション」(現:オクト北町)1階にあったようです。

「別院通り店」
 「ヨシダフーズ」から譲渡された店舗で、別院通りの「リヴアレン」1階にあったようです。現在「チケットプラザ金沢駅前店」の入っているビルです。平成6年(1994年)地図では「ホットスパー本町店」となっています。

「幸町店」
 おそらく「ケープコーポレーション」によってオープンした新店舗で、鱗町交差点近く、現在「(株)ヤクルト北陸新竪町サービスセンター」の入っている「金沢ビューシャトウ」1階にあったようです。

「片町店」
 「ヨシダフーズ」が経営していた店舗ですが、「ケープコーポレーション」とさらにフランチャイズ契約を交わした個人のオーナーによって営業されていたようです。いまの「らーめんほくしん片町No.1ビル店」の入っている「片町No.1ビル」(現:アパカタマチNo.1スクエア)1階にあったようです。なお、この店舗は引き続き個人経営としてホットスパーにはならず、その後は「ローソン片町一丁目店」として長らく営業が続けられていました。


参考文献
 「北國新聞縮刷版」各号
 「金沢市住宅明細図 北部」各年版
 「福光・福野・城端住宅明細図」各年版
 「日本スーパー名鑑」各号
 「森本テレホンガイド」(平成元年版および平成7年版)
 「森本のあゆみ」森本公民館(平成12年)


 

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