もりさけてんTOP > もりさけショッピ > 当ページ

マルシェの記憶,その偉業

 かつて石川県を席巻したスーパーマーケットチェーン「マルシェ」。能登半島は羽咋郡志賀町を本拠地とし、最盛期には金沢市、野々市町から富山県にも複数の店舗を構えていました。

 が、平成14年(2002年)2月5日の夜、各店に「心からお詫び」としたためられた休業の貼り紙が貼られ――。この日の営業を最後に「マルシェ」は突然、時計の針を止め、表舞台から去っていったのです。

 
 ▲羽咋駅前に長い間,放置されていた遺構

最終修正:令和6年4月2日 (5)


MORI SAKETEN.com SINCE 2003

:: 高浜店

 マルシェ発祥のお店は、志賀町高浜町にあった「高浜店」です。

 平成元年(1989年)8月17日付け北國新聞朝刊に掲載されている連載記事「人は石垣」によると、マルシェは昭和23年(1948年)、商店街でわずか15uのアイスキャンディー店「大場商店」からスタートしたということです。はじめは(株)大場という社名でした。それが流通革命の流れに乗って、スーパーマーケット業態へシフトチェンジ。「トーカマート」に加盟し、そしてトーカマートの食品スーパー部門を担うようになったのでしょう。

 「トーカマート」とは富山県高岡市に本部を置いていた(株)トーカマートが中心となっていた衣料品スーパーのボランタリーチェーンでした。「トーカマート」は各地に総合ショッピングセンターを建設していきますが、本来の衣料品だけでなく食品部門も充実させるため、食品スーパーとしての(株)大場は重用されていたのだと思います。これを足場に能登から飛び出し、金沢や富山へも進出していったのでしょうね。


 
 マルシェと名前を変える以前の「トーカマートプラザ高浜店」時代は高浜のまちなか、のと共栄信用金庫高浜支店の脇から北西へと入っていった小路の奥に初代店舗があったようです。その移転前の店舗のあった場所を当時の住宅地図と照らし合わせたところ、該当する場所にはこのような建物がありました。

 この建物は現在の住宅地図では「倉庫」として記載されています。たしかに見るからに「倉庫」なのですが、もしかしたら、これこそ旧トーカマートだった建物なのではないかと想像されました。シャッターになっている部分を残し、壁にはブロックが敷き詰められていますが、これはスーパーマーケットによくあるガラス張りを塞いだものではないでしょうか?

 「トーカマートプラザ高浜店」は昭和54年(1979年)11月22日に現在の「どんたく高浜店」の場所へ移転しています。昭和60年(1985年)の住宅地図では、この場所はすでに「倉庫」と記されていました。

 なお、かつてはこの旧店舗のあった一帯に高浜の商店街が形成されていたのだそうです。いまではお店もほとんどなくなり、看板を下ろした旧店舗だったと思われる建物がところどころに見られる程度で、往時の賑わいを偲ぶべくもありません。

 
 ▲マルシェのレジ袋

 昭和59年(1984年)9月20日に(株)大場の展開するスーパーマーケットは「マルシェ」という商号に変わり、同日にはトーカマートのシンボルマークも変更されています。マルシェとは“市場”“人の集まる場”“発展する店”という意味だそうです。この「マルシェ」の商号を掲げてスーパーマーケットチェーンを展開、能登地区だけでなく金沢にも店舗を持つようになり、一時代を築くこととなります。

 昭和63年(1988年)には(株)大場の社名も「(株)マルシェ」と改称され、この頃には石川県の地場スーパーにおいてトップクラスの業績を上げていたといいます。その「マルシェ」の第1号店がここ高浜だったわけです。

 前掲の「人は石垣」の記事によれば、当時の経営者の方はフォークソング全盛の頃、「古時計」というユニット名で歌手活動を行い、レコード大賞新人賞にノミネートされた「ロードショー」など、数々のヒット曲を世に産み出した経歴の持ち主でもあったそうで、このようなところからも才気を垣間見ることができます。

 しかし、平成7年(1995年)6月30日には羽咋市を本拠地として「あだちストア」を展開する(株)安達が高浜中交差点東側、現在クスリのアオキ志賀高浜店となっている場所に「志賀ショッピングセンター エスパ」を開店。強力なライバル店の進出となりました。

 
 ▲エスパのあった場所には、現在はクスリのアオキが

 これに刺激されてか、マルシェも平成9年(1997年)3月中旬ころに「ショッピングセンター リオ」としてリニューアル。奮闘を続けていました。なお、「リオ」になったとき、衣料品スーパー部門はトーカマートから「ヤスサキ」に変更されています。

 また、平成10年(1998年)3月10日にはマルシェは「バロー」との間で資本提携が結ばれていました。いまの「どんたく」を先取りしたような大手とのタッグ結成といえました。

 平成11年(1999年)9月15日には100円均一の『百えんショップ ワン・オー・オー』がオープン。志賀町初の100円ショップとなりました。

 負けてはなるかとばかりに、平成11年(1999年)11月12日にはライバル店の「エスパ」内にも『ザ・ダイソー100円ショップ』がオープンしています。これはホームセンターで知られるロッキーによるフランチャイズ店舗だったそうです。

 2店舗の激しい競争は志賀町の人々にとって選択の幅が広がり、良いことといえたのかも知れません。しかし、その裏で疲弊は確実に進んでいたのでしょう。

 平成14年(2002年)2月5日の夜、各店に「心からお詫び」としたためられた休業の貼り紙が貼られ――。この日の営業を最後に、(株)マルシェは突然、幕を閉じることとなります。

 これを報じた北國新聞の記事によると、「リオ」のほかのテナントは2月6日以降、半額や特売セールを行い営業を継続したようですが、衣料品部門を担っていた「ヤスサキリオ高浜店」はこの2月中をめどに閉店ということでしたので、おそらくほかの店舗もこれに準じたのではないでしょうか。

 平成15年(2003年)5月1日、旧リオ跡地は「どんたく高浜店」に。七尾のどんたくから能登のどんたくへとメタモルフォーゼを図っていた山成商事(株)(現:(株)どんたく)により、トーカマート時代から続くショッピングセンターの灯火は守られました。

 なお、どんたくの進出によって今度は「エスパ」が閉店。あたかもマルシェの仇として討たかれたかのように、「あだちストア」は志賀町から撤退する結果となりました……。

 「どんたく」へと続いた物語。マルシェの時計の針は停まっても、ロードショーはいまも続いています。


 
 現在の「どんたく高浜店」が、旧マルシェだった場所です。高浜中交差点から高浜バスターミナルまでの取り付け道路の途中にあり、バス旅の合間の軽食などの買出しにも便利です。令和元年(2019年)9月23日からはコミュニティバス「しかばす」の乗り入れも開始されました。


 
 隣接地にはドラッグストア「マツモトキヨシ高浜店」も出店しています。同店はまだマルシェが元気だった時代の平成8年(1996年)9月に「シメノドラッグ高浜店」としてオープンし、平成29年(2017年)4月24日にマツキヨブランドへ転換されました。


 
 しかばすの「どんたく高浜店」バス停です。お店の玄関先にポールが立っており、ドアツードアでアクセスできます。停留所名は向かい側にある「志賀クリニック」との連名です。


 △画面のトップへ戻る

  

:: 羽咋店

 おそらく、ネットが普及する前に途絶えた「マルシェ」および「トーカマート」というものの存在を令和の時代にまで雄弁に語る貴重な存在だったのが、羽咋駅前にあった「マルシェ羽咋ショッピングセンター」の廃墟でしょう。閉店後、じつに15年以上も無残な姿を晒し続けていました。


 
 昭和48年(1973年)6月1日、「トーカマートプラザ羽咋ショッピングセンター」としてオープン。倉庫精練(株)羽咋工場の跡地で、延べ面積は5,445平方メートル、2階建ての大型店舗でした。羽咋市では初めての本格的ショッピングセンターだったようです。

 1階の食品スーパーとリビングコーナーはトーカマート高浜店を経営していた「(株)大場」(のちのマルシェ)が、2階の衣料スーパーはトーカマート氷見店(のちのプラファ)を経営していた「たつみ(株)」がそれぞれ担当し、建物の管理を「(株)大場」の関連企業である「プラザ開発(株)」が取り仕切っていたようです。

 昭和48年(1973年)5月31日の北國新聞朝刊に掲載されているオープンを知らせる新聞広告によると、開店当時は下記のテナントが入っていた模様です。

[1階]
 リビング 食品スーパー 大場
 家電 ウメダデンキ
 贈答品 結納品 さかもと
 クリーニング北日本
 資生堂のビューティショップ 錦
 インデアンカレー羽咋店
 銘菓 森八コーナー
 うどん・そば 山ちゃん
 パン プレドール羽咋店
 手芸・アクセサリー るんびに
 靴・カバン ハニー
 時計・メガネ ツツ井
 レコード・楽器 イズミヤ
 紳士用品・ジーンズ セブン
 寿し 八幡ずし
 銘菓 御朱印コーナー
 ラーメン・甘党 寿がきや
 焼そば お好み焼き ニコニコ屋
 文具・手芸用品 さかもと
 書籍 菊沢書店
 カメラ 光陽堂
 ペットコーナー 今西水園
 和菓子 金谷菓子舗
 和洋酒 播磨屋
 花と園芸 羽咋ガーデン
 羽咋市農協駅前支店

[2階]
 衣料スーパー・婦人服
 呉服 あんど
 フルーツパーラー マロン
 玩具 よこがわ
 中華 香華園
 レストラングリル 柳瀬
 お子様の国 プレイランド

 開業当時は「インデアンカレー」や「寿がきや」なども営業されていたのですね。また寿しコーナーが現在「すしべん」でおなじみの「八幡ずし」なのが、いかにも羽咋らしいです。農協が入っているのも目を引きます。

 これらテナントのうち、1階の播磨屋、羽咋ガーデン、ツツ井、光陽堂、および2階のマロン、よこがわ(のちにプラチナンと改称)は、最晩年といえる平成12年(2000年)においても営業を続けていたようです。

 平成2年(1990年)の住宅地図によると、この当時の「マルシェ羽咋ショッピングセンター」には以下のテナントが入っていたことが分かります。

[1階]
 マルシェ
 氷見水産
 田辺食品
 ピーターパン
 八幡すし
 うどん処 クィンピー
 焼そば クィンピー
 電化のジョーシン
 播磨屋
 嘉奈屋
 光陽堂
 ツツ井
 本の泉
 錦
 ドラッグユアーズ
 サカモト
 ハニーケンハウス
 北日本クリーニング
 羽咋市農協駅前支店

[2階]
 トーカマート
 ファースト
 あんど
 近岡
 イズミヤ
 プラチナン
 マロン

 2階の「プラチナン」は玩具の「よこがわ」の改称だそうです。同店は七尾市に本店があり、数店舗を営業していたそうですが、この羽咋店が最後の店舗だったといいます。
 (情報ご提供:ジョンさん)

 さらに平成12年(2000年)の住宅地図によると、この時点の「マルシェ羽咋ショッピングセンター」には下記のテナントが営業していたようです。

[1階]
 マルシェ
 ホワイト急便
 きゃらんど
 ピーターパン
 文具パピ
 靴屋
 パーティランド
 播磨屋
 嘉奈屋
 ドゥイング
 光陽堂
 ツツ井
 羽咋ガーデン
 本の泉
 プラチナン
 カワサキドラッグ

[2階]
 トーカマート
 イズミヤ
 マロン
 百円屋
 シエナ
 ポピン

 こうして見ると、平成12年(2000年)の段階でも最盛期と比べて遜色のないテナントが揃っていた様子がうかがえます。

 しかし、平成14年(2002年)2月5日の夜、各店に「心からお詫び」としたためられた休業の貼り紙が貼られ――。隆盛を誇っていたはずのマルシェはなんの前触れもなく、忽然と表舞台から姿を消しました。羽咋のマルシェについては、この経営破綻の日より先に閉店していたという証言も頂戴しましたが、正確な手がかりは新聞からは見つけられませんでした。

 その後、建物を管理していたプラザ開発(株)も平成14年(2002年)3月5日に自己破産。建物は手つかずのまま15年以上も経ってしまいました。


 
 写真は羽咋駅横手の跨線橋から撮影したものですが、跨線橋と店舗2階部分に面した駐車場とは一体的に繋がっており、人工地盤のような複雑な構造で接続し、立地する建物となっている様子でした。その構造の複雑さも、長い間放置された遠因だったのでしょうか。


 
 平成31年(2019年)1月19日付け北國新聞朝刊の報道によると、このマルシェ跡地の土地と建物は平成30年(2018年)5月に行われた競売により、羽咋市土地開発公社が取得したということです。

 令和2年(2020年)11月より解体工事が始まり、長年にわたって亡霊のように残り続けた廃墟はとうとう姿を消しました。

 今後、跡地には地上4階建ての賑わい交流拠点が建てられる計画で、令和6年(2024年)夏の開業を目指してプロジェクトが動き出しました。

 1階は図書カフェ、学習スペースと交流ホール、2階は緩やかな坂の遊具を設けた屋内公園、3階にはeスポーツスタジオ、シェアキッチンを設け、4階は約200席の多目的ホールとなるそうです。


 △画面のトップへ戻る

  

:: 泉が丘店

 昭和52年(1977年)3月25日にオープンした「サンピア泉ヶ丘」の食品スーパー部門を担っていました。

 この「サンピア」はパーラーシーパレスなどのパチンコ店を手掛けていた小川開発(株)という会社がデペロッパーとなり、マンションと融合したショッピングセンターとして開発されました。

 当初、食品部門は(株)大場(のちにマルシェ泉が丘店)、衣料部門は同じくトーカマート加盟店で高岡市に本拠地を置く(株)エフティが担当していたようです。

 
 ▲現在のサンピア泉ヶ丘

 昭和55年(1980年)の住宅地図によると、「サンピア泉ヶ丘」のフロア構成は次の通りでした。
[1階]
 トーカマート食品部・衣料部
 中田図書販売
 ウメダデンキ
 さのや
 ファーマシー・アベ
 ハニー
 北日本クリーニング
 光陽堂
 宮本インテリア
 フタバ
 坂本文具
 大成堂
 小松園
 味一番
 チュー
 九十九
 パーラー・モルテ
 池内
 ばら寿し
 プレドール
 畠村米殻店
 なかの
 田辺食品
 二幸水産
 金沢フラワーガーデン
 長谷川

[2階]
 コーヒーハウス・ステラ
 SNACK & TEA ROOM パンドール
 ヘアーサロン・コニシ
 美容室奥
 模型ハウスKEN KEN
 スナックZ
 PUB BASEエンタープライズ65
 小川水産(株)金沢支店
 石川県遠洋トロール漁業(株)
 石川県遠洋漁業協会
 エーホ商事(株)
 小川開発(株)
 中部エンジニアリング(株)
 ゲームセンター・サンピア
 駐車場

[3階]〜[9階]
 アパート

[サンピア名店コーナー]
 ジャーマンベーカリー
 ウエスタンドーナツ
 芝寿し
 ワインプラザ
 酒のあづま

 「中田図書販売」が書籍売り場を担当していたのですね。「田辺食品」は千里浜のいか団子で有名なあそこの支店なのでしょうか?

 のちに衣料部門は「ラビア泉が丘店」となっています。

 
 ▲上層階は居住エリアとなっています

 平成2年(1990年)の住宅地図によると、当時のテナント構成は次の通りでした。
[1階]
 マルシェ食品部
 トーカマート衣料部
 トーカマート文化教室
 中田図書販売
 北國銀行泉ヶ丘出張所
 ヘルシー・アベ
 ハニー
 ホープクリーニング
 光陽堂
 フタバ
 味一番
 畠村米殻泉ヶ丘店
 みずぐるま
 はせがわ
 バイセン200
 和菓子丸福
 エキスパート
 メリーママ
 ジグザグ
 アヴァンギャルド
 プレイランド トーカマートゲームコーナー

[2階]
 コーヒーハウス・ステラ
 奥美容室
 模型ハウス ケンケン
 小川水産(株)
 (株)サンピア
 (株)開進堂楽器ヤマハ音楽教室
 (株)ドゥライフ
 J・D・C本部事務局
 山新呉服金沢店
 公文式円光寺教室
 サンピア泉ヶ丘管理事務所
 岩本習字教室
 サンピア文化教室
 中部エンジニアリング(株)
 集会室
 駐車場

[3階]〜[9階]
 アパート

[サンピア名店コーナー]
 ジャーマンベーカリー
 芝寿し
 ワインプラザ
 酒のあづま

 平成9年(1997年)2月28日に「マルシェ」は撤退。その後、同年3月20日に「サンピア」はいったん閉館し、3ヶ月におよぶリニューアル工事に入っています。

 この項では、マルシェ撤退後の「サンピア」についても調べていきたいと思います。

 平成9年(1997年)7月10日、マルシェを失ったサンピアはピンチからチャンスへとばかりに晴れてリニューアルオープンを果たし、新しい食品スーパーとして「アルビス泉が丘サンピア店」が石川県2店舗目のアルビスとして参入しました(平成6年(1994年)3月4日の金沢東店が1号店)。

 このとき「ラビア泉が丘店」(衣料品)は撤退しています(なおエフティは平成15年(2003年)1月6日に自己破産)。

 リニューアルにより、来客専用駐車場が300台分に倍増。また雑貨「B&B House」が平成9年(1997年)8月27日に追加オープンしています。

 平成12年(2000年)の住宅地図によると、当時のフロア構成は次の通りでした。
[1階]
 チューリップ泉が丘店
 北國銀行泉ヶ丘出張所
 ヘルシー・アベ
 ホワイト急便
 味一番
 フラワーガーデンみずぐるま
 SOC白浜珈琲店
 ジャーマンベーカリー
 金沢信用金庫キャッシュコーナー
 酒あづま
 芝寿司
 B&B House

[2階]
 奥美容室
 小川開発(株)
 小川水産(株)
 (株)サンピア
 サンピア泉ヶ丘管理事務所
 (株)開進堂楽器ヤマハ音楽教室
 ヤマハこどもの英会話教室
 フローラクラブ金沢
 アレルギー研究所アトポス
 (株)未来設計
 公文式サンピア泉ヶ丘教室
 中村雅紀税理士事務所
 集会室
 駐車場

[3階]〜[9階]
 アパート

 サンピアの開発元だった小川グループ((株)サンピア、小川水産(株)、小川開発(株))は平成22年(2010年)1月25日に事業停止。現在は(株)ドゥ・サンピアという会社がサンピアの建物を管理している模様です。

 平成23年(2011年)7月28日にはアルビスと並ぶ目玉店舗として「Vドラッグ泉が丘店」がオープンしました。いうまでもなくバローグループのドラッグストアですが、他社の食品スーパーとタッグを組む例は意外と多く、さほどめずらしいものではありません。

 
 令和元年(2019年)のフロア構成は次の通りでした。
[1階]
 アルビス泉が丘サンピア店
 地球の旅行代理店
 ヤングドライ
 味一番
 ジャーマンベーカリー
 北國銀行キャッシュコーナー
 泉が丘サンピアチャンスセンター
 酒あづま
 芝寿し
 フローリストブランマルシェ
 上海マート
 Xドラッグ泉が丘店
 中部薬品(株)

[2階]
 奥美容室
 (株)ドゥ・サンピア
 サンピア泉ヶ丘管理事務所
 パンネットワーク(株)
 パンえいごの森
 陽菜
 公文式サンピア泉ヶ丘教室
 (有)三和ホーム
 フィットアカデミー泉が丘校
 (株)フロントトロー北陸
 中村・土肥税理士法人
 サンピア泉ヶ丘集会室

[3階]〜[9階]
 アパート

 マルシェの生きた証を残すショッピングセンターとして、末永く躍進してほしい「サンピア泉ヶ丘」です。


 △画面のトップへ戻る

  

:: 石野店

 平成2年(1990年)10月5日、羽咋市石野町のロードサイド店街にてオープン。近隣にはバローやマックスバリュが立ち並んでいますが、それらの先駆者としてかなり早い時期に進出させたお店だったようですね。

 平成14年(2002年)2月5日のマルシェ倒産後、おそらく駐車場だった場所と思われる敷地の一部を使って「ホンダパークはくい店」が新築されていますが、これも撤退しています。

 
 ▲マルシェ石野店のあった場所


 △画面のトップへ戻る

  

:: 金石店

 金石交差点角の、現在「エンターテイメントオメガ金石店」となっている場所。ここには、かつて「マルシェ」を核店舗とする「金石ショッピングセンター」がありました。

 
 ▲この場所にかつてはマルシェがありました

 この金石ショッピングセンターは昭和52年(1977年)6月3日に「トーカマート金石ショッピングセンター」としてオープン。食品スーパー部門は(株)大場(のちのマルシェ)、衣料スーパー部門については(株)大場と同じくトーカマートに加盟する(株)ふじかわが担当。建物の管理は(株)大場のグループ会社である「プラザ金石」という会社が手掛けていたようです。

 昭和55年(1980年)の住宅地図においては、テナントは下記の通り記載されていました。昭和60年(1985年)もおおむね同様でした。

●昭和55年(1980年)のテナント
 横川
 ハニー
 松川
 なかさき
 共和水産
 中野
 とん馬
 タカギデンキ
 フタバ
 エリカ
 小僧寿し
 福良
 味一番
 ウエダ薬局
 ボンジュール
 いつものところ
 サンコードライ
 アイカメラ
 衣料スーパー藤川
 食品スーパー大場

 「エリカ」はフワラーショップだったようですから、いまの「花と緑のゑり花」が出店していたのでしょうか?!

 平成5年(1993年)当時の住宅地図によると、この時点の「金石ショッピングセンター」のテナントは、下記の通りとなっていた模様です。

●平成5年(1993年)当時のテナント
 トーカマート金石店
 マルシェ金石店
 フラワーショップ エリカ
 サンコードライ
 ぶたのしっぽ
 味一番
 ビューティショップ なかさき
 いつものところ
 フタバ
 ハニー
 ACB
 松川
 ウエダ薬局

 しかし、これが最後の姿となってしまったようで、平成5年(1993年)8月22日をもって閉店となっています。建物が塩害などで老朽化していたことに加え、近隣に「東京ストアー」や「メルカード」などの店舗があり、「現在地で新たな投資は採算に合わない」と判断されたようです。平成7年(1995年)の住宅地図では「空き家」となっていました。


 △画面のトップへ戻る

  

:: 津幡店

 津幡町にあったショッピングセンター「スカール」の食品部門として、撤退した「名鉄ストアー」の後釜に入っていました。昭和63年(1988年)7月28日のリニューアルオープンより、平成13年(2001年)1月28日の「スカール」閉館まで営業されていました。

 詳しくはこちらをご参照下さい


 △画面のトップへ戻る

  

:: 和倉店

 平成2年(1990年)6月1日オープン。和倉温泉東交差点近く、七尾消防署和倉分署の隣に立地していました。

 平成14年(2002年)2月5日のマルシェ倒産による閉鎖後、建物を活用して「業務スーパー和倉店」が出店しましたが、同店がヒバリー跡へ移転したことにより、解体……。その後、跡地には「ゲンキー光陽台店」が出店しました。


 △画面のトップへ戻る

  

:: 西泉店

 昭和50年(1975年)11月22日に「トーカマートプラザ西泉ショッピングセンター」としてオープン。金沢市内進出の第1号店舗です。食品部門を(株)大場、衣料部門を(株)トーカマートが担当していました。

 「西泉」といっても、鉄道西泉駅やコレクトパーク金沢、ラパーク金沢のある界隈ではなく、二万堂バス停すぐ近くの国道157号線沿いに位置していたようです。なかなかここが西泉というイメージがありませんが、近くの押しボタン式信号機の名称は「西泉一丁目」で、たしかにここも西泉なのですね。

 平成2年(1990年)の地図では「ショッピングセンターマルシェ」として健在でしたが、平成3年(1991年)頃に閉店しています。

 平成5年(1993年)の地図では空き家を示すマークで表記されていましたが、平成6年(1994年)までに建物は取り壊されたようで、この年の住宅地図では「(建)」マーク。つまり建設中の表記となっていました。平成7年(1995年)の地図では、この場所は「コジマ西泉店」となっています。しかし、いまはその「コジマ電機」も撤退し、「文具スーパー事務キチ金沢店」が居抜き出店しています。

 
 ▲事務キチ。マルシェとは別の建物です


 △画面のトップへ戻る

  

:: 藤江店

 昭和51年(1976年)3月5日、藤江南にオープンした「アイゼルショッピングセンター」の核店舗として営業されていました。“アイゼル”とはオランダ北部の淡水湖の名前だそうです。

 デベロッパーは(株)アイゼルで、この場所にはもともと、昭和47年(1972年)9月14日にオープンした北欧料理の「レストランアイゼル」があったようですから、レストラン経営からショッピングセンター開発へと転身された会社さんだったのでしょうか。

 食品スーパーは(株)大場(マルシェ)、衣料スーパーは(株)やなぎや衣料店による「福進チェーンアイゼル店」をキーテナントとしていました。ただ、衣料スーパーは昭和56年(1981年)までにトーカマート加盟店の「(株)ふじかわ」担当に変更されていた様子です。

 しかし、平成3年(1991年)8月に「マルシェ」は「福進チェーン」とともに撤退……。

 その後の「アイゼル」は大規模改修の末、食品スーパーから脱却し、平成4年(1992年)11月20日に「チヨダ靴店」、北陸初進出の玩具店「エース」、「サンミュージックアイゼル店」「バイパスレジャーランド」など9店舗が入る新感覚の複合商業施設となりました。

 しかし、それも閉店となり、その後そのままの建物で平成7年(1995年)7月6日にスーパーマーケット「ナルックスふじえ店」が居抜き出店しました。

 
 ▲ナルックスふじえ店

 
 ▲マルシェ時代と同じ建物のようでした

 「ナルックス」が「クスリのアオキ」に買収された直後、令和2年(2020年)7月15日に閉店。建物は解体され、跡地には新しい店舗が建てられ、令和3年(2021年)5月26日、「クスリのアオキ藤江南店」としてオープンを果たしました。


 △画面のトップへ戻る

  

:: 穴水店

 昭和50年(1975年)11月1日、穴水バイパス沿いにて「トーカマートプラザ穴水ショッピングセンター」としてオープン。元「穴水ボウル」だった建物を利用したものだったようです。ボウリング場をスーパーに転用した例は、ほかにも「どんたく東部店」や「ユニー高岡店」などが知られており、ボウリングブーム終焉後の一幕として各地で見られた流れのようです。

 食品部門は(株)大場、衣料部門は(株)たつみが担当していた模様です。

 建物は昭和58年(1983年)〜昭和61年(1986年)の間のいずれかの時期に建て替えが行われています。

 大町東交差点の北東側、現在は「真如苑能登支部」となっている場所です。


 △画面のトップへ戻る

  

:: 門前店

 昭和60年(1985年)11月15日、門前バイパス沿いでオープン。平成14年(2002年)2月5日のマルシェ倒産による閉店後、平成14年(2002年)7月に「サン・フラワー・マリヤマ門前店」として引き継がれました。

 
 ▲サンフラワー時代の様子

 しかしそのサン・フラワー・マリヤマも令和3年(2021年)5月21日付で「クスリのアオキ」に吸収合併され、令和3年(2021年)6月16日までに閉店。建物は取り壊され、跡地には令和4年(2022年)10月12日、「クスリのアオキ門前店」がオープンしています。


 △画面のトップへ戻る

  

:: 鹿西店

 昭和59年(1984年)6月24日オープン。西往来の「能登部」バス停前にありました。もとは子会社の(株)ディナーズが経営する食品スーパー「ディナーズ鹿西店」で、昭和59年(1984年)9月20日より「マルシェ鹿西店」となっています。

 平成14年(2002年)2月5日のマルシェ倒産後は能登地区でホームセンターを経営する(株)ロッキーが受け皿となり、食品スーパー「食文化新鮮館」として平成14年(2002年)12月4日に再オープンを果たしています。

 
 ▲現在はロッキー傘下

 
 ▲従業員の方々の雇用受け入れも行われたそうです


 △画面のトップへ戻る

  

:: 鳥屋店

 昭和60年(1985年)4月25日、西往来沿いにオープン。こちらも食品スーパーに特化した店舗だったものと見られ、「門前店」や「鹿西店」だった建物とよく似た規模のように見受けられます。

 倒産による閉店後、住宅地図によれば、建物は「(有)ユキオ能登連絡所ドローイングセンター」として使用されているようです。

 
 ▲マルシェ鳥屋店跡

 
 ▲鹿西店と同じつくりの看板


 △画面のトップへ戻る

  

:: 七塚店

 昭和57年(1982年)8月、国道159号線沿いの国道松浜交差点前にてオープン。はじめは子会社の(株)ディナーズが経営する「ディナーズ七塚店」として営業。当初は「和風レストラン松華亭」が一角にて営業していたようです。

 昭和59年(1984年)〜昭和62年(1987年)にかけてのいずれかの時期に「マルシェ七塚店」に。平成6年(1994年)〜平成7年(1995年)頃に閉店しています。

▼ジョンさんからのコメントです
『撤退後、「酒のスーパーアブサン」のちに100円ショップが入居していたと記憶しています。一角に有った飲食店は、「中華料理翡翠」になっていたようで、撤退後も残っていました。(のちに移転)』

 (情報ご提供:ジョンさん)

 現在はそれらも閉店し、跡地は「セレモニーステーションはまなす」となりました。


 △画面のトップへ戻る

  

:: 鹿島店

 昭和59年(1984年)11月30日オープン。小竹の旧道沿い、水白バス停付近にありました。

 製材所跡に建設されたものだそうで、また、開業時にはゲームコーナーがあったそうです。
 (情報ご提供:ジョンさん)

 平成9年(1997年)〜平成10年(1998年)にかけてのいずれかの時期に閉店。住宅地図によれば、建物は現在「香里庵中能登工場」として活用されている様子です。

 


 △画面のトップへ戻る

  

:: グランマルシェ

 平成9年(1997年)7月4日、濃飛西濃運輸(株)北陸流通センター跡地に建設されたショッピングセンター「リオののいち」の核店舗としてオープン。同店には「キリン堂野々市店」や「ハードオフ野々市店」「ジャーマンベーカリー」「ばらずし」などのテナントも出店していました。

 平成12年(2000年)8月1日に「リオののいち」の店名のまま、キーテナントは(株)アルビスによる「スーパーストアチューリップ野々市店」に。マルシェは撤退しています。さらに、平成14年(2002年)〜平成15年(2003年)の間に「キリン堂」も撤退し、後釜として「オフハウス野々市店」が入居しました。

 平成15年(2003年)〜平成16年(2004年)の間には、「アルビス石川事務所」も館内に置かれ、アルビスの石川県における拠点ともなっていたようです。

 平成22年(2010年)10月28日にアルビスの新業態「フードバリュ野々市店」としてリニューアルされましたが、のちに建て替え工事に入るため、数年のうちにいったん閉店。このときマルシェ時代の建物は解体され、さらに大通りに面していたジャック野々市ロードサイド店、天狗ハム金沢営業所、(株)石川コンピュータセンター野々市システムセンターなどを買収・撤去し、駐車場を広めるとともに、大通りから店舗が見えるように大規模な改良がなされました。


 
 平成28年(2016年)10月18日、「アルビス明倫通り店」として新装オープンを果たしています。大和デパートによる「野々市サテライトショップ」を併設、老舗デパートとのコラボレーション店舗となっています。


 △画面のトップへ戻る

  

:: 能都店

 宇出津新港にある「能都ショッピングタウンアルプ」のキーテナントでした。


 
 「アルプ」は平成5年(1993年)11月6日、(有)新港商業開発をデベロッパーとしてオープン。食品スーパーをマルシェ、衣料スーパーはウィングたかだやの2枚看板でデビューしています。

 開業を知らせる広告によれば、当初のテナントは次の通りだったようです。
 総合衣料 ウィングたかだや
 総合食品 マルシェ
 靴・カバン ISHIKIRI
 ファーストフーズ パーティランド
 フルーツショップ フルーツミックス
 薬・化粧品・日用雑貨 くすりの昭和(アルプ店)
 時計・メガネ・アクセサリー タダガワ
 お持ち帰り寿司 ばら寿司
 デラックスクリーニング ただがわ
 和・洋菓子 吉野屋
 おもちゃはうす 太郎と花子
 ジーンズカジュアル アワーハウス
 文具・ファンシー ステープル
 書籍 BOOKSアルプ
 DPE・写真 フジカラーパレットブラザ(アルプ店)


 
 その後、マルシェは撤退。平成13年(2001年)11月8日に後釜としてスーパーマーケット「どんたく」が参入しました(同社の社史では12月6日オープンとなっています)。

 平成23年(2011年)5月25日には駐車場構内に「クスリのアオキ宇出津店」がオープンしています。

 平成29年(2017年)時点のテナントは次の通りとなっていました。
[1階]
 ウィングたかだや
 どんたく
 イシキリ
 メガネのタダガワ
 ばらずし
 クリーニング フランセ
 吉野屋
 太郎と花子
 金子屋2号店
 アワーハウス
 メディア・アルプ
 サラダ館アルプ店
 ステープル
 BOOKSアルプ
 フジカラー パレットブラザ
 100円ショップ キャンドゥ

[2階]
 JOYCOM´S

 「吉野屋」は牛丼チェーンではなく、菓子店さんです。


 △画面のトップへ戻る

  

:: レスタ店

 富山県小矢部市の中心部にあった店舗で、昭和45年(1970年)に小矢部市本町で「トーカマート小矢部店」として開店したのが最初のようです。

 昭和49年(1974年)6月1日に「小矢部ショッピングセンター」として3階建ての新店舗に。子会社のニュープラザ開発が建物を管理し、食品部門を(株)大場、衣料部門を(株)湯浅洋品店(トーカマートチェーン)が担当していたようです。

 平成元年(1989年)10月7日、小矢部へのユニー進出を見据えて全面改装し、「レスタ」となりました。レスタとは「生活で楽しむ舞台」という意味を持つ造語だそうです。この改装で下りのエスカレーターが新設されています。

 しかし、平成4年(1992年)9月23日に「ユニー小矢部店」が出店したのを境に専門店が次々と抜け、最終的に2階は空きフロアになってしまいました。

 平成12年(2000年)3月31日までに閉店。医療法人社団にしの会へ売却され、跡地は「にしの老人保健施設」となりました。


 △画面のトップへ戻る

  

:: 中町店

 昭和46年(1971年)6月1日オープン。「トーカマートなかまちプラザ」として氷見市比美町の中心市街地に店舗を構えていたようです。地下1階・地上3階建てで、食品部門(地下にあった)を(株)大場、衣料部門をたつみ(株)が担当していたようです。平成2年(1990年)頃までに閉店しています。


 △画面のトップへ戻る

  

:: サンピア呉羽店

 昭和51年(1976年)6月25日、富山市呉羽町で「トーカマート呉羽店」としてオープン。2階建てで、食品部門を(株)大場が、衣料部門を(株)トーカマートたけうちが担当。また持ち帰り寿司を八幡すしが担当していた模様です。

 昭和56年(1981年)6月25日、「サンピア呉羽」として再オープンを果たしています。

 マルシェ撤退後も営業されていたようですが、平成17年(2005年)2月26日に閉店。跡地は現在「光明石温泉 呉羽の湯」となっています。


 △画面のトップへ戻る

  

:: 富山新庄店

 昭和54年(1979年)7月13日、富山市の国道41号線沿い、新庄新町バス停前にオープン。12階建てのマンション「スカイタウン富山」の1階・2階部分を「トーカマート新庄ショッピングセンター」としたもので、この食品売り場を(株)大場が担当していました。

 マルシェおよびトーカマートの撤退後は「ラビア新庄ショッピングセンター」を名乗るも、閉店。その後、平成14年(2002年)11月7日より「大阪屋ショップ新庄店」として長らく営業されていました。

 平成30年(2018年)1月31日を最後に大阪屋ショップは閉店。同年2月15日からマンション部分を含めて解体工事が始まりました。跡地には再び「大阪屋ショップ」の新店舗が建てられ、平成31年(2019年)3月1日オープン。盛業中です。


 △画面のトップへ戻る

  

:: 津沢店

 昭和57年(1982年)5月28日オープン。小矢部市新西の、いまJAいなば南部支店になっている場所にあったようです。富山県内最後の1店舗でした。平成14年(2002年)2月6日、マルシェ破綻と運命を共にしています。


 △画面のトップへ戻る

  

:: 氷見店

 昭和53年(1978年)10月21日、加越能鉄道(株)氷見営業所の向かい、いま「セレモニーホール和光」になっている場所に出店した3階建てのショッピングセンター「サンパークひみ」の食品部門として進出したのが最初です。

 その後、平成5年(1993年)12月3日に氷見バイパス沿いにて「プラファ氷見ショッピングセンター」がオープンしたことで、ここへと全面的に移転しています。

 
 ▲現在のプラファ

 「プラファ」は(株)たつみがデペロッパーで、同社が担当するトーカマート氷見プラファ店を衣料スーパーとして併設していました。

 その名称は“生活にプラスアルファ”を目指すという意味の造語だそうです。鉄骨一部2階建てですが、販売フロアは全て1階にまとめられた構造で、多層階とせず、広々としたワンフロアのみで構成されたタイプのショッピングセンターというものの先駆けでした。

 マルシェ撤退後、平成10年(1998年)10月1日に後釜として「バロー氷見店」が開店。また、ボランタリーチェーンとしての「トーカマート」が平成13年(2001年)5月に解散したあと、衣料部門は「アスタ」プラファ店となりました。

 食品スーパーはさらに変遷し、バローが撤退したあとは地元スーパーの「マルワフード」が入居。マルワのスーパー事業が大阪屋ショップに買収されたことで、ここもまた大阪屋ショップとなったという流れのようです。
 (情報ご提供:ジョンさん)

 令和3年(2021年)11月30日より「大阪屋ショッププラファ店」が盛業中です。

 
 ▲現在は大阪屋ショップ


 △画面のトップへ戻る

  


参考文献
 「北國新聞縮刷版」各号
 「日本スーパー名鑑」各年版
 「住宅明細図」(刊広社)各地区版・各年版
 「ゼンリン住宅地図」(ゼンリン)各地区版・各年版


 



MORI SAKETEN.com SINCE 2003

もりさけてんTOP > もりさけショッピ > 当ページ





inserted by FC2 system