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想い出のスカール

 かつて、津幡町の中心部には「スカール」というショッピングセンターがありました。アル・プラザ津幡もイオンかほくも無い頃、津幡はもちろん森本や宇ノ気からも、多くの買い物客が訪れ、それはそれは賑わっていました。

最終修正:令和6年4月15日 (3)

 「スカール」の開店は昭和48年(1973年)9月29日で、1階の商品売り場は「名鉄ストアー」、2階の衣料品売り場としては「いとはん」(後のジャスコ)が入っており、名鉄系ベーカリーの「メイクレール」や名古屋資本の「寿がきや」も当初は出店していたことから、名鉄グループとの関わりも強いショッピングセンターであったようです。

 公募により決まった"スカール"という店名はフランス語で「広場」という意味だそうで、その名が示す通り、プロムナードや吹き抜けのホールを配した構造は、いま思えば当時の同種のショッピングセンターにはない斬新なものだったように感じられます。

 この「スカール」は「津幡町史」によると繊維産元商社・西川物産グループの「石川興産(株)」という会社がデベロッパーとなったもので、もともとこの場所には同系列の石川織物(株)津幡工場があり、津幡町の工業の中核を成す産業拠点となっていたそうです。

▼ジョンさんからのコメントです
 津幡ショッピングプラザスカールは、「加賀の御三家」のひとつである繊維産元商社「西川商事」の系列で(トヨタオート石川津幡店があったのはそのため)、スカールの閉店は西川商事の事業廃止によるもののようです。
 (情報ご提供:ジョンさん)

 諸江の「アル・プラザ金沢」や、高松にあったショッピングプラザ「アイ」も繊維工場の跡地だったわけですし、大きなショッピングセンターに必要なまとまった土地は工場跡地なら得やすいでしょうのでしょう。繊維事業者の関連会社の経営であったなら、なお有り得ますね。

 なお、名鉄ストアーがキーテナントとなっていた件ですが、津幡町には名鉄グループが開発した緑ヶ丘ニュータウンがあり、この「スカール」はその緑ヶ丘への登り口である清水南交差点前に位置していたことから、名鉄ストアーの出店はニュータウン開発と一体となっての経営戦略だったのかも知れません。


▼昭和48年(1973年)開店当時のスカール

 昭和48年(1973年)9月29日の北國新聞朝刊にスカール開業を知らせる全面広告が掲載されています。

『みつめられて みつめられて……
 いま太陽の広場"スカール"の誕生です。
 店内を貫ぬく白い100mの散歩道。ゆっくり楽しいショッピング……
 今日からは新しいショッピングライフの始まりです。
 金沢からお車で20分。森林公園入口が目じるし。
 広々としたスペースに安心駐車がうれしい"スカール"。
 ウイークエンドはご家族で郊外ショッピングプラザ"スカール"へ。
 心からお待ちいたしております。』


 開業当時のテナントは……、

 [1F]
「名鉄ストア」食料品、日用雑貨
レストラン・喫茶「十字」
「味の十字屋」名産品
「靴のマルトミ」
「フラワーショップやまざき」
「メイ・クレール」ベーカリー
「金剛」とろろそば、手打ちうどん
「イレブン」カレー、スパゲッティ
「寿がきや」ラーメン、甘党
「おばちゃん」焼そば・お好焼
「加賀藩」和洋菓子
「大鵬寿し」
「お茶のいづみ屋」
「幡磨屋」ギフトコーナー、和洋酒、珍味
「森永アイス・ソフトクリームコーナー」
「サウンドライブ」家庭電器、オーディオ、レコード
「セキド」宝石・時計
「メンズショップ・セブン」紳士服、洋品、ジーンズ
「たんぽぽ」カネボウ化粧品、アクセサリー
「スガイ」書籍・文具 「ゲームコーナー」
ふぉ〜と・こみっく「ミヤノ」カメラ、DPE、コミック品
「クスリのホンダ」薬局、資生堂化粧品
「スカールトヨタスポット」(トヨタオート石川)

 [2F]
「いとはん」衣料品、日用雑貨
コーヒーショップ「十字」
「パルコチェーン」帽子と洋品
「呉服の新幸」
「マンド」ゴルフ用品、舶来雑貨、スポーツウェア、婦人服
「東京イエイエ」婦人服、ヤングカジュアルファッション
ジャンボトーイ「いしぐろ」玩具

 この当時は、2階はまだ北陸ジャスコではなく、前身の「いとはん」となっています。よく年配の人がジャスコを「いとはん」と呼んでいるのを耳にし、小さい頃は不思議に感じたものでしたが、いまでは、そのジャスコという名前も無くなってしまいました。

 「幡磨屋」は原文のママですが、津幡の“幡”にあやかって本当にこういう名前だったのか、それともこれはエラーで実は「播磨屋」だったのか、そのあたりは謎です。


▼昭和59年(1984年)名鉄ストア時代のスカール

 続いて、開業から10年ほど経った昭和59年(1984年)の住宅地図を開いてみました。この時点で「いとはん」は「ジャスコ」になっています。「いとはん(株)」が「いとはんジャスコ(株)」(のちの北陸ジャスコ)に合流し、称号を「ジャスコ」と変えたのは昭和52年(1977年)8月21日のことです。

 「ジャスコ」といっても、食品部門については名鉄ストアーに一任し、ジャスコは2階の衣料品のみを担当していました。当時はこのような“衣料品のみのジャスコ”が県内各地に存在していたようです。

[1階]
 名鉄ストアー
 レストラン十字
 加賀むすび
 森永アイスクリーム
 しあわせ
 ヨシダスポーツ
 たんぽぽ
 メンズショップセブン
 お茶のいずみや
 トヨタスポット
 セキド時計
 スガイ書店
 靴のマルトミ
 フラワーショップやまざき
 サウンドライブ
 ミヤノ写真
 クスリのホンダ
 メイクレール津幡店
 うどん・そばのとだ
 イレブン
 シンボ酒販
 寿がきや津幡店
 和洋菓子 加賀藩
 トヨタオートサロン津幡
 味の十字屋

[2階]
 ジャスコ
 ファニチイア石黒
 東京イエイエ
 ポピー
 マンド洋品店
 おもちゃの いしぐろ
 呉服の新幸

 筆者は金沢市北部の人間なのですが、森本駅前に「ハロータウン」、「ファ・ミレ」、鳴和に「城北ショッピングセンター」と、似たようなショッピングセンターは数あるなか、それでもわざわざ津幡の「スカール」に連れて行ってもらったことは度々でした。それほどまでに、スカールは魅力的なお店で、なんでも揃っていたのだろうと思います。

 幼い頃の思い出のなかの『スカール』を思い巡ってみると、物心つくかつかないかの頃の記憶として残っているのは、なぜか「寿がきや」のことです。よほど美味しかったのでしょうか。めんつゆのCMでもよく見る女の子のマスコットが子ども心にも親しみやすく、ラーメンを喰べるのをよくせがんだものです。Web上でも、「スカール」について検索してみると、多くの方がやはり「寿がきや」について書かれています。

 この「寿がきや」ですが、自分にとっては親しんだ期間は長くなく、たしか平成に入るか入らないかの頃、店舗の大規模リニューアルが行われた際に退店してしまいました。

 昭和63年(1988年)7月28日、食品スーパーが「名鉄ストアー」から「マルシェ」に代わり、リニューアルOPEN。これにより、テナントだけでなく店内の構造も大きく変わりました。寿がきやの撤退もあり、こう書いては失礼ですが、リニューアル前のほうが良かったのに……と感じた憶えがあります。

▼ジョンさんからのコメントです
 リニューアル後のスカールには何度か行ったのですが、一度だけ見た外観のイメージしかないので、最初に行った時は、「違う建物か?」と思ったほどです。
 (情報ご提供:ジョンさん)


▼平成6年(1994年)当時のスカール

 最後に、平成6年(1994年)発行の住宅地図「'95河北郡」を開いてみました。1階スーパーは名鉄ストアーから石川資本の「マルシェ」に変わっており、スカールの味でもあった「寿がきや」も撤退しています。

 なお、「寿がきや」はその後長い年月を経て、平成14年(2002年)6月27日にオープンした「アル・プラザ津幡」に出店。津幡町民の舌に慣れ親しまれた「寿がきや」の味は、津幡へ帰ってきたわけです(残念ながら令和2年(2020年)9月30日を最後に閉店となりました)。

 キーテナントとなった食品スーパー「マルシェ」は、おもに能登を本拠地としていたローカルスーパーチェーンでした。しかしスカールが閉店となってから数年後に倒産……。店舗の一部は七尾発祥の「どんたく」が継承しています。

[1階]
 マルシェ津幡店
 レストラン十字
 毛糸と手芸 フタバ
 靴のマルトミ
 銀座ジュエリー マキ
 クスリのホンダ
 津幡観光社
 おもちゃさくらい
 北日本クリーニング
 ブックス スガイ
 お茶のいずみ屋
 和洋菓子加賀藩
 ウォッチ セキド
 酒蔵シンボ
 味の十字屋
 化粧品とアクセサリー たんぽぽ
 焼たてパンの店 メイクレール
 ピーターパン
 エミ美容室
 メンズショップ セブン
 サウンド ライフ
 写真のミヤノ
 ラーメン ハンバーガー ジャン
 味処とだうどん
 小平寿し スカール店
 フラワーショップやまざき
 ミスファンシー

[2階]
 呉服の新幸
 コーヒーショップ ポピー
 東京イエイエ
 マンド
 北陸ジャスコ津幡店
 ジグザク
 プレイランド タイトー

 「レストラン十字」が懐かしいですね。スカール店に入ったことはありませんが、金沢市利屋町にあった本店へは何度か連れて行ってもらったことがあります。昭和40年代に林立した、国道沿いの老舗ファミリーレストランのひとつ。こうしてショッピングセンターにも出店していたわけですね。

 それと「小平寿し」。これは非常に記憶に残っています。「小僧寿し」じゃないのかと^-^; これはリニューアルOPEN時に出店した記憶があります。たしか、入口を入ってすぐの場所にあったように思います。

 写真のミヤノ、味の十字屋は森本のハロータウンにも入っていた、この地域ではおなじみのお店ですね。和洋菓子の加賀藩は、加賀市の「お菓子城加賀藩」とは別の、津幡町に本社のある会社さんです。

 このほか、テナントを見ていくと、名鉄ストアーは撤退したものの、名鉄系のパン屋「メイクレール」が残っているのに気付きます。まだ一応、名鉄の息はかかっていたのでしょうか。

 平成12年(2000年)2月に衣料品売り場だった「ジャスコ津幡店」が撤退……。その後「スカール」は平成13年(2001年)1月28日をもって閉店しています。

 跡地は長らく空き地となっていましたが、その後、平成23年(2011年)3月8日に津幡小学校の新校舎と津幡地域交流センターが完成しました。たくさんの笑顔にあふれていたスカール。“太陽の広場”と呼ばれたスカールの跡地は、子どもたちの学び舎として、再び笑顔と歓声が花咲くことでしょう。

 
 スカールありし日の面影を唯一残しているのが「ふれあい広場」です。この広場の先に、スカールはありました。

 「ふれあい広場」は石川織物(株)津幡工場撚糸センターの跡地を利用し、昭和63年(1988年)8月に完成したものです。中央銀座商店街とスカールを結ぶ役割を持っていました。現在は津幡小学校へと続くプロムナードとして親しまれています。


 
 なお、スカール跡地へ移転する前の津幡小学校は津幡城址の小高い丘の上にありました。旧道経由のバスに乗ると、中条あたりから正面には常に白い校舎が見えていたものです。


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:: メイクレールについて

 スカールのテナントでもあった「メイクレール」は、名鉄パン工業(株)という会社が製造・営業を行っていた模様です。この会社は本社が名古屋ではなく石川県にあり、古い住宅地図を見ると、松任の「中村南」バス停前、現在、花王カスタマーマーケティング(株)北陸支店の社屋になっている場所に本社工場が記載されています。

 工場は平成7年(1995年)の地図では記載されていますが、平成12年(2000年)の地図では更地になっており、この間に閉鎖となっているものと見られます。

 この名鉄パン工業(株)は、昭和38年(1963年)10月に創業した石川県パン工業(株)という会社がその前身で、昭和47年(1972年)に名鉄グループ入りし、「名鉄パン工業(株)」と改称されたものだったようです。

 ファーストフード時代をリードする欧風パンのメーカーとして、主にスーパーマーケットにて営業を行っていた模様です。

 また、イートインベーカリーだけでなく、学校によっては「名鉄パン」として給食のパンの製造も行っており、社会見学として日ごろ味わっている「名鉄パン」工場の見学が選ばれることもあったといいます。
 (情報ご提供:ようすけさん)

 メイクレールの直営店は石川県ではスカールのほか、山代レジャープラザ(名鉄ストアー山代店)、名鉄丸越、Aコープ笠舞店、平和町マミーに存在していたことが分かっています。

 名鉄パン工業(株)がいつ頃まで営業していたのかは不明ですが、愛知県ではごく最近まで「名鉄パレ」(旧名鉄ストアー)内にて営業していた店舗があったようです。ただし、愛知側では同じく名鉄グループの「フジレジャー開発(株)」という会社が「メイクレール」ブランドとして製造・販売を行っていた模様です。

 「名鉄パレ」は平成20年(2008年)6月30日に名鉄の経営から離れ、(株)オークワという会社による「パレマルシェ」となっており、いまでは「メイクレール」で検索しても、閉店したといった情報があるだけです。


参考文献
 「北國新聞縮刷版」各号
 「河北郡明細区分図」日本地政協会(昭和59年)
 「'95河北郡」ゼンリン(平成6年)
 「名古屋鉄道百年史」
 「津幡町史」
 館報「つばた」各号
 「ジャスコ三十年史」


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