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香林坊東急スクエア

 香林坊交差点のちょうど突き当たりに「香林坊東急スクエア」の入る香林坊第一開発ビルがあります。香林坊第一開発ビル(株)が管理し、東急グループの(株)東急モールズデベロップメントが運営する商業ビルです。
 

最終修正:令和6年4月15日 (3)

 昭和60年(1985年)9月21日にファッションビル「KOHRINBOコーリンボー-109イチマルキュー」として開業。「109」としては「SHIBUYA-109」に続く2号店舗でした。

 都会派感覚の知的プレステージストアというキャッチフレーズです。北鉄バスの車内放送で流れていた、
「香林坊109・1階、宝石、貴金属のベル・ルミエール・ユアサへおいでの方は、こちらでお降り下さい」
 というフレーズも懐かしく思い出されます。

 平成28年(2016年)4月28日より「香林坊東急スクエア」と改称の上、リニューアルオープン。先にグランドオープンした「片町きらら」(旧ラブロ片町)に続いて、香林坊にも新しい風が吹き込みました。

 平成28年(2016年)10月28日には第2期工事が完了し、北陸初出店となった「東急ハンズ」や地元の「金澤玉寿司」など、新規6店、改装2店の計8店が開業。上質なライフスタイルを提案する多彩なショップが集まるファッションビルとして賑わっています。

 建物は急な傾斜地に位置しているため、1階と地下1階の間に「G階」(グラウンドフロア)と呼ばれる階があり、正面から入ると階下ですが、坂を下った裏手から入ると地平になるという面白い構造です。また北側には昭和60年(1985年)9月1日開業の「金沢東急ホテル」が接しています。


 
 「KOHRINBO-109」時代の姿です。

 109が建つ以前、この場所には石川県を代表する書店の一つだった「北国書林」やレコードの老舗「山蓄」があったそうです。その経緯もあって、当初は地下1階に北国書林、G階に山蓄が入居していたものですが、北国書林は90年代には姿を消し、山蓄は平成21年(2009年)3月5日を最後に全店閉店。両店ともいまはありません。

 北国書林が閉店してから数年後の平成11年(1999年)4月24日、地下1階にて新たに「金沢喜久屋書店」がオープンしています。品揃えは実に30万冊。漫画にもビニールカバーをかけていなかったり、椅子や机が配置され、買い上げ前の商品を座って読めるなど、当時としては画期的な、いままでにない書店として人気を集めていたものです。

 しかし、これまた平成16年(2004年)10月頃に閉店――。その後は平成18年(2006年)3月18日から「ブックスなかだ金沢本店」が入り、「ぽっぽや」と銘打たれた鉄道関係書籍のコーナーが充実していましたが、これも残念ながら長くは続かず、平成20年(2008年)9月15日に惜しまれつつ閉店となりました。

 109から書店の系譜は断たれていましたが、平成28年(2016年)1月21日、柿木畠にあった「うつのみや本店」が109のG階に仮設の形で移転オープンし、久しぶりに書店が戻りました。さらに平成28年(2016年)4月28日、「香林坊東急スクエア」としてのリニューアルオープンに際して地下1階へ移転。「うつのみや金沢香林坊店」として、ワンフロアすべてが書店という、かつての書林の再来となりました。


 
 「うつのみや香林坊店」のある地下1階のトイレがある場所は、なんとなくバックヤードのような雰囲気がして、隠し通路のようで印象的です。G階から階段で降りていくと、あれっここは客が入ってもいいエリアなのかな? と少し不安になりそうな雰囲気でもあります。床には謎の段差があるようで、これがスロープで処理されているあたりにも舞台裏的な味わいがありますね。


 
 「香林坊東急スクエア」としてのリニューアルオープンを前に、「109」のロゴが外された109です。


 現在東急スクエアが建っている場所には、北鉄ゆかりの物件も存在していたようです。「北陸鉄道の歩み」によると、北鉄グループの不動産管理会社であった「北陸開発(株)」が昭和37年(1962年)7月10日、本社を北鉄本社1階から金沢市石浦町79-2にある「寿ビル」に移転したとあります。石浦町とは現在の香林坊二丁目で、この「寿ビル」、どうやら現在東急ホテルになっている場所にあった模様です。

 昭和39年(1964年)8月1日、北陸開発(株)の自動車教習事業が独立して北陸自動車興業(株)が設立され、残る北陸開発(株)の不動産部門は北鉄グループを離れ、名鉄のグループ会社として別々の道を歩むことになったようですが、昭和40年(1966年)の住宅地図では「寿ビル」に北陸開発の記載はなく、かわりに、同じくのちに109の用地となった書林ビルの西隣に移転している様子がうかがえます。

 この位置には昭和38年(1963年)の住宅地図では「名鉄観光サービス」があったようですから、どうやら同じ名鉄グループで事業所を融通したのでしょう。

 北陸開発(株)は昭和47年(1972年)6月1日に「名鉄北陸開発(株)」と改称しているようで、昭和55年(1980年)の住宅地図では、書林ビル隣のこの場所は「名鉄北陸開発」と記載されています。なお、この時点では彦三大通りに現在もある「名鉄北陸開発ビル」はすでに存在しています。しかし、これが昭和60年(1985年)の住宅地図になると、すでに109が建っており、寿ビルともども跡形もなくなっていました。


 
 そんな歴史も秘めている香林坊東急スクエアですが、現在の東急スクエアの建物裏手の外向け店舗(東急スクエア店内からは入れません)部分には地元食料品スーパーチェーンの「マルエーmini 香林坊店」があり、こまごまとした買い物にも便利です。「マルエーmini」は109時代の平成24年(2012年)8月8日オープンで、当初は「109店」を名乗っていました。


 
 せせらぎ通り側には「ステーキハウス六角堂せせらぎ通り店」もあります。『♪もう言葉なんていらない、あなたに会えて良かった〜 NICE TO “ミート” YOU。六角堂……』というCMでおなじみです。

 ところで、香林坊109には2号店があったことを覚えていますか? 竪町通りにあった「109-2」がそれです。バブルまっただなかの平成元年(1989年)10月7日オープン。しかし、閉店……。その後、現在は「ベルセル」となっています。


 
 「東急ホテル」横の坂を下りると、香林坊東急スクエアの裏手、鞍月用水沿いの「せせらぎ通り」に出ます。用水はかつて金沢城の外堀の役目も果たしていたそうです。

 用水に沿って右へ折れたあとすぐ左手へ、立て札に従って歩けば間もなく土塀と石畳の残る長町武家屋敷跡です。


 
 「せせらぎ通り」のトレードマークである鞍月用水は、かつて蓋がかけられ駐車に使われていたそうですが、山出保市政の頃、用水の流れる景観を守るために蓋が撤去され、店舗や民家への橋や歩道が整備されたそうです。これにより「見えない用水から見える用水へ」、豊かで清らかなせせらぎ沿いをそぞろ歩きできる商店街が生まれたということです。

 元市長の山出保さんは著書「金沢を歩く」のなかで、この施策は『車社会へのアンチテーゼ』であり、『生活の場に人間性の回復を願った』と述懐されています。


 
 また、東急スクエア裏手のエリアといえば、かつては映画館が立ち並び「シネマストリート」と呼ばれた一角でもありました。

 北側より、金沢東映、金沢プラザ劇場、金沢グランド劇場、角を曲がってシネマ1・2・シネマピカデリーです。

 が、時代の流れとともに年を追うごとに姿を消し、平成14年(2004年)9月1日に最後の映画館であった「金沢グランド劇場」が閉館。とうとうシネマストリートから映画館は幕引きとなりました。


参考文献
 「金沢市住宅明細図」各年度版(刊広社)
 「金沢の気骨」山出保・著(北國新聞社)
 「金沢を歩く」山出保・著(岩波新書)
 「北國新聞縮刷版」各号


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 →長町武家屋敷跡へ(観光開発)


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