長町武家屋敷跡へ……
ここは普通に観光地を観光するページです。
このページの内容は旧「北陸ローカルバス探見隊」のバス停のページで記述していたものを加筆しました。
最終修正:令和5年3月5日 (1)
![]() ![]() 香林坊7番(日銀前)のりばより「東急ホテル」横の坂を下りると、香林坊東急スクエアの裏手、鞍月用水沿いの「せせらぎ通り」に出ます。用水はかつて金沢城の外堀の役目も果たしていたそうです。 用水に沿って右へ折れたあとすぐ左手へ、立て札に従って歩けば間もなく土塀と石畳の残る長町武家屋敷跡です。
このような街づくりは、前田利家公が城を守るために構築したものだそうで、甲州流の兵法を用い、袋小路、丁字路、曲がりくねった狭い道の続く街路が作られたということです。武士たちの行き交った藩政期の雰囲気が感じられます。 左奥に見えるビルが北國新聞社です。このように繁華街のすぐ近くに古い街並みが残り、古いものと新しいものが調和してあるのが金沢という街の特性といえましょう。
日本中の都市が無差別爆撃を受け、多くの一般市民が犠牲になった太平洋戦争においても、アメリカ軍は金沢への空襲を行いませんでした。平和は金沢の財産といえるでしょう。 なお、武家屋敷跡の邸宅は現在も個人が普通の生活をされている民家ですので、住宅街を歩くものと思い、マナーを守って散策してください。
写真の左下に見える石は「ごっぽ石」といい、下駄の間に詰まった雪をこそげ落とすのに使ったそうです。
令和4年(2022年)4月1日より中央小学校は玉川町の新校舎へ移転。来る令和5年(2023年)4月には兼六園下にある小将町中学校が旧中央小校舎へ引っ越してきて、「長町中学校」として開校する予定となっています。
長町武家屋敷跡にもっとも至近なバス停がここですが、武蔵ヶ辻あたりから乗るとずいぶん遠回りの末にようやくたどり着くバス停ともなりますので、もし武家屋敷跡を散策される場合は、やはり香林坊バス停からアクセスし、散策を終えたあとに、このバス停でも次の長町武家屋敷跡バス停でも、手近に目に付いたのりばからふらっとバスに乗車する行程のほうが、都市空間と武家屋敷のコントラストが味わえるという面でも良いかも知れません。
![]() 参考文献 「金沢の気骨」山出保・著(北國新聞社) 「金沢を歩く」山出保・著(岩波新書) 「北國新聞縮刷版」各号
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