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 窓口へきた母子


 早番の日だったと思う。その母子が窓口をたずねたのは、たしか、十時をまわっていたかそこらの時刻のはずだった。
 平日のバスセンターの午前というのは、朝、窓口を開いたなりは始発の名古屋、大阪、京都、池袋ゆき高速バスの乗車券や、あるいは通勤や通学の途中に定期券を求める利用客が続き、そのあとは定期観光バスの予約を済ませた年配客が受け付けのための列をつくるという流れなので、ある程度はいそがしいが、それさえ済めば、お昼までは高速バスの出発もすくなく、観光客の来店がポツポツとあるくらいだった。
 バス会社の窓口に坐るようになって三ヶ月たって、そんなタイムテーブルというものも分かってきた。それで、定期観光バスが出発していき、十時まわった時計の針を横目に、しばらくは骨休めがてらといった気楽な調子でカウンターに坐っていると、その母子が窓口をおとずれた。
 母親と、小学生のひとり息子という風情。母親がこの街の観光地について訊いてきた。母親は、声もひくく、どこか蔭のある、薄幸なかんじのする女性。子はカーリーヘアというのか、たっぷりした髪の毛先をちぢれさせた妙な髪型で、十歳くらいに見えたが、その年齢の子にしてはそぐわぬ髪型の気がした。爆発したようなぐしゃぐしゃの髪の毛が盛り上がっているせいで、頭がいやに大きく見える。そのわりに、顔は小さいのだった。その顔に笑顔はない。それは母親もおなじで、ぼくがどの観光地を勧めても、なにか考え込んでいるみたいな、深刻な表情をしている。薄幸そうに見えたのは、そのせいか。それに、その日は平日で、学校のある日だった。このような日の午前中に、たった二人で窓口をおとずれるのが、場違いのような気がした。
 ぼくは、この街で名のある観光地をいくつか挙げた。その場所の簡単な解説と、そこへの行きかたを説明した。母親は、子に顔をよせて、そこへ行ってみようかと訊いた。
 子は、ひとこともしゃべらなかった。うつむき加減に恥じらっているというでもない。じっとだまって、無表情に、正面をみすえるだけだった。
「とにかく……、どこか……楽しいところはないですか。」
 母親はなぜか、懇願するようにぼくにきいた。そのあいだも、子は、黙っているだけだった。
 市内の観光マップを手に、母子が窓口を立ち去ったあとで、先輩の女子社員があちこちからあつまってきた。
「なんやら、へんな親子やったね、」
「思いつめたみたいな顔やったわ。」
 ぼくと話すのではなく、女同士で、口々にささやきあっている。若い女子も、年配のおばさん社員も一緒だった。
「どこのモンやろね。東京か、……名古屋か。」
「関東のほうじゃないかな。」
「どっかホテルに泊まっとるんかね。親子だけの旅行かね。」
「亭主から逃げてきたのかも知れんよ。」
「鞄はブランドでしたね。」
「あらあんたパートのくせにそんなこと分かるんかいね?」
 若い女子社員がはじめて口をはさんだ言葉に、定年近い年かさの女性社員が、訛りのきつい大声で怒鳴るように嘲笑した。
「あんたパートのくせにオトナの話に割りこんどらんと、席にもどろ! あんたここに何しに来とるがいね、仕事やろいね! ほやろ?」
 別の客の自動ドアを開ける音がきこえたこともあって、おしゃべりはそこで終わった。女たちも黙って持ち場へ戻る。年かさのその社員だけがその場に残って、あれは、ちょっとおかしいわ……。こんな新人でなしに、わたしが相手するべきやった……。と聞こえよがしにつぶやいている。

 その翌日、こんどはかなり朝はやい時間だった。またその母子がきた。子の髪型に見覚えがあったから、まちがいない。母親は、この日は変にそわそわした様子だった。子はあいかわらず、さめた眼差しで、じっとカウンターのなかを見ている。
 ぼくはそのとき、ちょうど高速バスの予約発券にあたっていたので、こんどは、ほかの若い女子社員が接客したが、やがて客が途切れると、カウンターのなかから、やりとりを見る余裕がうまれた。母親は、駅裏にある金箔工場の場処をたずねていた。女子社員は、ああすぐそこですよと行きかたを教えている。
 なぜ、そんなところへ行きたがるのだろう。そんなところが、母子連れにとって、それほど楽しいものなのだろうか。ぼくが子どもの頃なら、そんなところはイヤだと感じたのではないかと思う。どちらかといえば、定年を終えた年配の観光客がたのしむところだ。母親は、それと知らず、きっとここならと考えたのか。
 子はやはり、無表情に唇をむすんで、ひとこともしゃべらなかった。退屈な金箔工場でも、きっとそれはかわらないのではないかと思えた。
〈どうして笑ってくれないの……!〉
 母親がそう心のなかでさけんでいるように見えるのは、さて、ぼくの思い違いの邪推だろうか。
 水いらずの旅ではないか。どうしてそれが、さみしく物悲しくみえるのか。なぜかぼくの胸をしめつける二人のうしろ姿を、いつまでも追っていられるほど客はすくなくなかった。



*この小説はフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません。

   平成26年(2014年)4月9日


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