さようならジャンボボール
平成30年(2018年)3月31日、惜しまれつつ48年の歴史に終止符を打った金沢市泉本町の「ジャンボボール」。北陸鉄道(株)開発事業部が手がける、北鉄直営のボウリング場でした。
最終修正:令和5年8月16日 (21)
「北陸鉄道の歩み」によると、
日本海側最大級のワンフロア48レーンという広大な空間は“宇宙”をイメージしたといわれ、石川県立図書館所蔵の北陸鉄道社内報「ほくてつ」バックナンバーによると、オープン直後は子どもから大人まで多くの来場客で賑わい、「不夜城ジャンボ」とさえ呼ばれたそうです。
ジャンボボールが開業した当時はすでに全国的なボウリングブームの渦中だったようで、市内各地でボウリング場の新規開業が相次ぎ、まもなく競争は激化。ジャンボボールでは生き残りを賭け、開業からわずか2年目の昭和47年(1972年)12月20日にはやくも増築を実施し、晩年は(株)北鉄航空金沢中央カウンターが入居していた「新館」を完成させています。
新館2階ボウリングフロアには28レーンを増設し、県内最大の76レーンに。1階は国際規格に改装されたアーチェリー場、全天候型ファミリーゴルフ場、中華の店「香港」、高級喫茶「ローリエ」が新設され、一大総合レジャーセンターへと躍進。加えて海洋レジャー用品・モーターボート販売の「ジャンボマリン」も新設されています。
しかし、増設された28レーンはボウリングブームの低迷により昭和51年(1976年)4月10日に廃止となり、再び48レーンに戻ることとなりました。
28レーン廃止により撤去されたボウリング観覧用の椅子はバス停の椅子として生まれ変わり、武蔵ヶ辻、兼六園下、本多町、上荒屋、松任、和倉温泉、内灘駅の各停留所へ取り付けられたそうです。
一方、2階の増設部分28レーンのあった場所は、1階のアーチェリー、室内ゴルフ、喫茶ローリエ、ラーメン香港を廃止したあとの遊休部分とあわせて日本楽器製造(株)(現:ヤマハ(株))に貸し出されることとなりました。
この貸し付けに伴い、ジャンボマリンは新店舗へと移転。工事期間中はボウリング場1階の駐車場入口付近での仮店舗で営業を行ったのち、昭和51年(1976年)10月31日、ジャンボボール駐車場東側入口付近にて新装オープンしているようです。
その後、日本楽器製造(株)は昭和51年(1976年)11月13日に「ヤマハ金沢センター」としてオープン。1階のアーチェリー跡などのスペースは楽器、家具、ホーム用品、オーディオ機器類が展示販売される「ヤマハ家具ショップ」に。2階の28レーン跡にはピアノ、オルガンの音楽教室「ヤマハ音楽教室」が入居し、ヤマハの金沢での営業拠点となっていた模様です。
とはいえ、その時代も長くは続かず、少なくとも昭和60年(1985年)までにヤマハとの契約は解除され、ヤマハの入っていた場所は「ジャンボマリン」や「(株)オートラマ北陸」のショールームとしてリニューアルされています。
昭和60年(1985年)3月中旬からはバス・電車の乗車券とジャンボボールプレイ券がセットされた「ジャンボボールクーポン」の販売が各地の窓口にて開始。バス市内均一券2枚とボウリングゲーム券4枚がセットされたバスタイプと、乙丸・額住宅前〜西泉間の電車往復券にゲーム券3枚がセットされた電車タイプがあり、それぞれ大人1,000円と格安の価格だったようです。
昭和63年(1988年)12月9日には初の「コンピューターボウリング」が登場し、48レーン全てに導入。スコア自動計算、カラーモニターテレビ、音響設備が一体化され、大会集計、アベレージ管理も可能。当時としては最新の技術を駆使した設備だったといいます。
一方、ハード面の改修も進みます。瀟洒な外観のジャンボボール中央玄関口コンコースは、平成3年(1991年)9月8日〜11日に開催された第46回国民体育大会「石川国体」夏季大会のボウリング競技開場がジャンボボールに選ばれたことに際し、この年の7月24日に改装されたもの。ジャンボボールは石川国体の会場では唯一の民間施設だったといいますが、このことからもジャンボボールへのボウリング業界から寄せられる信頼度が分かるというものですね。
この改修工事は国体成功へ向けて採算度外視で臨まれ、実に総額1億3千万円もの巨額が投じられたということです。バブルの余韻も残り、北鉄にとってもまだまだ良き時代の残り香も漂う頃の元気なエピソードといえるでしょう。
ジャンボの閉館を報じる平成30年(2018年)3月31日付け北國新聞朝刊の記事によれば、ジャンボボール所属の高鳥プロが、全国大会の"聖地"として名をはせた要因について、
平成10年(1998年)3月14日には次世代コンピューターボウリングが導入され、投球フォームリプレイシステムの導入により自分の投球フォームがチェックできるようになったほか、モニター画面には「ホワッツ・マイケル」が登場。また、子どもや初心者でも気軽に楽しめる「ノンガーターレーン」が新設されています。
石川県のボウリング業界では初のポイントカード「JB-card」(ジェイビーカード)が導入されたのもこのときで、1ゲームに付き1ポイントが貯まり、ポイントを集めるとゲーム招待券や図書カード、北鉄グループ利用券などが貰える仕組みとなっていたようです。
平成18年(2006年)7月9日には構内入口の縁石が一部撤去され、間口を従来の1.5倍に拡充、店内ではミーティングルームの全面改装が行われたほか、大通り沿いに立つボウリングピンとサイン広告も改修され、明るく訴求効果の高いものに更新されています。
平成22年(2010年)8月31日には開業40周年を記念したリニューアルが行われ、北陸初という新型コンピュータシステムを導入。会員番号を入力するだけで氏名やハンディキャップが自動設定されるほか、集計のスピードアップが実現されたそうです。またオーバーヘッドモニターを従来より大型の液晶式に更新。ボウラーズエリアのタッチパネルは逆に小型化され、より快適なプレイが楽しめるようになっています。
このように、老舗ボウリング場として親しまれていたジャンボボールでしたが、建物の老朽化もあり、終焉の日を迎えることになってしまいました。
閉館を前にした平成30年(2018年)3月21日より、ジャンボ48年間の歴史にピリオドを打つ最終イベント「JB The Final」が盛大に開催されました。
そして平成30年(2018年)3月31日――、この日が最後となりました。
「不夜城」とまで呼ばれたレジャーの殿堂、ジャンボ。最後のポスターの「ジャンボボールは48年間、幸せでした!」とのメッセージに、胸が熱くなった方も多いでしょう。
平成30年(2018年)7月より解体工事が開始され、跡地はすべて更地となりました。
令和2年(2020年)11月27日付け北國新聞朝刊の報道によると、ジャンボ跡地では大和ハウス工業(株)の協力により、ドラッグストアや食品スーパー、フィットネスジム、屋内テニスコートが入る大型複合商業施設の開発プロジェクトが動き出したということです。
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このほか、ジャンボボール内に存在していた各種の直営店舗、関連会社などを以下に紹介します。
昭和46年(1971年)2月16日にレンタカー業務を手掛ける目的で発足した事業二部により営業された店舗で、ジャンボボール内にてミュージックテープ、カーアクセサリーなどのドライブ用品を販売していたようです。
昭和47年(1972年)12月20日の増築時に新設された中華コーナーで、のちに小矢部川北鉄レストラン総料理長となる方が調理を務め、ラーメン、焼き飯、ギョーザ、鳥野菜など中国風の味覚を生かしたメニューが評判の店だったようです。なかでも「中国風味噌ラーメン」は金石バスターミナルでも好評を博した味であったといいます。
正面玄関を入って右に位置していたというファミリーゴルフ場を出て左の突き当たりに位置していたそうです。昭和51年(1976年)4月10日の28レーン廃止後、ボウリング場内にジャンボマリン仮設店舗が開設されることに伴って閉店となり、従業員の方々や厨房施設は金石ターミナルへ移動し、以後は金石にて営業を続けたようです。
「北陸鉄道五十年史」によると、昭和54年(1979年)6月に食堂を廃止してゲームプラザ「ファンタジア」をオープンした旨の記載があり、後年にも何らかの食堂が営業していた時期がある模様です。
「香港」の隣にあったそうで、石川県立図書館所蔵の社内報「ほくてつ」によると、
開店時期は不明なのですが、「ローリエ」が閉店した代わりの出店でしょうか? 小松空港出発ロビーに設けれた北鉄直営の「スカイビュッフェ・コスモス」も、元々はこの「コスモス」の姉妹店という位置付けだったようです。
しかし喫茶部門は平成2年(1990年)新設の喫茶・軽食「アムール」に一本化され、石川国体を前に平成3年(1991年)5月31日限りで閉店となっています。
平成2年(1990年)の住宅地図によると、2階に「スナックコスモス」との記載があり、2階ボウリング場部分のいずれかの場所で営業していたようです。石川県立図書館で閲覧することができる社内報「ほくてつ」によると、コスモスの廃止後、跡地は多目的スペースとして整備され、ソファーが設置されたということでした。
昭和54年(1979年)6月1日にオープン。ファミリーゴルフ場と食堂を廃止して新設されたものであるようです。当時若者に「バカ受け」だったというインベーダーゲーム50台、好みの音楽を流すことのできる「ジュークボックス」のほか、ビリヤードルーム「ハスラー」、磁石電動卓「マグジャン」を備えた麻雀サロン「オアシス」も併設されていたといいます。なんと北陸鉄道(株)には直営の雀荘があったわけです。
ゲームプラザ部分はのちに(株)北鉄航空金沢中央カウンターとなった建物の位置、ビリヤードは北鉄航空とジャンボボールエントランスの間にある空きスペースとなっていた場所、麻雀サロンはその空きスペースと航空カウンターの間あたりに存在していたのではないかと推定されます。
昭和54年(1979年)頃は「インベーダーゲーム」などのアーケードゲームが人気だったそうですから、この「ファンタジア」もその時流に乗ったものだったのでしょう。「インベーダーゲーム」から「ギャラクシアン」や「オズマウォーズ」、「与作とゴン平」など、時流に乗ってゲーム機の入れ替えも行われていたようです。
しかし、昭和58年(1983年)7月15日に任天堂(株)から言わずと知れた「ファミリーコンピューター」が発売されると、コンピューターゲームは一挙にアーケードゲームから家庭用ゲーム機の時代へ移っていきます。
風営法の改正なども要因となって昭和60年(1985年)4月にゲームコーナーは廃止となり、遊戯設備は卓球台やローテーションが中心に。跡地の一部は改装の上、グループ会社の「(株)オートラマ北陸」が経営する「オートラマ金沢中央店」のショールームに充てられました。
平成元年(1989年)7月15日にオープン。元々は麻雀サロン「オアシス」だったところを活用したもので、麻雀室をローテーション室へ移設し、その跡地を仕切ってカラオケルームへ改装したようです。当時はバブルの華やかな時代の風潮かカラオケがブームで、金沢市内にも小規模なカラオケボックスが続々と増え始める時代でした。「シダックス」や「コートダジュール」などの大手カラオケ店が台頭して行くのは90年代後期以降の話となります。
平成4年(1992年)5月18日にリニューアルオープンし、若者向けインテリアにモデルチェンジするとともに、県内でも珍しい「お座敷ルーム」が登場。平日には歌手・乙田修三さんによるカラオケ教室も実施されていたようですが、平成16年(2004年)3月31日限りで閉店となっています。
カラオケルームはジャンボの建物中央付近、かたく閉ざされている入口の奥にあったようですが、このエリアは基本的に閉鎖されており、立ち入ることはできませんでした。
平成2年(1990年)2月10日に旧ビリヤードコーナー跡を改装してオープン。ボウリングの待ち合わせなどに気軽に利用できる憩いの場として新設されたもののようですが、大型スクリーンでカラオケを楽しむことも可能で、パーティから会合や商談にも利用できるお店となっていたようです。
軽食カウンターやテーブル席30席、ゲーム機15台が設置され、メニューは焼きそばやたこ焼き、ソフトクリーム、フランクフルトなどが100〜200円台の手ごろな価格で用意されていたようです。当時のチラシによると、詳しいメニューは以下の品目です。
■喫茶スナック
■軽食
営業については平成3年(1991年)からグループ会社の「(株)北鉄ホームサービス(エース金沢の営業会社)」への管理委託が行われた模様です。
平成4年(1992年)6月25日には軽食コーナーを中央部で仕切り、喫茶・スナックコーナーと軽食コーナーに分割。コーヒーやビール、ウィスキーなどを提供し、昼間はオシャレな喫茶店として、夜は落ち着いたムードのスナックとして親しまれ、「クリスマスパーティ」や「さくらまつり」などイベントも実施されるなど華やかな時代もあったようです。
平成13年(2001年)4月2日からは分割されていた機能を再び統合し、広々とした店内にリニューアルされたようですが、平成16年(2004年)4月15日に閉店となっています。
その後、平成16年(2004年)11月25日には跡地にテナントとしてコーヒーや紅茶には砂糖のかわりに輸入品のハチミツが添えられるなど健康にこだわったメニューを特色とする喫茶店が開店したようですが、晩年は店舗としては使用されておらず、ミーティングルームに転用されていました。
エントランスから入り、らせん階段をやり過ごすと、奥側の階段やトイレへ向かう途中の右手に2つのミーティングルームがありましたが、これらが「アムール」のあった場所のようです。外観は基本的に手が加えられていないらしく、窓などの装飾にいかにも喫茶店の雰囲気が残っていました。
平成4年(1992年)7月31日に、もともとビリヤード場や北陸ビルサービス(株)や(株)北鉄航空保険部などの事務室だったスペースを利用してオープン。「ファンタジア」に続く2代目のゲームセンターということになります。この頃は「ストリートファイターII」をはじめとした格闘ゲームや「UFOキャッチャー」などクレーンゲームが爆発的人気となり、再びアーケードゲームがブームが巻き起こった時代でした。
店舗名は「カラオケスタジオJB」とブランドイメージを一致されたものとなっていますが、営業についてはグループ会社の「(株)北鉄ホームサービス(エース金沢の営業会社)」へ管理委託を行っていたようです。
閉店時期は詳しくは分かりませんが、遅くとも(株)北鉄ホームサービスが営業を終えた平成14年(2002年)3月末までには閉店されているのではないかと思われます。
2階ボウリング場の西側(奥の階段を登ったあたり)にはゲーム機が設置されているコーナーがありましたが、これらは元々プレイプラザJBで稼働していた筐体だったのかも知れません。
「ジャンボマリン」は当時名鉄グループであった北辰物産(株)からボート販売の業務を譲り受けてスタートした事業のようで、ヤマハ発動機の特約店として手こぎボートをはじめ、レジャーや釣り用のボート、クルーザーなどを販売していたようです。
昭和47年(1972年)9月1日に海洋事業部(のちに商事課)が発足したあと、ジャンボボールの増築が完成するまでの期間は西泉住宅バス停前にあった「エース金沢」向かいの「北辰マリンショップ」(昭和47年(1972年)3月26日オープン)だった建物を「ジャンボマリン泉ショップ」として営業していたといいます。
昭和47年(1972年)12月20日にジャンボボール新館が完成したことにより、こちらへ移転して本格営業が開始されていますが、昭和51年(1976年)10月13日に新館が日本楽器製造(株)(現:ヤマハ(株))に貸し出されて「ヤマハ金沢センター」としてオープンしたことにより、ジャンボマリンは新店舗へと移転。工事期間中はボウリング場1階の駐車場入口付近での仮店舗で営業を行ったのち、昭和51年(1976年)10月31日、ジャンボボール駐車場東側入口付近にて新装オープンしているようです。
昭和61年(1986年)年末のお歳暮シーズンからは「ほくてつ特産センター」の営業も開始されています。これはジャンボマリンが景気に左右されない事業を模索するなかでスタートさせたもので、特産品(かぶら寿司、ころ柿、白山なめこ等)をカタログによって通信販売。また除雪機やオートバイの販売も行っていたそうで、これがのちの「オートザム」事業へと繋がったのではないでしょうか。
しかし、平成11年(1999年)3月31日を持ってマリン事業は廃止され、この金沢店は閉店。七尾基地に隣接して営業されていた七尾店については他の経営者へ譲られている模様です。これにより、ジャンボマリンを運営していた「商事課」は廃止となっています。
昭和46年(1971年)4月1日、ジャンボボール内にニッポンレンタカー金沢営業所が設置され、車両6台が配置されたのを皮切りに、ジャンボボールはレンタカーの営業所としての機能も備えたようです。当時は金沢駅前のレンタカー金沢駅前営業所への配置車両は2台のみで、ここジャンボがレンタカー事業の本拠地となっていたようですが、のちに金沢駅前へ本拠地としての機能が移り、名称も「レンタカー泉営業所」と変わっていったようです。
平成8年(1996年)3月頃にレンタカー泉営業所は廃止。レンタカー金沢駅前営業所とともに駅西営業所へ統合され、従来の駅西営業所が「金沢営業所」と名称変更する形で、レンタカー事業は駅西へ一元化されています。
なお、平成30年(2018年)9月30日を最後に北陸鉄道(株)はニッポンレンタカーの営業受託を終了している模様です。
(株)北鉄航空金沢中央カウンターが開業したのは、まだ(株)北鉄観光の営業を引き継ぐ前の平成8年(1996年)8月10日のことで、それまで金劇ビルの片町センター内にあった北鉄航空片町営業所の予約・案内業務など一部機能がジャンボボール2階、(株)北鉄航空本社事務所横へ移転し、「金沢中央営業所」としてオープンしたのが最初のようです。
また、このとき片町からは同社の全日空・エアーニッポン営業部と広告部もジャンボボール2階へ移転している模様です。これにより、片町金劇ビル内の片町営業所は航空券の発券業務のみを担当するカウンターとなっています。
(株)北鉄航空が使っている建屋は昭和47年(1972年)12月20日に増築された新館部分にあたるようです。かつては向かって右手に「ジャンボマリン」、左手に「オートラマ金沢中央店」が入居していたようですが、平成11年(1999年)3月31日限りで「ジャンボマリン」は閉店。平成12年(2000年)10月3日には旧オートラマの「フォード北陸」も南側の新ショールームへ移転し、代わってテナントとして100円ショップ「ザ・ダイソー」が入居していた時期もありました。
平成16年(2004年)4月1日より、北鉄グループの旅行代理店であった(株)北鉄観光が会社清算となったことに伴い、同社から旅行部門を継承、新たに旅行部が発足しています。
その後、「ザ・ダイソー」が閉店したことに伴い、平成17年(2005年)11月7日に(株)北鉄航空の事務所やカウンターなど全てが2階から移転しました。
(株)北鉄航空の金沢中央カウンターが1階に開設されたことから、平成17年(2005年)12月1日よりあすなろツアー専用駐車場が新設され、パーク&ライドでツアーに出発できるようになっています。ジャンボボールの敷地に「バス転回所につき……」の看板が立っていたのは、あすなろツアーのバスがジャンボボール敷地内に乗り入れていたためです。
ジャンボ解体工事開始に伴い、金沢中央カウンターは平成30年(2018年)6月1日に北鉄金沢バス(株)野々市営業所2階に移転、(株)北鉄航空旅行センターとして6月4日から営業を開始しました。これにあわせ、野々市車庫内にはあすなろツアー専用のマイカー駐車場が整備されました。
フォード北陸は昭和60年(1985年)4月16日に「(株)オートラマ北陸」として開業。日本製フォード車(マツダ車のフォード仕様)を販売する目的で設立された「(株)オートラマ」の北陸での販売店として営業を開始しています。
販売車種は「レーザー(マツダではファミリアに相当)」「テルスター(同カペラ)」「スペクトロン(同ボンゴ)」「シェラ(西欧フォードから輸入)」となっていたようです。とくに「レーザー」のハッチバックタイプは、北陸鉄道(株)の社用車としても積極的に導入されていた模様です。
この開業に先立ち、昭和60年(1985年)4月6日にはジャンボマリンが旧ゲームコーナーの北東側(踏切角)へ移転しているようです。
ショールームについてはジャンボボール新館1階のゲームプラザ「ファンタジア」跡を改装して開業。その後、昭和60年(1985年)9月にジャンボゴルフガーデンの「ジャンボオートテニスセンター」のあった場所にサービス工場を新築開業して認証工場となり、アフターサービスを行っていたようです。
オートラマに加えて、平成元年(1989年)11月24日には北陸鉄道(株)直営の「オートザム金沢ジャンボ店」もオープンし、オートラマ同様にマツダ系の軽自動車販売を開始。同店のショールームはオートラマに隣接していたようですから、おそらくサービス工場も共用していたのではないでしょうか。
その後、オートラマの商号は平成6年(1994年)春頃に「フォード」へ変更され、社名も「(株)フォード北陸」となっています。平成12年(2000年)11月23日には新ショールームが完成していますが、平成15年(2003年)3月31日に閉店となりました。
フォード北陸の閉店に際して、新神田バス停前にあった(株)クリーンオートセンターという自動車販売会社が平成15年(2003年)4月1日よりフォードジャパンと代理店契約を結び、同年6月21日に「フォード石川 金沢店」を開店。フォード北陸の顧客のアフターサービスも引き継いだということです。
北國新聞の報道によると、(株)フォード北陸は「北星オート」と社名を改めた後、平成15年(2003年)9月30日に清算されているようです。
「ジャンボゴルフガーデン」の場所には、もともとはテニスコース「ジャンボテニスクラブ」が営業していたようです。
「ジャンボテニスクラブ」は昭和49年(1974年)5月17日にオープンしています。不評に終わったパーク&バスライド用の駐車場を転用したもので、せっかくの斬新な取り組みの失敗を意味するものともいえましたが、そのことを報じた昭和49年(1974年)5月18日付け北國新聞の記事によれば、県警本部の交通企画課長の方が、
昭和54年(1979年)8月1日にはアメリカ製オートマシン5台を設置した「ジャンボオートテニスセンター」も新設され、北國文化センターとの協賛でテニススクールも開校し、若い女性や年配の主婦からも人気を得ていたそうですが、公営テニスコートの増加に押されたということで、昭和63年(1988年)10月11日に廃業となり、ゴルフ練習場へと転換されていくことになります。
平成元年(1989年)3月17日にオープンしています。廃止された「ジャンボテニスクラブ」の跡地を利用し、2階建てでワンフロア16打席ずつの32打席で開業。あわせて旧テニスクラブハウスがゴルフガーデン仕様に改装されたそうです。
全国でも2番目となるボールティーの高さを自由に調整できる最新型オール自動セッター方式が採用されており、天然芝のパター練習場、バンカー練習場も完備されていました。
平成5年(1993年)4月にはプリペイドカードシステムが採用されています。
平成27年(2015年)7月1日にはリニューアルが行われ、北陸初のICカード対応オートセッターシステム、石川県初登場の飛距離測定器「飛ばしヤード」導入で、競争力の強化が図られています。
目玉の一つとなっている「飛ばしヤード」は、ショットするだけで飛距離やヘッドスピード、ボールスピード、ミート率を表示するもので、クラブを使って簡単かつ手軽に操作し、自分の飛距離などをチェックできるというものだったそうです。
「ジャンボゴルフガーデン」は当初、平成30年(2018年)11月30日の営業が最後となる予定でしたが、平成30年(2018年)7月5日付け北國新聞朝刊によると閉鎖は延期となり、当面の間は営業が続けられることが報じられました。ゴルフガーデンの営業終了時期を延ばしても全体の工事に影響がないと分かり、延期が決まったということです。
最終営業日は当初の予定より1年遅れの令和元年(2019年)11月30日に。この日をもってジャンボ敷地内のすべての施設の営業が終焉を迎えることとなりました。
令和元年(2019年)11月20日〜30日の間には「ジャンボゴルフガーデン30年間ありがとうキャンペーン」と銘打ったイベントが開催され、ピンクボールが出た利用者にオリジナルハンドタオルがプレゼントされたそうです。
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年代ごとのジャンボボール内のフロア構成を過去の住宅地図から調べてみました。
ヤマハが抜け、代わりに直営の麻雀荘やビリヤード、また新規事業のジャンボマリンやカーディーラーが登場し、再び北鉄一色に戻っていますね。
ジャンボオートテニスセンター跡地、のちにラーメン「来来亭」になっていた区画にオートラマのサービス工場を中心とした別棟が建てられています。
ゲーム&カラオケ SAY・TAITOは「プレイプラザJB」がこの時期だけそう名乗っていたのでしょうか?? それとも北鉄関連ではなくテナントだったということなのでしょうか?? 後年の地図では「プレイプラザJB」表記が復活しているのですが……。
またごく短期間だけ存在していたレアなグループ会社「(株)北星土木」が……。
ダイソーなど、北鉄外の店舗がテナントとして入居するようになってきた時代の様子です。
ダイソーは管理人もよく利用させて頂きました。
そして晩年です。2階には様々なテナントが……。
:: ジャンボボールの概要
「ジャンボボール」は昭和45年(1970年)9月12日にオープン。全国ボウリング公認競技場協議会認定ボウリング場として、プロの公式試合などにも使用されていたようです。
『1階は4,038uで94両を収容できるモータープール・アーチエーリ・各種ゲームマシンをそろえた遊戯場・ビリヤード・ミーテングルームからなり、2階は4,362uで、48レーンのボーリング場・スナック・プロショップなどのコーナーが設けられ、建物の前面広場は、390両収容の駐車場を設置し、マイカー時代に対応した』
とあります。
正面エントランスを入ると、特徴的ならせん階段が2階フロアへといざなっていました。
『レーン数の多さとコンコースに大勢の観客を収容できる広いスペースを備えたことが数々の全国大会開催につながった』『毎日メンテナンスを欠かさなかったレーンは選手、愛好者を問わず好評を得ていた』
とコメントしていました。
平成20年(2008年)7月5日にはレーンの改修が実施され、それまでのウッドレーンから厚さ11mmのアンビレーンプロレーンに。世界ナンバー1シェアを誇るブランズウィック製が採用され、リサーフェイス(レーンに凹凸ができるたび表面を削る作業)の必要がなくなり、メンテナンス面でも大幅な改善となったそうです。
平成22年(2010年)に40周年を迎えたジャンボボール。これを記念してマスコットキャラクターのデブ猫もお目見えとなりました。のちに愛称も決まり、デブ猫は「ニャンボ」、ちび猫は「たま」と命名されています。
とくに最後の3日間は1ゲーム100円という特別感謝料金で奉仕され、多くのボウリングファンが別れを惜しみ、楽しい想い出を残したことでしょう。
ジャンボボールのエントランスには、北鉄経営らしく、バス・電車の時刻表が設置されていました。
1階ロビーにて展示されていた「ジャンボボールの歩み」。
その奥には屋内駐車場もありました。
2階ボウリング場にはゲームコーナーもあり、なかなかレトロな筐体が揃っていました。懐かしい! と声が上がるような初代スーパーマリオブラザーズやワニワニパニックなども。
:: ジャンボボール内にあった直営店舗・関連会社
・ G・T・ショップ・ジャンボ
・ 中華の店「香港」
・ 高級喫茶「ローリエ」
『壁面にかかげられたヨーロッパの風景写真は室内のムードにピッタリで、カウンター・ボックス共にハイムードがあふれております。静かな室内に流れるバックグラウンドミュージックはいこいのひとときをお約束してくれることでしょう』
とのことです。昭和51年(1976年)4月10日の28レーン廃止後、香港とともに閉店となったようです。金石ターミナルに同名の喫茶店が存在していたため、おそらくこの喫茶店も金石へ移転したものと考えられます。
・ 喫茶「コスモス」
・ ゲームプラザ「ファンタジア」
・ 「カラオケスタジオJB」
・ 軽食・喫茶「アムール」
コーヒー、ミルク、紅茶、コーラ、ソーダ、トースト、ホットケーキ、アイスコーヒー、オレンジジュース、ミルクセーキ、ビール、水割。
アメリカンドック、ジャンボフランク、タコ焼き、焼ソバ、ソフトクリーム、焼おにぎり、ラーメン、カレーライス、月見そば、カレーうどん、冷うどん、うどん、肉丼、中華丼。
(資料ご提供:ぽんさん)
・ 「プレイプラザJB」
ジャンボボールのエントランス右手には思わせぶりな空きスペースがありますが、ここが「プレイプラザJB」のあった場所のようです。普段は施錠されていますが、入って左手にトイレがあるため、ジャンボボールからあすなろツアーに参加する方向けに開放されていたこともありました。なお、その場合もフロアに間仕切りがされていますので、奥まで行くことはできませんでした。
・ ジャンボマリン
・ レンタカー金沢営業所
・ (株)北鉄航空
ジャンボボールの建物手前には、北鉄グループの旅行代理店「(株)北鉄航空」本社と金沢中央カウンターがありました。社屋前は「あすなろツアー」「スプリングツアー」「サマーツアー」「年末謝恩ツアー」など北鉄航空主催のパックツアーの乗車場所にもなっており、貸切バスは敷地に直接乗り入れ、乗降を行っていました。
・ (株)フォード北陸
西泉ジャンボボール前のりば後ろ手にあった「ラーメン来来亭ジャンボボール店」。平成29年(2017年)1月31日限りで、このお店は閉店となりましたが、このお店のあった場所は、かつて北鉄グループのカーディーラー「(株)フォード北陸」のサービス工場のあった跡地に当たります。
・ ジャンボテニスクラブ
『一人乗りマイカーの大半が5キロ圏内からの通勤者であることからも、郊外駐車場の必要性は薄いのではないか』
さらに金沢市の企画調整部長の方も、
『現状ではそれほど有効なシステムといえず、北鉄が駐車場をつぶしてテニスコートにしたとしても仕方のないことだ』
とコメントしており、当時はまだパーク&バスライドというシステムへの認識も薄かったことが窺えます。あまりに時代を先取りしすぎた方策だったのでしょう。
・ ジャンボゴルフガーデン
ジャンボボールの裏手にはゴルフ練習場「ジャンボゴルフガーデン」がありました。いわゆる“打ちっぱなし”です。
:: 年代ごとに見たジャンボのフロア構成
▼昭和55年(1980年)
[1階]
ヤマハ金沢センター
ゲームプラザ ファンタジア
北星測量設計(株)
日本楽器製造(株)北陸支店
ヤマハ家具ショップ
北陸ビルサービス(株)
金沢伏見ライオンズクラブ事務所
[2階]
ヤマハ音楽教室
レーン縮小により、ヤマハが入居していた時代にあたります。
▼昭和60年(1985年)
[1階]
駐車場
ゲームプラザ ファンタジア
麻雀サロン オアシス
北星測量設計(株)
ビリヤードハスラー
(株)オートラマ北陸
ジャンボマリン
[2階]
ボウリング場
▼平成2年(1990年)
[1階]
プレイプラザ
麻雀サロンオアシス
ビリヤードハスラー
北星測量設計(株)
ジャンボマリン
オートラマ金沢中央店
(株)北鉄航空 保険・広告
北陸ビルサービス(株)
[2階]
ボウリング場
スナックコスモス
(別棟)
オートラマサービス工場
ニッポンレンタカー泉(営)
▼平成7年(1995年)
[1階]
駐車場
プレイプラザJB
カラオケスナックJB
喫茶スナック アムール
ジャンボマリン
オートザム金沢ジャンボ店
フォード北陸
[2階]
ボウリング場
(株)北鉄航空
(株)北陸名鉄コンピューターサービス
北陸ビルサービス(株)
北星測量設計(株)
(別棟)
ジャンボマリン展示場
オートザム金沢展示場
フォード北陸展示場
この頃は、おおむね「北陸鉄道50年史」に載っているジャンボの現況に近いですね。
▼平成12年(2000年)
[1階]
駐車場
ゲーム&カラオケ SAY・TAITO
喫茶スナック アムール
(株)北星土木
[2階]
(株)北鉄航空本社・金沢中央(営)
ボウリング場
(株)北陸名鉄コンピュータサービス金沢センター
北陸ビルサービス(株)
北星測量設計(株)
(株)ホクテツ建築設計事務所
ジャンボマリン金沢店
北陸鉄道(株)不動産課
フォード北陸金沢中央店
(別棟)
フォード北陸サービス工場
北陸商事(株)
▼平成17年(2005年)
[1階]
屋内駐車場
ザ・ダイソー金沢泉本町店
プレイプラザJB
北陸ビルサービス(株)
軽食・喫茶ソアラ
[2階]
ボウリング場
(株)北鉄航空
(株)ホクリクコム金沢センター
北陸道路施設(株)
(株)福利厚生倶楽部中部北陸(営)
▼平成26年(2014年)
[1階]
屋内駐車場
(株)北鉄航空
[2階]
ボウリング場
菩提樹
NPO法人かなざわ総合スポーツクラブ
一般社団法人地域スポーツシステム研究所
総合地域スポーツクラブ ジョイナス
北陸商事(株)
ジョイスタジオ
こちらのページもどうぞ
→(味わいバス停)西泉
参考文献
「北國新聞」各号
社内報「ほくてつ」各号
「北陸鉄道の歩み」
「北陸鉄道五十年史」
「金沢市住宅明細図 南部版」各号
「ゼンリン住宅地図 金沢市南部版」各号