衣料スーパーのボランタリーチェーン「ウイング」は「北陸綜合衣料商業協同組合」として昭和40年(1965年)、石川県内の呉服店21事業者により結成されたのが始まりだそうです。
現在の本部は金沢市八田町東に置かれています(平成12年(2000年)3月に移転)。

▲八田町東にあるウィング本部
昭和47年(1972年)1月3日付け北國新聞朝刊に掲載されていた広告によると、この時点ではウイングには次の店舗があったようです。
ウイング河畑(山中店)
ウイングきた(粟津店)
ウイングささき(鶴来店)
ウイングなかむら(金沢西部店)
ウイング本田(志雄店)
ウイングなかり(穴水店)
ウイング銀座(大聖寺店)
ウイングきたの(根上店)
ウイングミヤナガ(松任店)
ウイングゆき山(金石店)
ウイングのとや(高浜店)
ウイングおおつか(輪島店)
ウイングやまぎし(片山津店)
ウイングまるきた(寺井店)
ウイングこにし(野々市店)
ウイングいけだ(森本店)
ウイング重内(富来店)
ウイングたかだや(宇出津店)
ウイングはしむら(動橋店)
ウイングかねがね(美川店)
ウイングさいとう(金沢菊川店)
ウイングむらさ(津幡店/宇ノ気店)
ウイングかどみせ(門前店)
ウイングみんざん(飯田店)
ほか富山県16、福井県2
:: 現有のお店(石川県のみ)
「ウイングまるきた」
(株)まるきたによる店舗で、大正7年(1918年)に「まるきた呉服店」として開業。能美市寺井町のまちなかに位置しています。
昭和40年(1965年)にウイングチェーンに加盟。昭和47年(1972年)9月15日に新築落成、現在地へ移転したそうです。

▲寺井の旧道沿いにあります
「ウイング能登屋」
もとの店舗は志賀町高浜のまちなか、小浜神社近くの現在は「PartirII」というアパートになっているところにあったようです。平成16年(2004年)11月19日に高浜バスターミナル近くの現在地へと移転しました。(株)能登屋が経営し、衣料スーパーとして営業されています。

▲バス通り沿いです
「ウイング重内」
(株)ウイング重内(重内新宅衣料品店)が経営。もとは富来のまちなか、地頭町の食品スーパー「トギストアー」の隣接地、現在「ひよりクリニック」になっているところにあったようです。
平成7年(1995年)10月12日、国道249号線沿いにオープンした富来ショッピングセンター「アスク」へリロゲート。衣料スーパー部門を担い、「ウイング富来アスク店」として営業されています。

▲富来の「アスク」
「ウイングなかり」
穴水町のまちなかにあり、(同)中利が経営しています。最近は美味しいパンの販売も始められたようです。

▲穴水町の中心市街地にあります
「ウイングたかだや」
(株)たかだや。元々は宇出津のまちなかに旧店舗を構えていましたが、現在は平成5年(1993年)11月6日に宇出津新港にて開業したショッピングセンター「アルプ」の衣料部門を担当されています。タッグを組む食品部門は「マルシェ」を経て、現在は「どんたく」が担っています。能登のお店同士のコラボレーションです。

▲宇出津新港の「アルプ」

▲宇出津のまちなかに残る旧店舗跡
「ウイング内灘店」
中橋の「ウイングなかむら」を経営していた中村商事(株)が手掛けている店舗で、昭和52年(1977年)12月11日に向陽台バス停前でオープンした「ショッピングセンターコーヨー」の衣料スーパー部門を担っています(食品部門は東京ストアーを経て現在はマルエー)。
ただ、令和5年(2023年)5月現在、ウイング公式ホームページの加盟店一覧には載っていません。ウイングの加盟からは脱退し、単独で「ウイング」を名乗って営業されているのかも知れません。

▲マルエー内灘店と同居しています
「ウイングはしむら」
(株)はしむらが加賀市動橋の旧北国街道沿いで経営している店舗で、現在も営業中のようですが、ウイング公式ホームページからは記載がなくなっており、加盟から脱退されたようです。

▲ウイングを離れた現在も営業中です
「ウイングきた」
(株)北呉服。小松市のJR粟津駅近く、新島バス停前に立地しています。ここも営業中のようですが、ウイング公式ホームページからは記載がなくなっており、加盟を脱退され、単独で「ウイング」を名乗り続けているようですね。
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:: 石川県にあった過去のお店
「ウイングむらさ」
大正12年(1923年)に「村佐呉服店」として創業。昭和12年(1937年)には宇ノ気に支店を開業。昭和37年(1962年)、総合衣料へ進出しました。
昭和48年(1973年)10月26日、本宇の気バス停前にオープンした「河北ショッピングセンター」の衣料スーパー部門としても営業を開始しています。
昭和55年(1980年)11月1日には津幡町の中央銀座商店街(パピィ1通り)に2階建て(一部3階建て)の「ファミリーデパートむらさ」をオープンさせています。津津幡店、宇ノ気店とも食品部門のスーパーは「カジマート」と組んでの営業でした。
しかし、平成19年(2007年)10月22日に事業停止、倒産──。いずれの店舗も閉店し、平成22年(2010年)12月、津幡に残っていた「むらさ」の自社物件は解体されました。

▲パピィ1通りにありました
「ウイングゆき山」
昭和48年(1973年)6月開業。金石店として(株)ウイングゆき山が経営していた店舗で、金石街道沿いの金石バスターミナル近く、旧「東京ストアー金石店」の隣接地にありました。食品の東スト、衣料のウイングという組み合わせは、内灘でも見られたコラボレーションですね。
平成29年(2017年)8月25日、事業停止、自己破産となっています。
「ウイングこにし」
ブックオフ野々市若松店(旧グリーンプラザののいち)の隣で(株)小西百貨店が経営していました。
令和元年(2019年)5月21日付け北國新聞朝刊によると創業は明治23年(1890年)で、金沢市の呉服屋で丁稚奉公した初代店主が反物から着物を仕立てて販売。昭和に入って「小西百貨店」を名乗り、着物以外にも雑貨、食器、掃除用品なども何でも揃えるようになったということです。
店主だった方は、
『なかなか金沢に遠出できない人にも、「百貨店」の商品を買って、暮らしを豊かにしてほしかった』
との思いで「百貨店」と名付けたといいます。
もとは本町交差点北西側の、現在は新しい野々市郵便局となっている場所にあったようです。昭和50年(1975年)の住宅地図ではすでに「ウイング小西」として記載されていました。

▲旧店舗は本町交差点前にあったようです
平成5年(1993年)10月25日、グリーンプラザののいち駐車場だった場所へと大きく移転、店舗には「キャンパスショップこにし」との看板も掲げられていました。なお、設計はホクテツ建築設計事務所です。
グリーンプラザ(後年にはNOA21)がスーパーとしては閉店し、ブック・オフになってしまってからも営業が続けられていましたが、令和元年(2019年)5月中に閉店し、建物は「小さなお葬式野々市ホール」として改装されました。

▲野々市のブックオフ隣にありました
「ウイング大額店」
昭和51年(1976年)4月オープン。この店舗は野々市店と同じ(株)小西百貨店が経営していたようです。
道路を挟んで向かいが東京ストアー額店、隣にはキノミ額店(おもちゃ屋さん)もあり、このあたりは一時期、商業集積地として野々市から買い物へ来る人もあったそうです。平成29年(2017年)6月25日に閉店、跡地は「ピースフル大額円樹」となりました。
「ウイング田上店」
野々市の(株)小西百貨店が平成15年(2003年)頃に金沢市内へ進出させた新店舗で、山環田上のセカンドストリート向かい側にありました。平成22年(2010年)〜平成25年(2013年)の間に閉店。現在はこちらも葬祭会館で「ピースフル田上」となっています。
「ウイングなかむら」
中村商事(株)による店舗で、金沢西部店として中橋(現:広岡口)バス停前にあった「グリーンストア中橋店」に隣接して出店していました。食品部門のグリーンストアとの共存共栄のお店だったのでしょう。現在、跡地は「中央金沢朱鷺の苑」となっています。
「ウイング金沢店」
やはり中村商事(株)が手掛けていた店舗で、新県庁近く、ゴールドカレー裏手に進出していました。平成24年(2012年)〜平成25年(2013年)の間に閉店。現在は「さくらホーム」となっています。
「ウイングモモサカ店」
(株)タカダが経営。「モモサカプラザ」の衣料部門で、もとは「サンバード百坂店」(長崎屋のフランチャイズ店舗)でしたが、遅くとも平成25年(2013年)までにウイング加盟店へと乗り換えた模様です。
食品部門のキーテナントであった三崎ストアーモモサカ店の閉店後、令和5年(2023年)2月19日に閉店しました。なお、ここが金沢市内最後のウイングの店舗でした。

▲モモサカプラザ
「ウイングはしずめ」
(株)はしずめにより、大樋町の北国街道沿い、金腐川橋詰にお店がありました。星稜高校に近い場所柄か、学生衣料を豊富に揃えていました。平成17年(2005年)〜平成18年(2006年)の間に閉店しています。

▲名前の通り橋詰にありました
「ウイング小立野店」
こちらも(株)はしずめが経営していた模様で、小立野商店街にあった「かざりやビル」1階に位置していました。平成17年(2005年)〜平成18年(2006年)の間に閉店、ビルそのものも撤去され、現在はコインパーキング「クリーンパーク石引」となっています。
「ウイングいけだ」
森本駅近く、吉原町の東通りにありました。(株)池田呉服店が経営していた店舗で、現在も建物は残っています。
池田呉服店は戦後、反物などを担ぎ売りした行商からはじまり、そののち森本に店舗を構え、昭和44年(1969年)に株式会社化。昭和47年(1972年)9月上旬には内灘町の現在の鶴ヶ丘交差点角にも的場家具店とともに支店を出していた時期があったようです。
「ウイングさいとう」
斉藤呉服店。川上バス停近くの菊川一丁目交差点より旧バス通りを西へ入ったところにあったようです。
「ウイング西金沢店」
西金沢新町交差点近くにあった「Kマート西金沢バザール」(まえだ酒店……バザールフーズではありません)に隣接し、その衣料スーパー部門を担っていたようです。
昭和48年(1973年)〜昭和50年(1975年)にかけて出店。しかし、昭和58年(1983年)〜昭和59年(1984年)頃に閉店を迎えているようです。
「ウイング ミヤナガ」
昭和51年(1976年)7月2日にオープンした松任のショッピングセンター「ジョイモール」(東京ストアー系の富士ショッピングセンターが経営)の衣料部門を担当していました。平成10年(1998年)に撤退しています。
なお、「ジョイモール」自体も平成22年(2010年)8月1日の東京ストア松任店閉店により、閉館。取り壊され、現在はファミリーマートになっています。

▲ジョイモール跡地
「ウイングささき」
昭和46年(1971年)6月11日、現在レッツ向かいの第2駐車場になっている場所にオープンした「鶴来ショッピングプラザ」(マルエー)の衣料部門として営業されていたようですが、同プラザが平成8年(1996年)に閉鎖(レッツへ移転)したことにより、閉店した模様です。
「ウイングささきコア店」
「ウイングささき」は鶴来町郊外の井口にて昭和58年(1983年)10月26日に開設されたショッピングセンター「コア」の衣料部門としても進出していました。こちらもマルエーとのタッグチームですね。
しかし、遅くとも平成6年(1994年)までにはコアからは撤退しているようです。

▲井口コア
「ウイングささき久安店」
「ウイングささき」は金沢市久安五丁目バス停近くの第二コムラビル1階にも店舗を持っていたようです。昭和50年(1975年)〜昭和51年(1976年)に進出。隣接地には近くにはマルエー(旧店)やハイリス久安店などの食品スーパーが寄り集まっており、それらと共存共栄の店舗として衣料部門を担っていたのでしょう。
しかし、昭和58年(1983年)〜昭和59年(1984年)の間に閉店しています。
「ウイングきたの」
昭和49年(1974年)12月8日にオープンした「根上ショッピングプラザ」(マルエー)の衣料スーパー部門として営業されていました。しかし、平成13年(2001年)12月6日の建て替え時に撤退したようです。
「ウイングかねがね」
美川駅前の北陸銀行美川支店隣にあったお店で、「カネガネ洋装」が経営。遅くとも昭和58年(1983年)までに閉店し、その後は倉庫として使われていた模様です。
「ウイング美川店」
昭和50年(1975年)11月14日オープンの「みかわショッピングプラザ」2階にて営業していた衣料スーパーで、おそらく「ウイングかねがね」が経営されていたのではないかと思われます。ここもまた、食品部門のマルエーとのタッグチームを組んでいた店舗でした。
平成12年(2000年)〜平成14年(2002年)にかけ退店。現在、「みかわショッピングプラザ」は建て替えられ、「マルエーmini美川店」となっています。

▲ありし日のみかわショッピングプラザ
「ウイングやまぎし」
片山津温泉街の北國銀行片山津支店隣で「山岸呉服店」として営業。現在は北國銀行の駐車場となっています。
「ウイング銀座」
もちろん東京の銀座ではなく、大聖寺にあったようですから、大聖寺鍛冶町にあった銀座百貨店のことと思われます。現在は駐車場となっています。
「ウイング河畑」
(有)河畑呉服店が経営していた店舗で、隣接する「呉服のかわばた」とともに、山中温泉菊の湯の北側にありました。
「ウイング押水店」
昭和48年(1973年)12月1日、今浜の、現在は押水郵便局になっている場所にオープンした「押水ショッピングプラザ」の衣料部門を担っていたようです。食品部門は「スーパーホッター」でした。「スーパーホッター」が平成3年(1991年)頃に倒産してしまったあと、少なくとも平成7年(1995年)には撤退しています。
「ウイング本田」
(株)本田による店舗で、元は子浦の商店街、横川金物店はす向かいに店を構えていたようですが、昭和51年(1976年)11月21日に「志雄サンプラザ」がオープンしたことで、その衣料スーパー部門を担当。食品部門の「スーパーやませ」とのタッグチームを組むことになり、それまでの旧店舗は、どうやら事務所として使われることになったようです。
平成15年(2003年)頃に「志雄サンプラザ」が閉館となることにより、羽咋市石野町のロードサイド街へとリロゲートしました。「志雄サンプラザ」跡地は、現在は住宅地となっています。
「アル・モード羽咋店」
(株)本田が新天地の羽咋市石野町へ進出してオープンさせた店舗で、マックスバリュ羽咋店の隣接地へ出店を遂げました。「アル・モード」というブランドですが、れっきとしたウイング加盟店だったようです。平成27年(2015年)〜平成29年(2017年)の間に閉店。建物も取り壊されました。
「ウイング中島店」
中島町中島の中心商店街で(株)浜国マーケットストアーに隣接して営業されていたようです。のちに食品スーパー「サンキュー」を経営していた浜国さんとのコラボレーション店舗だったのでしょう。昭和59年(1984年)〜昭和60年(1985年)の間に閉店しているようです。

▲浜国マーケットストアー跡地
「ウイングかどみせ」
門前の現在「禅の里広場」になっている場所の直角カーブに面して立地していました。まさに角のお店で、「かどみせ」です。
平成10年(1998年)の地図では健在でしたが、平成12年(2000年)の地図では「きもの(絲紀絲○(糸へんに真))」とあり、ウイングから脱退していたようです。
かどみせは平成14年(2002年)2月27日までに2度目の不渡りを出し、倒産しています。平成17年(2005年)の地図では跡地は「司法書士行政書士橋詰法律事務所」となっており、平成28年(2016年)〜平成30年(2018年)の間に空き家になりました。その後建物は解体され、観光駐車場「禅の里広場」として整備されました。

▲禅の里広場の場所が「かどみせ」でした
「ウイングおおつか」
食品スーパーマーケットも経営していた(株)大塚商店が手掛けていた店舗です。輪島市の朝市通り入口、酒のはしもと隣にありました。
昭和48年(1973年)1月3日付け北國新聞朝刊に掲載された広告には「大阪ストアー」のロゴが……。東京ストアーに対抗したのでしょうか?! なんとも。
平成25年(2013年)1月2日に自己破産。現在も店舗跡はそのままで、空き家となっています。
「ウイングファミィ店」
「ファミィ」の衣料部門をトーカマート((株)サクラ屋が経営)から引き継いで(株)大塚商店が自ら営業していた店舗で、平成6年(1994年)〜平成8年(1996年)の間にオープン。しかし、平成25年(2013年)1月2日の自己破産により、閉店……。
「ファミィ」そのものも、それから10年後の令和5年(2023年)3月7日をもって閉館の日を迎えています。

▲ファミィ
「ウイングみんざん」
珠洲市の能登飯田(宇出津方向)バス停向かい側にあり、ショッピングセンター「シーサイド」では寝具用品テナントとしても営業されていました。昭和60年(1985年)〜昭和61年(1986年)にかけ閉店し、現在は駐車場となっています。
ウイングとしての閉店後も単独経営の店舗として「シーサイド」内で寝具インテリア店「みんざん」の営業が続けられていましたが(元々シーサイドには「ウイングさんわ」があったため)、平成9年(1997年)〜平成11年(1999年)の間に「シーサイド」からも撤退しました。
「ウイングさんわ」
珠洲衣料(株)という会社が経営していた店舗で、昭和54年(1979年)10月20日にオープンした珠洲市のショッピングプラザ「シーサイド」の衣料部門として、1階の食品部門「スーパー大丸」とタッグを組んで営業されていました。
大丸撤退後もパートナーを珠洲食品館(サンライフ)に変えつつ維持されていましたが、平成25年(2013年)〜平成27年(2015年)の間に閉店。これにより、シーサイドから衣料品のお店はなくなってしまいました。

▲飯田港のシーサイドショッピングプラザ
ここに書かれていなかった石川県の「ウイング」加盟店をご存知ありませんか? 情報をお待ちしております。掲示板へお寄せください。また、お店の思い出等もどうぞ!
参考文献
「北國新聞縮刷版」各号
「住宅明細図」各地域・各年版
「森本のあゆみ」
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