激安の夢,メルカード
平成初期から中期にかけてのわずかな間、金沢で「メルカード」という激安スーパーマーケットが一世を風靡し、そして一瞬で嵐のように消えていきました。
その「メルカード」をしのびたいと思います。
メキシコのほうでは市場のことを“メルカード”というそうです。中学校の同級生だったメキシコからの帰国子女が教えてくれました。考えると「バザール」と同じような意味合いの店舗名だったのですね。
最終修正:令和5年7月21日 (1)
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:: メルカード伝説「メルカード」は精肉業の(株)トキオという会社が経営していた激安スーパーマーケットチェーンで、平成初期に業界に登場し、その活躍時期はわずかでしたが、激安商法による価格破壊によってバブル崩壊後の石川県における風雲児として記憶に残る活躍を果たしました。 「メルカード」とはスペイン語で“市場”を意味する言葉だそうですが、管理人はやはりポイントカードなどの「カード」をイメージしてしまいますね笑 最近ではメルカリのポイントカードが「メルカード」だそうです。 経営していた(株)トキオはもともと「肉のトキオ」として近江町市場や額住宅駅前の額ショッピングセンター内に精肉店としての店舗を持ち、平成元年(1989年)8月1日当時では額店(額ショッピングセンター)、近江町1号店、近江町2号店、ひまわりチェーン松任茶屋店内に店舗があったようです。 そのトキオさんが、コロッケ5円、イワシ10円などの時間限定の超激安商品を始めとする価格破壊商法によって展開したのが「メルカード」。“業界の風雲児”として県外から視察に訪れる関係者も多かったといわれます。 管理人の家族の行動範囲内にメルカードが進出してきたのは、小学校高学年から中学生という年頃でしたが、あまりの激安ぶりに、同級生のあいだでも「メルカード行ったことあるか?」「メルカードで○○円で売っとった」などと、話題に上がることさえありました。 しかし、平成10年(1998年)6月24日、全店舗が休業。突然、表舞台から姿を消しました。
これを報じた北國新聞の記事によれば、同社社長は、 その後、元総務部長だった方がリーダーとなって資金を出し合い「(有)メルカード」を設立。安さだけでは太刀打ちできないことを学んだ上での再挑戦として、小松市の今江店のみを営業していたようです。
これを報じた北國新聞によれば、新社長は、
:: 金石店平成元年(1989年)10月5日オープンしたメルカードの第1号店で、西警察署前交差点、ローソン金沢金石店裏にあったようです。
開業時の新聞広告から、開店記念商品群を抜粋すると……
この店舗でのディスカウント方式が受け、メルカード拡大の第一歩となりました。 平成10年(1998年)6月24日の閉店後、「シメノドラッグ金石店」を経て、現在は釣具販売店の「上州屋金沢金石店」となっていますが、わずかに覗く赤い瓦屋根にメルカードの面影が残ります。
:: 津幡店平成5年(1993年)12月23日開店。平成9年(1997年)9月22日に閉店しました。この撤退には「プラント3」の津幡進出が大きな影響を与えてしまったのでしょう。アメリカナイズされたパワーセンターの前に、敗北を喫してしまったのかも知れません。 店舗は取り壊され、跡地には「シメノドラッグ津幡店」が新築オープンしましたが、これも閉店し、現在は「業務スーパー津幡店」となっています。
:: 野々市店平成6年(1994年)12月25日オープン。平成9年(1997年)10月20日に閉店し、東京ストアーへ売却されました。その後は東京ストアー矢作店を経て、現在はそのままの建物でカラオケ「コートダジュール野々市矢作店」となっています。
:: 今江店平成7年(1995年)頃に開店。現在の今江町2丁目交差点の南側にあったお店です。メルカード最後の店舗の1つでした。 平成10年(1998年)6月24日の全店舗休業後、元社員らが資金を出し合い「(有)メルカード」を設立。今江店は地域密着店舗として営業を再開したそうです。 しかし、遅くとも平成14年(2002年)〜平成15年(2003年)の間に閉店し、その後、道路拡張用地として収用され、現在は跡形もありませんでした。
:: 西泉店平成7年(1995年)頃、ラパーク西側に開店したお店です。 平成10年(1998年)6月24日の閉店後、跡地は(株)トキオの関連会社「ケイエムフーズ」によるバイキング焼き肉店「いちごっく」となりました。 焼き肉用の肉、海鮮、寿司、惣菜、ご飯、混ぜご飯、味噌汁、デザート、コーヒーなどがズラリと揃う、いまでいう「スタミナ太郎」のようなスタイルでした。 現在はそれも閉店し、近隣で中古車販売を営んでいた(株)みゆきモータースが事務所として使用しています。
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