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駐車場になったスーパーマルサン

 『次は、小立野、小立野、大学病院前。スーパーマルサン、マルサンスター薬局前でございます』
 かつて、小立野の案内放送でおなじみだったこの広告、懐かしく思い出される方も多いのではないでしょうか。

最終修正:令和6年4月15日 (5)

 

 「スーパーマルサン」は平成17年(2005年)頃に閉店していますが、閉店後もスーパーの建物はそのままで、内部をぶち抜いて丸ごと屋内駐車場に改造されていました。


 
 かつての店内フロアが屋内駐車場に。驚きの活用法ですが、建物の周囲のアーチ状の造形や、天井の蛍光灯跡などにスーパー時代の面影が色濃く残っていました。


 
 北國新聞縮刷版を調べると、スーパーマルサンは昭和41年(1966年)5月27日に「スーパーチェーンマルサン本店」としてオープン。まだ金沢市内に路面電車が走っていた頃であり、開店を知らせる広告には『電停より徒歩1分』と記されていました。


 
 「非常出口」のアンドンが残るタイル張りの一角。しかし「出口」と記された向こうにも駐車スペースは続いています。もともと建物東側にはラーメン店やお好み焼き店などのテナントが入っていたようです。

 管理人はマルサンがスーパーとして健在の頃に入店した経験はないのですが、いまなお残るスーパー時代の面影を見つめていると、往時の光景が眼に浮かんできそうです。

 その後、令和5年(2023年)春頃に建物は解体されてしまいましたが、跡地は舗装され、引き続き平面駐車場となっています。

 「スーパーマルサン」の創業時期は不詳ですが、昭和40年(1965年)の住宅地図では、小立野の下馬三叉路付近に「丸三食料品デパート」というお店があり、これが発祥の店舗だったかと思われます。

 昭和41年(1966年)5月27日に「スーパーチェーンマルサン本店」がオープン後はもとの「丸三食料品」跡地は「石引ビル」として建て替えられ、昭和42年(1967年)4月9日、「マルサンルームアクセサリー」が開店しています。地下食堂街もあったようです。

 なお、この「石引ビル」は現在は「小坂ビル」となっています(金沢美大アートベース石引などが入居)。

 この本店のほかに、マルサンにはつぎの店舗があったようです。

 「天一店」
 昭和41年(1966年)2月オープン。小立野二丁目(天徳院前方向)バス停前にあったようですが、平成元年(1989年)頃に閉店しています。現在は「エスト小立野」となっている場所にあたります。

 「額店」
 昭和44年(1969年)5月、額新町バス停近くの馬替町にてオープン。アサヒ堂靴店、ふとんのたわらや、コロスケ、とくだや、プラザサンパルといった店舗と同居していたようです。しかし、昭和57年(1982年)〜昭和58年(1983年)頃に閉店。現在は分譲され、住宅地となっています。


 「長町店」
 昭和47年(1972年)〜昭和48年(1973年)の間にオープンしたようです。せせらぎ通り沿い、「長町ハイツ」というマンションの1階にあったようですが、昭和50年(1975年)の住宅地図より「中村ストアー」との表記に変わっています。のれん分けが行われたのでしょうか? それとも退店したあとに別の経営者の方がスーパーを開かれたのでしょうか。

 「中村ストアー」はのちにひまわりチェーンに加盟し、「ひまわりチェーン長町店 中村ストアー」を名乗っていましたが、平成22年(2010年)頃、長町ハイツ解体により閉店。現在は「パークステーション百番せせらぎ通り駐車場」となっています。


 「マルサンフードセンター」
 昭和43年(1968年)7月オープン。城南2丁目、ステーキ「ひよこ」斜め向かいにあったようです。

 昭和52年(1977年)〜昭和53年(1978年)にかけ閉店し、その後「城南マルサンアパート」となっていた時期もあるようです。現在は「焼肉ぶーちゃん」となっている位置です。


参考文献
 「北國新聞縮刷版」各号
 「金沢市住宅明細図 北部・南部」(各号)刊広社
 「日本スーパーマーケット名鑑」(各年版)商業界


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