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失われた能登のスーパーホッター

 かつて石川県中能登地区でチェーン展開を行っていた「スーパーホッター」についてのページです。

最終修正:令和6年4月2日 (3)


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:: スーパーホッター伝説

 「スーパーホッター」は(株)堀田商事という会社さんによって経営されていました。

 屋号は年代によって「ホッタ」だったり「ホッター」だったりと一定しませんが、さらに古い時代……昭和49年(1974年)3月の広告では「ホリタ」を名乗っており、これがホッタ、ホッターと変わっていったのでしょうか。

 昭和57年(1982年)5月30日の広告によれば、この時点では「スーパーホッター」を名乗り、下記の通りの店がありました。
 羽咋店(羽咋市駅前通り)
 押水店(ショッピングプラザ内)
 志賀店(セブンナインホッター)
 志雄店(ニュータウンラッキー内)
 鹿西店(ショッピングプラザ内)
 銀座店(羽咋市旭町)

 平成3年(1991年)頃に、全店舗が姿を消しています……。経営が行き詰まってしまったようです。

 なお川原町跨線橋の北東側には「スーパーホッタ社宅」という寮があったようです。この寮は昭和60年(1985年)の地図では健在でしたが、平成7年(1995年)の地図では「ニューハイツ富」となっていました。現在は「クリスタル輝」となっています。


:: 羽咋店

 昭和36年(1961年)11月25日、「スーパーホリタ」発祥の店舗としてオープン。羽咋駅近くのパセオ通り商店街入口、河端傘店の西隣にあった小規模店舗だったようですね。

 平成3年頃の倒産により閉店となりましたが、これによって商店街での“買い物難民”問題が起こり、近くの北國銀行羽咋支店跡地に「あだちストア御陵前店」が出店する契機ともなりました。

 その「あだちストア御陵前店」も令和2年(2020年)7月31日をもって閉店し、パセオ通りから食品スーパーは再び失われてしまいました。いまでは時代も変わり、商店街での“買い物難民”が叫ばれることもないように見受けられます……。


:: 押水店

 いまの宝達志水町今浜に完成した「押水ショッピングプラザ」の核店舗として、昭和48年(1973年)12月1日にオープンさせています。

 「押水ショッピングプラザ」のそのほかのテナントは、 「ウィング押水店」「ピーコック」「洋菓子・フレッシュパンのモンドール」「ラーメン昇竜」などでした。

 なお、ホッターの倒産後、平成7年(1995年)の住宅地図では「押水ショッピング ピア」と記載されており、テナントは「昇竜」「いろり」「ドリアン」「小平寿し押水店」のみとなっていました。

 スーパーがなくなったあとも、飲食店とお持ち帰り店のみで営業が続けられていたのですね。

 その「ピア」もいずれかの時期に解体されて、現在、この跡地は押水郵便局となっています。


:: 志賀店

 昭和50年(1975年)12月6日、志賀町堀松にて「79セブンナインホリタ」としてオープンしています。

 「総合食品スーパーホリタ」のほかの「ヤングの衣料たけや」「お好み焼き、うどんのたちばな」が入っていたようです。店名は当時としては珍しく7:00〜21:00、年中無休という長時間営業の店舗だったことに由来しているもので、おそらく「セブンイレブン」から着想を得たものではないでしょうか。

 屋号が「ホリタ」から「ホッター」に変わるとともに、のちに「セブンナインホッター」という名称となりました。

 昭和63年(1988年)〜平成元年(1989年)にかけて閉店したようです。

 平成元年(1989年)の地図では「スーパーフレンド」となっており、平成7年(1995年)の地図でも同様でした。別の経営者が居抜きで出店したか、あるいは、ホッターから独立した方が手掛けていた感じだったのでしょうか?

 平成12年(2000年)の地図では「リトルマニラ」と書かれており、すでに商業施設ではなくなっている様子でした。その後、建物は解体。現在は更地となっています。

 堀松地内、ホンダの自動車販売店・稲荷商会手前の三角の土地がセブンナイン跡です。

 
 ▲この手前の三角形の土地がセブンナインでした


:: 鹿西店

 いまの中能登町鹿西の能登部駅前、サイジング工場の建物を流用したという「鹿西ショッピングプラザ」の食品テナントとして、昭和51年(1976年)10月15日に出店しています。

 ジョンさんによると、建物の構造上からか、階段2段分上がった所に、ホッタのフロアがあったそうです。
 (情報ご提供:ジョンさん)

 
 ▲能登部駅前の鹿西ショッピングプラザ

 ホッターの倒産後は、平成3年(1991年)8月に「やちマート」がいちはやく入居し、後継店舗となっています。谷内商事という会社の経営で、もとは米穀店。昭和49年(1974年)からスーパーを営んでいたようです。

 しかし、その谷内商事は平成4年(1992年)1月17日までに事実上倒産……。ホッターの店舗を買収した資金で債務が膨らんでいたということでした。

 その後釜には「JAガーデン」が入り、「ファッションイトウ」「公文式能登部教室」とともに、ホッターの記憶を伝える貴重な建物が維持されています。

 
 ▲かろうじて建物は残っています


:: 志雄店

 宝達志水町の子浦交差点の南側にある「ファッションスポットハシズメ」というお店は、かつて「志雄ニュータウン ラッキー」というショッピングセンターで、ここにもホッターが出店していたようです。

 「ラッキー」は昭和50年(1976年)6月21日オープン。食品部門を「スーパーホッタ志雄店」、衣料部門は「(株)橋詰商会(ショッピングセンター橋詰)」が担っていたほか、「じんずし志雄店」「せんぼ菓子舗」が入っていたようです。


 
 正面から見るといかにも洋服店の装いでしたが、裏側の旧道沿いから見るとスーパーマーケットだったような面影が色濃く感じられます。

▼ジョンさんからのコメントです
 「ハシズメ」ですが、10年程前迄は「LIVING SPOT」が隣接していました。ここにホッタが有ったのではないかと推測するのですが…
 (情報ご提供:ジョンさん)

 
 ▲ラッキーは「ファッションスポットハシズメ」となっています


:: 銀座店

 昭和57年(1982年)12月、羽咋神社近くの商店街にオープン。元「スーパーあかとめ羽咋店」だった店舗で、2階は「羽咋文化劇場」という映画館だったそうです。
 (情報ご提供:ジョンさん)

 羽咋のパセオ通りには、羽咋店と銀座店の2店舗があったのですね。

 ファッションセンター「セルフ」の北隣で、おそらくは衣料部門の「セルフ」と共存共栄のスタイルで、横に連なる総合スーパーのようにして営業されていたのでしょうね。現在は旭町防災公園となっています。

 
 ▲旧あかとめ跡です

:: 大川店

 昭和60年(1985年)8月27日、羽咋大橋バス停の北側、能登海洋センター跡地にオープンしています。(株)千田電器商会の並びです。

 閉店後、平成6年(1994年)には「Kマート羽咋店」となったようですが、平成10年(1998年)〜平成12年(2000年)にかけてのいずれかの時期に、これも閉店。現在は空き家となっている様子です。

 
 ▲建物が残っていました


:: 邑知店

 昭和58年(1983年)8月オープン。邑知郵便局前交差点の北西にあったようです。閉店になったあと、後釜として志雄の「はらショッピング」がチェーン店舗として出店したこともあったようです。しかし長くは続かなかったようで、平成7年(1995年)の地図では空き家になっており、現在は建物も取り壊され、「無断駐車禁止」と書かれた駐車場に変わっています。

  


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参考文献
 「北國新聞縮刷版」各号
 「住宅明細図」(各地版、各号)刊広社
 「明細区分図」(各地版、各号)日本地政協会
 「ゼンリン住宅地図」(各地版、各号)ゼンリン
 「日本スーパーマーケット名鑑」(各年版)商業界

  


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