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金沢のマンモス,ハイリスの伝説

 かつて、金沢市を中心に「ハイリスチェーン」というスーパーマーケットのボランタリーチェーンがいくつものお店を展開していました。

 同じボランタリーチェーンだった「ひまわりチェーン」よりもかなり早くに終末を迎えてしまったため、いま「ハイリス」の名は完全に忘れられてしまい、ネットでもほとんど情報が上がりません。

 時代の寵児といわれながら、マンモスのように消えてしまったハイリスの伝説を令和に伝えたいと思い、このページを作成しました。

最終修正:令和6年4月2日 (6)


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:: ハイリスチェーンの歴史

 昭和44年(1969年)12月12日、中小食品スーパーが集まってボランタリーチェーンを結成。正式名称は「石川県協業小売商協同組合」で、本部を金沢市泉が丘一丁目の泉丘ビルに置き、昭和45年(1970年)1月10日から営業を開始したそうです。

 中核となるハイリスは、昭和47年(1972年)3月30日の広告によると、当時はハイリス本店、太平寺店、入江店の3店舗が存在していたようです。

 このほか、チェリーストア、マンモスチェーンストア、富士ストアーの各店および、加盟店としてヤスイストアー、松井スーパー、金石食品ストア、マルヨネストアー、おきつやが名を連ねていました。

 昭和52年(1977年)以降、昭和55年(1980年)までのいずれかの時期には、三馬バス停前にあったハイリス三馬店に隣接して(株)ハイリスの本部、久安配送センターも置かれ、ここを大手スーパーの出店攻勢への砦としていました。

 この頃が最盛期といえたのではないでしょうか。下記のように、じつに多数の店舗が加盟していた模様です。
 (株)ハイリス
 (株)マンモスストアー(マンモス若草店)
 (株)チェリー(ロフテー店)
 (株)ヤスイストアー(小坂交差点前)
 (株)金石食品センター(ハイリス金石店)
 (有)食品ストアおきつ(おきつ屋)
 (有)長田ストアー(黒田店)
 (有)フジヤ(矢木店)
 (株)羽場食品ストアー(小立野店)
 (有)春日ストア
 (株)みどりプラザ(みどり店)
 (株)中央生鮮食品(新竪店)
 越沢ストアー(本江町)
 ドラッグストアー吉田(宇ノ気店)

 平成2年(1990年)12月、新保本3丁目に新社屋「ハイリスビル」が完成。本部機能をここへ移転させています。しかし、苦しい経営が続くなかでの大きな投資であり、これをきっかけに本部と加盟店との溝が深まっていったともいわれます。

 平成4年(1992年)からは北陸セルコグループに加盟し、商品供給を受けるようになっています。このころにはすでに共同仕入れによる配送センターを閉じており、本部の業務は加盟店の注文を問屋へつなぐだけとなっていたようです。

 平成6年(1994年)2月9日、一転して北陸セルコから脱退し、全日食チェーンと業務提携。同社の北陸本部となりました。

『時代の流れだ。地元チェーンでは生きて行けない。加盟店が生き残る道を選んだ』
 ハイリス社長は、こう北國新聞へコメントしていたそうです。

 平成6年(1994年)10月29日、ハイリス、チェリーの全5店舗が全日食グループのボランタリーシステムズへ譲渡(兼六店、西部店、畝田店、元町店、芳斉店)されています。

 その後、同年10月31日に(株)ハイリス、(株)チェリー、石川県協業小売商協同組合(ハイリス本部)、(株)三玉、浦上繊維のグループ5社が自己破産を申請し、表舞台から消えていきました。

 ハイリスの忘れ形見、新保本3丁目にあったハイリスビルは「全日食ビル」となり、全日本食品(株)北陸支店がここに置かれています。


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:: ハイリス

 ハイリスチェーンの中核を担っていた直営店です。「ハイリス」ブランドのほか、「ロフテー」というブランドの店舗もありました。

 「兼六店」(兼六プラザ)
 昭和52年(1977年)4月、田井町バス停近くにあったショッピングセンター「兼六プラザ」の核店舗としてオープン。ハイリスのフラッグシップといえるお店だったのだと思います。閉店後、現在は駐車場になっています。

 昭和52年(1977年)版の住宅地図によると、「兼六プラザ」のテナントは次のようになっていました。
[1階]
 ハイリス
 魚忠
 近江屋食肉
 ばらずし
 シャルマンカ
 しょうさん
 上田漬物
 園芸四季
 クリーニング太陽舎

[2階]
 ふくし
 写楽
 ピッピ
 靴のマトバ

 靴のマトバがここにも入っていたのですね。

 ハイリスの破綻後は全日食チェーンの「天神町店」として営業されていたようですが、平成7年(1995年)〜平成8年(1996年)にかけ、閉店しています。

 最晩年の平成7年(1995年)住宅地図によると、1階に「総合食品ハイリス」、2階は「オシャレのふくし」「靴ののうか」「ドライクリーニングトマト」とありました。

 全日食チェーン天神町店となったあとも「ハイリス」を名乗り続けていたのでしょうか?


 「三馬店」
 昭和47年(1972年)〜昭和48年(1973年)にかけ、久安一丁目、三馬バス停(市内方向)西側の現在住宅地になっているところに出店。昭和52年(1977年)以降、昭和55年(1980年)までのいずれかの時期には隣接して(株)ハイリスの本部、久安配送センターも置かれ、敷地内にあった(資)中村畜産食肉センターとともに、ハイリスチェーンの一大拠点となっていたようです。

 スーパーは昭和58年(1983年)〜昭和59年(1984年)にかけて閉店し、ハイリス本部の倉庫として使われていましたが、平成2年(1990年)に久安配送センターともども撤退し、本部も新保本3丁目へ転出。跡地は宅地化されました。


 「西金店」
 昭和47年(1972年)〜昭和48年(1973年)にかけ、西金三丁目でオープンしています。

 昭和58年(1983年)の住宅地図では「ハイリスチェーン西金沢店」でしたが、昭和59年(1984年)版では「大根魚市」に。さらに昭和60年(1985年)には「ファミリーストア」という記載になっていました。さらに平成4年(1992年)版は「スーパービック」と変遷していました。のちに「エム・バリュー西金沢店」の倉庫として使われていた時期もあったようです。

 現在は「南ハイツ」を名乗っていますが、明らかにスーパーマーケットだった面影の残る外観の建物です。

 
 ▲南ハイツ


 「太平寺店」
 ののいち白山醫院の北側にあったようです。現在は駐車場となっています。


 「入江店」
 入江バス停近く、現在のアジュール入江の西側一部にあったようです。


 「伏見台店」
 昭和51年(1976年)11月6日オープン。伏見台商事(株)が管理する6階建てマンション「伏見台ビル」の1階にて「伏見台ショッピングセンター」として営業していたようです。

 昭和59年(1984年)6月20日より河北郡で「トマト」や「アイ」を運営していた「マルイチ」による「スーパーマーケットマルイチ伏見台店」に。その閉店後、「Aコープ高尾店」となっていました。


 「久安店」
 久安五丁目にあったマルエー久安店の初代店舗と完全に隣接(東隣)していた模様です。しかしマルエーには勝てなかったのか、閉店。その後はホームイン的場久安店、(株)アブサン、きらくや古物センターを経て、平成13年(2001年)〜平成14年(2002年)の間に取り壊し。現在は(株)金城三和交通駐車場や久安五丁目月極駐車場となっています。


 「涌波店」
 涌波の公務員宿舎向かい、中村ハイツ(現:南コーポ)というアパートの1階に入っていたようです。現在、プラトーデイサービスセンターなどの入っているビルです。


 「西部店」
 松村町交差点前、カレーのチャンピオン松村店の隣にありました。ハイリス解散後は全日食チェーン松村店となりましたが、平成9年(1997年)〜平成10年(1998年)頃に閉店し、「荒屋書店松村店」を経て、平成14年(2002年)には「デイリーヤマザキ金沢大徳店」となり、現在に至っています。


 「ロフテー畝田店」
 金石街道沿い、現在の海幹近くに位置しており、もとは「ファミリープラザ・マミー畝田店」として営業されていました。

 平成5年(1993年)〜平成6年(1994年)頃、「ロフテー畝田店」となりました。「Lofty」とは“高尚な”や“高貴な”という意味があることから、おそらく高級志向の新しいブランドとして営業されていたのでしょう。

 ハイリス解散後は「全日食大徳店」として営業していました。しかしそれも平成17年(2005年)〜平成18年(2006年)にかけて閉店し、跡地は「丸亀製麺金沢畝田店」となっています。

 
 ▲ロフテーのレジ袋


 「ロフテー元町店」
 彦三大通り沿いの森山2丁目バス停前にあった店舗で、昭和60年(1985年)〜昭和61年(1986年)の間に「スーパーマーケット ロフテー元町店」としてオープンしています。

 2階建てで、当初つぎのようにテナントが入っていたようです。
[1階]
 スーパーマーケットロフテー
 さとう生花
 ドラッグライフ
 ベークショップファーマーズ

[2階]
 喫茶ココス
 ロフテーカルチャー教室
 ハマナス楽器(株)

 その後、ハイリスの終焉とともに「全日食チェーン元町店」、さらに平成10年(1998年)頃より「全日食チェーン ナイスディナオエ」と変遷していきました。平成28年(2016年)〜平成29年(2017年)頃に閉店され、建物は解体済。その後、敷地の一部が令和2年(2020年)3月10日に森山交番となりました。


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:: チェリーストア

 (株)チェリーストアが経営していた店舗で、最終的には(株)ハイリスと運命を共にし、破綻を迎えてしまいました。


 「長町店」
 現在の長町中学校バス停西側、月極長町駐車場のところにあったようです。当初のチェリー本店だったようですが、平成元年(1989年)〜平成2年(1990年)頃、閉店しています。


 「ニューチェリー店」
 芳斉2丁目の住宅街のなか、中央郵便局前交差点より東側に入った小路の突き当たりの角にあったようです。

 もと東京ストアー長土塀店でしたが、昭和51年(1976年)〜昭和52年(1977年)の間に(株)チェリーの店舗となり、「ニューチェリー」に。最終的にはチェリーブランド最後の1店舗となり、実質的な本店となったものと思われます。

 ハイリス破綻後は全日食チェーン芳斉店となりましたが、平成10年(1998年)〜平成11年(1999年)ころに閉店。建物は取り壊され、現在は個人宅となっています。


 「伏見店」
 横川交差点そば、泰成ビル東隣に建っていた「伏見ビル」の1階にあったようです。住宅地図では昭和57年(1982年)版では記載がありましたが、昭和58年(1983年)版では「ローコスト・デスカウントストアー」と書いてありました。「伏見ビル」はビルそのものが交差点の拡幅工事のため道路の一部に収用されています。


 「中村町店」
 犀川沿い、現在ヘアーヤマモリとなっている場所にあったようです。


 「泉ヶ丘店」
 泉ヶ丘交差点前の「泉ヶ丘ビル」1階にあったようです。もとはここにハイリスの本部も置かれていたようですね。


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:: マンモスチェーンストア

 ハイリスチェーン加盟の(株)マンモスチェンストアが運営し、昭和39年(1964年)7月14日、若草町に1号店を出店したことで歩みを始めています。

 ハイリスの破綻後も単独で営業を続けたものの、経営陣の高齢化やコンビニエンスストアとの競合のため、平成7年(1995年)3月下旬をめどに廃業に至っています。


 「若草店」
 昭和39年(1964年)7月14日にオープンしたマンモス発祥の店で、泉野一丁目東交差点前にあったようです。現在はカットスタジオフーウエストおよび中嶋医院となっています。


 「有松支店」
 昭和40年(1965年)6月5日オープン。泉三丁目、有松交差点近くにあったようです。


 「寺町支店」
 昭和41年(1966年)9月20日オープン。寺町二丁目バス停近くの寺町通り沿いに位置していたようですが、昭和57年(1982年)〜昭和58年(1983年)の間に「ディスカウントストアー大根魚市寺町店」となっています。この大根魚市もハイリスチェーンだったようです。

 昭和63年(1988年)の地図では健在でしたが、平成元年(1989年)の地図では見当たらなくなっています。現在は「メゾン・ド・セリーヌ寺町」となっている場所です。


 「平和町本店」
 昭和41年(1966年)〜昭和42年(1967年)にかけ、平和町の平和センター向かいに出店。住宅地図では「マンモスチエンストア平和町本店」とあり、ここを新たな本店とする構想だったのでしょうか? しかしマンモスだった時代はごくわずかな期間だけだったようで、昭和43年(1968年)〜昭和44年(1969年)にかけ、「バザール野田店」となりました。

 バザールとしての閉店後、跡地は分譲されています。ニューアルコ向かい、「焼き肉へいちゃん」や「小竹接骨院」などがある一角がその場所にあたります。 。


 「石坂支店」
 昭和40年(1965年)5月1日オープン。白菊町にあった店舗で、昭和46年(1971年)の住宅地図には記載されていましたが、昭和47年(1972年)の地図では、野田専光寺線(西インター大通り)の用地として収用されてしまったようで、南側にあった倉庫だけが残されているようでした。現在の白菊町交差点の北西側が、その場所にあたります。


 「六斗林店」
 昭和41年(1966年)12月1日オープン。泉野三丁目西側の旧道沿いにあったようです。昭和52年(1977年)の住宅地図では確認できますが、昭和55年(1980年)の地図ではすでに「電化リビングなかた」となっていました。現在は「ふれあい工房たんと」が立地している場所になります。


 「緑ヶ丘店」
 昭和53年(1978年)3月24日開業。二水高校バス停前の「ファミリープラザ マミー」のキーテントとして営業。ほかのテナントとして、メイクレール、くらべ鮮魚、田中畜産、パンの木、百万石うどん、じんずし、園芸四季、洋風総菜丹羽、レコードカメラのナカイが入っていたようです。名鉄グループのパン屋さんである「メイクレール」が入っていたことが特筆されます。現在、松村物産(株)セルフ松村SSとなっている場所にあたります


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:: 富士ストア

 東京ストアー傘下で松任市で営業されていた「富士ショッピングセンター」とはまったく別のチェーンで、金沢市内にのみ店舗を構えていたようです。

 昭和60年(1985年)にスーパー経営から寿司店へと大きく業態を変え、「富士フード」と改称。当初は大手寿司チェーンのFC店を経営していたようですが、その後「加賀っ子寿し」として独立していたようです。

 しかし、平成12年(2000年)7月12日に2回目の不渡りを出し、倒産……。スーパー時代の債務を抱えていた上、競争激化で売り上げが減少。資金繰りがひっ迫したとされていました。


 「別院店」
 昭和40年(1965年)12月18日開業。別院通り沿い、現在のキュリオシティ金沢の一部となっている場所にあったようです。


 「七ツ屋店」
 昭和44年(1969年)3月28日開業。七ツ屋バス停近く、4階建ての宝ビル1階にあったようです。跡地は平成2年(1990年)の地図では「Kマート七ツ屋店」となっていました。しかしそれも平成6年(1994年)には閉店、解体。月極駐車場を経て、現在跡地は「おたっしゃホーム城北」となっています。


 「浅野店」
 ふらっとバスの浅野本町バス停近くにあり「カネヒコ家具」との共同店舗だったようですが、昭和51年(1976年)の地図より「カネヒコ家具」だけの記載に。そして昭和53年(1978年)頃に建物は解体、分譲され、宅地化しています。


 「諸江店」
 昭和47年(1974年)5月27日開業。諸江上丁交差点近く、いまのアパートマン駅西店裏手、当時あった鶴田ゴルフセンターに隣接して出店していた店舗です。

 「富士ストア」がスーパー事業から撤退したあとは(株)ハイリスの直営店舗として残ったようで、「ハイリス諸江店」として営業が続けられたようですが、平成元年(1989年)〜平成2年(1990年)にかけ、閉店。分譲され、宅地化されました。なお、現在は鶴田ゴルフセンターも分譲住宅地化しています。


 「小立野店」
 昭和49年(1974年)7月10日開業。最終的には富士ストアの本部機能を持つ中核店舗になっていたようです。如来寺広見に面して立地していた模様ですが、現在は小立野パーキング月極駐車場となっています。


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:: みどりショッピングプラザ

 「みどり店」
 昭和47年(1972年)4月1日、みどり一丁目にて、みどり中央商店街を併設する「みどりショッピングセンター」としてオープン。スーパーマーケットの「みどりショッピングプラザ」は昭和50年(1975年)12月に開業しています。

 現在も残っている建物は昭和57年(1982年)8月1日に新築オープンを果たしています。昭和60年(1985年)の地図では南側に「緑温泉」という銭湯まであった模様です。

 
 ▲この部分は解体され,分譲されました

 
 ▲政治団体の事務所も入っています

 平成13年(2001年)の住宅地図では(株)みどりショッピングプラザとともに様々なテナントが健在でしたが、平成14年(2002年)の地図では、スーパー部分が空き家に。平成15年(2003年)の地図では「リサイクルショップ エコグリーン」となっており、さらに平成16年(2004年)頃には建物の北側一部が減築されました。

 平成22年(2010年)の地図では「業務スーパーみどり店」となっていましたが、同店も平成28年(2016年)2月29日閉店、その後「ドラッグセイムス金沢みどり店」となるも、これも平成31年(2019年)2月28日に閉店しました。これに前後して(株)みどりプラザは平成30年(2018年)8月8日、破産手続きを申請しています。

 その後、駐車場だった部分には令和元年(2019年)6月27日に「ファミリーマート金沢みどり店」がオープンしました。また、建物東側の「ドラッグセイムス」だった部分は取り壊され、現在は住宅になっています。

 ともあれ、かつての「みどりショッピングセンター」のテナントとして「お多福みどり団地支店」がいまなお健在です。

 
 ▲お多福みどり団地支店


 「米丸店」
 [54]番のバス路線沿い、米丸住宅前バス停近くにも「みどりショッピングプラザ」の店舗があったようです。このお店は平成7年(1995年)頃にマルヨネ青果による「ひまわりチェーン米丸店」に変わり、その後閉店。現在は分譲され、宅地となっています。


 「千坂店」
 平成3年(1991年)3月21日、元ダイヤチェーン加盟の「千坂ストアー」だった店舗が「みどりショッピングプラザ」となり、オープンしたようです。疋田町の旧千坂住宅前バス停前にありました。平成5年(1993年)〜平成6年(1994年)の間に閉店しています。現在は一般の民家となっているようです。


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:: その他のチェーン店舗

 ハイリスチェーンには小規模な個人経営のスーパーも多数加盟していたようで、それらは独自の屋号により緩いつながりを保って運営されていたようです。いまでいう「全日食チェーン」がそれに近いでしょう。


 「金石食品ストア」
 昭和37年(1962年)、金石商店街にて開業。(株)金石食品ストアにより、“ハイリス金石店”として営業していたようです。平成6年(1994年)時点ですでに閉店済でした。


 「羽場食品ストアー」
 (株)羽場食品ストアーが経営してきた店舗で、小立野二丁目(天徳院前方向)バス停前、真向かいに「スーパーマルサン天一店」があるという立地でした。しかしこちらの方が後年まで残ることとなったようですね。

 遅くとも平成15年(2003年)には、同じ建物のままで「(株)はば籠盛」として営業している模様です。お店の一角に公衆電話があり、スーパーだった雰囲気が濃厚に残っています。

 
 ▲石川県立図書館の裏手にあります


 「中央生鮮食品 新竪店」
 (株)中央生鮮食品が経営。新竪町商店街にあり、明治時代から続く魚屋さんとして現在も盛業中である様子です。


 「中央生鮮食品 幸町店」
 (株)中央生鮮食品さんは犀川大通り沿いの幸町バス停近くにも店舗を擁していた時代があるようです。平成8年(1996年)〜平成9年(1997年)にかけて閉店し、現在は個人宅となっています。


 「春日ストアー」
 (有)春日ストアーによる店舗。春日町の旧道ぞいに立地し、春日町交差点の角から入ったメガネのハラダ裏手にありました。平成26年(2014年)〜平成27年(2015年)に閉店し、現在は個人宅となっています。


 「越沢ストアー」
 本江町の住宅街、イワモトの隣にあった店舗で、現在は民家になっており、自動販売機のみ設置されています。のちに「こしざわ商店」として営業されていたようですが、平成15年(2003年)〜平成16年(2004年)にお店を閉じられています。


 「藤屋八百屋」
 額住宅駅前の「額ショッピングセンター」で営業していたようです。昭和61年(1986年)〜昭和62年(1987年)にお隣に「ひまわりチェーン額店」がオープン。その後、平成2年(1990年)頃に姿を消しています。


 「フジヤ 矢木店」
 (有)フジヤにより、昭和59年(1984年)〜昭和60年(1985年)頃にオープン。矢木町交差点北側の住宅街に立地していました。平成8年(1996年)〜平成9年(1997年)頃に閉店しています。額住宅にあった「藤屋」との関係が気になります。同じ経営者だった可能性もありそうです?


 「ドラッグストアー吉田」
 内日角交差点から北側に本部、かつて本宇の気バス停前にあった「河北ショッピングセンター」にも店舗を保有していました。「ヨシダドラッグストアー」と表記されている場合もありました。生鮮品は扱っていなかった模様です。

 河北ショッピングセンターが閉店となったのち、平成24年(2012年)〜平成25年(2013年)にかけ閉業。建物は解体され、個人宅となっています。


 「ヤスイストアー」
 小坂交差点角にありました。平成12年(2000年)〜平成15年(2003年)の間に閉店し、跡地はマンション「アフロディーテ」(パコム)となっています。


 「長田ストアー黒田店」
 黒田二丁目の県道197号・寺中西金沢線沿いにあったようです。現在は2階建てビルで、「ナイス外装工業(株)」がある場所です。


 「松井ストアー」
 扇町〜天神町の台地沿いの旧道にあり、平成5年(1993年)時点では存在していたようです。


 「おきつや総合食品センター」
 松任市街地、中町交差点の角で、昭和46年(1971年)10月1日に「中町ビルショッピングプラザ」としてオープン。当初はおきつや、呉服のいづみや、美術のキタダ、和洋酒ミヤムラがテナントとして入っていたようです。

 
 ▲中町ビルショッピングプラザ

 

 ここに書かれていなかった「ハイリスチェーン」の店舗をご存知ありませんか? 情報をお待ちしております。掲示板へお寄せください。お店の思い出等もどうぞ


参考文献
 「北國新聞縮刷版」各号
 「住宅明細図」各地域・各年版
 「日本スーパー名鑑」各年度版


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