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はばたけ どんたく

 七尾市を発祥とするスーパー「どんたく」は、“七尾のどんたく”から“能登のどんたく”へ、そして“石川県のどんたく”へと飛躍を続けています。

最終修正:令和6年4月2日 (6)


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:: どんたくの歴史

 七尾で鮮魚問屋を営んでいた初代社長山口成道氏は、新たに生まれつつあったスーパーマーケットという新しい小売形態に着目し、昭和38年(1963年)10月26日、七尾市作事町にスーパーどんたく本店を開店させています。

 当時、初代社長は36歳という若さ。豪放磊落な性格で、自ら車を運転して金沢や新潟の店を見て回り、まったく新しいスーパーという業態を精力的に研究したといいます。

 
 ▲初代店舗・七尾の新鮮館

 「山成商事株式会社・どんたく設立40周年記念誌」によれば、「どんたく」の名の由来は、やはり「博多どんたく」がヒントになっていたようです。

 同社史では創業者の奥様が、
『実はオープン直前まで店名、決まってなかったんですよ。ある日オープンを控えてレジスターの使い方をメーカーの人に教えてもらっていたのですが、たまたまその人に「どんな名前がいいですかね」って尋ねたんです。そうしたらその方が博多出身の人でね、「博多にはどんたくって祭りがあって、それは休日って意味もあるんです」と。意味も響きもいいし、お客さんに「どんとたくさん買ってもらう店になろう」という願いもこめて、この店名になったのです』
 と、述懐を寄せておられました。

 天然のいけす・七尾湾をひかえた七尾のスーパーだけに、鮮魚はもちろん山成商店の得意とするところ。鮮魚以外の商品は、毎朝金沢市の中央市場までトラックを運転し、商品を満載させて開店までに戻ってくるという日々だったそうです。当時は道路事情も悪く、往復5時間近くかかったそうです。それが毎朝です。

 当初は衣料品も扱っていたようで、この衣料品については初代社長の奥様が担当され、大阪の船場、岐阜、名古屋まで足を伸ばし、仕入れていたそうです。

 創業者の奥様はこう語っておられます。
『仕入れは電話でも済みましたが、必ず自分の目で商品を見て、仕入れていました。買いに来てくれるお客さんの顔を思い出しながら“あのお客さんにはこれ似合うだろうな”とか“あのお客さんはこんなのが欲しいといっていたな”……というように、不思議なものでそうして仕入れたものは良く売れました。きっとそのあたりに商売の原点ってあるんでしょうね。お客さんの顔を具体的に想像できるかどうか……ということが、いかに大切か仕入れを通じて学んだような気がします』

 これを見るに、どんたくの成功は初代社長だけでなく、それを支えた奥様のお力、信念、こうしたものも大きかったのだろうとな思います。

 昭和44年(1969年)10月に「いとはん七尾店」がオープンすると、どんたくは衣料品の扱いをやめ、食品スーパーに特化していったようです。それとともに三崎ストアーが中核となる「北陸セルコグループ」に加盟。共同仕入で食品部門の強化が図られていきます。

 しかし、昭和60年(1985年)には北陸セルコグループから脱退し、共同仕入れ機構「CGC」に加盟。さらに平成9年(1997年)、当時はボランタリーチェーンとして勢力の拡大を試みていた富山県の「アルビス(株)」への加盟へと乗り換えています。

 ボランタリーホールセラーとしてのアルビスは、店舗開発や商品開発、情報システムなど多様なリテールサポートを発揮する「問屋でもある情報サポート企業」のような存在で、どんたくにとっては大手に対抗するためのハード面の強化を推し進める手助けになったことと思います。他方、アルビスにとっては能登地区での地域高密着のドミナント実現と、双方の思惑が一致したのでしょう。

 背景には、ユニー(パトリア)や平和堂が相次いで進出してきたことで、ローカルスーパーとして大手の脅威に対抗していくにあたり、いままで以上の知恵を生かさなければならないという覚悟があったのではないでしょうか。

 先代の社長は社史のなかでの対談で、こう語っておられました。
『私はね、来店いただいたお客様が「こんな店をつくってくれたのか!」「よくぞこんな商品をつくってくれた!」とおっしゃってくれるような、つまり、感動をつくって届けていきたいんですよ。そのためには、もっともっとお客様のことを知らなくてはならないし、ただ安く売ることよりも困難な道だと思いますけれども、そんな生き方をしたいと思っています』

 それは、やはり来店して楽しめるお店づくり、初代社長の奥様が語っておられたような、
『お客さんの顔を具体的に想像できるかどうか……ということが、いかに大切か』
 その言葉に帰結するでしょう。

 
 ▲能登のおにぎりは(株)和倉炊飯製

 平成19年(2007年)10月に(株)バローと業務資本提携を締結し、どんたくはバローの関連会社に。かつての盟友・アルビスとは別々の道を歩むことになりました。

 近年は軽トラックを使った移動スーパー「とくし丸」のフランチャイズ経営も開始しており、各地の店舗を拠点とし、山間部の集落や住宅地などへきめ細かに巡回するサービスが、高齢者から歓迎されている様子です。

 そして平成31年(2019年)4月1日、山成商事(株)は「(株)どんたく」に改称。ブランド名と社名が統一されました。

 令和5年(2023年)、創業60周年を迎える「どんたく」。現在はバローグループの一員ですが、港町・七尾らしい活気ある市場のような独自の店づくりには、目を見張らせるものがありますね。


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:: 新鮮館

 昭和38年(1963年)10月26日、七尾市作事町にて「スーパーどんたく」本店としてオープンした第1号店舗です。

 日本が戦後の復興期を経て高度経済成長を果たし、東京オリンピックの開催を翌年に控えた年に、どんたくは産声を上げました。

 生鮮食料品から衣料、雑貨までそろえ、売り場面積は100坪。しかし、当時は数坪から大きくても10坪程度の「お店」が当たり前で、市民の目にはまさに巨大な店舗として映ったということです。

 昭和49年(1979年)7月12日、本店4階建てビルが完成しました。

 
 ▲発祥の店「新鮮館」

 
 ▲どこか市場の雰囲気もある新鮮館

 平成2年(1990年)の住宅地図によると、当時のフロア構成は次の通りだったようです。
 [1F] スーパーどんたく、ホットチキン
 [2F] スーパーどんたく
 [3F] ファンシーかたつむり ミルキーハウス
 [4F] 事務所

 平成9年(1997年)2月、ジャスコ七尾店の撤退に合わせ、食品部門の新たな顧客確保に狙いを定めて全面リニューアルが行われ、「新鮮館」となりました。

 
 ▲新鮮館の外観はリニューアルでブルーに


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:: 常盤町店

 桜町交差点前にあり、どんたく初めての支店「常盤町店」として昭和42年(1967年)12月にオープンした2号店舗でした。

 現在の「ベイモール店」のご先祖さまといえるお店ですね。

 いまのセブン-イレブン常盤町店のある場所にあたりますが、まだ食祭市場と津向町を結ぶ道が完成していなかったためでしょう、常盤町店時代の店舗はいまのセブン-イレブンとは逆で、南向きに建っていたようです。

 初代社長は忙しい日々の合間に時間を見つけて、東京まで店舗研究に出かけ、完成させたたいうことです。

 当初は60坪程度の小さなお店だったようですが、早朝サービスや買い物客の目の前で値引きする対面販売など、東京での視察の成果を取り入れて成功。徐々に隣接地を買い足し、規模を拡大していったといいます。

 その後、「西部店」として建て替えられています。


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:: 西部店

 昭和60年(1985年)3月30日、ジャスコのリニューアルオープンに対抗して旧「常盤町店」を「西部店」と改称の上、新築オープン。150坪スタイルで、旧店舗とは逆の海側向きに建てられました。

 この全面リニューアルには、意外にも、マルシェの協力があったといいます。同じ能登のローカルスーパーとして、横の繋がりがあったのでしょうか。そういえば、マルシェは七尾市には店舗を作りませんでしたね。

 そしてマルシェ倒産後、能登地区のいくつかの店舗を引き受けたのがどんたくでした。

 2代目・山口社長は西部店の開発について、
『ローカルスーパーとしてどんたくはこうあらねばならないという“型”をつかんだように思いました』
 と述懐されています。そして、リニューアルしたジャスコを凌駕する成果を上げるに至ったのです。

『150坪の店でも、ジャスコ、ユニーに充分対抗できるんだという自信を持つことができました』
 2代目社長はそうコメントしておられました。

 テナントとして、「片倉クリーニング」「ドラッグフジ西部店」を併設していました(ドラッグフジイではありません)。

 新店「ベイモール店」のオープンにより閉店し、現在は「どんたく惣菜センター」としての機能を残しています。

 また、建物の北側一部を取り壊して「セブン-イレブン常盤町店」がオープンし、一見するとセブンに建て替えられたように見えますが、実際にはセブンの裏側に建物が隠れています。

 
 ▲スーパーの面影も残ります

 
 ▲どんたく惣菜センター


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:: 東部店

 昭和54年(1979年)3月30日、郡町バス停近くの「七尾中央ボール」跡地にオープン。非常に高い天井や駐車場に面している搬入口が特徴的です。

 店名の通り、七尾市東部(崎山方面、百海方面)からの買い物客に喜ばれ、いまも親しまれています。

 
 ▲元ボウリング場の東部店


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:: 味里店

 昭和62年(1987年)11月3日、本府中にオープン。敷地内に「きくざわ書店本府中店」、「プラチナンおもちゃBOX本府中店」を併設していました。

 現在の「ナッピィ店」の前身といえるお店です。

 後畠に祖父母がおいでたというぽんさんによると、記憶のなかの味里店はやや手狭で、駐車場が不足していたといいます。

 また、本府中での北鉄バス車内放送では『スーパーどんたく前でございます』と流れていたそうです。

 味里店は新店「ナッピィ店」開店に伴い、新天地へのリロゲートの形で閉店しました。

 閉店後は「RENTAL-YA」として居抜き利用を経て、現在、建物は「古木ハーネスFWS本部」が使用しています。また「プラチナン」跡地は「カメラのキタムラ七尾本府中店」になりました。

 
 ▲旧味里店だった建物


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:: 恵寿店

 平成2年(1990年)にオープンしているようです。詳細は分からないのですが、恵寿総合病院の売店だったのでしょうか。現存していないようです。

 この「どんたく恵寿店」ですが、やはり恵寿総合病院の売店だったようです。

 ジョンさんによると、どんたくのオープンまでは病院の関連会社が売店を運営していたそうですが、どんたくがそれを継承、その後、病院敷地内に「ローソン」が出店したことで、売店機能をコンビニへ譲り、撤退したようです。

 はなくそさんによると、病院建物の1階にあり、売店以上コンビニ未満の品揃え。店舗向かいにはニチレイの自販機が並んでたそうです。
 (情報ご提供:ジョンさんはなくそさん)


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:: アスティ店

 平成3年(1991年)3月20日、富山県の(株)グリーンモール(オスカーグループ・現:グリーンステージ)が開発を手掛けた「アスティショッピングセンター」の核店舗として、西往来の藤橋町にオープン。能登地区で初の郊外型SCの誕生でした。

 現在はどんたくの子会社(株)サンナナオが建物を管理しています。

 「アスティ」とはギリシャ語で“生活空間”を意味し、それに「明日」と「シティ」もかけあわせて命名されました。

 当初のテナントは次の通りでした。
 どんたく
 カーマホームセンター
 グリーンセンタータカタ
 ヤマヨシ
 いけだ書店
 キノシタ靴店
 ドラッグフジ
 良川屋クリーニング
 パンド ミー ガルベ
 花正
 梅屋
 バーガーシティ

 オープン2年目には「マルシェ高浜店」、「あだちストアージョイフル店」を抜き、能登で一番の売り上げを誇るスーパーマーケットとなったそうです。この店舗の成功が、のちのナッピィのモデルとなったことでしょう。

 平成18年(2006年)10月13日に建物の南側が「ヤマダ電機テックランド七尾店」となりました。

 平成22年(2010年)3月18日には「カーマ七尾店」が能登第二病院跡地、岩屋化石層近くの新店舗へとリロゲートしました。

 
 ▲アスティ


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:: タント店

 平成7年(1995年)10月12日、和倉温泉駅の西側、奥原バス停近くにオープン。これにあわせ、どんたく全店で「ほっとカード」が導入されています。

 「シメノドラッグタント店」(閉店済)、「酒のスーパースマイル七尾タント店」を併設していました。

 平成13年(2001年)9月にリニューアルが行われています。

 デジタルプライサー、セミセルフレジがいち早く導入されていた店舗でした。

 令和5年(2023年)9月30日を最後に閉店しました。JR和倉温泉駅近くには同年11月3日に新店舗「生鮮市場和倉店」がオープンしましたので、実質的にそちらへのリロゲートということになるのかも知れませんね。

 
 ▲タント


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:: ナッピィ店

 平成11年(1999年)11月11日、“ぞろ目の日”に東往来の藤野町でオープンした、「ナッピィモール」のキーテナントです。

 「ナッピィモール」は「サンナナオ東部ショッピングセンター」として開発された店舗で、富山県の(株)グリーンモールと(株)サン・ナナオが共同開発。ネーミングは「七尾の皆様にハッピーを届けたい」という意味合いで名付けられたもののようです。

 クスリのアオキ、酒のやまやなど人気店が集う1階建てのショッピングモールです。

 
 ▲ナッピィ店

 どんたくは、きくざわ書店とともに近隣にある「味里店」から移転してきました。

 ぽんさんの述懐によれば、平成8年(1996年)2月28日のジャスコ七尾店閉店とこのナッピィモールのオープンにより、ショッピングとなるとそれまでバスで七尾駅付近まで出かけていた後畠地区住民は徒歩、自転車で買い物が事足りるようになったということです。

 そして100円の循環バスまりん号の運行開始もあって、“七尾の平和町線”とも呼ばれた後畠線は急速に衰退していくことになります。

 
 ▲ナッピィのイメージキャラクターと

 
 ▲ナッピィの構内にはチャンカレーも


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:: 穴水店

 平成12年(2000年)11月23日オープン。此木交差点に面して開発された「穴水ショッピングセンターパルス」の中核店舗で、「どんたく」が七尾から外へ出ていくキッカケとなった店舗です。

 「パルス」は家電の「100満ボルト」、衣料の「しまむら」、ホームセンターの「コメリ」という異業種が集まったパワーセンターで、のと里山街道のインターチェンジ近くということもあり、輪島、門前をも商圏としました。

 店舗開発には当時どんたくと関係を深かったアルビス(株)の協力を受けており、まさに「どんたく」と「アルビス」の合作といえる店舗として生まれました。

 こちらのページもどうぞ
 →(味わいバス停)穴水此の木

 
 ▲どんたく穴水店


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:: 宇出津店

 能登町の宇出津新港にある「能都ショッピングタウンアルプ」のキーテナントです。

 「アルプ」は平成5年(1993年)11月6日、(有)新港商業開発をデベロッパーとしてオープン。もとは「マルシェ」が食品スーパー部門を担当していましたが、その退店とともに、「どんたく」は後釜で入りました。

 
 ▲宇出津新港のアルプ

 「どんたく」がオープンしたのは平成13年(2001年)11月8日(同社の社史では12月6日オープンとなっています)で、穴水店に続く奥能登地区への進出となりました。

 平成23年(2011年)5月25日には駐車場構内に「クスリのアオキ宇出津店」がオープンしています。

 
 ▲どんたくとウイングたかだやの2枚看板です

 
 ▲デベロッパーは新港商業開発という会社さんです


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:: 高浜店

 平成15年(2003年)5月1日、志賀町高浜において、元「マルシェ高浜店」を引き継ぐ格好でオープンしました。

 志なかばで倒産してしまった「マルシェ」ですが、七尾のどんたくから能登のどんたくへとメタモルフォーゼを図っていた山成商事(株)(現:(株)どんたく)により、トーカマート時代から続くショッピングセンターの灯火は守られました。

 
 ▲高浜バスターミナル近くにあります

 令和元年(2019年)9月23日からはコミュニティバス「しかばす」の乗り入れも開始されました。


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:: エブリィ鳥屋店

 平成16年(2004年)4月8日、良川駅にほど近い西往来沿いにオープンしました。お店の前には中能登町コミュニティバス「どんたく・コメリ前」バス停があります。

 店名の“エブリィ”とは、「毎日が新鮮!」「毎日が親切!」「毎日が安い!」「毎日が便利!」な、“毎日来ていただきたいお店”ということで、“エブリディ”から命名されたのでしょう。

 
 ▲エブリィ鳥屋店

 
 ▲どんたく・コメリ前バス停


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:: ベイモール店

 平成20年(2008年)3月27日、七尾市の西部店を移転する形で、小島町なぎの浦に開発された「ベイモール」の核店舗としてオープンしました。

 
 ▲ベイモール全景

 「ベイモール」は海技大学校七尾分校の跡地で、やはりここも富山県の(株)グリーンステージ(オスカーグループ)によった整備された複合モールです。

 同社では商業施設と分譲宅地の同時開発による街づくりを標榜、商業ゾーンである「ベイモール」に隣接し、分譲住宅地の「ベイ・ヴィレッジ」もあわせて開発されています。

 どんたくとともに、「クスリのアオキ小島店」など有名店が連なっている使い勝手の良いモールで、能登島方面からの買い物利用もあるようですね。

 
 ▲ベイモール店

 
 ▲となりはクスリのアオキです

 
 ▲海員学校跡地の石碑


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:: 西南部店

 平成22年(2010年)10月14日にオープンした金沢市への出店1号店です。新金沢郵便局前近くの住宅街の一角にあります。

 どんたくには本拠地・七尾に西部店、東部店もありましたが、こちらの西南部店は西南部校下の西南部からですね。

 
 ▲住宅街のなかにあります

 


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:: 西金沢店

 旧「エムバリュー西金沢店」だった建物を利用し、平成23年(2011年)6月9日に開店した金沢2号店でした。

 しかし、令和2年(2020年)3月25日に閉店……。建物は解体され、跡地は「スギ薬局西金沢店」になりました。


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:: かほく店

 平成24年(2012年)9月20日、かほく市木津の国道159号線沿いにオープン。もと室谷合繊(株)や鶏舎の跡地を再開発して建てられました。

 駐車場内にかほく市福祉巡回バスの「木津北泉町」バス停が設置されています。

 
 ▲にゃんたろうバスが乗り入れています


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:: 津幡シグナス通り店

 元「新鮮市場ビッグママ」だった店舗で、平成25年(2013年)10月3日に「どんたく」として再オープンしました。

 「ビッグママ」は(株)クラハシという会社が運営していた津幡町ローカルのスーパーマーケットで、昭和58年(1983年)7月28日、中央銀座商店街にて開店、平成15年(2003年)〜平成22年(2010年)の間にシグナス通りへ移転し「新鮮市場ビッグママ店」として営業されていました。

 平成24年(2013年)11月9日、「ビッグママ」はどんたくに買収され、平成25年(2013年)10月3日、「どんたく津幡シグナス通り店」としてリニューアルオープンを果たしています。

 平成30年(2018年)9月20日からは移動スーパー「とくし丸」の拠点となり、津幡町、内灘町一帯にて営業が開始されました。

 しかし、令和3年(2021年)3月21日に閉店……。その後、令和3年(2021年)5月22日に「バロー津幡店」としてリニューアルしています。

 
 ▲津幡にもどんたくがありました


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:: 山成水産 香島津店

 能登食祭市場内にある鮮魚店です。創業当時の鮮魚商としての業態を現代に残すレジェンド的店舗といえるでしょう。


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:: 野々市中央公園店

 令和5年(2023年)3月1日、野々市西部にオープンした新しいお店です。南ヶ丘病院の隣接地にあたり、宅地化により人口の増加する蓮花寺地区の台所として活躍しそうです。

 市場のような活気のある店づくりがキャッチフレーズのようです。能登直送の活気あるお店として、ベッドタウン野々市に七尾の魂を伝え続けて欲しいですね。

 
 ▲南ヶ丘病院のすぐ横にあります

 
 ▲なんとなくヤマダ電機っぽい外観です


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:: 生鮮市場和倉店

 令和5年(2023年)11月3日オープンの新店舗で、生鮮食品に特化した新ブランド“生鮮市場”を冠してデビューしました。

 JR和倉温泉駅に近く、インバウンドを含めた観光客の利用も期待される立地のためか、和のテイストで“生鮮市場"を演出。お魚はもちろん、精肉売り場も地域最大規模となっています。

 また、隣接地には「ウエルシア七尾和倉店」が移転してきました。

 
 ▲どんたく生鮮市場和倉店


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参考文献
 「山成商事株式会社・どんたく設立40周年記念誌」
 「北國新聞縮刷版」各号



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