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想い出のダイエー金沢店

 現在「かなざわはこまち」が建っている場所には、かつて「ダイエー金沢店」がありました。

最終修正:令和6年4月1日 (4)

 

 「ダイエー金沢店」になる前には旧丸越百貨店(現:金沢エムザ)のあった場所で、同百貨店が昭和48年(1973年)10月1日のスカイビル完成とともに現在地へ移転したあとは、長らく「スカイビル第二駐車場」として使用されていたようです。

 その跡地に「金沢三和東洋ビル」が建てられ、三和銀行金沢支店(のちのUFJ銀行)の入居した場所を除く地下1階〜地上6階までのほぼすべてのフロアを借り上げる形で、昭和56年(1981年)10月23日に「ダイエー金沢店」はオープンしています。

 開店直前の昭和56年(1981年)10月9日付け北國新聞朝刊に掲載されている記事によると、(株)ダイエーでは金沢店を、「アパレル(衣料品)を強化し、買い回り品に重点を置いた地方都市のターミナル型ゼネラルマーチャンダイジングストア(GMS)」と位置付けていたということです。

 『よい品をどんどん安く』。それがダイエーのキャッチフレーズであり、流通王と呼ばれた創業者・中内功氏の思いでもありました。大量仕入れによって価格を安く抑え、それまでメーカーに握られていた価格決定権を売り手のものにしたのがダイエーでした。

 オープン直前の新聞広告には、『なぜそんなに払うのですか 1円でも安く――暮らしを守るダイエーです』とした刺激的なキャッチコピーとともに、プライベートブランド商品である「セービング」と「ノーブランド」のPRが行われていました。

<セービング>
『商品本来の機能はそのままに、ムダと思える部分にお金をかけずにすませた、生活必需品203品目。その名も節約(セービング)』。

<ノーブランド>
『ブランドをつけないので広告費もいりません。包装も質素です。日本で初めてダイエーが手がけた41品目』

 「トップバリュ」「スタイルワン」「くらしモア」など、いまではプライベートブランドはごく当たり前の身近なもので、買ったことのない人のほうが珍しいといえるほど定着していますが、この当時からすでにこうした商品を自社で開発していたのは非常に先駆的といえるでしょう。とくにダイエー終焉まで販売が続けられていた「セービング」というブランド名が、このときすでに確立されていたことには驚かされます。

 各階のフロア構成は、下記の通りとなっていました。
[B1]食料品のフロア
[1F]婦人おしゃれのフロア
[2F]婦人ファッションのフロア
[3F]子供とベビーのフロア
[4F]紳士とレジャーのフロア
[5F]住まいと暮らしのフロア
[6F]家庭電器のフロア

 なお、地下1階には当初から直営のハンバーガーショップ「ドムドムバーガー金沢店」が出店していました。

 ドムドムバーガー。

 最上階の6階を家電売り場としていたのは、家電を集客の目玉と捉え、最上階に目的地を設定することにより下層フロアにも立ち寄ってもらおうという「シャワー効果」を期待していたためだったのではないかと考えらえます。

 当時はヤマダ電機やケーズデンキのような大型家電量販店はなく、まだ街の電気屋さんが主流だった時代。多数の電化製品が一堂に揃うダイエーは電化の殿堂ともいえたわけです。

 その後、6階の一角には、いずれかの時期にレストラン「キャプテン・クック」がオープンしています(遅くとも平成12年(2000年)までには「展望レストラン ちゃうちゃう」と改称)。

 長い間売り場のフロア構成にはほとんど変化がなく、安定こそがダイエーといった雰囲気でしたが、その手堅さからもバスを利用して買い物に訪れる主婦層の支持は厚かったのではないでしょうか。

 一方で、駐車場が手狭だったことや、混雑しやすい中心部に立地していることは自家用車に対しては大きなネックとなり、平成に入って郊外型ショッピングセンターや家電量販店、ホームセンターなどの出店が相次ぐと、車で自由に買い物をすることを好む若い世代の目には止まりにくくなり、次第に精彩を欠いていきました。

 「なんでも売っているが、欲しいものはなにもない」などという悪口がささやかれるようになったのも、この頃のことです。

 平成10年(1998年)2月23日に発表された同年2月期決算で、(株)ダイエーは創業以来初めて赤字に転落したことが明らかになり、経営危機が表面化することになります。

 こうしたなか、平成12年(2000年)9月7日に「暮らしの88」と題したコーナーが登場。これは全国のダイエー各店で一斉に開始された取り組みで、100円ショップのような品揃えの商品を全て88円で販売するという、いわば「88円ショップ」といえる存在でした。この売り場が金沢店においては、全国のダイエー店舗でも最大規模となる99uで展開されています。

 しかし、みずから「88円ショップ」を手掛けてまで集客に苦心しなければならなかった状況は、ダイエーへの魅力の陰りを何よりも裏付けるものだったのかも知れません。

 (株)ダイエーは平成14年(2002年)4月19日に発表された2月期連結決算で、3,325億円もの大幅な赤字を計上。再建計画によって、全国の不採算店舗に閉鎖の嵐が吹き荒れました。

 とはいえ金沢店はその閉鎖リストのなかには含まれず、この時点では存続という方針にあったようです。

 平成14年(2002年)8月には再建計画策定後、初の売り場見直しが実施され、6階の家電売り場は白物家電やテレビ、オーディオ機器などの取り扱いが終了となり、大幅に縮小されています。かつては目玉とされていた家電売り場も、近郊への進出が相次いだ大手家電量販店の攻勢に耐えることができなかったのでしょう。

 これによって、金沢においてバスを利用して中心部へ出かけ、その足で冷蔵庫や洗濯機、エアコン、テレビなどの大型家電製品を購入する(自宅へは配送を利用)というショッピングスタイルはかなり難しくなりました。

 6階の売り場縮小によって空いたスペースには北陸ファミリー百貨(株)が運営する100円ショップ「ポピア」が入り、ダイエー直営の「暮らしの88」コーナーは4階へ移動。幅広い年齢層の集客が見込める売り場を上層階へ設けることで、下層階の客の流れも良くしようという計画だった模様です。

 さらに平成16年(2004年)3月には家電売り場が6階から4階に変更され、照明や調理器具など小型の電気製品の品揃えが増やされた一方、6階はついに食堂を除く全フロアが100円ショップ「ポピア」に。また5階フロアには北陸ファミリー百貨(株)による古本市のコーナーも入るようになりました。

 いま思えば、商業施設に空きスペースが増えてくると常設の古本市が開かれる……というパターンは、この頃から増え始めたようにも思われます。

 平成17年(2005年)2月1日、前月に産業再生機構とダイエー本社がまとめた全国の閉鎖対象店舗に、金沢店も含まれていることが明らかになりました。

 これを報じた北國新聞の記事には、食品部門は堅調に推移していたものの、年間売上高はピーク時の半分以下に落ち込んでいたと記されており、高額な家賃を要する都心のコストを支えきれなかったとの指摘がなされていました。

 そして平成17年(2005年)10月31日を最後に、ダイエー金沢店は閉店――。金沢における「ターミナル型GMS」に幕が下ろされる瞬間でした。

 『よい品をどんどん安く。より豊かな社会を』
 こう願った流通王・中内功氏。

 ああ、いい買い物をした。いい品が手に入った。その充実感を味わいながら、思い思いの商品を大切に携え、家族そろって帰りのバスに乗るひととき。思えば、ダイエーでのショッピングでは、それが可能でした。豊かな社会とは、そのような買い物ができることをいうのではないでしょうか。

 

 “空きビル”となった金沢三和東洋ビルは間もなく取り壊され、その跡地は長い間淋しい空き地となっていましたが、10年近くの歳月を経て、平成26年(2014年)4月26日にようやく複合ビル「ル・キューブ金沢」(かなざわはこまち)が開業しました。

 なお、ダイエーの立体駐車場として使用されていた「武蔵東洋パーキング」はそのまま残され、看板やサイン類などにダイエーの面影を色濃く残していました。現在は「Dパーキング武蔵近江町市場前」となりましたが、立体駐車場として開放され健在です。


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