第4話 「薪子の父親,謎のマッド博士・日野」
日野火ノ山博士は、書斎の机に向かって、コクヨの原稿用紙になにかを一心に書きつけていました。
白髪混じりの髭をたくわえ、楕円形の眼鏡をかけた初老の男性です。
口髭というものは、たくわえ始めのタイミングが肝心です。
誰でもはじめは剃りあとから少しずつ伸びていって始まるわけで、伸びはじめは、いわゆる無精髭の状態になります。
無精髭は、一般的には見苦しいものとされています。
よくいえばワイルドですが、それはイケメンがそうした場合の話であり、たいていの人にとっては、薄汚い顔貌と否定的な目で見られがちです。
ですので、口髭を整えていくには、3日間休みが続くとか、そういうタイミングで生やしていかなければなりませんが、昨今のマスク着用の社会情勢においては、これは有利。マスクをしていれば、無精髭は隠せます。
意外と、マスク必須のころは隠れて髭を生やしているという人もあったそうですね。
さて、なんでしたかね、あっ日野博士はそうして、口髭を生やしているという話でした。
それから眼鏡。
その眼鏡は、博士が幼いころ流行ったデザインのものらしく、親しい人には「化石的ファッションセンス」とからかわれているそうです。
ですが博士は、8歳のときに購入されたというこの眼鏡のフレームを、どこか風変わりなこだわりとともに愛用しつづけています。
こだわりが強い。
そのこだわりへの傾倒こそが、人を博士にまで仕立ててしまうのかも知れません。
「マザー」という謎の集団が、再び石川県内でテロ攻撃を仕掛け始めたのは、1年前のことである。
6年前の第1次攻撃の際に、その圧倒的なロボット……鉄人形と呼ばれているが、その人型ロボの姿を見せつけられ、謎の攻撃中断から5年の間、それに打ち勝つための研究に要するだけの猶予はあった。
だが、平和ボケしていた人々は、なに1つとして対策を考えなかった。
防衛隊もだ。
あまりにも現状を見ていない判断を、人々は採ってしまった。
一時的な攻撃の中止も、永遠のものであると、平和ボケした人たちは考えてしまったのだ。
だから、1年前の再攻撃で、七尾をはじめとした大都市が壊滅に瀕してしまった。
いまや「マザー」に対抗できる者など、防衛隊どころか米軍にすらいないだろう。
そればかりか、「マザー」は協力してくれる自治体の住民に、食料や日用品を与えるのだ。
テロとの戦いに疲れ果てた人々は、皆「マザー」につきはじめている。
「マザー」が何を考え、何をしようとしているのか、人々にはわからないし、わかろうともしない。
日野火ノ山博士は、そこまで書いたところで手を止めると、机にペンを置きました。
うしろで、ドアをノックする音がしたからです。
博士は、相手が誰かもたしかめずに、ドアを開けるよう促しました。
「失礼いたします」
「おう、福田さんか」
福田と呼ばれたのは、はげ上がった頭にわずかな白髪を残す、小肥りの老人でした。
きちっとした、時代錯誤もいいところのつめえりの軍服を着こんで、苦虫を百匹は噛み潰したような顔をしています。
福田福三。
デスポリスのキャップです。
刑事時代の階級は警部補。
叩き上げの“○暴”だった男でした。
その福田が、正しい姿勢でかかとを鳴らしながら歩き、博士のデスクの正面へと回り込むと、サッと敬礼しました。
博士は腕組みをしながら、その様子を見ていました。
「ご報告いたします。あのゴルフ場のレストランの支配人、やはりマザーでしたぞ。鉄人形を一体、地下に隠匿しておりましたので、確保しました」
博士は、はじめさして興味がなさそうでしたが、鉄人形と聞いて、眼鏡を光らせました。
「タイプはなにか?」
「GTOと呼ばれるタイプであります」
「一番、小さい型のものだな」
満足そうに頷く日野博士を尻目に、福田は眉根を寄せました。
「ときに、博士」
「なにかね」
「お嬢様がナタジーヘンを私用に用いたとか」
福田は、なにかを抑えるように云いました。
「うむ、困った娘じゃ」
「まったく、その通りでございますな」
日野火ノ山博士のまゆが、わずかに動いたのを福田は見ましたが、かまわず続けました。
「いくら博士のお嬢様とはいえ、今回のことは見過ごすわけには参りませぬぞ」
博士は、福田福三のみにくい顔から目をそらしました。
「福田キャップ、緊急特務協力隊員は警官とは違うだろう」
「警察でないならばここは軍です!」
「なにを整わぬことを……」
「甘過ぎます! 失礼ながら、お嬢さんはお元気が過ぎる。ここは一度……」
「ならばキミも、警機ロボットに乗ってドライブにでも行けばよいだろうが。許可するぞ」
「フン、そこまでおっしゃるなら、わかりました。では、私は警機ロボットで片町にでも飲みに行って来ますぞ」
福田は小刻みにふるえていました。
福田福三。
この年老いた白髪の男、元々軍隊にいたことなどありません。
ただのミリタリーマニアです。
そんな老人が、百何十年も前の軍人ぶりたがりますから、博士は福田という男をどこか嫌っていました。
そして福田のほうも、博士を好意的に見てはいませんでした。
軍人ふるまいが大っぴらにできるというだけの理由で、博士の私兵にさえなりつつあると揶揄されるデスポリスのキャップに居座り続けているのです。
福田が廊下へ消えたのを認めると、日野博士は白衣の内ポケットから古めかしい携帯電話を手にしました。
ダイヤルした相手は、火ノ山の娘でした。
「おう薪子か、戻ったのか?」
火ノ山は、抑揚のない調子で娘に話しかけています。
それに対する娘の答えは、一音に過ぎないような、非常に短いものでした。
火ノ山は、
「昼前から、4回も電話入れたのに、すぐ切りおって」
と叱りました。
それに対しても、娘の返答は薄いものだったようです。
「わしは、お前がどこへ行っておるのかを聞きたかったのだよ」
野原で寝てた。
そのような娘の回答を耳にして、火ノ山ははじめて、
「なにぃ?」
そう声のトーンを上げました。
抑揚と無縁の男というわけではないのです。
「そんなことのために、警機ロボットを……ナタジーヘンを使ったというのか!」
いよいよ声高になりましたが、通話は無言のままに、一方的に切れてしまいました。
火ノ山は舌打ちをしながら携帯を白衣のふところに戻しました。
この親子の関係は、娘の薪子の年頃がそうさせているのではありません。昔から、こうでした。
日野火ノ山は、すぐに冷静さをとりもどして、ペンを手にしました。
……であるから、私、日野火ノ山は、私財と極秘の研究を全て県警の設立した特殊機関「デスポリス」に投じたのだ。私は「デスポリス」を警察組織とは思っていない。レジスタンス組織だと思っている。
私がこの「デスポリス」に投入した秘密兵器、それが「警機ロボット」である。
私があの6年前の第1次マザー事件の際、初見したマザーの鉄人形、ドールと呼ばれた個体をヒントに完成させた。
相手の未知のテクノロジーを駆使したドールにも引けを取らぬ人型兵器の完成であった。
私の開発した「警機ロボット」の素晴らしい点は、何といっても私自身の発明である「ネオ・ディーゼルエンジン」を使用しているところであろう。
「ネオ・ディーゼルエンジン」は、おどろくなかれ、天ぷら油やサラダ油など、残りわずかな化石燃料などの石油資源以外の油脂で充分機能するのだ。
この時代、人類の未来とコストの面も考えた、素晴らしい配慮ではないだろうか……。
ただ、残念なことは、人型の機体を動かすには、従来のレバーやハンドル、ペダルなどのコントロール器具では操作しきれないために、ほとんどをキーボード入力式にせざるを得なかったという点である。
幼児期からキーボードに親しんできた若い人達には何でもないが、私のように青年になってからキーボードと出会った者にとっては、少し操作に手間取ることであろう。
博士の筆は、しだいに自分に酔ったものになっていきました。
好きなことについては、やけに長々と書いてしまいます。
その好きなこと──の延長線上で、警機ロボットまでをも作り上げてしまったのがこの日野火ノ山という博士なのです。
日野火ノ山は、その研究のために、ずっと家庭をないがしろにしている人物でした。
いや、そればかりか、人との関係をもないがしろにしているといえました。
博士は昭和58年生まれ。そのような偏狭なオタク気質の人たちが増えはじめる世代の人間だったのかも知れません。