043-1
そうよ!
フューエル・ガール薪子 MAKIKO
第1話 「煙をまとった鉄人形」
春の陽気が、心地よく感じられました。
やわらかい日光が初々しい翠に濾過されて、その木洩れ日が、芝のじゅうたんに大の字……いえ「犬の字」になって夢を見ている少女にも降り注ぎました。
「犬の字」の点にあたるのは、ちょうどそのあたりに投げ出されたデイパックです。
草のにおいの風が吹きました。
少女の長くはない黒髪が風におどり、光のかげんで少し茶色みを帯びました。
ショートボブというのでしょうか、キノコのような髪型でした。
マッシュルームと云ってもいいかも知れません。
花のにおいの風が吹きました。
タンポポの綿毛が風に運ばれて飛んできて、少女はくしゃみをしました。
鼻をすすりながら、少女は目を覚ましました。
その眼はするどく切れあがっていて、多少とげとげした印象を与えます。
しかし大きな瞳がすこしうるんでいるように見え、それがいくらか、眼のつよさを和らげていました。
天然の芝生に手をついて上体を起こすと、少女は軽くのびをして、ブレザーとスカートについた芝のきれはしを払って立ち上がりました。
いい気分で起きることができた、そのように思っていました。
最近はいつもいい夢の途中で無理やり起こされたり、深い眠りについているところで叩き起こされたりと、嫌な気分で目覚めることが多いのです。
少女は「犬の字」の“点”部分を担当していたデイパックをかつぐと、鼻歌をうたいながら野原を歩いていきました。
ぽかぽかしていて、蝶などひらひら飛んでもきて、とてものどかです。
しばらく歩くと、舗装された道へ出ました。
少女は、デイパックのなかからローラースケートを取り出しました。
だいぶ使い込まれた、小さな傷の目立つ黄色いローラースケートです。
少女は慣れた手つきで、それを靴に固定しました。
滑りだせば、山道の緩い傾斜が少女に心地よいスリルを味わわせました。
前から後ろへ切られていく風が、少女の黒髪を激しくあばれさせます。
そのとき不意に、唐突にといってもいいでしょうか、電子的な音がしました。
少女は、チッと舌打ちをしました。
せっかく自然のなかを駆けているのに、どこの莫迦がこんな音を発生させているのかと。
しかし、周りには自分の他に人などおらず、そればかりか、ローラースケートで駆けているはずなのに、電子音は少女につきまとうように聞こえ続けました。
電子音は、まぎれもなく少女の背中から発生しているものでした。
デイパックのなかの多機能ノート・パソコンが、電波をキャッチしたのです。
少女は器用に停止すると、ノート・パソコンを取り出し、「着信拒否」のキーをタッチしました。
どうせどういった通信かはわかっています。
少女はノート・パソコンを乱暴にデイパックへ押し込むと、再びローラースケートを駆りました。
少女が2度目に止まったのは、リボンが結わえられた樹木の前でした。
そこでスケートを取り外し、これも乱暴にデイパックへ納めると、少女は林のなかへわけ入りました。
しばらくブナの林を歩くと、急にひらけたところに出ました。
ですが、そこは元々ひらけていたのではありません。
ひらけたのは、少女の目の前の巨大なモノが、木々をなぎ倒して居座ったから、そうなってしまったのでした。
「またせたな」
少女は、その巨大な物体に声をかけました。
巨大なモノは……、なんといったら良いでしょう、体育座りをしている人体のような外観でもありました。
それは、くすんだクリーム色に赤のアクセントが散らばった、鉄でできた巨大な人形でした。
たしかに人の形です。
巨大な人型をした物体でした。
立ち上がれば5、6mほどはあろうこの鋼鉄の人形の顔にあたる部分には、太古の昔に活躍した武者の兜のような造形がほどこされていました。
右腕の先端は、手とは別にかぎ爪が生えています。
とても、少女がお人形遊びをするためには見えない代物です。
しかも、それはただの人形ではありませんでした。
「日野薪子だ。開けろ」
少女がそう告げると、鉄の人形の頭部の刻みの中心で、小さな太陽のような瞳が輝き、それと同時に鉄の人形の、武骨な体躯に似つかわしくない女のそれのような胸部がひとりでにひらきました。
少女は鉄の人形の腰に備え付けられた足場を器用に使って、さっそうと胸のなかへ滑り込みました。
鉄の人形の胸の内部は運転席……コクピットになっているのです。
少女はデイパックのなかに手荒に押し込まれていた多機能ノート・パソコンを取り出しました。
デイパックをシートの下に押し入れると、少女は操作盤中央の、ちょうどノート・パソコンと同じ面積のくぼみに、それを埋め込みました。
するとどうでしょう、ノート・パソコンの底面の端子が、くぼみにある差込口に挿入されました。
それは若い男女がなにも身につけず抱きあった場合、おのずとそのように身体同時が合わさることと似ていました。
鉄の人形のバッテリーに蓄えられている電気が端子からノート・パソコンに送り込まれ、外部電源モードに切り替わりました。
同時に、ノート・パソコン、鉄の人形双方のデータが送信されあい、ノート・パソコンは鉄の人形の操作端末として機能しはじめました。
液晶画面には『エンジン起動?』と表示されています。
少女は即座にリターン・キーをたたきました。
ブルルルルン! ガロンガロンガロン……。
鉄の人形が背負った、リュックサックさながらのエンジン・ユニットからのびたマフラーから黒い煙が吐き出され、エンジンが目を覚ましました。
ブナの樹々が、おびえるようにざわめきました。
樹木の葉は、熱気のつくりだした陽炎のためにゆらめきました。
ギャリギャリギャリギャリとシャフトが回ります。
轟音とともに煙をつよく吹き上げ、鋼鉄の肌がみるみるうちに温まります。
過給機の空気音がキーンと樹々の梢に反響しました。
少女は、自然のなかで過ごすことを好んでいました。それなのに、そう思いながらも、いま自然が嫌がることを平気でやっていることに気づいていませんでした。
自然が好きであっても、木々をなぎ倒して巨大な異物をそこへ座らせ、生き物を毒に侵すことをためらわないということは、ひどく滑稽なことといえましょう。
しかし、少女はそのことに気づいていなかったのかも知れませんね。
鉄の人形はぶるぶると振動しながら、黒から次第に蒼白い色にかわってゆく煙を、吐息のように周期的にあたりへと吹き付けていました。
エンジンの回転がゆるむと、その回転数の低下に少し遅れて、タービンの回転する音がヒューン……と残りました。
ギャリギャリギャリ……とエンジンは規則的なアイドリング音を響かせ、樹々をゆらしています。
少女は正面のモニターに目を据えたまま、キーボードを流れるようにたたきました。
タッチメソッドです。
かつてはブラインドタッチともいわれていました。
しかし、ブラインドという言葉には「目の見えない人」という意味合いが含まれているため、視覚障がい者に対して差別的な用語だという話になり、いつしかブラインドタッチとはいわなくなりました。
少女はさらに、キーボードを見ぬままに、モニターを凝視したまま指を運んで、たたきます、たたきます、たたきます。さながらピアニストのように……。
たたかれたキーに応じて、鉄の人形はギーンガーギーンと轟音をたてながらゆっくり立ち上がり、そして大きく跳ねて、おのれの吐き出した煙をまといながら、さっきの山道に着地しました。
鉄の人形は、滑るように道を駆けていきます。
さながら、ローラースケートをはいた運転席の少女のように。
少女の名は日野薪子、18歳。
ロボット開発の権威、日野火ノ山博士のひとり娘。
デスポリスに緊急特務協力隊員として所属する民間人協力者ということになっていました。
第2話へつづきます
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