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果実の牙 〜フルーツ・ガール桃子〜
第8話 「恐怖の見世物小屋」
総持寺にも近い門前町走出に、ある日、呆村一家の見世物小屋が立ちました。
現代においても、よく「見世物にした」とか「見世物じゃねぇぞ」とか、このような言い方をすることがありますが、かつては実際にそのような「見世物」というものを業として行う一団が存在し、過激な芸、特異な容姿の人間、残酷なショーなどをまさに見世物にしては、見物客を集めて入場料を徴収していたそうです。
往々にして、こうした見世物小屋は常設ではなく、簡易なつくりのテントやベニヤ板で仕切っただけの仮普請のものを空き地や広場などに設営した程度のものであり、稼ぐだけ稼いだら跡形もなく撤去し、嵐のように去っていく例も多かったのだとか。
いまでいう高齢者に健康食品を売りさばくSF商法の店みたいなもので、ひとしきり稼いだあと忽然と姿を消しては、次の街へ……。こうした業態だったわけですね。
このとき門前に姿を表した小屋もまた、八ケ川沿岸の原っぱで一夜にして建てられたものでした。
さて、この見世物小屋の前で足を止めた2人の少年……。
それは先ごろフルーツ・ガール桃子の家来になった金子猫一郎と、佐去佐曲の2名でした。
白色の詰襟の洋装に、鞄がわりの負籠を背負っているのが猫一郎、忍者めいた黒装束に膝を出しているのが佐曲です。
粗末な色褪せたテント張りのその小屋には、
『恐怖! カレー食べ女』
と、威勢の良い筆致で大書された看板が掲げられています。
「カレー食べ女……」
佐曲少年が看板の内容を読み上げると、
「カレー食べ女ってなんだ、女がライス・カレーを喰うだけだろう?」
猫一郎はそのように鼻で笑いました。
するとすぐに、小屋のなかから番頭のような風情のハッピ姿のハゲ頭が飛び出してきて、まいどさ〜んと声をかけてきました。
この男がこの見世物小屋の店番のようでした。
店番の男は、
「そのカレーがですねぇ、それがミソなんですよ、看板ではね、このようにカレーって書くしかないですけどね? まぁ見てのお楽しみながですよねぇ」
と、やたら早口でまくしたてました。
意外にも、これに食い付いたのが猫一郎でした。
「どんなカレーかが気になるぞ、どんなカレーなんだ?」
ただカレーを食べるだけで見世物になるはずがありません。ですから、カレーに秘密があるに違いないと猫一郎はふんだのでしょう。
「猿、おまえはどう思うよ?」
水を向けられた佐曲は、顎に手をやりながら、
「カレーですか、あるいはカレーではないなにかかも知れません……」
と、冷静な様子で思案していました。
「それを食べるというのかよ、女が」
「あるいは、逆にその女性が、奇抜な風体なのかも知れませんね」
「なんだと?! まさかランジェリー姿とかか」
「それすら着用していないかも知れません」
「マジか」
猫一郎が気色ばみました。
「それは見てからのお楽しみ、見てからのお楽しみ、それは見てからのお楽しみ」
店番のハゲは、薄い眉毛をハの字にしながら繰り返しています。
「で、見物料いくらだよ?」
「1円でござい」
「なにっ1円?!」
1円というと、いまは吹けば飛ぶような軽いアルミ製であり、路上に落ちていても誰も拾わないようなものですが、この物語の時代では立派な紙幣で、いまでいう1,000円くらいの価値があります。
「1円もするのかよ。いい商売だな」
「なにをおっしゃいますやら、お代は見てからのお支払で結構、もしモチが5個しかありませんでしたら、タダで結構です!」
ハゲ男は両手をこすりあわせてニヤァア〜と笑っています。
「モチが5個ってなんですか?」
佐曲が首をかしげると、ニチャッとしたその男は、
「ですから、モチが5個しかない場合ですよ、つまりモチが6個ない場合ですよ。おモチが6ないんですよ、おもちろくないんですよ。ですから、モチが5個しかなかったら、おモチ6ないということなんですよ、その場合はタダで結構ということなんですよ!」
と、こうです。
「おもしろくなかったら、お金を払わなくていいという意味ですか?」
佐曲が出した答えに、男は激しく肯首しています。きっと男に髪の毛があったなら、それはヘッドバンキング時のヘビメタのボーカルの頭髪のようにブンブンと盛大にうねっていたことでしょう。
「なにっ、こりゃいいや入るか」
猫一郎が乗り気になりはじめました。佐曲の背中を押しながら、
「さぁ入ろうぜ猿」
と、せかします。
「ぼくは猿じゃありませんよ」
「でも正体は猿じゃねぇか」
結局2人は言葉の応酬もそこそこに、粗末なテントの入口をくぐりました。
明かり取りのまったくない内部は土間のようになっていて薄暗く、わずかなランプの灯りも頼りないものでした。
そしてその空間の中央にあったものは、木製のイーゼルのようなスタンドにかけられた、たった一枚の絵だけでした。
なにもないがために広く感じるその土間のようなところに、たった一枚だけの絵が、まるでお触書きの傍示札のようにポツンと掲出されていたのです。
その絵は、和服にエプロン姿の主婦がカメラ目線でニヤリと笑いながら、レトルトパックの中身のカレー汁を、白いライスの上へひしぎ出しているだけの絵でした。
一応、天然色です。
大正時代にレトルトパックがあるのか(あるはずはない)というのは、また別の話です。
しかし、もし、もしですよ? もしも大正時代にレトルトパウチの技術があったなら、おそらくみんなこれに飛び付いていたでしょうね。
それほどに、革命的な技術……。
当時たくさん勃興していたはずの瓶詰めとか缶詰のメーカーで、まず目を付けなかったところはないでしょう。
が、それはともかくとして、それはともかくとして、です。
現実問題として、彼ら2人の前にあるのは、このような図柄を描写した天然色の絵が一枚だけ。
それが事実でした。
「絵が、1枚だけのようですが……」
佐曲はいちおう部屋のなかをキョロキョロ見回してみましたが、やはりなにもありません。
絵だけです。
カレーを食べる女……。
なんとそれは、絵である上に、カレーを食べてさえいない。
ボンカレー的なレトルトパウチから、中味をひしぎ出しているだけの絵なのでした。
「なさけない」
「なさけない」
2人の言葉がまるでユニゾンのように同時でした。
「でもつまらなかったらタダでいいんだろ? タダだなタダ」
「犬くんのいう通りですね」
テント内での順路は定められているようで、入口とは逆に、奥のほうへ進んでいくと外の明かりが漏れてきている場所があり、そこが出口のようでした。
2人は、タダだタダと言い合いながら、そこへノンストップで直行しました。
しかし、どうしたことでしょう、その出口のところには、やくざが座っていたのです。
やくざは言いました。
「おう、俺はやくざだぜ」
これを聞いて、2人の少年は内心ふるえあがりました。
どうやらこの男が……呆村一家をまとめあげている呆村ボボ助のようでした。
この見世物小屋は、やくざの経営だったのです。
やくざ……。
そう、まさしく暴力団でした。
マフィアといっても良いかも知れません。
やくざ……。
「まさかタダで出てこうと思ってねぇだろな?」
やくざ──呆村ボボ助はそう凄みました。
しかもその手には明らかに刀剣としか見えない長いものが握られており、いましも抜けるよう、もう一方の手は鞘にかかっているではないですか。
2人は少しの間、無言でしたが、その静寂をやぶるかのように先に口を開いたのは猫一郎でした。
「なんでだよ、おれはカレーを食べる女を見たかっただけだ!!!」
それを聞いてか聞かずか、それすらあいまいなタイミングで、呆村は無言のまま鞘を捨て、刀を振りかぶっていました。
その凶刃が猫一郎に襲いかかります。
猫一郎が舌打ちしたそのときです。
「犬!」
とっさに飛び出した佐曲がクナイで刃を受け止めました。
コンマ何秒か遅れて、猫一郎はなにが起こったのかを悟ったことでした。
「ちっ、猿のくせに……」
猫一郎は伏せ目がちに、自分の前に身を差し出した佐曲の背中を見上げました。
「ええいガキが!」
呆村は怒り心頭で刀を握り直しました。するとなんと、その柄の部分から鍔から、果ては刀身までもが、プーップーッ、ピコーンピコーンと音をたてて電飾のように光りました。
それからはもう、パーッ、ギーギー、ドスーン、ガボーンと、凄い戦いですよ。
とても書ききれるものではありません。
そのうちに、呆村の身体が青色に変わってきていることに2人の少年は気付きました。
青といっても、いわゆる緑やビリジアンではありません。ブルーでした。
そう、ブルー……。
まるで「ブルーレット置くだけ」を設置してから流したトイレの洗浄水のように、おそろしく鮮やかなブルーでした。
しかも角がある。
「殺してやるぞ、ガキよ」
青鬼はピコピコ、プォーン、ポワン、ポヤン、ポヤァーと盛んに音を立てて光り輝く剣を振りかぶりました。
あっ、そのときです!
「あんたは青鬼だね!」
猫一郎と佐曲が声のしたほうを振り見ると、凛とした眼差しの桃子がそこにいました。
2人の主君である桃子が加勢に駆け付けてくれたらしいのです。
「桃子!」
「桃子殿!」
2人の少年は、こう声を揃えました。
そして、対峙する呆村ボボ助──いや、いまや鬼としての正体をまったく隠さぬその青鬼は、
「貴様が桃子か?」
そう低い声で問うたのでした。
「そう、わたしは桃子!」
桃子はその場でパラパラを踊り始めました。
さらに、
「呆村ボボ助! あなたは鬼だね?!」
そのように宣告しながら、さかんに両手両腕を使って踊りまくりました。
その動きのなかで、桃子は羽織から柄のついたペロペロキャンディー状のなにかを取り出し、その手に保持しました。
ペロペロキャンディー状といいましたが、本当にキャンディーであるかのように、柄のさきには赤と黄色で渦巻き状になった丸いものがありました。大きさはちょうど回転寿司屋の皿くらいのサイズでしょう。
桃子はその渦巻きにそって、指さきを滑らせていきました。するとなんとその渦巻き部分がバネ仕掛けのようにパカッと上方へ開きました。渦巻き模様のある面は蓋だったのです。中身は鏡で、それはコンパクトミラーでした。
桃子は青鬼にその鏡面を向けました。
桃! 百! 桃! 百! 桃!
そのような文字が、空中に浮かんでは消えています。
「フルーツ・ミラクル! 鏡の刺身!」
桃子が叫ぶや、鏡から光線が一瞬でのび、青鬼のブルーレット置くだけの水溶液のような色の身体を貫きました。
桃子は、そのブルーレット置くだけ液めいた青色の腹部に大穴を開けたままのたうって苦しんでいる青鬼に背を向け、静かにこう告げました。
「爆発」
そして鬼のブルーレット置くだけ的な青い肉体から火花が飛び散りはじめ、桃子の身体が1cmほど横へずれると同時に──ついに青鬼は爆発しました。
そしてその爆風が仮普請に過ぎない見世物小屋をバラバラに吹き飛ばしました。
もう大変な爆発です。
爆風がやむと、そこに残っていたのは、なにもかもが吹き飛ばされ、わずかに残った風のなかでたたずむだけの3人……。
「助かったぜ、桃子」
と、猫一郎。
「一時はどうなるかと思いましたよ」
と、これは佐曲。
「無料とかいう甘言には、本当に注意しなきゃいけねーな」
と、また猫一郎。
すると桃子は袖のなかから取り出した津幡名産きびあんころを2人に与えながら、
「鬼を全滅させなければ、こういう詐欺はなくならないのよ……」
と諭しました。
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