040-23
果実の牙 〜フルーツ・ガール桃子〜
第23話 「増穂浦を血に染めて」
日本海の波濤の音が響く街、富来──。そこには世界一長いベンチで知られている増穂浦という浜がありました。
この物語の舞台である大正時代にも、すでに世界一のベンチはあり、しかし当時はまだギネスブックというものが世に発表されていませんでしたから、世界一ならぬ「能州最大のベンチ」とか「加越能随一のベンチ」と言われていたという話を耳にしたことがあります──。
と、このように書くと、またぞろ、この物語の舞台である大正時代には、まだベンチは作られてないだろうと反論する人も、きっとあるでしょう。
そうですね、たしかにこのベンチは現実の世界においては昭和62年(1987年)3月8日に完成したものですから、実は、まだ30年そこそこしか経っていない。大正時代どころか、昭和年間も2年しか経験していないベンチなのです。
しかし、それはそれ、これはこれで、宇宙には無限の数のパラレルワールドが広がっているわけじゃないですか、この広い宇宙には……。
親殺しのパラドックスですよ。タイムマシーンに乗って過去に戻り、親をカチ殺したら、子である自分はどうなるか? 消えてなくなるのか? いいえ、そんなわけがないでしょう。もしそうであるならば、なぜその自分はタイムマシーンに乗ることができたのか。誰もが矛盾に気付きます。
本当の答えは……そこから先は別の並行世界がスタートするのです。
別の並行世界が生まれる。
こうして生まれていったパラレルワールドは、もう無数にある。無数っていったって、無数とはどういう数なのかと疑問かもしれませんが、本当にそう表現するしかないんですよ、過去から現在から未来から、時空を超越して増え続けていきますからね。数えきれません。
私たち生身の人間には確かめられないことです。
大正時代から「世界一長いベンチ」がある世界もまた、そうして発生し続けている並行宇宙のなかの1つの話なのだろうなぁと、こう私は思うんですよね。
ですから、この物語の世界における大正時代に、大正時代でありながら、すでにここ富来に世界一長いベンチはあっても不思議ではない……。あるはずがないと頭から否定することはできない。なぜならば、いまお読みになっている皆さんが暮らしている宇宙を超えたところに、この小説の世界はあるからであり、皆さんには──作者自身もそうですけども、私たちは、現在こうして暮らしている宇宙を超えるすべを持たないからです。
さて、なんでしたですかね。そう、その世界一長いベンチのどこまでも伸びる夕焼けの海岸。そこにたたずんでいる2つの影──。
なんとそれは、鬼の大魔王と副官の首席助役ペッぺだったのですよ。
大魔王もペッぺも、ベンチの正面にどこまでも広がる日本海と、そこへ巻き上がっては砕ける波を見つめたまま、しばらく黙っていました。
やがて重々しく口を開いたのは黒い鎧に肉体を包んだ大魔王のほうでした。
「桃子に数多くの部下をやられた。これで本当に日本を征服できるのであろうか」
大魔王はこのように言いました。
首席のペッぺはちらと上司の横顔を見やりながら、痩せた両手をもみあわせました。
「大魔王様、なにを仰います、必ず悪は滅びまする。あのドスメロなどは必ず跡形もなく滅びまするとも」
大魔王と首席は、まるで中学生のように背を丸めてベンチに並んでいます。
夕日が綺麗でした。
その夕日が2人の鬼の、まさに鬼瓦、いや嫁脅し肉付きの面そのものとしか言い様のない恐ろしい相貌に地獄のような陰影をさらに深く与えていました。
「ペッペよ、余は人間どもが、それほど悪だとは思わんのじゃよ……」
この発言に、思わずペッぺはギョッと眼を見開きました。
「なにをおっしゃいます。人間はダラですよ、風呂の蓋の裏のカビみたいなものです」
「いや、もしかすると、わしら鬼のほうが、実は悪なのかも知れぬ……」
ペッぺは立ち上がりました。立ち上がってさえ、ベンチに座っている大魔王よりも背丈が足りない、そんな痩せた棒のような貧弱な男でありながらも、きっと大魔王を見据えました。
「大魔王様! あんたのさっきの牛丼の味噌汁に、自白剤を入れておいて良かったよ、それがあんたの本音なのだね? えぇっ?」
あまりに痩せた体躯のうえ、1本のみの角が非常に長いため、あたかも棒のように見えるペッぺが、なんとそんな貧弱な体躯を精一杯に打ち震わせて、大魔王を詰問しはじめています。
「ペッぺ、幼いぞ。冗談はよすのだ……」
大魔王は威厳に満ちた声で首席のペッぺの出すぎた言動をたしなめました。
大魔王の怒りのためでしょうか、ドドドドドと大地がゆるぎます。
ペッぺはしかし不敵な笑みをうかべていました。
「大魔王さん、こうなりゃ私に鬼の指揮を一任するというのはどうかい?」
ぞんざいな口調でした。
おう、なんと、ペッぺのこの無鉄砲にすら思える自信は、武器によって担保されていました。ペッぺの手には拳銃が握られていたのです。
「大魔王とて、ハジキには勝てまい」
ハジキとはつまり拳銃のことでした。
ペッぺは眉をハの字にねじ曲げて恍惚たる表情を浮かべていました。もう完全に勝ったつもりでいるのです。
が、その表情は一瞬にして引き締まることになりました。
ズズズズズと大地の共振する不気味なうなりが聴こえます。
大魔王はペッぺの背中に恐ろしい波動を浴びせていました。
恐ろしい魔力です。
常人ならば、思わず次のような顔になってしまうにちがいない……。
↓
((((;゜Д゜)))
↑
ペッぺの動きはそれで完全に停止しました。
「だ、大魔王! なぜわたしなのです、なぜわしなのです、桃子を殺すのが先です!!」
ペッぺの命乞いは見苦しいというしかなく、滑稽なほどです。
その滑稽な姿に、大魔王は憐憫の情さえ感じたのでしょうか、唇を魚のように、あるいはジョイフルトレイン“フェスタ”のように分厚く隆起させて曲げたまま、口を閉ざしていました。
大魔王は、ふんと小さく鼻を鳴らすと、波動を打ち出した念の力を強めました。
「ギエ」
たったそれだけで、ペッぺはシューと蒸発してしまいました。
シュー……
まるでRPGにおいてモンスターをやっつけたときのように、その姿は跡形もなく消滅したのです。
「このダラブチが……」
大魔王はそう言いました。
腹心の部下へ寄せていた信頼、そしてそれを一瞬にして覆さざるを得なかった失望のほどが、たった一言に込められていたといえるでしょう。
と、ちょうどそこへ大きなダンプカーがパッパーッとラッパを鳴らしながら通りがかりました。
そのダンプはヒューンとエアーブレーキの音を響かせながら急停車しました。
『田中工業』と側面に勘亭流の威勢の良い書体で記してあります。
高いところにあるドアが開き、そこから手すり伝いに降り立って地上に着地したのは、赤い羽織り姿の1人の少女……。
桃子でした。
桃子は言いました。
「こんなこともあろうかと思ったら……まさかね。大魔王、お命頂戴つかまつる!」
桃子はそのペロペロキャンディー状のものを手にしたまま、パラパラを踊り始めました。
さかんに両手両腕を使って踊ります、踊ります、そして踊ります。
桃子はその動きのなかで、ペロペロキャンディーのようなものを前方へ掲げました。
ペロペロキャンディー状といいましたが、本当にキャンディーであるかのように、柄のさきには赤と黄色で渦巻き状になった丸いものがありました。
大きさはちょうど回転寿司屋の皿くらいのサイズでしょう。
桃子はその渦巻きにそって、指さきを滑らせていきました。するとなんとその渦巻き部分がバネ仕掛けのようにパカッと上方へ開き、なかから鏡が出現しました。
いまでいう指紋認証みたいなものですよ。
桃! 百! 桃! 百! 桃!
そのような漢字が空中に浮かび上がっては消えていくのを繰り返しています。
それはもしかすると、現実に浮かび上がったものではなく、大魔王の網膜にそのような形で焼き付いた光なのかも知れませんでした。
桃子は不気味な眼光をのぞかせる大魔王へ鏡を向けました。
「大魔王、お命頂戴つかまつる!」
さきほど言い放ったのと同じ台詞でした。よほど気に入ったのか、言うタイミングを間違ったという自覚から、再度言い直したのか、そのあたりは分かりません。
「フルーツ・ミラクル、鏡の野球!」
桃子が叫ぶや、鏡の表面がグニューと隆起して、ついに丸く球のようになって勢いよく鏡面から分離しました。放たれた銀色の球はどんどん速度を上げます。
図体の大きい大魔王に、それはジャストミートしました。スマッシュヒットといって良いでしょう。
大魔王の身体から火花が飛び散ります。やがてそれは爆風とともにドゥと倒れ、あたりは白い煙に包まれました。
3匹の家来が駆け寄ります。
「やったアル、桃ちゃん!」
「死んだか?! 死んだか?!」
「これで日本は平和に」
家来3人は興奮気味でした。
かわるがわる、桃子にねぎらいの声をかけています。
地面ではヒキガエルもパチョパチョと濡れた手をしきりに叩いていました。
しかし、しかしです。
桃子はペロキャンをおさめず、そのまま構えを崩しませんでした。
3人の家来が、桃子の顔をのぞきこみました。
おう、なんと、何者かの声が響くのです。
それは4人のどの声にも似ていない声でした。
もしかすると、その声は実際に音として発生したものではなく、各人の脳に電気信号として直接侵入してきたものなのかも知れません。
ワタシハ、シナン。
わたしは、死なん。
声が、そのように聴こえました。
わたしの実体はここにはない、いまおぬしらが倒したこれは、単なるホログラムだったのだ! わたしの実体は宇宙、そうだ、月にある! しかしおまえたちなどのような大正時代の人間に、月まで来れるはずもない。せいぜい、くやしがるがよい、いま、地球の核、マントルに時限爆弾をしかけた。いつ爆発するかわからん! もう地球をわしは見限ったのだからな!
どうやらそれは、大魔王の声だったようでした。
桃子が討ち取った大魔王は木偶人形でしかなく、その実体は、なんと空に浮かぶ月にあるというのです。
「月……」
桃子はまだ月の出ていない雲の浮かぶ空を見上げました。
「月なんかに、どうやって行けるんだよ?!」
「月へは、もしかするとU・Oで行けるのでは?」
「そうアル、そうアル! そうアルアル! U・Oなら宇宙もへっちゃらアル!」
ピーチャンがきわめつきに明るい声を出したことで家来らは3人ともようやく気勢を上げはじめましたが、桃子の横顔は硬いままでした。
「宇宙は危険よ、きみたちまで連れていくわけには行かないわ」
桃子の目蓋はわずかに濡れていました。
「桃ちゃん!」
「桃子!」
「桃子さん!」
3人は声をあわせました。
誰かが桃子の手を取り、その上へまた誰かが手を重ね、重ねあった手のひらが、やがて4人のスクラムになりました。
「俺たちのやることは決まってるんだよ、行こうぜ、宇宙へ!」
3人の家来の意見ははじめから一致していました。
「あんたら……!」
桃子の白い頬に透明な涙が伝わり、それが4人の重ね合わせた手の甲を濡らしました。
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