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 果実
 〜フルーツ・ガール桃子〜

  第21話 「チャフル・チェフェックの微笑」

 桃子たちはチリ・タワーの4階へやってきました。
 チリ・タワー4階はどのようになっていたか分かりますか?
 なんと、そこは研究所のようになっていたのですよ……。
 いくつかのフラスコに入ったメロン色やイチゴ色の薬品が、アルコールランプの上でグツグツと泡を浮かべて沸騰していました。
 その反対側の壁一面には各種の計器類が配置されており、おびただしい数のランプやトグルスイッチ、時計のようなメーターや波形をレーダー状に示すモニターなどがパネル狭しと並んでいます。
 大正時代とは思えないほどの科学力というしかないでしょう。
 そして、これらの機材に囲まれたなかに、たった1人こもって研究にいそしんでいる白衣を着た博士──。
 モジャモジャの癖だらけながら豊かな黒髪。こけた頬。厚く大きな眼鏡。ネクタイにチョッキ。その上に白衣。
 どうでしょう。
 いわば、いまでいう理科教師のようないでたちとはいえないでしょうか。
 この人物は透明なプレパラートの上にピペットを近づけ、なにかの液体を垂らしていました。おそらく何らかの実験を試みているのであろうと見えます。
 そこで桃子の頭上30cmほどの空中に電球が現れ、ピカーンと光りました。
 そして消えました。
「もしかすると、あなたが気球を研究しているという方ですか?」
 開口一番、そう問いかけると、博士は驚いた身振りも示さず、なかばその言葉を待っていたとばかりにゆっくりと顔を上げました。
 厚い眼鏡のレンズが蛍光灯の光りをまばゆく反射させます。
「いかにもワシが気球を研究しとるチャフル・チェフェックという者ですけど、なにか用か?」
「わたしは鬼退治の旅をしている桃子という者です。気球を頂きにきました」
「ええーんな!」
 いきなり、チャフル・チェフェック博士は手にしていたピペットを床へ放り投げました。
 桃子は、ふうん、と息をもらしつつ、その割れたガラスの破片の散らばるのを目で追いました。
「そうか桃子さん、なぜワシが〜気球を研究していると知っているんや?」
 チェフェック博士は近くのテーブルに置いてあった缶コーヒー(250ml)のプルトップをカパッと開けると、おもむろにあおりはじめ、
「冷えとらん」
 そう言って缶をコンと置くと、ふふふふふと片頬だけで笑いはじめました。
 缶には「微糖」と書いてあります。
 缶コーヒーは昭和44年(1969年)にUCCから発売されたものが世界で最初ということになっていますが、なんと、それよりも50年以上前である大正時代にすでに存在していたのですから、驚愕すべきことです。
 チェフェック博士の並々ならぬ科学力が、そんなところからも分かりました。
 桃子はパラパラを踊りながらペロペロキャンディーの赤と黄色の渦巻き模様にそって、指さきを滑らせました。
 渦巻き部分がバネ仕掛けのようにパカッと上方へ開き、中身のコンパクトミラーが蛍光灯の光を反射しました。
 桃! 百! 桃! 百! 桃!
 そのような文字が、蛍光灯のともる研究室のなかに浮かんでは消えています。
 そして桃子はこのチャフル・チェフェックに詰め寄りました。チェフェックの眼鏡に、桃子の凛とした表情がうつり込みます。
「あなたは人間ですね。なぜ人間なのに鬼に協力するのです!」
「鬼の方が〜、わしの研究を理解してくれるわねぇ、だからです」
「あんたは潜航するうちにシャブのとりこになった麻薬Gメンなの?!」
 桃子はチェフェックのネクタイをつかむと、グッと引っ張りました。
「気球の場所を教えなさい!」
 チェフェック博士は苦しそうに咳こみながらも、しかし、なんという強情でしょうか、
「桃ちゃん! あんた、あんたねぇ!」
 と、しきりに桃子をなじるだけで、なかなかゲロしませんでした。
 そこへ猿の佐去佐曲が前転宙返りで肉薄し、素早くチェフェックの腕をつかみました。
 じつはこのとき、チェフェックは壁の押しボタンに後ろ手をのばしかけていたのです。
 赤いボタンでした。
 それは爆破スイッチだったのかも知れません。
 そうと思えば、単なる赤く丸い小さなポッチが、ひどく剣呑な凶器のようにも見えてきます。
「これでそのボタンは押せませんね?」
 今回こそはボタン押下を阻止できた佐曲なのでした(前回参照)。
 チェフェックの眼が佐曲と合って、見つめ返すなかでバチバチと火花が飛び散り始めたとき、その眼鏡の奥の目じりが少し緩みはじめました。
「あきらめた。あー桃ちゃん、観念します、はなしますからはなして下さい」
 桃子、佐曲の両者が相次いで力をゆるめると、チャフル・チェフェックはぶつぶつ言いながら乱れたネクタイを整えだしました。
「桃子さん、あんたには、まいったわ。教えますけど、ひとつだけ聞くわね、ひとつだけ聞きます。気球をなにに使うのか、です」
 チェフェック博士はネクタイの乱れの大きさから手先だけでは整えきれなかったらしく、一度ほどいてもういちど襟を立て、新しく結び直しにかかっていました。
 このために、うつむいて結び目をつくりながら声だけを桃子に投げかけるような格好となり、それは、あまり真剣に問いたてているようには思えない態度といえました。
 しかし、あくまで桃子は真剣でした。
 次のように答えたのです。
「鬼の一大基地である能登鬼ノ島は荒々しい海に囲まれています。そこへ攻めこむには、空からが一番だからです」
 ほう、とチャフル・チェフェックは表情を引き締めて、つくづく桃子の顔を見返しました。
「私は、あんたをなめていました。そこまでちゃんと考えているとは……ならば、5階へ行け、5階へ行くと、気球が、ある」
 チェフェックは壁のスイッチのいくつかを慣れた手付きでパチッ、パチッとひねっていきました。
 するとなんと、ウィィィーーンと大きなモーター音とともに天井が動いていき、さらにその穴から梯子がするすると下りてきました。
 ひとりでに、です。
 桃子はチェフェックの眼鏡の奥を覗き込みました。
 チェフェックはマジでした。
「わしは、あんたに懸けることにした、わしの研究の成果を試してみてください、この素晴らしい気球を!」
 チャフル・チェフェックはそれだけ桃子に言うと、もう言うことはすべて言い終えたとばかりに後ろを向いて、カツカツとツッカケの音を立てながら研究台へ戻っていきました。そして、その台の上にあったフラスコのひとつを手に取り、なんとそれをグイッと一気飲みしてしまいました。
 銀色にまばゆく輝く金属のような光沢のある液体でした。
 チェフェックの痩せた喉仏がゴク、ゴクと音をたてて上下するたび、フラスコのなかの銀色の液体がみるみる減っていきました。
「これは水銀です! さぁ、はやく!」
 チェフェックはそれだけ言い残すと、急に動作をとめて、そのまま人形が倒れるかのように前のめりに傾いて、バタッと横たわりました。
 チェフェックはそのまま動きません。
 一瞬、桃子はかれがなぜそのような行動に出たのか、理解できませんでした。
 鬼への決別を、身をもって行ったということなのでしょうか。
「5階へ行くアル!」
 うなづいて梯子に両手をかける桃子に、家来たち3人が続きました。
 最上階である5階は天井がなく、真上に空が見えています。5階というよりも、屋上に近いフロアーといえました。
 そしてその青空の下に、たしかに“気球”はあったのでした。
 しかし、その“気球”なるものは、桃子やあるいは家来たちが想像していたようなものとはまったく別物の外見でした。
 なんと、ご飯茶碗を逆さまに伏せたような円盤状だったのです。
 そして、ちょうど茶碗でいう底の台の部分、この物体でいう屋根にあたる部分に、殿様のちょんまげのようにチューブ状のものが伸び、その先端にはピストルのような形状の砲身が取り付けてありました。
「これが……気球?!」
 桃子が戸惑っていると、その気球の裏側から、白衣を着た男がひょっこりと姿をあらわしました。
 なんと、いましがた倒れたはずのチャフル・チェフェック博士でした。
「そうです、それが気球です、U・Oといいます」
 チェフェックの大きく厚い眼鏡が、日の光にひどく反射していました。
「は博士?! しっ死んだはずじゃねえのか?」
 犬の猫一郎があんまり驚いたのか、すっとんきょうな声を出しました。
「私は、これくらいでは死なんわねぇ」
 桃子には鬼が化けている偽者ではないのかという疑念も生じていましたが、どうやら本人そのもののようです。
 なぜなら、さきほど整え直そうとしてそのままになっていた結びかけのネクタイがそのままだったからです。
 チェフェック博士は、自身が“気球”だと主張する物体の、その茶碗のヘリのような光沢のある丸みをなでながら、
「これがU・Oです」
 と再び告げました。
「ユー・オー?!」
「そう、U・O。これが私の開発した気球です」
 言いながら、チェフェックは桃子に文鎮のようにも見える板状のものを差し出しました。
 現代ならば、それはリモ・コンであるということが簡単に理解できるのでしょうけれど、しかし、この物語の舞台は大正時代であり、桃子にはそれが矩形の文鎮にしか見えませんでした。
 実際に受け取ってみても、その感想はかわらず同じです。
「そのコントローラーをU・Oに向けて、丸いボタンを押しなさい」
 言われるがままにしてみると、トランポリーンと軽快な音がして、側面の一部がパカッと上方へ開きました。
 どうやら、そこがドアーだったようです。
「さぁ、乗りなさい、そして、好きに使うが良い……」
 チェフェックはそう言い残すや、白衣の内ポケットに隠していたのでしょうか、なんと銀色の液体に満たされたフラスコを手にしており、またもそれをグイッと飲み干してしまいました。
 チェフェックの痩せた喉仏がゴク、ゴクと音をたてて上下するたび、フラスコのなかの銀色の液体がみるみる減っていきました。
「これは水銀です! さぁ、はやく!」
 チャフル・チェフェックはそれだけ言い残すと動作をとめて、そのまま人形が倒れるかのように前のめりに傾き、バタッと倒れ込みました。
 チェフェック博士はもう動きません。
 桃子はコクリとうなづくと、U・Oに搭乗しました。


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*この小説は完全なるフィクションです。実在の人物・団体・地名・書籍名とは、なんら関係ありません。

  令和3年(2021年)8月13日 公開 (3)


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