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 果実
 〜フルーツ・ガール桃子〜

  第19話 「マーケットの刺客」

 キムチ──。
 それはいまや、日本の食卓に欠かせないものとなっています。
 キムチをうまく浸けられるかどうかで、その家庭その家庭の文化度が判るとまで言い切った専門家がいました。たしか射水のほうの人じゃなかったかなと思います。焼き肉屋さんをやって見えてね。
 しかしさすがにここはジャパンなわけだし、そこまでは盛り過ぎじゃないかなと私も思うのですが、まぁ、それだけキムチは日本の味としても浸透してきているのでしょう。
 キムチを売っていないスーパーはあり得ず、あれば教えて欲しいほどです。
 私が生まれて初めてキムチを食べたのは、おそらくルネスかなざわの焼き肉屋でのことだと思います。バラにロース、各種の内臓……。それらの美味しい肉とともに家族が頼んだ水キムチというものが、意外にも物凄く旨かった。その思い出から、あとになってスーパーで買ってきたキムチを水の入った茶碗に入れて洗うようにしてから食べたら、あんまり美味しくなかった笑
 さて、このキムチを大正時代の羽咋町に伝えたのが、通称“漬け物おばさん”とか“キムチおばさん”とも呼ばれていたというエカテリーナ馬(52)でした。
 羽咋神社前の通りに形成された昔からの商店街に店を構える、馬さんのキムチ店……。私が訪れたのは夕方の買い物どきということもあり、軒先せましといくつもの樽が並べられていました。現代と違って大正時代ですから、車はほぼなく、道いっぱいを使って毎日が歩行者天国みたいなものでした。
 その賑やかな店先にちょこんと立ち、笑顔で手招きしているのが、漬け物おばさんこと、馬おばさん。エプロンには『恋』と大書されていました。
「まいどさん〜」
 手を叩きながら私を迎えたおばさんは、さっそく、
「どのキムチにするが」
 と尋ねました。
 どうやら量り売りの形で、必要な分を告げると、それをそのつどおばさんが瓶に詰めてくれるという仕組みのようでした。
 スーパーマーケットのセルフサービス商法が生まれるまでは、全国どこでも、ニホンに限らずアメリカでもソ連でも、品目もまたなにとも問わず、肉でも魚でも、どんな品でも、こうしてカウンターで注文する方式の対面販売がなされていたわけです。
 そら、ドラクエのお店はみんなカウンターで話しかけて、欲しいものを注文するでしょう。店内に陳列された剣や薬草を自由にカゴに入れてレジで購入する方式は、ドラクエにはないじゃないですか。あれはゲームだからそうなのではなくて、ドラクエのモデルとする中世の世界のお店が、あの方式だったからなんじゃないですかね。
 皆さんのなかにも、プラント3へ行かれたこともある方は多いでしょう。津幡や川北にありますよね。
 プラント3はその店名からしてそうですが、建物のつくりが、あたかも工場のようだと思いませんでしたか。配管の見える高い天井、コンクリート打ちっぱなしの床や壁、柱。マルエーや三崎ストアーとは内装がずいぶん異なりますよね。しかし、実はあれがスーパーの原型なんですよ。
 スーパーのはじまりは、倉庫のなかへお客さん自身に入ってもらい、そこに積み上げられている商品を客自身に好きなだけ選んでもらい、最後に会計をする。こうしたところから始まったのだそうです。
 コストコなどが、その姿を大いに残していますよね。
 スーパーの原型がこれなんですよ。
 この仕組みにより、店員が客のオーダーを取ったり、計量したり切ったりといった手間が省け、また商品への専門的な知識の必要性も求められないので、会計係は子育ての合間のパートタイムにも任せることができ、対面販売のお店とは比較にならないほど同時に大量に販売することが可能になった。そのぶん安くすることができたわけでしょう。
 マーケットを超えたもの、超マーケット、だからスーパーマーケットで、これを令和のいま、私たちはスーパーと略して呼称しているわけです。
 さきほども言いましたが、この物語は大正時代の話ですから、まだスーパーなど世に出ていない時代のことです。
 ですから、現代ではレジの店員にこの刺身はどこ産ですか? とか、このバラ肉はなにで料理したら美味しいですかね? とか尋ねるなんてことをするのは、もう迷惑極まりないダラの所業ですが、大正時代を訪れた私はおばさんに、このキムチはなにが入っているのですか? と気軽に尋ねることができます。
 なにが入っているのですか? と尋ねたのは、社交辞令めいたキャッチボールではなく、本当に興味があったからです。なにしろ口の開いているキムチ樽の中身を見るに、白菜くらいなら私でも無論わかりますが、それ以外にもいろいろな具材が漬け込まれていましたから。それで、素朴にこれらはなんなのだろう、と思って聞いてみたのです。
 馬おばさんは、
「白菜、たまねぎ、青ねぎ、ニンジン、爪、でないわ、ちごちご、まちごた。爪でなしに瓜やった瓜。ほして塩辛、リンゴ」
 と、ときどきトチりつつもスラスラ教えてくれました。
 塩辛やリンゴ! リンゴも具になるんですか? と私が問うと、
「リンゴは、まろやかさが出るさけ、ほやろ」
 と微笑みながら、金属製の箸をつかってキムチの樽から弁当箱のような容器へと何切れかを移しはじめました。
 それはそのリンゴですか? と私が問うと、
「ほやほやリンゴや」
 とおばさん。それから続けて、
「ほれから〜、梨やらトマトやら〜、ほやスルメを漬け込むこともあるげん」
 あっと、そのときです。
「それだけですか?」
 と別の人物の声が会話に水を差しました。
 キムチおばさんの得々とした解説に水を差す一声。
 それは凛と張りつめた少女の声でした。
「それだけではないでしょう、漬け込んでいるのは?」
 桃子でした。
 桃子がキムチおばさんに問うてきたのです。
 後方には犬、猿、キジ、そしてヒキガエル、それぞれの家来が動物の姿になったままで控えていました。
「ちょっと失礼?」
 桃子は馬おばさんの背後にいくつか並んでいる樽の1つの重石を除いて、蓋をずらしました。むわーっと何ともいえない唐辛子やニンニクの発酵した香りが食欲をそそります。表面はもう赤唐辛子で真っ赤で、もうまるでトマトジュースのようです。
 桃子は腕捲りして羽織りの袖口をきゅっと結ぶと、そのトマトピューレ様の桶のなかへ無造作に腕を突っ込みました。ぐにゅーとかきまわし、白菜やいろいろな野菜、さっきのリンゴなどを掘り起こすようになかを探りました。
 そして桃子はなにかを探り当てたようです。
 腕を引き上げると、桶に突っ込んでいた部分の赤い汚れと、白い二の腕が対称的でした。
「みなさい」
 桃子の濡れた手もとには、なんと赤い液体のどろどろとしたたるビニール袋がありました。いや、赤いのは漬け汁です、中身はちがう。中身は……白い片栗粉のような粉です。桃子が袋のつゆを切るように振ると、なかの粉もサラサラと流れました。
「キムチおばさん、いいえ、エカテリーナ馬さん。これはクスリですね?」
 エカテリーナ馬おばさんは唇をかみながら、
「そうさ、雪ネタさ! 純度100パーセントの上物よ! 粉はねぇ、浸透圧で少しずつビニールから染み出して、ちょうどよい配分で浸け液にまざるのよ、だから旨いのさ!」
 と、顎を突き出しながらまくしたてました。
 桃子は態度を豹変させたおばさんの能書きを聴くのもほどほどに、摘まんだ袋をポイと路上へ放りました。
 ちょうどそこへ大きなダンプカーがパッパーッとラッパを鳴らしながら通りがかりました。
 大正時代にダンプカーなんてないだろう、という方もいるかと思いますが、それをいったらビニール袋だって存在しないでしょう。ちょっとお静かに。
 ドドドドドドドメタメタメタ……。
 このようなオノマトペとともに、袋は巨大なタイヤでずたずたに踏み潰されました。そして、やぶれた切れ端をタイヤの溝にひっかけたままダンプカーは走り去ってしまいました。
 路上には破れかすと残りの雪ネタがサラサラと散乱していましたが、あまりに軽い粒子のそれは、風が吹くたび舞い散って、まもなくなにも残らず吹き飛んでしまいました。
 ヒキガエルがゲロゲーロ、ゲロゲーロと鳴いています。
「よくもこの私の末端価格300円の雪ネタを!!」
 怒ったおばさんは角をビームサーベルのようにビーンと実体化させました。
「鬼だね、おばさん!」
 桃子はその場で突如パラパラを踊り始めました。
 さかんに両手両腕を使って踊り、その動きのなかで桃子は羽織から柄のついたペロペロキャンディー状の用具を取り出します。汚れた右手を気にしてか、左手のほうでそれを持ちました。
 桃子は人差し指の指さきをちょっと舐めてから、赤と黄色で渦巻き状になったペロキャン部分に指さきを滑らせました。すると渦巻き部分がバネ仕掛けのようにパカッと上方へ開き、中身の鏡が姿を現しました。
 桃! 百! 桃! 百! 桃!
 そのような文字が、空中に浮かんでは消えています。
 桃子は馬おばさんに鏡面を向けました。
「フルーツ・ミラクル! 鏡の刺身!」
 桃子が叫ぶや、鏡から光線が一瞬でのび、馬おばさん、いいえ鬼のエプロンに書かれた『恋』という文字の染め抜きを貫きました。
 桃子は馬おばさんに背を向けました。
「爆発」
 そう桃子が宣告すると、馬おばさんの傷口のあたりがカッと閃光を放ちました。
 桃子の身体が2cm横へずれると同時に──、馬おばさんはガボーンと爆発してしまいました。
 その爆風がおばさんの店を包み隠します……。
 やがて煙が風に乗って流れていくと、そこにはキムチの樽いくつかが淋しく残されているだけでした。
 桃子はふう、と息をつきました。
 そこへ3匹の家来が寄ってきました。
 桃子がしゃがむと、家来たちはかわるがわる主君の腕をペロペロと舐めはじめました。
「こ、こらあんたたち!」
 桃子はいまはどうぶつの姿の3匹が、実は人間の姿も持っていることを知っているのです。その子たちに舐められていると思うと、身体の奥底がじゅんとしました。
 そのかたわらで、ヒキガエルがゲロゲーロ、ゲロゲーロと鳴いています。
 その頃──剱地はるか沖の日本海に浮かぶ孤島、能登鬼ノ島では、鬼の魔城で晩餐会が行われている最中でした。
 大魔王と側近の首席助役ペッぺはステーキを喰っていました。
 黒く焼けた鉄板の上に身を乗り出すかのような大きさの、700g以上はあろうかという見事なサーロインステーキでした。
 レモンバターと脂身が混じりあい、透明な油膜が肉汁とともに肉身の側面にしたたっています。
「これは見事なステーキですなぁ大魔王さま」
 ペッぺがわきでる唾液をおさえながらナイフとフォークをカチャカチャと動かしました。
「ふっふっふ、そう焦るな、ペッぺよ……」
 大魔王は威厳に満ちた目付きをペッぺへ向け、にやりと目尻を細めました。
「これくらいのものはな……鬼の王国が完成すれば、いくらでも喰える」
 大魔王はおもむろに肉を鷲掴みにすると、食パンでも喰うみたいにじかに口へ運び、その鋭い牙で喰いちぎりました。
 むしゃむしゃむしゃと咀嚼するたび上下するその喉仏に、肉の油脂が一滴すべり落ちて垂れました。


 → 第20話「チリ・タワーの残酷」へ

*この小説は完全なるフィクションです。実在の人物・団体・地名・書籍名とは、なんら関係ありません。

  令和3年(2021年)7月16日 公開 (3)


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