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 果実
 〜フルーツ・ガール桃子〜

  第18話 「羽咋の女帝」

 七尾の等湯での短い時間の遊興を終えて、別れた少女、浦しま子──。
 桃子は、その声や声のつむがれる唇のかたちを忘れられませんでした。
 大正時代のこととて、LINE交換さえできなかったのです。
 LINEどころかメール、ポケベルを通り越して、いわゆる“家電”さえ家庭に行き届いていないのが大正時代ですからね。
 乗り換え待ちの私鉄連絡駅の暗い待合室で、桃子がまたため息をつきました。
「桃ちゃん、さっきから、どうしたアルか?」
 並んで木製のベンチに座っている鳥畠ピーチャンが桃子の横顔をのぞきこみました。
「なんでもないの……」
「顔色が赤いアルね、熱あるアルかもアルね」
「ありがとう、邪魔ないわピーチャン」
 暗い待合室なのでした。実際、窓の少ない部屋のなかにランタンのような黄熱灯がいくつか下がっているだけです。
 汚れた壁には古い貼り紙があり、そこには、
『暗いと不平を言うよりも、進んで灯りを点けましょう』
 と大書してあります。
 そこへ突如、この薄暗い待合室に投げ込まれた花束のように、なんともうるわしいドレス姿の少女が入ってきました。
 ウクライナのセルロイド人形のような白皙で、その肌の色よりもさらに白い雪色のドレスに身を包んでいます。おろした髪の毛は目の覚めるような金いろでした。
 田舎の駅のひなびた待合室に不釣り合いなほどのたたずまいでした。
 背景に薔薇の花が咲き乱れるような、高貴な身なり、整った顔立ち。しかも日本人なのに金髪です。そしてまさに薔薇の花そのもののようなフレグランスが漂うのは、これは香水でしょう。国産ではなさそうです。どこか欧州産の舶来品に違いありません……。
 しかし、綺麗な薔薇には必ずトゲがあるものです。
 女帝だ、女帝だぞ、と待合室内がざわめきはじめたのを、桃子はすぐ察知しました。
 それをさし示すかのように、少女の手袋をはめた手には乗馬用のムチが握られています。
 そして少女は、そのムチでビシとベンチの背を叩きました。
 猫一郎が、ワン! と叫びました。ちょうどそこには猫一郎が座っていたのでした。
「てめぇふざけるなよ?」
 猫一郎が振り向いて凄みましたが、女帝と呼ばれた少女はそしらぬ顔で、ムチをしならせていました。顔にはうっすらと笑みさえ浮かべています。
「このドスメロ……」
「犬くん、放っておきたまえ、明らかなサディストだ」
 佐曲がそう耳打ちしました。
 が、間もなく放っておけない事態が生じてしまいました。
 次の瞬間、女帝はベンチに座っていた桃子の肩に手をやると、そのままぐいっと強引に押しやったのです。
「なにするアルか!」
 押し付けられたピーチャンがさすがに抗議しました。
「失礼? そこはわたくしの席なの」
 女帝は落ち着き払った表情で、そのベンチの余席をムチでぴしぴしと示しました。
 女帝だ、女帝だぞと、またまわりがざわめいています。
 桃子は席を詰めながらも、きっと女帝をにらみました。
「かわいい女帝さん、あなたは何者なの? まさか鬼ではないでしょうね?」
「私は金メリ子。羽咋の女帝と呼ばれた女ですわ? 門前かどこかの田舎の方では、そんなこともご存知ないのね」
 女帝は冷たい瞳を桃子へ向けました。
 桃子と女帝の睨みあう目線と目線の間で、バチバチと火花が生じました。
 それほどの目力で、2人は睨みあったのです。
 そしてその火花が、思わぬ副次的な悲劇を生みました。
 バチバチと散った火花が、待ち客の誰かが投げ捨てた紙くずに飛び火し、そのまま引火し出したのです。
 紙くずはすぐに燃え上がり、木でできたベンチへ燃え移りました。
「火事だー」
 と、あたりにいた人々が叫びました。
 あっという間にみんな逃げ出していきます。
 おう、なんと、火から炎へ、災いへ──。
 あっという間に駅舎は炎と黒煙のるつぼとなってしまいました。
 初期消火をあきらめ、やっとのことで火事場から脱出した桃子と家来3人の様子を、女帝──金メリ子は落ち着き払った表情で眺めていました。
「たいへんなことになりましたわね……」
 桃子はゆらめく炎を背景に、うっすら笑みを浮かべはじめてさえいる金メリ子に怒りを覚えました。
「あなたのせいで、こんなことになった!」
「ええ、お詫びしますわ。人力車を用意させます。用意が整いましたら、どうぞお乗りになって?」
 金メリ子はこう言うと、意外にも桃子に手をさしのべてきました。
 ──どうするアル?
 ピーチャンが桃子にささやきました。が、桃子の答えははじめから決まっていたようです。
「ごめんこうむるわ! 金メリ子さん、そんなものに乗ったら、ジンマシンが出てはしかくなりそうよ!」
 桃子はたんかを切りました。そのとき、駅舎の天井にまで達した炎が屋根から吹き上がり、やがて屋根全体が業火のなかで黒い影に変わっていきました。
「おひいさま、お待たせしました」
 金メリ子の背後から、洋装の男がかしこまった様子で現れました。
「お車の用意ができましてございます」
 そう告げて深々と頭を下げてみせる洋装の男は、明らかに修羅場と化している火事場に動揺する様子もなく、1台の自動車を指し示しました。
「あら、見かけない顔ですわね? それにその自動車は?」
「わたくしは運転手として新しく雇われました者でございます。こんど旦那様がご購入された高級外車の運転をさせて頂きます」
「あ〜ら、そうでしたの、いよいよ汗くさい人力車ともお別れなのですわね」
 金メリ子は運転手の男にエスコートされて、乗用車へと消えました。振り向きざまに、さげすむような笑みをわざわざ見せながら。
「なんて嫌味ったらしい娘アルか! なにが自動車アルか! お大尽は勝手に行けばいいアルね」
「なにを言っているのピーチャン、追うのよ!」
 ほう、と猫一郎が感心した様子を見せました。
「追っかけて叩きのめしてやるのか?」
 にやりと笑っている猫一郎を叱るように、こう桃子は鋭く告げました。
「やつは鬼よ!」
 やにわに3人の表情が引き締まりました。
 車は青白い煙を吐き出しながら、ゴロゴロと出ていきました。
「追うのよ!」
 桃子、猫一郎、ピーチャン。3人が走り出したその真上を、佐曲が大ジャンプして追い越しました。
 佐曲はおそるべき瞬発力でほとんど空を飛ぶように宙を舞うと、とん、と自動車の屋根に着地しました。
 さらに佐曲は手にしたクナイを逆さにして、柄の部分でフロントガラスをさんざん殴りました。
 ガラスが割れ、運転席に破片が降り注ぎました。車が激しく蛇行します。佐曲は割れたガラスの穴へ脚を何度も叩き込み、運転手の顔面をブラッシングしました。
 キキーッとブレーキがかかり、ついに自動車は停まりました。
 そこへ追い付いたピーチャンが、マシンガンニーリフトやフライングニールキックを繰り出してドアーを蹴破りました。
「あはーっ、こんなもの、軽いアルよ!」
 さらに恐ろしい握力をもって、まるでデパートの包装紙を無理に破るようにして外板を割れ窓ごとひっぺがすと、むき出しになったハンドルをなおも握っている運転手を2、3度殴りつけました。
「ももちゃーん、こいつが鬼でいいアルか?」
「よく分かってるわね、ピーチャン?」
 走って現着した桃子は、すでにパラパラを踊っていました。さかんに両手両腕を使って踊ります。
 その動きのなかで、桃子は長羽織から柄のついたペロペロキャンディー状のなにかを取り出し、その手に保持しました。
 ペロペロキャンディー状といいましたが、本当にキャンディーであるかのように、柄のさきには赤と黄色で渦巻き状になった丸いものがありました。
 大きさはちょうどスシローか、はま寿司のお皿くらいのサイズでしょう。
 桃子はその渦巻きにそって、指さきを滑らせていきました。するとなんとその渦巻き部分がバネ仕掛けのようにパカッと上方へ開きました。
 渦巻き模様のある面は蓋だったのです。
 中身は鏡で、それはコンパクトミラーでした。
 桃子は、割れたガラスで血だらけになっている運転手の男にその鏡面を向けました。
 桃! 百! 桃! 百! 桃!
 そのような文字が、空中に浮かんでは消えています。
「フルーツ・ミラクル! 鏡の刺身!」
 桃子が叫ぶや、鏡から光線が一瞬でのび、血みどろの運転手にさらにとどめをさすかのように、その真っ赤に濡れた洋装をみごと貫きました。
 苦しみもがきながら、ついに運転手は額から3本もの角を露出させました。
「わしが鬼だとなぜ……!」
 桃子はそれには答えず、
「爆発」
 そう宣告しました。
 そして桃子の身体が1cmほど横へずれると同時に、その3本角の鬼の身体から火花が飛び散りはじめました。
 ──鬼は爆発しました。
 その爆発が爆発をさそって、すでにボロボロのポンコツになっていた乗用車のエンジンもまた、一挙に炎を吹き上げて破裂しました。
 火災にあった駅舎の黒い煙と、炎上する乗用車の黒い煙は、ほとんど一対の柱のように羽咋の街の空を突き、その様子はこの日、遠く志雄、北は四柳からも見ることができたと伝えられています。
 そしてその黒い煙のゆくえを見守る桃子と、動物の姿に戻った3匹の家来の前に現れたのは……、雪色のドレスを真っ黒なすすで汚しながらも、肌は真っ白の清らかさをたもったままの女帝、金メリ子でした。
「お見事でしたわ、桃子さん、わたし、助かりました」
「無事だったのね、金メリ子さん……」
「わたくし、あれだけあなたに嫌なことを言ったのに、助けてくれるなんて……。このご恩は忘れませんわ」
 金メリ子は深々と頭を下げ、さらにそのまま地面に膝をつき、手をついて、桃子にひれ伏しました。
 そのまましばらくそうしていた金メリ子に、桃子は手をさしのべました。
「金メリ子さん、あなたを許します。許せないのは、鬼だけだから」
 金メリ子がしばらく動かなかったわけが分かりました。かの女は泣いていたのです。
「わたくしは、鬼にだまされていたのですわね。桃子さん、あなたは本当に、いのちの恩人ですわ……」
 金メリ子は、桃子の指さきに唇を押し付けました。
 その感触は、やわらかだった……。
 そして熱かった!
 桃子は頬をすこし赤らめながら、
「顔を上げて、金メリ子……いえ、メリちゃん」
 そう言って、その濡れた頬に触れました。
「許してくださるの?」
「もちろんよ」
 桃子は金メリ子の目尻からこぼれ落ちたしずくを、指さきですくい取りました。
「では、わたくしからのせめてものお詫びとお礼として、お教えします。悪いことはいいませんわ、千里浜にあるチリ・タワーへお行きなさい。気球を研究している者がいるわ……」
 金メリ子は、自らの涙に濡れてしまった桃子の指さきに再び唇を寄せると、
「しばらく、こうさせて……」
 と告げて、桃子の胸もとに身をあずけました。
 桃子はその金いろの髪に指をとおすと、さらさらとすきました。
 そのかたわらで、キジがバタバタと羽ばたき飛び回り、猿がキャッキャッとジャンプし、犬がクーンクーンとうつ向いています。


 → 第19話「マーケットの刺客」へ

*この小説は完全なるフィクションです。実在の人物・団体・地名・書籍名とは、なんら関係ありません。

  令和3年(2021年)7月10日 公開 (3)


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