040-14
果実の牙 〜フルーツ・ガール桃子〜
第14話 「イルカが、しゃべった」
「やーい、悔しいか、悔しいか!」
「ヌメヌメくん、こっちおいで〜」
「パンチがいいと思う人〜? キックがいいと思う人〜」
子ども達の幼い笑い声が、ウミネコの鳴き声に混ざり合いながら、波静かな湾を渡る湿った潮風に流れていきます。
ここは穴水の波止場にも近い岸壁です。
群がった4人の子ども達の中心には、なにかの生き物がうずくまっているようでした。よってたかってはやし立てては、ときには暴力も加えているように見受けられます。
「やーい、このイルカ野郎!」
「ヌメヌメくん、こっちおいで〜」
「悔しかったら、このフープを潜ってみろ〜」
そう、なんと子ども達がいじめているのは、1頭の青いイルカでした。
イルカは岸壁のコンクリートの上で、アウッ、アウッと悲痛な鳴き声をもらしながら、ヌメヌメとのたくっています。
おそらくは岸壁に打ち上げられた、群れからはぐれて弱ったイルカでした。
町の悪ガキどもが、それをいじめていたのです。
そこへ、ちょうど通りがかったのが桃子でした。
桃子は子ども達の集団に歩み寄りました。
前触れもなく視界に入ってきた桃子を見上げながら、子ども達4人の声は一瞬とぎれました。
「弱いものをいじめてはいけないのよ?」
桃子がたしなめるように言うと、4人の表情がみるみるうちに変わっていきました。
敵愾心を帯びはじめたのです。
自分たちを叱ろうというのです。大人ではなく、自分たちと同じような年齢の、しかも女が。
4人はまだあどけない眉を寄せて、目付きにするどさを宿しました。
「あなたたち、いますぐ、そのイルカを手当てしてあげなさい」
子どもたちは無言でした。しゃがんでいた子も立ち上がり、桃子をねめつけて圧をかけてきます。
「きいてるの、きみら?」
たしかに聞いていたのでしょう。子ども達のなかの1人がついにキレたらしく、
「だまれ女!」
と怒鳴りました。
それを合図にしたかのように、子ども達は攻撃の標的を桃子に切り換えはじめました。
前から後ろから、桃子につかみかかります。
「はなしなさいよ!」
「だまれ女! もませろ!」
子ども達4人は、桃子の長羽織に手をかけると、力任せにやぶりにかかっています。
「このカスども! 調子に乗ってんじゃねぇぞ!!」
子ども達は弾かれたようにひるみました。
もちろんこの声は、桃子のものではありません。駆けつけた猫一郎でした。白い詰襟の服がビシッと決まっています。
後ろにはピーチャンもいます。さらに反対側からは佐曲が宙返りしながら向かってきました。
「ひきょうだぞ、女!」
子ども達のなかの、最初に桃子に怒鳴ったはずの子が、もうはぐれメダルのごとく逃げ出しました。ほかの3人の子どもらもこれに続き、あとはもう蜘蛛の子を散らすといえば月並みですが、そうとしか言えないような様相です。
「逃げたぞ、追え!」
猫一郎は包丁を手に駆け出しました。
「およしなさい!」
それを止めたのが桃子でした。桃子は猫一郎の裾をひっぱりながら、
「あの子達、鬼ではないわ」
と諭しました。
猫一郎は舌打ちしながらも、しぶしぶといった様子で包丁をさらしで巻き直しています。
「助かりました〜」
桃子の足元から、そんな言葉が聴こえました。
ぎょっとして見ると、なんとイルカがこっちを向いて、
「いや〜最近の子どもはこわいですね。あっ私はイルカです」
と、たしかに言葉を発しています。
その声は、人気番組『チコちゃんにしかられる』に出演している声質の加工された5歳児のそれと似ていました。
「イルカが、しゃべったわ」
桃子はしゃがみながら、イルカと目線をあわせました。瞳はぬるっと丸く、白目がなく濡れています。
「あなた、しゃべれるの?」
「普通のイルカはしゃべれますけどね、私みたいにおしゃべりなイルカはまずいないですね、みんな無口ですね。あっ申し遅れましたが、私はイルカといいます。イルカのイルカです。お礼がしたいと思います。ぜひ、ご一緒に竜宮城へ行きましょう、パーテイーをひらきます」
イルカは桃子の手をヒレで強引に引っ張りました。
それを佐曲があわてて止めました。
「どうかしましたかおサルさん?」
イルカが不思議な表情を見せると(といってもイルカは無表情です)、佐曲は、
「だって竜宮城は海のなかにあるんでしょう? ぼくたちは、海のなかに入れません。窒息してしまいます」
と唇をとがらせました。
「あっそうか」
イルカは左右のヒレとヒレをグニャッと重ねました。
なにかひらめいたときの、手のひらの上を拳でポンと叩くポーズを取ったつもりだったようです。
「そうですか、ほにゅう類は不便ですね、あっ私もほにゅう類ですけどね。うにゅう、いや、しかし“酸素クリーム”があれば、海のなかに入っても息ができるんですけどねぇ……」
イルカがチコちゃんのような声でそう示唆すると、桃子も3人の家来もまじまじとそのヌルッとした平らな顔を覗き込みました。
「なんだ“酸素クリーム”って?」
「水のなかで息ができるなんて、どんな原理なんですか?」
「それはどこにあるアルか?」
家来の3人がかわるがわる問いました。
高く加工されたような声で、こうイルカは言いました。
「酸素クリームは北の洞窟にあるはずですよ」
さきほどチコちゃんと言いましたが『密着警察24時』における被害者の高く変えてある声にも似ています。
「よし、なら行ってみましょう、北の洞窟へ!」
桃子は3人をうながし、北へと歩き出しました。
イルカは、いってらっしゃ〜いと言いながら、岸壁からジャンプして海のなかへドボンと入りました。
北の洞窟は北にありました。
当たり前です。
北の洞窟が南にあるということはありません。
しかし東金沢駅は金沢駅の北にありますよね。
洞窟の内部は暗いものの、なぜかところどころガス灯と思われるランプが点いており、カンテラなどの装備は全く必要ありませんでした。
誰が、なんのためにこうまでして、洞窟のなかを灯しているのか?
不審に感じながらも進んでいくと、奥のほうから、反響してエコーのかかったうめき声が聞こえてきました。
いつの間にか動物の姿に戻っていた家来の3匹は、桃子をかばうように足元へ集まりました。
「大丈夫よ、いきましょう」
しかし、うめき声は再び聞こえました。断続的に聞こえます。それは子どもの声のようにも思えます。苦しんでいる子どもの声です。
桃子は暗がりのなかを駆け出しました。
洞内をどんどん走っていくと、大きな広間のようにも思えるほどの大空洞が最奥部にありました。
天井はお寺の大伽藍ほども高く、軽く7、8mはあるでしょう。
かがり火が何本も、ゆらゆらと燃えていまでいうスポット照明のように洞内を薄く照らしています。
そしてその、ほのかに明かりのある空間のなかで、あの声がひときわ響き、うずまいていました。
「たずけでくれぇ」
「おがぁちゃぁーん、いだいよぉ」
そのような悲痛な声が断続しながら反響していました。
かがり火に照らされている光景は、目を疑うようなものでした。
なんと、子どもが縄でぐるぐる巻きに縛られていたのです。
2人の子どもでした。
それは、さきほどイルカをいじめていた子どものなかのうち2人の顔と似ているように桃子には思われました。
犬がワン! ワン! と吠えました。
さっきのガキだ、とでも言っているのでしょうか。
「なにがあったの?!」
急いで桃子が駆け寄ると、草履を履いた素足に生ぬるく濡れた感触がありました。
「み、水たまり?」
いや、それは水ではない!
なんと、真っ赤な血でした。
足元はどろどろとした血だまりだったのです。
見ると、縛られた2人の脚は、2人ともすでにありませんでした。
骨がいやに白く見えている切断面から、どんどん流れていたのです、その血は。
「なんてことを!」
キジが桃子のまわりを羽ばたきながらピーピーと激しく啼き、なにかを知らせようとしました。
「鬼なの!?」
そうです、奥のほうから、2本の角の生えた大きな赤鬼がなにかボールのようなものをそれぞれの手に1個ずつ掴んで、のしのしと出現したのです。
「どうかしたか? 娘?」
「鬼! あんたね、この子らをやったのは!」
「いかにも左様、見ろ」
鬼はボールのようなものをボトッと桃子へ投げつけました。
赤い軌跡とともに宙を飛んだそれは、なんたることでしょう、子どもの頭でした。
縛られている2人が、ぎゃあーと泣き声をさらに強めて、もはや感情がくずれ動物のようになりました。
猿もキーキーと歯ぐきを剥いています。
「うるさいぞ」
鬼は2人の生存者の頭を2人同時に片手で鷲掴みにしました。右手、左手、それぞれの内側でバキッと鳴ったかと思うや、急に悲鳴は途切れて濁った水音に変わりました。
「ゆるさない!!」
パラパラを踊りながらも、桃子の怒りは最高潮に達していました。
さかんに両手両腕を使って踊りつつ、羽織からペロペロキャンディー的な道具を素早く取り出します。
赤と黄色の渦巻きにそって指さきを滑らせ、中身の鏡が現れると、かがり火のゆらめく灯火がにぶく反射しました。
桃! 百! 桃! 百! 桃!
そのような文字が、空中に浮かんでは消えています。
桃子は、鬼めにその鏡面を向けました。
「フルーツ・ミラクル! 鏡バルカン! 消えろ!」
鏡から無数の鉛玉が豆を煎るような乾いた音とともに連続で撃ち出されました。桃子がそのまま鏡で「の」の字を描くと、鬼の上半身のあちこちから火花が散り、もはや穴だらけになりました。
桃子は断末魔の声を上げもできずにドウと倒れた鬼に背を向けました。
すると、ちょうどその視線のさき、その広い空間の片隅あたりに大きなツヅラらしきものが置かれているのに気付きました。
キジがピーピーと啼きながら羽ばたいてきました。
「これはなにかしら?」
桃子がツヅラの蓋を開けてみると、その葛を編んだ底に平べったい金属製の缶が仕舞われていました。
『酸素くりゐむ』
表面にはたしかにそう刻印されています。
桃子はそれをすみやかにふところへ納めると、鬼に背を向けた体勢のまま、
「爆発」
そう宣告しました。
そして桃子の身体が1cmほど横へずれると同時に、鬼の身体から火花が吹き上がりはじめました。
──鬼は大音響とともに爆発しました。
その爆風は洞内の高い天井にまで達し、やがて耳を塞ぐような振動音と砂煙があたりを包み込みはじめるや、パラパラと小石が上から降ってきだしました。
「崩れるわ!」
3匹とともに急いで出口へと走り出した桃子は、子ども達の遺体をそのままにするしかありませんでした。
子ども達4人の屍は、洞窟とともに重く冷たい岩盤の下へ埋もれていきました。
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