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 果実
 〜フルーツ・ガール桃子〜

  第11話 「サンクトペテルブルグから来た女」

 その日の午後、門前から内浦側の穴水へと越える暗い峠道の登り坂に、桃子ら一行の姿がありました。
 鬼退治の旅を続ける勇者・桃子、犬の猫一郎、猿の佐曲、キジのピーチャンです。
「もうすぐ梨の木坂のトンネルよ。ネコちゃん、こわがったらダメだよ」
 先頭を歩く桃子が前を向いたまま言うと、
「誰が怖がるかよ!」
 犬の猫一郎がやたら声を張り上げて反論しました。
 登り坂なので、みな少し息を荒くしています。
「このオレがトンネルを怖がる? バカにすんな」
 猫一郎が必要以上に大きな声を出して威嚇しはじめると、
「トンネルのなかにはコウモリがいるアルからね〜」
 と、ピーチャンが嬉しそうに混ぜ返しました。
「おう上等じゃねぇか! コウモリ? コウモリかもりさけてんか知らねぇけどよ、なにが怖いだ? 怖くないぜ! 暗いの怖がるダラがいるかよ、おう?」
 猫一郎は1人でムキになっています。その様子をしんがりを歩く佐曲がホッコリと眺めていました。
 そう、平から荒屋、原を過ぎれば、やがて梨の木坂峠のトンネルです。
 ここは輪島へと続く中屋峠とは逆に、現代においてはトンネルのない切通しの快適な道路で、サミットのありかも判然としなくなっていますが、この当時は狭く暗いトンネルで峠を越していたわけですね。
 そのトンネルもやがて近づこうかという頃合いで、桃子ら一行の耳に轟音が飛び込んできました。
 轟音は遠雷のように、後方からどんどん近づいてきます。
 木々の枝から鳥たちが急いで飛び立つなか、高く砂煙をあげながら迫ってきたそれは、桃子たちのすぐ後ろまで一気に詰め寄ってきました。
「自動車アルね!」
 振り返ったピーチャンがお団子頭をしきりと揺らしながら感嘆の声を上げました。
「門前にもいよいよ、自動車の時代がやってきたのねぇ」
 そう感心する桃子自身も、これで自動車を目にしたのは、まだ何回目でしょうか。
 奥能登においては、輪島や飯田では比較的、自動車の到来が早かったらしいのですが、桃子の故郷の曽々素あたりでは、まだ車といえば馬車か人力車の時代で、地主の金持ちなどは藩政時代さながら、いまも駕籠に揺られていたほどでした。
 ですから桃子には、自動車はもう恐るべき速度に見えました。猫一郎も佐曲もピーチャンも、それは同様でした。
 そして、その鋼鉄製の自動車が桃子らのすぐ横を風のように通り過ぎ、その尻が丸く見えたかと思ったそのときです。
 ヒューゥンと制動がかかって、車は急に停まりました。
『キリン乗合自動車』
 と、尻の部分にペンキで書いてあるのが読めます。
「この自動車、乗合ですよ」
 佐曲が驚きの声をあげました。
 乗合自動車とは、いまのバスのことですが、しかしそれはいまのバスとは意味合いがまるで違います。
 この当時は、比較的安価な乗合馬車でさえ節約して我慢するという人が当たり前で、基本的には歩け歩けがスローガンでした。ですから、当時は乗合自動車といえば、ちょっと贅沢ができるような地位の人が使う特別な乗り物であり、多くの庶民にとっては「見るもの」といえたのです。
「どんなお大尽が乗ってやがるんだ?」
 猫一郎がガラスの窓を覗き込もうとすると、客車のドアーが外側へガチャと開きました。
「アノ〜、みんなさん、のて、いきませんか?」
 顔をのぞかせたのは若い女性でした。
 変な訛りがあると思えば、なんと美しい金髪の外国人女性です。
 顔は牛乳か石鹸のように真っ白でした。
 そして瞳は空のように青い。
「外国の方ですか?」
 あまりの美貌に、桃子がやや気後れがちに尋ねると、その金髪女性は、
「そうです、あんー、わたーしはー? ソ連から来ましーた。のて、いきませんか、みんなさん?」
 としきりに誘いました。
 “のて、いきませんか”というのは、どうやら「乗って行きませんか」と言っていたようでした。
 が、一行が案ずるのは無論バス代金のことです。
 おそらく、かなり高いに違いないことは、桃子も、家来の3人も承知していました。
「せっかくですけど……」
 と、桃子が断りを入れかけると、それを察したのか金髪の美女は、
「大丈夫です、おかね、かかりーませーん。あんー、このくるまはー? わたーしの、タクシね、あんー、そう、貸し切りでーす」
 と言いました。
「アイヤーなんと貸切自動車アルね!」
 ピーチャンが言及した貸切自動車というもの──。
 それは、いまでいう観光バスのことではなく、タクシーのようなもののことですね。
 この時代はバスとタクシーの車体的な区別がなかったようで、普段は乗合自動車として用いている車両もタクシーのように運用されることがあり、それを「貸切」と言っていたわけです。
「さぁさ、のて、くださーい、おかね、わたーしが払ってあるね、みんなさんは、なにも困る、なしね、あんー、なやむ、なし。そう、心配なしね」
 自動車は6人乗りの外車でした。
 いまでいうトヨタハイエースのようなサイズです。
 バスが大型化していくのは戦後からのことで、もともとバスというものは、ハイエース程度のものだったのです。
 ですから最近、過疎地などで急増しているハイエースを用いた自治体バスなども、みじめに感じる必要はまったくなく、むしろ大正時代の昔のバスの姿に戻ったに過ぎないということもできるのです。
「申すのが、おくれましーた、わたーしは、リュビーマヤ・ナーシャいいます。ソ連はロシーアしゃかしゅぎ、きょわこくの〜? サンクトペテルブルグから来ましーた」
 とてもたどたどしい日本語のなかで、ロシアという箇所とサンクトペテルブルグという部分だけが、さすがに言い慣れていて早口でした。
「広いくるまに〜、1人でー、こころがー、さみしいと思っていまシータ。しかも、長いですね、トンネルもありますね〜? だから一緒に、おしゃべーり、するしましょー」
 なにぶん6人乗りですから、車内は意外と狭く感じられます。最初に乗り込んだ猫一郎とピーチャンが一番うしろへ行き、桃子は運転席のすぐ後ろに腰かけたので、残る佐曲は美女の隣になりました。
 佐曲が、失礼しますと声をかけながら腰を下ろすと、美女は微笑しました。
 その首筋が、すごく白い。
 肌の白さのために、チュニックからのぞく鎖骨の陰影が鮮やかです。
 座席が隣同士になった役得もあってか、佐曲は心もち眼を輝かせ気味にしながら、
「リュビーマヤ・ナーシャさんは、どうして日本へ来られたのですか?」
 と問いました。
「そーう、ショピングですね〜、ショピング、それーと買い物ね〜」
 美女は歯並びのよい口元をのぞかせながら、明るい声でそう答えました。
「いいですね、日本には良いものがたくさんありましたか?」
 佐曲がやたらと饒舌です。
 その態度に、猫一郎は不服そうでした。
「猿、おめーなにニヤついてんだよ!」
「にやついてないでしょう」
「しゃべり方がいつもと違う!」
 桃子は、そのやり取りをほのぼのと眺めつつも、内心では、この女は例の10月革命で滅ぼされたロマノフ家の生き残りかも知れない……と考えていました。
 やがて例のトンネルに入りました。
 しかし、車内にはランプもあるので安心です。
 ゴウゴウゴウと反響音をしばらく聞いているうちに、もう外の明かりが漏れ広がりました。
「おっもうトンネルを抜けたぞ!!! 速いぜ!!!」
 猫一郎は不安が取り除かれたこともあってか急に気勢を上げはじめました。
「猫くん、もう少し静かにしゃべりたまえ」
 佐曲は後ろを見やりながら眉根を寄せています。
「なんだぁこの猿野郎、ぶっとばすぞ」
 猫一郎がグイと前のめりになるのに、ロシア美人はまたも綺麗な歯を見せて微笑しました。
「うふふ、ネコさんと、おサルさんは、仲がーとてーもよいですね〜」
 そう眼を細めながら、膝の上のハンドバッグをごそごそと探っています。
「ジャーーン、これタベマセンかー?」
 その白い手の手元にあったのは瓶詰めでした。
 中身は黒いつぶつぶのように見えます。
 佐曲が目を見張りました。
「ほう、それはキャビアですね?」
「オー、よく知ってるでーすね、そうだなんですね、キャビアでーす」
「チョウザメの卵ですね、ロシアのほうでは珍味として有名だそうですね」
「そーですねー、おサルは、たべたことあるだかなー?」
「いえ、ぼく初めて見ました。でも本で読みました。トルコとの国境近くの、カスピ海のほうでよく捕れるそうですね」
 佐曲が知識をひけらかすたび、猫一郎はマユゲをぴくぴくさせています。
「ふん、そんなもん喰えるのかよ?」
 ついに猫一郎が突っかかりましたが、リュビーマヤ・ナーシャさんはうふふと金髪を揺らしながら笑っています。
「おいしいでーす、たべましょー、みんなさん」
 リュビーマヤさんは、金色の光沢があるスプーンを人数分、清潔な布の包みから取り出しました。
「本来ですとー? ロシーアではー? そして、これを黒パンにのせるでーす」
「なるほど、イクラのお寿司の場合はお米だけど、キャビアはライ麦入りの黒パンの上にというわけね」
「桃ちゃんさん、その通りでーす、さぁサルさん、どうぞ」
 勧められた佐曲が最初にスプーンを口へ運びました。
「うーん、おいしいです」
 佐曲のノドがごくんと上下したのを見て、美女は影を含んだ笑みを浮かべました。
 そのとき、車に急ブレーキがかかりました。
「かかったわね桃子! ここが貴様らの墓場よ!!」
 リュビーマヤ・ナーシャは急にドスの利いた荒々しい声を上げました。
「なんですって?!」
 いましも口をモグモグさせていた桃子ははっと我にかえりました。なんと、後部を振り見ると、佐曲が身を屈めて苦しんでいます。
「ほっほっほ、これはキャビアではない、マイクロカプセルだったのよ、毒入りのねぇ!」
 金髪の美女は、先程までの拙い日本語はなんだったのだろうかと思うほど、流暢に言葉を発しています。
 車を停めた運転士も、立ち上がってこちらを向きました。
 なんと、明らかに鬼でした。
 被っていたハンチングを突き破るかのようにして角が長く伸び、手には斧を持っています。
「ふっふっふ、この私もよ!」
 そう言い放つや、金髪の美女も、美女だったのが嘘のように醜いバーバリアンのような真実の相貌をあらわにしました。
「鬼の罠アルね! 桃ちゃん!」
 ピーチャンがとっさに開き戸をガチャリと開けて、車外へ出ました。桃子は窓を蹴破って身体ごと外へ。猫一郎は最後に佐曲を引きずって、なんとか路上へ降り立ちました。
「おのれぇ!」
 2匹の醜い鬼は、長い斧を手に襲いかかります。
 桃子はパラパラを踊りながら羽織から柄のついたペロペロキャンディー状のものを取り出し、赤と黄色の渦巻き模様にそって、指さきを滑らせました。
 渦巻き部分がバネ仕掛けのようにパカッと上方へ開き、中身のコンパクトミラーが光を反射しました。
 桃!
 百!
 桃!
 百!
 桃!
 そのような文字が、空中に浮かんでは消えています。
 桃子は金髪の美女に化けていた悪夢のような風貌の鬼にその鏡面を向けました。
「フルーツ・ミラクル! 鏡の刺身!」
 桃子が叫ぶや、鏡から光線が一瞬でのび、美女とは真逆の醜悪な鬼と変わった女の腰のあたりを無残に吹き飛ばしました。
 運転士に化けていた角の長いほうの鬼が、斧を持つ手を奮わせました。
「おのれ桃子め、なぜ腹が痛くならんのだ?!」
「わたしはまだ飲み込んでなかったからよ!」
「なんだと?!」
 鬼は愕然としました。
 ブレーキをかけるタイミングが、早すぎたのです。
「鏡・ザ・ブレード!!」
 桃子の手鏡から、まばゆい光が上方へとどんどん伸び、それはまるで光かがやく剣のようになりました。
 桃子はいまや、一振の太刀を握っているかのように、それを中段に構えました。
「ふざけるなよ!」
 鬼はフライングクロスチョップばりに宙を舞って飛びかかりましたが、光の剣は一瞬でそれをスライスしました。
 切断面から激しく火花が散ります。
 そして桃子は剣を構え直すと、悶えている2匹の鬼どもに背を向け、
「爆発」
 と宣告しました。
 それを合図に鬼どものそれぞれの肉体から火花が飛び散りはじめ、桃子の構えた腕の角度が10°ほどずれると同時に、2匹は火柱を上げて爆発しました。
 それに誘爆してか、鬼どもの乗合自動車も火花を吹き出しはじめ、同じく爆発を遂げました。
 爆発が爆発を呼び、あたりには黒煙がもうもうと吹き上がりました。
 ──すべてが燃え尽き、煙も収まろうかという頃、桃子の足元には、いつの間にか犬、キジ、猿の姿に戻っていた3匹が寄り添っていました。
「サクセくん、大丈夫?」
 桃子は猿の頭をなでています。猿の姿に戻った佐曲は、いたって元気そうで、ウキーキキーと鳴いています。
 どうやら、毒はヒトにだけ効果があり、サルには意味のないものだったようですね。
 いずれにせよ、今回は鬼が迂闊だったというわけでした。
「鬼は、1匹残らず始末しないといけないわ……。1匹残らずよ。だから、きみたち、よろしくね!」
 桃子は3匹の頭をかわるがわる撫でています。笑顔でした。しかしその瞳は、決意に赤々と燃えていました。


 → 第12話「唖然、イカサマ雀荘」へ

*この小説は完全なるフィクションです。実在の人物・団体・地名・書籍名とは、なんら関係ありません。

  令和3年(2021年)5月15日 公開 (3)


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