038−25
花の少女ガール綾
第25話 「古本屋の少年」
カップラーメンの食べ過ぎで身体をこわし、自宅療養中の森先生を金沢市の自宅まで見舞った綾子と親友のめぐみは、帰りの電車までの時間に、駅前の古本屋を少し覗いてみることにしました。
行きがけに生花店で見舞いの花を買う途中、気になる古本屋さんを見付けていたのです。
店名は「本の礫」です。
“礫”をどう読むのか見当もつかず、まずそこが2人の話題になりました。
「本のがく?」
「本のはりつけ?」
めぐみの言うのに綾子は吹き出したものです。
「それじゃ、ひどいお店の名前だねぇ」
ドアーを引くと、カランコロンと古風な音色をベルが奏でました。
本の甘いにおいが店内に充満しています。
天井まである棚がフロア狭しと敷き詰められ、並べきれない本は床にうずたかく積まれていました。
本の置かれているために、通路は歩くのがやっとです。
店内にはインストゥルメンタルのBGMがごく低音量で流れています。原曲は中島みゆきの「僕は青い鳥」のようでした。
本をかき分けるようにして棚と棚の間の狭いところを進んでいくと、谷間のようにしてレジがありました。
「いらっしゃい」
2人が驚いたのは、その店主の姿です。
こういう古本屋といえば、おばぁさんか、髭面の中年の男性が経営していると決まっているものですが、なんとレジの前にいたのは少年でした。
綾子もめぐみも、その子が自分たちと同じような年頃にしか見えませんでした。
2人は本を物色するふりをしてレジから遠ざかり、その裏側の本棚と本棚の陰になるところまで来てから、
(ぐみちゃん見た? お店の人)
(男の子だった?)
(だった)
(ろうきほうに、いはんしてないのかな)
(いや、お手伝いじゃないかな家族の)
などと、ひそひそ耳打ちし合いました。
結果、おそらく父親が店主で、その手伝いなのであろうとみた綾子の説をめぐみも支持し、話はまとまりました。
そのときです。
「おまえら、そういうのが趣味なのか?」
中島みゆきのインストゥルメンタルが流れているだけの静かな店内に突然ひびいた声。
それは子どもの声でした。
本棚越しですが、おそらくカウンターからでしょう。
2人は棚で狭い店内を見回しました。
やはり客は自分たちしかいないようです。
そうして見回したことで、2人の立っている目の前にある棚の本が、ぜんぶ透明なビニールで包まれていることに綾子は気付きました。
並べきれず床に山積みしてある本も同じようにビニール包みで、しかもその表紙はどれも肌色、肌色、肌色です。
肌色、肌色、肌色の海でした。
肌色、肌色、肌色の海ですよ!
「おまえらには、買えないぞ」
またレジの方から声がしました。
明らかに変声前の子どもの声で、あのレジの男の子に違いありませんでした。
「客にたいして!」
綾子はめぐみの顔を手で目隠ししながら、自分では肌色、肌色、肌色の表紙をチラチラ見つつ、
「客にたいして、“おまえら”って言うの?!」
と声を張り上げました。
「客かどうかは俺が決めることだ」
「あんたねぇ!」
綾子は肌色だらけの本の山をかけわけながら、カウンターへ出向きました。
店員の……例の男の子は勝ち気な笑みを唇の端にのぞかせています。
「なにか用か?」
男の子の髪の毛は銀色といえば聞こえはいいですが、真っ白に透き通り、つやつやと光っていて不気味な座敷わらしを思わせました。
「どうすれば客になれるのよ!」
「客になりたいのか?」
「だから来てるんでしょ!?」
「なら、これを食べたまえ」
男の子はやたらと細い指さきをたくみにつかって、カウンターの上に置かれた円形の硝子容器の蓋をずらしました。
なかには丸く小さな赤と黄色の球のようなもの……それらが宝石のように光っていました。
ちいさなドロップのようにも見えます。
「これが、飴だ」
男の子はささやくように言いました。
「食べていいの?」
綾子の問いに男の子は答えず、黙ってニヤニヤ笑っています。
「あんた、ちょっと変わってるね?」
綾子はそう指摘しつつも、容器から飴をひとつぶ摘まみました。
普通の飴のようです。
とくに変な様子は見受けられません。
香りはメロンか、ストロベリーのようでした。
綾子は意を決して、指さきに摘まんだ飴ちゃんを口元へ持っていこうとしました。
そこへ、
「だめ、綾ちゃん!!!」
あわてて駆け寄ってきためぐみが、そのまま勢い余って綾子の背中にぶつかりました。
そのはずみで押しだされ、バランスを崩した綾子の上体はカウンターへと倒れこみ、勢いよく前方へと転げました。
ちょうど、ロープ際で反則をカウントしていたレフェリーが、ほかのレスラーの体当たりに弾かれ、トップロープを越えてリングサイドへ転げ落ちるような──そのような感じでした。
飴玉を摘まんでいた右手の指さきが、ぬるりと温かく濡れたものに包まれていると感じた瞬間、綾子はあわてて手を引きました。
直後、
「ぐぐぐっ!」
サザエが息を詰まらせて苦しんでいるような、へんな声が響きました。
神よ!
なんと、綾子がやっと身体を起こしたそのときには、例の男の子が喉をかきむしりながら苦しんでいるところだったのです。
綾子は濡れてしまった指さきから飴玉が消えていることに気付きました。
指が……濡れている……。
少年は白い喉もとをゴクンと上下させたかと思うや、そのままガクッと意識を失い、カウンターに突っ伏してしまいました。
「どうしよう、ぐみちゃん!」
「にげよう綾ちゃん、この子はあれよ、異星人よ、スタミナ星人よ綾ちゃん! おそらく!!」
「いや……ちがう、この子は人間よ……」
銀色の髪の毛の少年は、ぐーぐーと寝息を立てています。
そのときでした。
カランコロン、と古風なベルの音がしました。
新しい客が来たようです。
2人は入口のほうを振り向いて、客の様相を見た途端、ぎょっと目を見張りました。
綾子は素早く、ポケットからカスタネットを取りだし、カチ、カチ、カチと奏でました。
「花開く! フラワー・スタート!」
綾子の身体の輪郭が、見たことのない様々な色彩に光りました。
虹色になった身体に布状のものが巻き付いていきます。
花! 華! 花! 華! 花!
と宙にそんな5文字、いや6文字の浮かぶビジョンが見えました。
「わたしは花の少女ガール綾!」
綾子の覆面で隠した眼差しが、玄関口の不審な男を射抜きました。
「なぜ俺がスタミナ星人だと分かったんだよ!!」
入口の客は逆上した様子で、みるみる身体を青色に染め、正体をあらわにしていきます。
「なぜ俺がスタミナ星人だと分かったんだ!!」
男はカァーッと口のなかを鳴らすと、ペッ! と床にタンを吐きました。
「そこよっ!」
綾子の手のひらから次から次へ生まれては開いた花びらが、まるで意思を持った蝶かなにかのように舞い、一直線に男の胸を貫きました。
「ぎゃー、やられた」
男は傷口から赤いガスのような気体を噴出しながら、リノリウム張りの床、さきほど自分がタンを吐いたそのあたりにビターンと倒れました。
青い身体は、まるでアイスのようにドロドロと溶けていき、タンとからまりあって、やがてただの水溜まりになって広がります。
静寂が店内に戻りました。
少年はまだカウンターに突っ伏したままで、ぐーぐーと眠っています。
綾子は変身を解いて素顔に戻ると、ガラスの容器に残った飴玉のひとつを摘まみ、めぐみの目の前に掲げました。
「ぐみちゃん、この飴は、睡眠薬だったのよ」
「スイミンヤク?!」
「そう……睡眠薬だから、眠ってしまった……」
「じゃあ、この子は綾ちゃんに飴を……、それで、いったい何を……」
「きっと、私が最近眠れなくて、グリナやネルノダを毎晩飲んでいることを知っていたのかしらね……」
綾子はスッと手をのばし、眠っているその子の、銀色というよりは雪の色に近い髪をなでました。
──でも、なぜ……?!
綾子は雪色に透き通る髪の毛に指さきをくぐらせました。
さらりと髪は指に遊ぶのです。
──なぜ、わたしが睡眠不足だと、きみは知っているの?!
綾子の表情はかたく引き締まっていました。
綾子は眠っている少年の雪のような髪を掴むと、ぎゅっと握りました。
親友のめぐみは腕組みをしながら、そんな綾子の様子を黙って見つめていました。
→ 第26話「異星人よ、さらば」
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