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  忘れ物


 高校を卒業して随分経ったが、どうも33Hの教室に忘れ物をしてしまったらしいのを今頃思い出した。
 一体何を忘れてきたのか、どうしても思い出せないのが不可思議で、気持ちの悪いことだけれど、どうしても忘れた感覚が強く頭を支配して、居ても立ってもいられなくなってきた。
 実は卒業式の日、式が終わって、最後のホームルームも終わって、そしてその後教室で、仲間同士集まって何らかの話をして、いよいよ解散したあと、帰る前にちょっとした用事で教室を離れていたのだが、それで戻ってきたら教室の扉の鍵がすでに閉まっていたのである。それを、今日になって思い出した。
 私は、今通っている大学の授業がひけてから、急いで高校を目指した。外は雨風が吹き荒れて、大嵐になっている。雷もひっきりなしに鳴っていて、街の人もみんなこんな日には外に出ないらしく、空の暗さも相まって、まだ夕方の五時くらいだというのに夜中のように思えた。私は、はやく忘れ物を取り戻して帰りたいと思った。
 高校は今年度から改築工事が始まっている。もう工事が終わったのか、少し早すぎるようにも思えるけれど、校舎内はすっかり様変わりして、あのころの面影は一切無かった。私は、高校時代を無に帰されたような気がして、寂しくなって、涙が出てきた。
 33Hのある二階は、丸く大きな吹抜けが真ん中にあって、その周りを円形に取り囲むように廊下があるフロアになっていた。改築というよりは、新築に近い様相で、どこをどういじったらこうなるのか、疑問に思えた。
 吹抜けを隔ててすぐ向こうに教室は見えるが、フェンスのない崖っぷちの廊下を廻り込んで行かなければならないようになっていた。小走りに、それでも落っこちないように気を付けながら行くと、途中に、部活の後輩である火事君がいた。
 久々に会うので、とりあえずOBとして、放送部の調子はどうだと尋ねたところ、
「放送室は4時から5時の間は入れなかったけど、今は入れる。」
 と、相変わらずもそもそした声で言った。
 そんなことは、今は引退してしまっているから知らない。だいたい、4時から5時までの間は入れないとか、そんなことも聞いたことはない。それで、私が引退してから決まったことなのかと訊いたら、
「もう入れるようになったから、元に戻った」
と言う。そんなことは訊いていないのだが。どうも火事君は要領が悪くて困る。
 彼の背後には、その放送室ことスタジオ操作室があった。前は1階にあったが、2階に移転したとは便利になったものだ。ちらりと覗いてみるに、改築後のスタジオ操作室は和室風で、生意気にも違い棚などまであり、掛け軸すらあって、不相応に豪華なようだった。放送部は、この際はっきり言ってみれば私の力でもっていたようなもので、火事君はおそらくおこぼれを授かるだけでお家断絶の道を歩ませてしまう、物足りない後継者にすぎないだろうと思われる。そんな彼にこんな豪華な部屋が与えられて、私の時代には防音装置さえなかったのは、納得できる話ではない。
 火事君と別れ、崖の道を巻いて行って、ようやく33Hに着いた。フロアじゅう暗い中で、その教室の窓にだけ明かりが漏れていた。少しドアをずらすと、先生方が大勢いて、そこで会議をしているようだった。ひとりの先生がひどく睨むのでそのままドアを閉め、終わるのを待っているうちに、ドア横の壁に貼り紙があって、忘れ物をとり返すには手数料がいるという内容のことが書いてあるのが判った。その料金、430円也。改築でお金が足らなくなってきたのだろうか。嫌な世の中になったものである。
 やがて会議が終わったらしく、先生方がぞろぞろ出てきた。放送部の顧問の八戸ノ里先生もいた。
「おや、君と再び会う日が来るなんて」と、八戸ノ里先生が気取った口調で言った。
「今日は430円を払いに来ましたよ」と言って、暗に忘れ物をとりに来たのだということを表明すると、
「いや、そんなお金はいらないよ」と言う。
 どうやら、貼り紙は単なるいたずらで、取り越し苦労だったようだ。
 安心して33Hに入ると、教室の後ろに荷物がごろごろ並んでいた。これらが、卒業生が忘れていった道具類らしい。
 私はその中からすぐに忘れ物を見つけた。これだこれだと、私は中を確かめようと思ったけれど、忘れ物はところどころ破けており、しかも赤や白の、気味の悪い粘液状の液体でぬるぬるになっており、手で触れるとつるりと鰻のようにすり抜けてしまって、どうにも掴めない。
 先生方が見ている手前、私は恥ずかしくなった。そのうちに、私の忘れ物をこんなぬるぬるにしたのは、奴ではないかと思い出した。奴というのは高校時代の同級生で、憎たらしき腹黒派だがそのくせ先生方からは好かれているという、目も当てられぬほど嫌な男であった。私は、よくも、と思い、思わず目の前の空気を殴ってしまった。するとどうしたことか、近くにいた一人の男子生徒の頭に拳が命中してしまった。相手は一瞬びっくりしたようだったが、すぐに目を剥いて、手前ぇとばかりにつかみ掛かってきた。私は、これはいけないと思って「先生、先生」と叫んだが、先生方は、
「430円も払わんくせに、いい気になるな」と口を揃え、それが合図となってみんなで殴りかかってきた。
 教職にある方々であるにもかかわらず、何ということだろう。私は、しゃがみこんで彼らの拳を耐えた。が、ふと気付いてみれば、これこそどうしたことか、私は彼らの殴打をちっとも痛く感じていなかった。むしろ、ふにゃふにゃした感触で気持ち良いではないか。私は連中に「もっと殴って」と請願した。すると、連中はより強い勢いで殴ることによって、それに応えた。殴るだけでなく、蹴りも入ってきた。
 ところが、誰かの平手が背中に入った直後である。それを境にして、急に痛みを感じるようになった。パンチが後頭部に入ると頭が揺さぶられるようになり、ローキックが背中に入ると窒息しそうになった。私は「やめろやめろ」と悲鳴を上げたが、今度は誰かが包丁を持ち出してきたと見えて、白く光る切っ先が目に入った。もうだめだと思った。最期に、包丁を握っていた奴の顔だけでも見て死のうと思い、渾身の思いでやっと視線を上げると、それは火事君だった。



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*この小説はフィクションですから、実在の人物・団体等とはなんら関係ありません。

*この小説の執筆にAIは使用していません。

*無断転載をお断りいたします。

 平成15年(2003年)2月7日初出

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