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  警 官


 ふとした用事があったので郵便局へやって来たら、こちらが何もしていないのにいきなり警官に睨まれて、素早く押さえ込まれて腕を逆に捻られた。
「何をするのですか」と私は必死になって叫んだ。
「君は新見へ行くんだろう!」と警官が云った。
 新見は岡山の北にある盆地の街だということは知っていた。が、そんなところへ行く予定など無い。
「新見なんて行きませんよ、放して下さい!」
 警官は聞く耳など持たぬ様子で、私の手首に手錠を掛けた。
「さっきお前が送った郵便物が、新見ゆきだっただろう」
 私は物を送りにきたのではない。貯金をしにきたのだ。そう訴えると、警官は本当か、と局員を問いただした。それまで知らぬ顔で坐っていた女子局員が、はい。と肯定してくれた。それで疑いは晴れた。
「これは悪かったでございます」
 警官が変な日本語で平身低頭した。こういうときにつかう言葉が、すらすらとは出てこないようだった。警官というよりはルンペンのような、貧相な顔の警官であった。
「はやくこれを外して下さい」
 金属の輪に拘束された腕を警官の目の前へ突き出そうとしたが、手錠は相手の腕にも繋がっているから、重くて持ち上がらなかった。
「ワッパは署へ帰らんと、鍵が無うて、外せんのです、はぁ」
 警官は開き直ったような顔をして、淡々と云う。
 仕方がないので、一緒に警察署へ行こうということになったが、本当に容疑者として連行されているように見えないかと心配であった。
 局の出口に差し掛かったときである。突然サイレンが鳴り響き、それに呼応するようにシャッターがガラガラと音を立てながらひとりでに閉まってきた。サイレンは局が鳴らしたのではなくて、外から聞こえている。私はびっくりして、警官に何が起こったのだと聞いたが、警官は、
「本職にも分からないのであります」
などと云って、本当におろおろした様子である。こんな事で治安が守れるのだろうかと、私はいらいらした。
 とにかく行こうという事で、裏の非常口から外へ出た。サイレンは依然として鳴りっぱなしだが、それと対極を成すように、空はあっけらかんと晴れ渡っている。
 建物の裏の路傍にパトカーが赤色灯をまわして待機しており、中からもう一人警官が出てきた。
「それが例の凶悪犯でありますか」
 私はぎょっとして、その警官を見た。脂ぎった顔付きで、いかにも血気盛んなようだった。私と手錠で繋がっている警官の貧相な顔と好対照である。
「この人は、手違いでありました。それより早く出しましょう」
 脂警官は、はいであります。と妙な返事をして運転席に入り、エンジンをかけた。
 と、貧相警官が、ああ、しまった。とつぶやいて、額を手の平でぴしゃっと叩いた。
「どうしたのですか」と私は尋ねた。
「この車は二人乗りなのでありますよ」
 犯人を護送しなければならないパトカーなのに、そんな馬鹿なことがあるのかと私は思ったが、確かに車は席が二つしかないスポーツカー風の形態であった。
 貧相警官は、車の中の脂警官と何だかひそひそ相談をしている。どうするのだろうと、私は他人事のように見ていた。まだサイレンは鳴ったままである。よく飽きもせずに鳴らし続けられるものだ。
 やがて、警官二人の方で決着が付いた様で、脂警官のほうが、
「屋根に乗っていただきます」と云った。
 屋根に乗るなどとは一体どういうことなのか。そんな車の乗り方はしたことがないし、大体それこそ法に触れそうな危険行為ではないか。
「心配しなくてもいいですよ。本職も隣に乗りますので」
 貧相警官はそう云ったが、大体手錠で繋がっているのだからそれは当然ではある。
 とにかく、それしかない様なので、私達はボンネットを足場にして上がり、車の屋根に仰向けになって寝転んだ。天井の赤色灯の出っ張りがお腹に当って苦しいのではないかと思ったが、心配することも無く、赤色灯はちょうど二人の間になった。
 車はすぐに発車した。警官とは思えない乱暴さで、カーブもスピードを落とさずに突っ込んでいくから、つかまっている方は大変な思いで、さながらサーフィンのような具合である。警察の不手際でよくもこんな目に遭わせてくれたものだ。無事に生きて帰ることができたなら、即座にしかるべきところへ訴えようと思う。
「落とされないで下さい」
 貧相がそう云うが、むしろそれはこちらのセリフである。彼が振り落とされれば、私も連れて行かれて路上に叩きつけられることになる。
 パトカーは高速道路に入り、ますますスピードを上げだした。警察署へ行くのに、なぜ高速に乗るのだろうか。貧相が何だかしゃべったようだが、風切り音に散らされて全く聞こえない。前からぶつかってくる風圧が、まるでコンクリートの塊のように感じられてくる。
 ろくに辺りの景色も見られなかったが、気付くともう東京が近いらしい。高層ビルの群れや、首都のランドマークの赤い鉄塔が前方に見えてきたようだった。それがだんだん鮮明に見えはじめたので、私はパトカーが速度を落としたのだと分かって、ほっとした。こんな短時間で東京の近くにまで到達したことは変に思えるが、ひょっとすると気付かないうちに大分気絶していたかも知れなかった。
「これから本庁へ行きます」
 と、貧相が云った。警察署は私の街にもあるだろうに、どうして東京の本庁まで行こうとするのか、私には理解できなかった。
 車はインターチェンジから降りると、一転して、山道のような、田舎道のような寂しい田んぼの中を走っている。辺りは田園風景だが、けれど遠くには高層ビル群が見えていて、田舎なのか都会なのか、正体のさだかでない道である。
 ここはいったいどこなのかと悩んでいると、いきなり前方に見えていたビルのひとつから、白や黒の煙がもくもくと上がってきた。おや、と思って眺めていると、途轍もなく巨大な爆風がパッと上がり、ビルが一瞬で崩れ落ちた。私は、唖然としてその光景を見ていた。貧相警官の方を向くと、どうしたのでしょう、と自問自答気味につぶやき、脅えている。
 本当にどうしたのだろう、今度は赤いテレビ塔が火を噴いて、落雷を受けた巨木のようにゆっくりと倒れてしまった。その向こうで、またビルから煙が上がっている。
「もしかして、連中が攻撃を開始したんじゃなかろうか」
 貧相が、今にも泣き出さんばかりに脅えきった顔で云った。
「連中とは、一体何ですか、誰ですか?」
 貧相は、私の質問も聞こえないようで、そのうち顔を両手で押さえて震えだし、そしてぐったりと動かなくなってしまった。遠景に見える東京の街は、あちこちのビルから出たらしい火事で、真っ赤に染まっているようだった。雲一つ無く広がっている青空に、炎が不気味な具合で浮き立っている。
 パトカーは、今まさにその瞬間にも、襲われている首都に向かって走っている。どうして引き返さずに、あの猛火の地獄へと突っ走るのかと思う。
 私は助手席の窓を左手でどんどんと叩いた。
 反対側の運転席の窓から、何だという顔で脂警官が首を出した。
「お巡りさん、引き返した方がいいんじゃないですか!」
「なぜだ!」
 脂警官が、大声を上げた。うずくまったままの貧相警官はそれに反応してピクリと顔を上げかけたが、すぐにまたうつむいてしまった。
「このまま東京に行ったら、危ないじゃないですか!」
「黙れ! すでに大阪、名古屋、札幌、福岡、越後湯沢の5大都市が奴らにやられておる。どうせ我々もあとわずかの命じゃ、ここで華々しく散らしてやろうぞ!」
 脂は、もはや何かにとり付かれた様な様相で、金切り声に近い声で叫んだ。私は、何とかして彼を止めなければならないと思った。越後湯沢がどうして5大都市に入っているのかという疑問などは、どうでもよかった。
 空が見る間に赤く染まっていくのが、ありありと見て取れる。まるで傷口にあてた脱脂綿のように、青空に赤が広がっていく。
 黒煙を上げる東京の街はどんどん近付いてくる。脂警官を止めようにも、ここは屋根の上だし、飛び降りるにはスピードが出すぎている。それに、余計なものも手に繋がっている。さすがに私は、もうだめだと思った。
 覚悟を決めて歯を食いしばっていると、ぐったりとしていたはずの貧相警官が、
「最初から、道連れにするつもりだったんだよ、君」
 などと云い出した。びっくりして彼の顔を見ると、さきほどとは打ってかわって、眼は血走っており、口は不気味に裂けていた。その狂気に満ちた表情は、脂警官といい勝負であった。
「すべてはお芝居だったのだよ、君。本職も演技が上手いだろう、こう思わんか?」
 貧相警官は一人で冷たく笑っている。燃え盛るビル群が、あと数キロという所にまで近付いて来た。



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*この小説はフィクションですから、実在の人物・団体等とはなんら関係ありません。

*この小説の執筆にAIは使用していません。

*無断転載をお断りいたします。

 平成15年(2003年)2月14日初出

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