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味わいバス停は生きている

 小 原 おはら

最終修正:令和5年9月30日 (1)


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 平和町の奥の奥、内川ダムの手前の最奥の終点だった小原……。[25]番の終点として長い間、維持されてきましたが、残念ながら平成30年(2018年)12月1日改正で内川小学校前折り返しとなり、廃止されてしまいました。


 
 ありし日の小原のバス停です。転回所とのりばが離れているタイプの終点でした。

 小原へのバスは昭和33年(1958年)7月6日に開業。住民らが子ども達の進学への想いを綴った作文を北鉄へ届けるなど、交渉を重ねて運行へこぎつけたといいます。

 それまでは小原から金沢市街まで大人の足でも1日がかりだったというだけに、開業の日の歓迎ぶりは盛大だったようで、小雨の降るなか、約300人の住民が小旗を振りながら集まり、『ああ内川にバスが来た』というお祝いの歌まで披露されたそうです。

 開業の日を報じる北國新聞によれば、おばぁさん達は「下駄履きでお寺参りができる」と大喜び。中学生たちは、それまで下宿代のために進学を諦めていたものがバス通学によって高校進学が可能になり、若い人たちも映画、図書館、スポーツなどが手軽に楽しめるようになったということです。まさに地域の文明開花が路線バスによってもたらされたといえるでしょう。


 
 のりばの向かい側で降車扱い後、転回所へと回送していくバスです。


 
 雨にけむる小原。こうして見ると、大きい集落ですね。

 「小原」という地名は、山間部にある平らな地形に由来するそうです。


 
 小原の転回所です。道路の膨らんだところを巧みに利用していました。


 
 立派な桜の木がありました。

 平成28年(2016年)10月29日付け北國新聞朝刊によると、平成28年(2016年)10月30日に開催された内川小学校の文化祭において、児童らが内川へのバス路線開通を題材にした劇を披露したそうです。

 劇は進学を希望する内川地区の中学生が「高校が遠くて、下宿じゃないと通えない」と肩を落とすシーンから始まり、当時の校長がバス開通を祝して作った歌『ああ内川にバスが来た』も披露されたようです。

 先人の尽力と路線バスへの感謝の気持ちが、劇として結実したのでしょう。

 平成30年(2018年)11月30日を最後に小原への運行は廃止となりましたが、内川地区の中心である内川小学校前までの区間は、引き続き路線が維持されています。


\ここより奥は内川ダムだね/
 


参考文献
 「北國新聞縮刷版」各号
 「角川日本地名大辞典 石川県」
 北陸鉄道社内報「ほくてつ」各号
 「北陸鉄道五十年史」


*バス停は生きていますので、外観や表示類、風景などには変化が生じている可能性があります。あしからずご了承下さい。
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