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味わいバス停は生きている

 西割出 にしわりだし

最終修正:令和6年1月28日 (61)


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 金沢市の北西、北陸道と国道8号線バイパスを越えた問屋団地近くに位置するバス停です。停留所名は「北鉄本社前」でも「西部車庫」でもありませんが、北陸鉄道(株)本社および金沢営業所、北鉄金沢バス(株)中央営業所、そして両営業所共用の車両拠点「西部基地」の最寄りとなっており、北鉄の“お膝元”といえる停留所です。

 「割出」という地名は、藩政時代、大名の所領地のなかから土地を分割して、つまり「割り出して」新しく独立した村を立てたことから生まれたのだそうです。その西側にあることから「西割出」となったのでしょう。


 
 粟崎・内灘方面の停車する郊外方向のりばです。薄型で丸板部分のない、いかにもイマドキという感じの電照ポールが設置されています。北鉄公式サイトの時刻検索では「西割出-A」で登録されています。

 なお、このバス停は昭和50年(1975年)10月19日までは「西部車庫」という停留所名を名乗っていたようです。
 (情報ご提供:ぽんさん)

 なぜ改称されたのか、その経緯は不明ですが、私たちマニアにとっては「○○車庫」の方が分かりやすくても、一般の利用客にとっては地名を名乗っている方が分かり良いでしょう。


 
 歩道側に次の停留所名が示してあるのは珍しいような気がします。新バスシステムには対応されていません。


 
 (過去)令和3年(2021年)4月上旬に大きく損壊してしまったらしく、臨時ポール対応となっていた時期もありました。令和3年(2021年)9月下旬に訪れたときもこの状態でしたが、遅くとも令和3年(2021年)10月下旬には復旧をみています。臨停は丸板の社名が「バスのりば」と表記されている比較的珍しいタイプのものでした。


 
 (過去)損壊前もいまと同様の薄型電照ポールでしたが、表示類は少し違っていました。丸板のイラストが小さいです。


 
 市内方向のりばです。北鉄公式サイトの時刻検索では「西割出-B」で登録されています。

 平成12年(2000年)12月8日、北鉄経営のコンビニエンスストア「サンクス金沢割出店」の開店とともに上屋の建て替えも行われ、00年代以降に多く見られるようになった屋根の丸い透明感のあるシェルター上屋が設置されました。新バスシステムの接近表示もこのときに新設されています。


 
 令和2年(2020年)3月までに、本のりばは液晶画面にバス時刻や案内、路線図などが表示される「スマートバス停」となりました。現在は実験運用中のようで、通常の時刻欄も併設されています。


 
 スマートバス停の画面です。その時間帯の運行便が大きく表示されるのが分かりやすいですね。


 
 (過去)令和3年(2021年)8月30日〜10月22日にかけ、市内方向のバス停はバス停の修繕工事が行われる関係で臨停対応となっていました。ちょうど反対側のバス停も破損により臨停となっていたため、本社最寄りのバス停でありながら両方向とも「臨時」ポールという珍しい状態となっていた時期も……。


 
 市内方向のりばに面して「江守クリニック」がありますが、建物の形状からも明らかなように、元コンビニだった建物です。ここには以前、北鉄がフランチャイズ経営していたコンビニエンスストア「サンクス金沢割出店」がありました。

 かつて予備車や共同運行会社の高速バス車両の停泊していたスペースが転用されたもので、当初は(株)北鉄ホームサービス経営の店舗として平成12年(2000年)12月8日にオープンしています。石川県立図書館所蔵の社内報「ほくてつ」によると、(株)北鉄ホームサービスの事業終了により平成14年(2002年)4月から北陸鉄道(株)直営となり、営業が続けられていたようです。

 しかし平成17年(2005年)9月頃に同店は北鉄の手を離れ、その後数年して閉店。その後釜として「江守クリニック」が入り、現在に至っています。

 「江守クリニック」は西割出での車内放送でもおなじみで、『地域の皆様の健康をトータルケア。内科、神経内科、脳外科、リハビリテーションに癒しの施設を備えた江守クリニック前でございます』とのコールが思い出される方も多いのでは。


 
 (過去)平成11年(1999年)頃の写真です。青屋根の上屋があり、停留所に面して予備車置き場がありました。この場所がのちにサンクス割出店、現在は江守クリニックとなっています。「せいぜいご利用下さい」を撮影したくて撮った、こんな写真しかありませんが、本社前の停留所にしては何となくうらぶれたような、当時の雰囲気は伝わってくるかと思います。


 
 停留所に近接して西部基地の入口があります。入口が狭く、奥が広がっている構造で、周囲を建物に囲われているため、外から車庫の全容を見ることはできません。この写真の左手手前に見えているのが北陸鉄道(株)金沢営業所の旧管理棟だった建物です。新しい管理棟が完成したことにより、52年にわたって親しまれてきた旧営業所の管理棟は役目を終え、いまは労働組合の事務所として活用されているようです。

 西部基地が完成した当時、付近はかつて広大な田園地帯であったらしく、その当時を知るOBの方によると、本社および西部営業所(現:金沢営業所)がこの地へ移転してきた頃、乗務員さんの間では西部営業所のことを「ララミー牧場」という愛称(?)で呼ぶのが流行していたそうです。

 まるで西部劇に出てくる荒野の牧場のようにだだっ広い敷地が雄大に広がっていたことから付いた名といいますが、その後バイパス至近である利便性から企業の進出や宅地化が進み、とても“牧場”などという風情は感じられなくなっています。

 構内には名鉄自動車整備(株)北陸支店西部工場があり、バスの点検・整備は基地内でも行われているようです。


 
 令和3年(2021年)11月24日、老朽化していた管理棟の建て替えが完成し、見違えるほど綺麗な建物に変わりました。令和3年(2021年)1月より営業開始ということです。なお、この写真は敷地外の歩道上から撮影したものです。

 北陸鉄道(株)金沢営業所は、北陸鉄道本社が当地へ移転してから1ヶ月後の昭和43年(1968年)11月13日に「西部営業所」として発足。泉本町にあった泉営業所の機能を移転し、当初は金沢市西部のみならず、各地への近郊路線も担当する営業所となっていたようです。

 平成13年(2001年)3月4日には高速バス・貸切バスを専門としていた(旧)金沢営業所の機能も集約されており、高速バスの運行も担っているほか、城下まち金沢周遊号や金沢ライトアップバスなどの観光周遊バス、金沢ふらっとバスなどの運行も担当しています。

 平成18年(2006年)4月29日からは「金沢営業所」と改称され、名実ともに金沢地区のリーダーといえる営業所に。あわせて東部・南部の両営業所が支所として金沢営業所の管理下に置かれることとなりました。ただし車体の営業所標記は「西」のまま変更されていません。


 
 西部基地の敷地は北鉄金沢バス(株)中央営業所との共用となっていることもあり、やや手狭な模様で、営業所の外側にも第二車庫のような形で駐車場があります。この場所は以前はふらっとバスの駐車スペースとなっていましたが、いまは一般車両の駐車に使用されるようになったようです。この写真は敷地外からの撮影です。管理責任のある方の許可を得ずに営業所敷地に立ち入ることのないようお願いします。


 
 令和4年(2022年)12月3日、12月10日の2回にわたり催行された「第7回北鉄バス車庫巡りツアー(北鉄金沢バス北部営業所・北陸鉄道金沢営業所編)」では、西部基地での撮影会が行われました。

 北陸鉄道(株)金沢営業所と北鉄金沢バス(株)中央営業所が同居する西部基地は非常に車両の出入りが多く、また通路も入り組んでいて狭いため、事故防止のためもあり、もっとも奥にある西部寮の前のスペースを使って展示会が行われました。


 
 西部基地の横道を東へ歩くと、まもなく北陸鉄道(株)本社社屋が見えてきます。かつて兼六園下の、現在県立駐車場になっている場所にあった北鉄本社が当地へ移転してきたのは、市内電車が廃止された翌年である昭和43年(1968年)10月1日。創立25周年の節目のことであったようです。いまではこの割出本社のほうがはるかに長い歴史を歩んでいることになります。


 
 北 陸 鉄 道。


 
 田園風景のなかに浮き立つ西部基地。裏手からの遠望。奥側が北鉄金沢バス(株)中央営業所の駐車スペースとなっており、貸切車が並んでいます。左手に見える建物は北陸鉄道「西部寮」です。中央営業所の管理棟は、本社社屋や西部寮に囲われており、外部からはよく見ることができません。

 「西部寮」は昭和44年(1969年)10月31日に完成。「北陸鉄道の歩み」によると、鉄筋コンクリート3階建てで、当初の設備は1階に食堂、理髪所、男女浴室、100人収容の集会所。2階には管理人室のほか、男子7室、女子5室、50人収容とあります。

 平成6年(1994年)5月2日には女子社員寮「サンミューズほくてつ」が完成したことに伴う大規模な改修工事が完成。1階には集会室を拡張し、従業員研修などにも使用できるようになったほか、女子浴室は男子シャワールームとなり、2階には観光・高速・西部営業所乗務員および高速バス共同運行会社乗務員の仮泊室が設けられたということです。

 令和4年(2022年)3月22日には西部寮1階に(株)北鉄航空本社が移転してきました。野々市車庫の廃止によるものですが、この移転時に旅行センターの窓口業務は廃止されています。

 また、北鉄金沢バス(株)中央営業所の前身は「北鉄金沢中央バス(株)」で、平成10年(1998年)4月1日に旧金沢営業所の貸切部門の一部を譲り受けて開業しています。これは貸切バスの規制緩和に備えたものだったようで、当初は貸切業務のみの営業でした。初代社屋は「サンミューズほくてつ」の1階を使用していたそうです。

 平成12年(2000年)3月26日より鶴ヶ丘住宅線、運転免許センター線の移管および内灘線など一部路線の管理受託を開始。平成13年(2001年)3月4日の金沢地区分社化の際に北陸鉄道(株)から多数の路線を移管され、本格的に路線バス事業に進出しています。

 これにより、社屋もサンミューズ内から基地構内の旧金沢営業所(観光バス・高速バス部門の営業所)だった建物へと移転しています。

 この建物はもともとは昭和44年(1969年)3月28日に完成した貸切センター管理棟だったもので、それが観光バス営業所を経て旧金沢営業所、そして北鉄金沢中央バス(株)本社へと変遷していったわけです。

 同社は平成16年(2004年)3月6日からは高速バス(富山線、大阪線)の運行も開始するなどしていましたが、平成24年(2012年)10月1日、金沢地区のグループ会社合併により「北鉄金沢バス(株)」が発足し、旧北鉄金沢中央バス(株)は北鉄金沢バス(株)中央営業所となりました。


 
 北陸鉄道本社の横に、「北鉄のお不動さん」として知られる小さなお堂があります。この「大日大聖北鉄不動明王」と呼ばれる不動尊は、初代北鉄本社が兼六園下の現在県営駐車場になっている場所にあったとき、敷地が藩政時代の刑場跡地だと言われていたことから、初代社長だった林屋亀次郎先生(元国務大臣)が「北鉄百年の安泰」を願って安置したものだそうです。

 その後、一時は金沢市東兼六町の曹洞宗雲龍寺へ預けられていたこともあったようですが、昭和24年(1949年)7月20日に本社工場から出火し、諸施設が焼失したことを機に、再び本社内へ戻され奉納されたといいます。昭和43年(1968年)10月1日、本社が割出町へ移転したとき、お不動さんもこの地へ遷座され、以来北鉄の守り神となっています。、

 石川県立図書館所蔵の北陸鉄道社内報「ほくてつ」令和3年(2021年)3月号によると、現在もお不動さんの縁日にあたる毎月28日前後には役員や管理職の方々が参列して曹洞宗雲龍寺のご住職による祭礼が営まれているそうです。


 
 西部基地のちょうど裏側に、グループ会社の北陸ビルサービス(株)が管理する賃貸物件「サンミューズほくてつ」があります。前述の通り平成5年(1993年)11月に女子社員寮として完成したもので、現在は単身向けアパートとして一般に賃貸されていますが、公式サイトで室内の写真を見るに、ベッドや机、タンスなどが作り付けとして用意されているようで、寮だった頃の構造を思わせます。

 平成17年(2005年)8月4日より男性の入居募集が開始され、この頃から女子寮から一般的な単身向けアパートへと変わっていくこととなります。


 
 このサンミューズ1階には北陸鉄道グループのソフトウェア開発会社「(株)ホクリク・コム」のオフィスもあります。

 「(株)ホクリク・コム」は「北陸鉄道五十年史」によれば平成2年(1990年)4月5日に北陸鉄道事務機械課を分離・独立し「(株)北陸名鉄コンピュータサービス」として発足。平成4年(1992年)6月16日にはジャンボボール内に「金沢センター」も新設されたそうです。その後、平成14年(2002年)7月1日に現在の社名となっています。

 「金沢センター」オフィスが現在のサンミューズ1Fに移転したのは平成18年(2006年)4月25日のことのようです。ここを拠点に、「北鉄時刻表アプリ」や「ビジュアルバスロケーション」など優れたバス利用システムが次々と開発されているわけです。


 
 (過去)以前は西部基地の隣接地、ちょうど西割出バス停の郊外方向のりば向かい側に北鉄グループのビルメンテナンス・不動産管理・清掃会社である「北陸ビルサービス(株)」本社がありました。

 平成30年(2018年)6月18日、元の本社が入っていたジャンボボールの閉鎖にあわせて移転してきたもので、なんとなく北鉄離れした外観でしたが、元は(株)ファイネスという医薬品卸を営む会社の社屋だった建物を活用していたようです。

 北陸ビルサービス(株)は、もともとは北陸商事(株)(ガソリンスタンドの経営会社)が清掃請負業務を目的として昭和45年(1970年)8月に発足させたサービス事業部を母体としており、昭和55年(1980年)1月29日に分離・独立、ジャンボボール内に本社を置いて同年2月1日から営業を開始したものです。

 平成15年(2003年)4月より北陸鉄道(株)本体から移管される形で不動産事業を開始、アパートやマンションの管理にも着手しています。

 令和2年(2020年)6月1日、北陸ビルサービス(株)は古府町南の新社屋(旧金津電子(株))へ再度移転。旧建物は取り壊され、新営業所に隣接したバス駐車スペースとなりました。

 なお、令和4年(2022年)4月1日付で北陸ビルサービス(株)は北陸商事(株)を吸収合併しています。もとは同社から独立して生まれた北陸ビルサービス(株)が、今度はその母体だった会社を吸収することになるとは、まったく数奇な運命です。


 
 現在の同じ場所です。バスの駐車スペースとなっています。


 
 西割出から北陸鉄道本社前の道を東へ東へとまっすぐ進むと、やがて鉄道浅野川線の「割出駅」に行き当たります。浅野川中学校に隣接した駅で通学利用も多く、ラッシュ時には駅員も配置されています。

 全国の駅名を50音順に挙げていくと、一番最後にくる駅としても知られています。ちなみに最後から2番目は埼玉県の「蕨」駅だそうです。「わ“ら”」と「わ“り”」で、わずかな差ですが勝利を手にしたわけですね。

 駅ナンバリングは「A05」です。


 
 割出駅駅舎とホームです。踏切が隣接していますが、この踏切の名称は「磯部2号踏切」です。昭和49年(1974年)11月25日までは電車同士の行き違いが可能な相対式ホームを持つ配線だったそうで、柵で封鎖された空き地にその頃の名残りが感じられます。


 
 駅の反対側に回ってみると、かつては行き違いが可能だったことがよく分かります。旧ホーム跡は駐輪場、資材置き場、駅員の駐車場などとして活用されています。


 
 日本の駅名の大トリとなる「わりだし」の駅名標。なお、駅名は「割出」ですが、じつはこの駅のある場所は割出町ではなく、諸江町にあります。隣の磯部駅も同様です。諸江は南北にかなり広い町ですね。


 
 駅員さんのいる時間帯は片道切符を求めることができます。回数券のような束から一券片を切り離し、スタンプで発駅と日付を押印するという合理的な仕様です。以前は石川線の額住宅駅でも同様の乗車券を求めることができましたが、無人化により、いまではこの切符も割出駅だけの存在かも知れません。


\わりばし〜♪/
 


 こちらのページもどうぞ
 →問屋センター
 →三浦住宅前
 →東部車庫
 →南部車庫


参考文献
 「北陸鉄道五十年史」
 「北陸鉄道の歩み」
 北陸鉄道社内報「ほくてつ」各号


*バス停は生きていますので、外観や表示類、風景などには変化が生じている可能性があります。あしからずご了承下さい。
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