石川県第2の都市である小松市の玄関口・JR小松駅西口に広がるバスターミナルです。
以前の「小松バス(株)」を前身とする北鉄加賀バス(株)小松営業所のバスが多くを占めているため、県内のどこの駅前でも見られる北鉄カラーのバスの姿はごく少なく、旧小松バス由来の銀色に赤帯という“ウルトラマンカラー”のバスの姿が目立ちます。
かつてはジャスコをキーテナントとする「こまビル」に面したビニールテントのような上屋の乗り場がトレードマークでしたが、JR小松駅周辺の高架化、駅舎建替工事にともない大きく変貌、仮設ターミナルでの移行期間を経て、平成14年(2002年)11月18日、旧「こまビル」跡地に現在のターミナルが落成しました。
高速バスや金沢競馬場への無料ファンバス、各種シャトルバスなどは旧小松大和跡に造られた「こまつアズスクエア」横の専用のりばからの発着となっています。
:: 小松駅前バスターミナル
小松は大手メーカーの「コマツ」が有名ですし、ついそれと同じように「こ[まつ]」と平板に読んでしまいがちですが、地元の読み方は中高型で「ま」のみを高く「こ[ま]つ」と発音するイントネーションが本当です。

JR小松駅と北鉄バスです。

複雑な曲線を描くパイプアートがターミナルを飾る小松駅西口ロータリーです。発車時刻前のバスはロータリー中央円の周囲で待機します。

小松市内循環バス「こまち」が発車を待っています。地元・小松のJ-BUS小松工場で製造された小型ノンステップバスが使われている、地産地消のコミュニティバスです。

円形のバスターミナルは機能面でも優れています。このバスターミナルの造形は、市の花である「梅」をモチーフにしているそうで、上空から見ると梅の花の形に見えるようになっています。また中央のモニュメントを中心としたパイプアートは、市の木「松」と「雪吊り」をイメージしたものだそうです。

1番標識横手には、市が用意したらしい総合時刻表とバス路線図の表示板が設置されています。どういうわけか時刻が12時間制で表記されていますが、バス時刻といえば24時間制として慣れている側にとっては、少し分かりづらいような気がします。それとも一般の利用客にとっては、このほうが分かりやすいであろうと考えられたのでしょうか……。

その裏面には乗り方案内が分かりやすく図で示されています。石川県バス協会で作成されたクリアファイルにも同様のイラストが使用されていたことから、これを流用したものと思われます。

各のりばにある番号板です。下部にあった方面案内は改修工事によるのりば変更に伴って消されました。

(過去)方面案内があったころの様子。この看板は平成22年(2010年)頃に追加されたものでした。

駅舎にもっとも近い1番標識は降車場として使用されています。なお、北鉄公式サイトの時刻検索ページでは、以前は「小松駅-A」として登録されていました。

(過去)以前、1番標識は粟津線と市内循環「こまち」ののりばでした。駅前広場改修工事の影響で、令和5年(2023年)1月23日よりここが降車場として利用されるようになり、代わって粟津線、こまちは4番のりばに変更され、そして以前は4番から出ていた安宅線が3番標識へスライドしました。
その後、改修工事は終了しましたが、旧降車場は自家用車の乗降場へ転用されたため、引き続き工事中ののりば体系が維持されています。

小松市内の代表的路線である小松空港ゆき空港連絡線は駅舎を出てもっとも目立つ場所である5番標識から運行されています。以前は北鉄公式サイトの時刻検索ページでは「小松駅-G」として登録されていました。

「小松空港行きバスのりば」と大書された看板が設置されており、遠目に見ても分かりやすくなっていますね。

2番標識からは寺井方面の路線が発車します。小松駅前で唯一の北鉄白山バス(株)担当路線路線である佐野線もこののりばからです。この佐野線のみICaを使うことができます。
2番のりばは以前は北鉄公式サイトの時刻検索ページで「小松駅-C」として登録されています。なぜか「B」ではありませんでした。

3番のりばは、以前は北鉄公式サイトの時刻検索ページでは「小松駅-D」となっていました。
この3番標識にはポール上部にランプが設置されています。

(過去)このランプは「列車遅れ対応ランプ」だったもので、以前は8:07発の原ゆきに接続する電車が遅れた場合に点灯、その場合は最大15分まで待機する旨の掲示がありました。しかし平成26年(2014年)10月頃に訪れたところ、ランプこそ健在なものの、この説明看板は無くなっていました。

4番標識に停車する矢田ゆきです。以前は片山津温泉まで走っていた路線が短縮されたもので、JーBUS小松工場へのアクセス路線でもあります。
4番のりばは北鉄公式サイトの時刻検索ページでは以前「小松駅-F」で登録されていました。今度は「E」が飛ばされていましたが、「E」は降車場にあたるらしく、小松駅が終点となるバスはどれも「小松駅-E」で降車することになっていました。

令和5年(2023年)1月23日より、4番標識は粟津線、市内循環「こまち」ののりばにもなっています。4番が粟津線ののりばになったことで、もともと4番からだった月津線、矢田線とのりばが統一されましたね。

かつてバス降車場だったところは一般車の乗降場所となりました。

(過去)駅舎正面が降車場だったころの様子です。降車場は北鉄公式サイトの時刻検索ページでは「小松駅-E」で登録されていました。
JR小松駅は明治30年(1897年)9月30日に官設鉄道(のちの国鉄)の小松駅として開業。その後、国鉄時代の昭和41年(1966年)3月15日に完成(16日から業務を開始)したコンクリート造りの2代目駅舎で親しまれていました。
平成14年(2002年)11月18日に高架化に伴う現在の駅舎が完成し、東西の通り抜けも自由にできる現代的な駅となりました。

駅舎内には立ち喰いそばとして「加賀白山そば」小松店があります。バスあそびの前の腹ごしらえにも良いと思います。
加賀白山そば小松店は平成11年(1999年)にオープン。金沢駅のお店よりもメニューが豊富で、カレーライスなどのメニューもあります。北陸新幹線金沢開業前の金沢百番街改装工事中は金沢駅の店舗が休業していたため、この小松店が白山そば唯一の営業店舗となっていた時期もありました。
このほか、駅構内にはコンビニエンスストア「セブン-イレブン ハートインJR小松駅店」も営業しています。以前はジェイアールサービスネット金沢(株)の直営店舗「ちゃお小松店」として営業していましたが、JR西日本とセブン-イレブンジャパンの業務提携によりエキナカコンビニの「セブン-イレブン」への転換が開始され、平成26年(2014年)10月8日、北陸3県で初めて、駅構内の「セブン-イレブン」としてオープンしました。

平成28年(2016年)4月5日、高架下のテナントとして「カレーの市民アルバ 小松駅前店」がオープンしました。以前「らーめん屋元八」が入っていた区画です。竜助町の小松本店まで行かなくても、エキナカで気軽に金沢カレー(加賀カレー)が楽しめるようになりました。アルバとしては珍しく券売機式となっており、カジュアルな雰囲気です。

(過去)ショッピングフロア改装前の様子です

(過去)さらに「らーめん屋 元八」だった頃の様子です。

(過去)そのころ、管理人が好んで頼んでいた「ジャンボらーめん」です。

平成30年(2018年)4月1日、2番標識近くの高架下に無料休憩所「こまつ820ステーション」が開設されました。バスや列車の待合室として利用することができます。
“820”は「ハチニマル」と読みます。開放時間が8:00〜20:00までの間であることから名付けられたものと思われます。
ガラスはサンリオの人気キャラクター「ポムポムプリン」で装飾されています。なんでも、作者の方が小松市のご出身なのだそうです。

(過去)「ポムポムプリン」の装飾がなかったころの様子です。

「こまビル」閉鎖後、平成12年(2000年)7月1日から駅前にある「ハイパーホテル小松」1階のテナント部分に(株)北鉄観光と(株)北鉄航空の小松営業所が移転していた時期があります。この写真の一番左の区画に入っていたようです。これらの営業所は平成14年(2002年)3月31日をもって閉店しています。
なお、「ハイパーホテル小松」は(株)小松ビルディングが管理している建物で、「こまビル」の敷地が行政に収用されたことによる換地先として建てられたもののようです。

小松駅から西側の高架沿いに金沢方向へ少し歩くと、平成25年(2013年)4月29日にオープンした「土居原ボンネット広場」があり、かつて特急「雷鳥」号などで活躍したボンネット車両「クハ489−501」が展示されています。

令和元年(2019年)9月16日に行われた「航空祭2019」においては、このボンネット広場前に小松駅西口ののりばが設営されました。
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:: 小松駅南(アズスクエア)
平成31年(2019年)2月26日から北陸新幹線駅舎建設工事に伴って、「小松駅南(アズスクエア横)」バスのりばが開設されました。令和5年(2023年)4月1日に改修が完成し、それまでののりばは「Aゾーン」に。自転車置き場を挟んだ新幹線高架下に「Bゾーン」が新設され、高速バス、イオンモール新小松シャトルバスがそちらでの発着に変わりました。

平成29年(2017年)12月1日、小松大和跡地に小松市による小松駅南ブロック複合施設「Komatsu A×Z Square」がオープンしました。
ビルは8階建てで、1階にブックカフェ「プロント小松駅前店」や英会話教室「イーオン小松駅前校」、子育て拠点施設「カブッキーランド」など、2階と3階は平成30年(2018年)4月に開学する「公立小松大学」の中央キャンパス、4〜8階には「ホテルグランビナリオKOMATSU」が入ります。
「Komatsu A×Z Square」という名称は、AからZまで全ての要素を平等に引き受けるということを表しているそうです。小松の新たな"学びと賑わいの拠点"として期待が集まります。

平成31年(2019年)2月26日から北陸新幹線駅舎建設工事に伴って、「小松駅南(アズスクエア横)」バスのりばが開設され、それまで東口発着となっていた高速バスおよびボートレース三国、金沢競馬場への無料ファンバスのりばが当地へと移転しました。

アズスクエア横にある「Aゾーン」の様子です。もとはここだけが「小松駅南」のターミナルとなっていましたが、令和5年(2023年)4月1日に改修が完成し、高速バス、イオンモール新小松シャトルバスは自転車置き場を挟んだ在来線高架の向こう側にある「Bゾーン」へ変更されました。

「Aゾーン」の案内板です。マイクロバス、スクールバス、自動車学校の送迎バスと、金沢競馬のファンバスはこちら側を発着地としています。

のりばの向かい側には待合所も設置されています。

(過去)「Aゾーン」「Bゾーン」に分けられる前の「小松駅南」の様子です。停車枠は3つあり、高速バスは1番のりばを使用していました。

(過去)令和元年(2019年)9月17日より、東口整備工事の進捗とともに、イオンモール新小松へのシャトルバスなど各種施設への送迎マイクロバス乗り場がそれまでの東口よりアズスクエアへと移転、当初は使用されていなかった2番のりばからの発着となりました。

(過去)2番のりばに停車するイオンモール新小松ゆき無料シャトルバスです。

(過去)金沢競馬、三国ボートへの無料ファンバスは3番のりばに停車していました。

(過去)令和元年(2019年)9月16日に行われた「航空祭2019」の臨時バスにおいては、このアズスクエアが小松駅における降車場として利用されていました(乗車は駅北側のボンネット広場前)。

自転車置き場を挟んだ新幹線の高架下にある「Bゾーン」の案内板です。高速バス、イオンモール新小松シャトルバスは令和5年(2023年)4月1日よりこちらでの発着となりました。

「Bゾーン」に停車するイオンモール新小松ゆき無料シャトルバスです。運行は加賀市を本拠地とする(株)旭観光バスが担当しています。

「Bゾーン」のりばの様子です。

新幹線の郊外下にベンチが多数配置されており、雨をしのぎながら待つことができます。

(過去)現在「こまつアズスクエア」になっている場所にあった「小松大和」です。「こまビル」亡きあとも長らく小松駅前のシンボルとして在り続けました。元は「小松西武」だったデパートです。
前身の「小松西武」は昭和50年(1975年)12月20日に完成した第二防災ビル「尚成ビル」のキーテナント「西友小松店」としてオープン。当初はGMSという位置付けの店舗でしたが、昭和58年(1983年)9月22日に業態を変更して「小松西武」となり、石川県内3番目、また南加賀では初のデパートとして再スタートを切っています。
平成5年(1993年)10月1日には経営元であった(株)西武北陸が(株)西武百貨店に吸収合併され、西武直営のデパートとなっています。しかし、それも長くは続かず、西武は小松からの撤退を決定。あえなく平成8年(1996年)12月25日に閉店の日を迎えることとなりました。
西武の撤退に際して、行政や商工会議所は“小松からデパートの灯を消してはならぬ”とばかりに動き、北陸最大の百貨店「大和」を誘致。「小松大和」として平成10年(1998年)3月21日にオープンとなりました。同年7月9日には隣接して小松駅前立体駐車場も整備され、駐車場の問題もクリアしています。
その後も小松市唯一のデパート、駅前の看板として営業が続けられていましたが、平成22年(2010年)6月25日に閉店。建物は解体されました。

尾小屋鉄道線の起点だった新小松駅は現在の小松駅東口広場の南側にあったようで、以前は市営駐車場の一部として利用されていたのですが、北陸新幹線の高架が築かれたことで、その高架下が小松駅南バスのりばのBゾーンとして供用されるようになりました。

(過去)新幹線工事が始まる以前の様子です。
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:: 小松駅東口
小松駅東口へは現在はバスの乗り入れが行われていませんが、小松駅南(アズスクエア)へ移転する前の高速バスおよび競馬・競艇・競輪の無料ファンバス乗り場は小松駅東口ロータリーとなっていました。
かつてはこの東口側に、昭和61年(1986年)5月31日限りで廃止となった旧北陸鉄道小松線の「小松」駅が位置していたそうですが、そこへの連絡地下道を転用し、昭和63年(1988年)4月1日に小松駅東口改札口がオープン。このとき初めて東口側から直接JRのホームへ出入りすることができるようになったといいます。
小松駅東口バスターミナルは平成15年(2003年)2月1日に供用が開始され、同日より北鉄高速バス八王子線が乗り入れを開始しています。

小松駅東口の整備工事完了後、旧バスのりばだった場所はタクシーのりばとして利用されています。令和4年(2023年)10月26日から小松駅西口の改修工事が開始されており、西口にあったタクシーのりば、一般車乗降場は工事の終わった東口へと変更されました。

(過去)旧バスのりばの様子です。のりばは2つ存在しており、北側ののりばは北鉄高速バスの東京渋谷・八王子線のほか、金沢競馬場、三国ボート、それに当時運行されていた福井競輪への無料バス、およびオリオンバス、中日本ハイウェイバス、ブルーライナー(京都・大阪方面)が発着していました。
また、南側ののりばにはJAMJAMライナーとウィラーエクスプレスが発着していました。

(過去)のりば移転の案内です。

(過去)平成29年(2017年)3月24日にグランドオープンとなった「イオンモール新小松」への無料シャトルバスも当初は東口からの発車でした。こちらののりばも令和元年(2019年)9月17日より高速バスと同様の小松駅南(アズスクエア)へと移転しました。

新幹線駅舎が姿を現した小松駅東口です。

(過去)新幹線駅舎の工事がさかんに進められていた頃の様子です。

駅舎前には北陸新幹線開業へのカウントダウンボードが設置されました。

小松駅東口には「こまつの杜」という広場があります。平成22年(2010年)3月11日を最後に操業を終了した(株)小松製作所小松工場のあったところで、大手建設機械メーカー・コマツ発祥の地です。
世界最大級のダンプトラック「930E」が展示されており、圧倒的な威容を誇っています。高さ7.3m、重さ202t。普通のダンプ20台分ということになります。最大積載量は297tだそうです。
アメリカ・イリノイ州のコマツピオリア工場で造られ、南米チリの銅鉱山で使われていたものだそうで、当然、日本の道路を走行することなど不可能なため、分解した状態で搬入され、この場所で再び組み立てられたといいます。

その後、令和3年(2021年)6月15日のリニューアルオープンにあわせ、コマツ金沢工場で生産されている高さ8.3mの超大型油圧ショベル「PC4000」もお目見えしました。コマツ創業100周年を記念したものだそうで、あわせて旧本社社屋を復元した「わくわくコマツ歴史館」も誕生しています。
このようにコマツ発祥の地であるほか、バス車両メーカーの「ジェイ・バス(株)」本社・小松工場も擁する小松市では、近年「乗りもののまち」として町おこしが進められています。

こまつの杜から見た新幹線駅舎です。

小松駅東口広場に面して、令和2年(2020年)12月24日にオープンした「変なホテル小松駅前」が建っています。この「変なホテル」とマンションの間を歩いていくと小松市の科学館「サイエンスヒルズこまつ」はすぐです。

“科学とひとづくりの一大交流拠点”をテーマとする「サイエンスヒルズこまつ」は平成25年(2013年)12月1日にプレオープン。その後、平成26年(2014年)3月22日に「ひととものづくり科学館」が開業し、全面オープンとなりました。
コマツ小松工場の跡地の一部を活用して建てられたもので、なだらかな丘のような形の建物の屋上には芝生が敷き詰められており、まるで本物の丘のように坂を登って上がることができます。“科学を遊ぶ丘”それが「サイエンスヒルズこまつ」です。

(過去)以前は小松駅東口から徒歩2分ほどのところに小松バス(株)駅前案内所がありました。“案内所”としながらも乗り場からかなり離れており、どちらかというと旅行センターが本業のような様相となっていたものでした。
もとは「ニッポンレンタカー小松駅前営業所」も併設されており、レンタカーの受付窓口ともなっていました。「北陸鉄道50年史」の年表には昭和54年(1979年)4月11日、レンタカー小松駅前営業所開設との記載がありましたので、この営業を小松バス(株)が受託する形だったのでしょう。
しかし、平成30年(2018年)9月30日を最後に北鉄同様、レンタカーの営業は終了しています。
この小松バス(株)駅前案内所は会社合併に伴い、令和3年(2021年)6月30日を最後に閉店となりました。翌日より乗車券の販売や旅行センターとしての業務は北鉄加賀バス(株)本社窓口(旧小松バス(株)本社)へ引き継がれています。

(過去)小松駅東口から粟津方向へさらに歩くと、ここにも旧小松バス(株)関連の建物がありました。これが現在の駅前案内所へ移転する前の旧・駅前案内所だったところです。ここは元々、小松バス(株)の前身である尾小屋鉄道(株)のバス営業所があった場所のようで、鉄道廃止後も小松バス(株)本社やバス車庫が設けられていたものでした。
小松バス(株)本社は平成8年(1996年)3月28日に小松空港近くの鶴ヶ島町へ移転していますが、その後も旧敷地は小松駅前のモータープールとして使われており、乗務員さんの休憩のためバスが停泊していました。
しかしこの場所も北陸新幹線延伸工事の用地として収用され、平成28年(2016年)7月に訪れるとすでに引き払われ、更地となっていました。

その後、工事の進捗とともに、完成した新幹線高架と在来線高架との間の空き地が名鉄協商(株)の管理する小松駅南月極駐車場として利活用されるようになっています。

(過去)ありし日の小松駅前モータープールの様子です。当時の小松バスと白山バスが休憩していました。空港のある町・小松らしく、乗務員さんの間では通称「駐機場」と呼ばれていたようです。平成28年(2016年)7月に訪れると、すでに引き払われ、舗装も剥がされていたあとでした。

(過去)先代の「駐機場」が引き払われたあとは、サイエンスヒルズこまつ裏手の(株)小松村田製作所に隣接した空き地を新駐機場として利用していた時期もありました。現在はコミュニティバスの移管や減便もあって駐車スペースに余裕が生まれてきたためか、ロータリー内で待機するようになっているようですね。
:: (過去)仮設ターミナル時代
平成14年(2002年)11月18日に現行のバスターミナルが完成する以前、工事中の頃は、駅北側の日通跡地、現在は「芸術劇場うらら」になっている場所に仮設ターミナルが設置されていました。
仮設ターミナルは平成12年(2000年)6月1日から使用が開始され、平成13年(2001年)8月1日より旧こまビル跡の仮設のりばへ移行しています。

仮設ターミナルの様子。いかにも仮設といった雰囲気でした。バスの停泊スペースが広くとられており、まるで営業所構内のように整然と並ぶ姿が見られました。

快速小松空港ゆき。この当時は一般的な中型車による運行でした。

反対側からの構図。現在はこまつアズスクエア横から出ている三国競艇ゆきファンバスです。夏には登山バスとして活躍していた31-206号車。これも懐かしい一台です。

仮設バスターミナルのあった場所は、現在「芸術劇場うらら」と市民公園になっています。
なお、これより以前は、現在のバスターミナルの位置に「こまビル」という商業施設があり、この周囲が小松駅前のバス乗り場となっていました。乗り場には暖色系の色のテントが張られており、あまり綺麗な印象ではありませんでしたが、猥雑とした活気があったように記憶しています。
「こまビル」開業後の昭和45年(1970年)6月11日、同ビルの周囲に小松駅前の新バスターミナルが開設され、駅の真向かいの道路沿いにあったという旧「小松観光会館」のりばから移転してきたということです。
特徴であったテント状の上屋が設けられたのは昭和55年(1980年)1〜2月頃のことのようで、石川県立図書館に所蔵されている社内報「ほくてつ」昭和55年(1980年)2月号によると、『こまビル東側に壁面から鉄柱で支えられ、テントが傾斜に張り出す恰好で、幅約5m、長さは50mのもの。半円形の近代的でカラフルな屋根は小松市の玄関口にピッタリ』とあります。
このほか、ビルの北側にあった11番、12番のりばには青屋根タイプの上屋が備わっており、小松バスの「小松駅前」と記された電照式丸板もセットされていました。
この「こまビル」には90年代以降に訪れたことがありますが、いまの小松駅前から見れば想像もできないほど賑わっていました。放置自転車で溢れる降車場や、たむろする高校生グループなど、すこし殺伐とした雰囲気もありましたが、現在の小松駅前にはない匂いたつような活気があったように思います。1階には(株)北鉄観光小松営業所、(株)北鉄航空小松営業所が入居しており、外向き窓口にて乗車券の発券も行われていました。
また、古くは金沢駅のようにのりばに指導掛(現:案内係)が常駐していたほか、平成7年(1995年)頃までは窓口からマイクによる行き先案内も行われていたようです。
平成6年(1994年)5月16日より、北陸鉄道(株)本体の小松サービスセンターが置かれていた時代もあったようです。これは山代温泉東口にあった販売拠点・加賀センターの配下となるもので、おそらく外向きの窓口を(株)北鉄観光から北陸鉄道(株)直営へ移管していたものではないかと思われます。
これが平成8年(1996年)3月31日の小松地区合理化により小松バス(株)へ移管され、その後、こまビルの解体により東口の旧小松バス本社の場所へ移転、さらに小松バス駅前案内所へ再移転というように変遷していたのではないかと考えられます。

平成5年(1993年)頃に撮影した小松駅のバス待機場所。北鉄担当時代です。行き先表示は、左から「根上 寺井車庫」「鍋谷」「小松駅―別宮」「小松駅―岩上」です。

平成5年(1993年)当時の北陸鉄道(株)加賀営業所では、この手のバスが最新鋭となっていました。背景の地上時代の線路も、過去の風景です。
平成8年(1996年)3月30日を最後に北鉄加賀営業所(寺井車庫)は閉鎖され、翌31日より発着路線の9割近くが小松バス(株)へ移管となります。狭義の北鉄グループバス路線として残ったのは快速小松線(のちに廃止)とすでに加賀白山バス(株)に移管済だった佐野線だけで、あとはすべてが小松バス(株)の路線となりました。
「こまビル」の解体工事開始に先駆けて、平成12年(2000年)6月1日から日通跡の仮設のりばへと移行しています。

平成13年(2001年)頃のターミナルです。すでにこまビルは解体され、トレードマークだったテント張りの上屋も撤去されています。背景には北陸線の高架化工事が開始されている様子が分かります。

同じ場所にて。ノンステが登場したての頃です。

この頃は、バス待機場所は以前のままでした。小松バスと白山バス。ともに同じ加賀営業所出身の2両です。

こまビル1階の外向窓口に掲げられていた路線図。すでに小松バス(株)への移管後となります。窓の形にあわせて切り取られている形状が面白いです。

「こまビル」の開業前は、小松駅の真向かいの道路沿いにあった「小松観光会館」が小松駅前のバス乗り場だったようです。
この「小松観光会館」は昭和27年(1952年)1月26日に開業。バス待合所、窓口のほか、(株)北鉄交通社(現:北鉄航空)小松営業所、全日空の案内所、石川交通タクシー案内所が設置されていたようで、まさに小松市の交通の拠点だったことでしょう。
その後、昭和45年(1970年)4月2日に「こまビル」が開業。同年6月11日にこまビル前へバス乗り場の移転が行われたのち、同年8月に解体されたそうです。
現在、小松観光会館のあった場所は小松駅前郵便局、小松駅前交番になっており、当時を偲ぶものは全く残っていません。解体後も、温泉急行線の金沢駅ゆきのみはこの付近に設置されたバス停を使用し、平成7年(1995年)に廃止されるまでそれは続いていましたが、いまはバス停があった面影もありません。
なお、古くはのちに「こまビル」の建つことになる土地の南半分に北陸鉄道(株)小松営業所があり、小松地区のバスの基地となっていたようです。昭和43年(1968年)9月9日に新基地として寺井営業所が開設され、旧小松営業所は廃止となっていますが、このとき新設された寺井営業所もまた、いまでは過去のものとなっています。
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参考文献
「小松・加賀・能美今昔写真帖」(郷土出版社)
「北陸鉄道の歩み」
「北鉄ポケット時刻表」昭和55年版
「石川県詳細図」金沢出版社 昭和36年
北陸鉄道社内報「ほくてつ」各号
「北陸線のあゆみ」金沢鉄道管理局
「小松市制五十周年記念誌」
「ゼンリン住宅地図 小松市・能美郡」各年版
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