:: 金沢国際ホテル前付近の石

金沢国際ホテル前の少し手前、街路樹の根元に、バス停の土台に使われる「石」が人知れず安置されています。
実はこれは毎年8月末の「額サマーフェスティバル」開催に伴う迂回運行時に臨時停留所の土台として使用されるものです。
「額サマーフェスティバル」は地元の額振興会が主催するお祭りで、当日は額谷一丁目バス停のある通りが歩行者天国になるため、国際ホテル経由南部車庫便は迂回運行に。よって「金沢国際ホテル前」が臨停対応となるわけです。
この経路は最初期のまだ光が丘が「額第二住宅」と名乗っていた頃と同じアプローチでもあり、年に1度だけいにしえのコースが復活するという格好にもなっていますね。

▲まさに準備中の頃の臨時バス停
:: 内灘駅の石
内灘駅のロータリー内には2つの謎の石が置かれています。

1つ目はロータリーの北側、「バス停留所につき駐・停車禁止」と記された看板の横に淋しげにたたずんでいます。
じつはもともと「バス停留所につき駐・停車禁止」と書いた看板は2つ同じものが並んで設置されており、石だけになっている方も、以前はその看板の土台として使われていました。同じものは2つも不要ということで、1つは撤去され石だけになったのでしょうか。これとまったく同じ例として湯涌温泉の転回所が挙げられ、こちらも2本のうち1本が石だけになっています。

▲看板が2つあった時代の様子

もう1つはロータリーの植え込みのところに、なぜか逆さまになって石が置いてあります。銅像の右側に見える四角い石がそれです。
こちらはもともと「アイドリングストップ実施中」の看板の土台として使われていたものですが、その後看板の劣化とともに撤去され、石だけに。そしてバスの転回に邪魔ということなのか、いつしか植え込みに移動されてしまったようです。しかも逆さまに。なんとなく不憫な石です。
:: アカシア交差点近くの石

[10]番のバスは内灘駅を発車するとアカシア交差点を左折しますが、その左折した先に謎の石が置いてあります。
じつはここにはかつて「臨時」と書かれたポールがポツンと立っており、石はそのポールの土台でした。
といっても、ポールがあったころから路線バスはそれを黙殺して通過するだけ。じつはこれは金沢東高校(現:金沢学院高校)スクールバスの専用停留所だったようです。
なぜこんな場所にのりばが置かれていたのかは不明ですが、のちに向陽台バス停での乗車扱いに変更されたようで、平成24年(2012年)冬頃に訪れると、すでに撤去されて石だけになっていました。

▲ポールがあった頃から謎の石がもう1つあったようです
:: 大場の石

JRバスの「大場」バス停では、以前は1日1往復のみ残っていた旧来からの八田東経由便が集落内の大場町コミュニティセンター前に設置された昔からののりばで乗降扱いを行っていましたが、このバス停付近には主を失った土台の石が孤独に取り残されていました。
その正体は?! もしかすると廃止された北鉄バスの「大場」バス停で使用されていたものだった可能性もありそうですね。
なお、八田東経由便は令和4年(2022年)6月30日を最後に消滅したため、この場所はJRバスの停留所としても廃止になりました。
:: 南松任の石

白山市コミュニティバス「めぐーる」の南松任バス停向かい側に、意味ありげにバス停の土台が置かれています(もっとも、めぐーるの南松任バス停が片ポールのため、目印として置いてあるだけの可能性もあります)。
かつてはバスターミナルもあった南松任ですが、昔の住宅地図を見るに、この石の置いてある場所には、いまの千代野方向のりばとは別に、もうひとつの「南松任」バス停が設置されていたようです。もしかすると、いまの千代野方向のりばは当時は降車専用のポールで、千代野ニュータウンゆきはこちらの場所で乗降扱いを行っていたのかも知れません。
この位置のバス停は平成11年(1999年)〜平成12年(2000年)の間に撤去されたようで、少なくとも平成12年(2000年)の住宅地図では見当たらなくなっています。
:: 今町の石

[87]津幡線が経由する今町バス停(市内方向)の待合所の横手に、バス停の土台の石らしき遺物がひっそりと眠っています。
かねてから、それらしきものがあるとの認識はあったのですが、長い間、樹木の陰に隠れていてよく見えませんでした。ところが最近その樹が伐られたようで、全貌が明らかになったのです。

写真からも分かるように、台石から直接円筒状のポールが生えており、北鉄ではまったく見かけない様式に見えます。ここには過去、北鉄のほかに加越能バス(金沢駅〜石動〜砺波間)、国鉄バス(金沢〜津幡〜高松間)がバス停を置いていたらしいことが分かっています。
このうち加越能のポールは当時を知る方の証言では、土台に用いられていたのは(富山県内のものと同じ)「タイヤ」だったようです。
と、いうことはこれは昭和40年代には休止されていたものと思われる国鉄バスのポールの残骸なのでしょうか?!
:: 利屋町の石

廃止になった津幡線旧道経由便の利屋町〜太田南口間は金沢市と津幡町の境界で、いったん街道沿いの集落が途切れるあたりですが、そんな田んぼのなかにポツンと石が置いてあります。
ここにはかつて「スピード遵守」という注意書きの看板が立っていました。
いつしか看板はなくなってしまいましたが、その後もこの辺りの区間を運行するバスは非常に極端な低速で走行していました。いろいろ想像させるものがありますね……。
:: 太田南口の石

太田南口(津幡方向)バス停前にも、バス停のものとは別に石が放置されていました。
こちらの方にはもともと、フリーバス運行に関して告知する看板が立っていたのでした。同様の看板は沿線の複数箇所にあったのですが、金属製だったため錆などの劣化が進み、相次いで撤去されていきました。
それでも石だけが残っていた場所は森本大橋バス停前や今町〜二日市間の信号機の前など、ほかにも何ヵ所かあったのですが、どれもいつの間にか姿を消しました。
そしてここの石も、バス停廃止時に石もついでに撤去したようで、現在はなくなっています。
:: 上河合の石

津幡町営バスの上河合バス停前にある緑地に、苔むした石が……。現在の北鉄標準仕様よりも穴が大きいようですが、金商高校前バス停にあるピノ型の石の穴もこれくらいの大きさがあり、古いものは穴がいまのものより大きかったと仮定すれば、バス停由来のものである可能性が捨てきれません。ここは北鉄バスの「河合谷」バス停があった場所でした。
:: 金石の石

金石バスターミナルの東側、金石交差点の市内寄りにある駐輪場前にバス停の台石がポツンと残っています。
この場所には古くにバスのりばが置かれていた時代もあったようで、昭和55年(1980年)の住宅地図にも「金石駅前」という名称でバス停が描画されていました。駅の廃止後も、なんらかの便がターミナル内へ入らずにここで停車していたのでしょうか。昭和60年(1985年)の地図では消えていました。
その後、平成30年(2018年)に実施された「にまい橋」架け換え工事の際にはまさにこの場所に臨時バス停が置かれ、まさかのバスのりば復活と相成りました。

金石ターミナル構内の外れにも、なぜかバス停の台石が逆さまに置いてあります。
:: 大野港の石
かつては鉄道金石線の終着駅だった大野港バス停もまた、謎の石の群生地となっています。

まずは待合所のたもとに謎の石が……。もともとはバス停のポールはこちら側に設置されていたのですが、その頃から謎の石はここに置いてありました。わりと謎ですが、なんらかの看板の支柱として使われていたのでしょう。

待合所のそばに、もうひとつ謎の石。ポールを安定させるためにクサビではなく、金属製の部品が生えてるタイプの石です。柳橋で春闘の看板の土台として使われているものと同様のタイプですね。

ロータリーにも石があります。これはかつては「駐車禁止」の看板の土台として使われていました。

そしてこれは見つけにくかったです。友人のmoonさんより、大野港には4つの謎の石がある!! と教わってはいたのですが、4つもねーがいや! どこにあるげんていや、えーい、もうジュースでも飲むか……とジュースを買ったところ、その自販機の裏側にありました。
:: 間明の石

「間明」の郊外方向のりばには、味わい深いブロックの待合所があります。

その待合所のなかに、なぜが“ピノ型”の石が置かれていました。能登地方に多い“ピノ型”の石ですが、古い時代には金沢地区でも使われていた時期があったそうで(金商高校前がそうですね)、その成れの果てなのかも知れません……。
:: 香林坊の石

香林坊(日銀前)のバス停前にも、なぜか巨大な“石”が安置されていました。かなりのデカさです。

実はJRバス一般路線の金沢駅ゆきが日銀前に停車していた頃にバス停の台石だったものです。

JRバスのりばがラモーダ前へ移設されたあと、丸板を外してバス停移設を告知する看板として使われていましたが、令和4年(2022年)3月頃までに看板部分も撤去され、“石”だけになりました。
なお、その石はおよそ1年ほど置かれ続けたあと、令和5年(2023年)4月頃に撤去されました。
:: 袋町の石

武蔵ヶ辻・近江町市場近く、「かなざわはこまち」裏手の袋町交差点手前に、なぜか石が置いてあります。武蔵ヶ辻が終点となる便が、「はこまち裏」の降車場に到着したあと、回送していくルートの途中になります。バス停があった場所ではありませんから、ここには看板かなにかが設置されていたのでしょうか??
非常に謎めいた石です。
Googleマップのストリートビューでは、まだかなざわはこまちの建設工事が行われる前の平成24年(2012年)10月の画像では、用地はまだ白い壁に囲われており、石も見当たりません。かなざわはこまちが完成している平成26年(2014年)11月の画像では石はすでにあります。
工事が行われていたときに何らかの看板が置かれていたのでしょうか? それともダイエー金沢店があった頃から石は存在していて、閉店後、建物が解体されて白い壁で覆われたとき、壁の内側でずっと存在していて、壁が取り払われたときに再び姿を見せることとなったのでしょうか。
:: 兼六園下モータープールの石

廃止された兼六園下モータープールの入口にも石が鎮座していました。
ここにはもともと、『部外者立ち入り禁止 ターミナル助役の許可なく入出庫を禁ずる』というような内容の看板が設置されていました。
令和元年(2019年)6月22日より、敷地の西側部分が暫定的に観光バス駐車場として供用されるようになり、看板は撤去されたのでしょう。

もう1つ、さきほどの石よりも小将町寄りにも石がありました。こちらは『↑ほくてつバス(株)兼六園下サービスセンター』という赤色の看板が立てられていました。平成27年(2015年)4月15日に北鉄金沢バス(株)兼六園下サービスセンターが閉鎖されたことにより、看板は撤去され、石だけが残りました。
兼六園下モータープールは令和5年(2023年)3月31日を最後に廃止され、現在、老人ホームとして開発工事が進められています。工事の過程で石も取り除かれたらしく、見当たらなくなりました。
:: 東部車庫の石

東部車庫バス停の後ろ側、金沢学院大学附属高校・中学校の通用口の前に謎の石が置いてあります。
:: 湯涌温泉の石

湯涌温泉バス停には、のりばのポールに隣接して謎の石が安置されています。これはご存知の通り、アニメ「花咲くいろは」とタイアップして設置されていた「湯乃鷺温泉」バス停のポールの土台だったものです。
なお、駐車場内にもう1個、謎の石がありますが、これは「バス回転場につき駐車禁止」の看板がかつてはもう1本立っており、その土台として使われていたものです。

▲「湯乃鷺温泉」バス停ありし頃の様子
:: 野町駅の石

鉄道石川線・野町駅の駅舎に隣接して石がゴロゴロしています。石が置かれているより奥のスペースは職員駐車場として使われているらしく、支柱が取り付けられているものは、ロープで閉鎖するために用いられているようです。しかし、石だけの石は一体……??

ロープ使用中の様子です。石はさまざまな用途に使われるのだなと分かります。
この場所にはもうひとつ謎があって、よく見ると「バス」と書かれていた痕跡が見えます。ここにバスが入って待機していたことがあるのでしょうか??
いまは駐車スペースとして使われているに過ぎないこの土地ですが、もともとここには、北鉄の市内線(路面電車)と鉄道石川線とを繋ぐ連絡線が敷かれていたのだそうです。ですからこれは廃線跡なのですね。
:: 西野々市の石

西野々市(郊外方向)バス停のたもとにも謎の石が転がっています。ここにはもとは新バスシステムに対応された電照ロケーションポールがあり、それが現在のアルナ式に更新されるまでの間、臨時でポール1本のバス停になっていた時期があったのですが、そのときの土台の石なのかも知れません。
:: 本町交差点の石(ダウト)

野々市市の本町交差点の角に、謎の石を発見! ただちに撮影したのですが、これはバス停ではなく、「婦警さんと子どもの像」の土台として使われていたもののようでした。残念ながら、バス停由来のものではありません。また、現在はこの石自体も撤去されています。
→婦警さんと子どもの像
:: 細工町交差点北側の石

小松駅近く、昭和通りバス停の北側にある細工町交差点の北寄りは道路がやたらと膨らんでおり、そこから急に幅員が減っています。
そのじょうごのように広がっているところに、ひっそりと石が安置されていました。

バスベイ代わりに使えるほどの広見になっていますが、平成7年(1995年)までの住宅地図には、石のある場所ではなく、その向かい側にあたる場所に「昭和通り」バス停が描画されていました。もともとそこに松任町方面から来る小松駅ゆきの昭和通りののりばがあったのでしょう。
平成9年(1997年)の地図ではバス停はなくなっています。小松線(長田経由)の廃止によって松任町から昭和通りへ直進する系統がなくなり、のりばとしての役目を失ってポールが撤去されたものと思われます。
しかし、現在も毎年5月に小松市内で催される「お旅まつり」に伴う迂回運行時、どうやらこの場所に臨時バス停が置かれるらしく、そのための土台として、ここに石だけが残されていたのでしょう。
いまはそのつど撤去することにしたようで、令和5年(2023年)5月の「お旅まつり」のあと、姿を消しました。
:: 寺井史跡公園前の石

寺井史跡公園前バス停へやってきました。いまの能美市防災センターは旧北陸鉄道(株)加賀営業所(寺井基地)だった場所にあたり、バス停ももとは「寺井車庫」という名称でした。車庫やバスターミナルのバス停といえば謎の石の大量発生ポイントということにもうお気づきかも知れませんが、ここにもやはり、バス停そばに石が転がっています。

旧寺井基地跡が更地だった時代の同じ場所です。石はいまよりたくさんありました。

三道山交差点の東側にも、歩道にポツンと石が残されています。ここにはかつて、廃止された能美線の寺井史跡公園前終着便が使用していた降車場がありました。
:: 上本折の石(ダウト)

小松市内の上本折〜向本折間の路上で、謎の石を発見! ただちに撮影したのですが、Googleのストリートビューで過去の画像を辿っていくと、もとは『児童多し 最徐行! 町内会』という看板の土台として使われていたものでした。残念ながら、バス停由来のものではありません。
:: 片山津温泉の石

片山津温泉バス停前にある名鉄協商の月極駐車場のすみにも、石が孤独に置かれています。
ここはかつて片山津バスターミナルがあった場所で、駐車場になったとはいえ、旧バスターミナルの建屋があった部分の基礎はそのままとなっており、石はそこに忘れられたように放置されています。
:: 山代温泉東口の石

山代東口交差点の西側に謎の石が安置されています。

じつは催事などにより山代温泉通りが通行止になるときには、この場所が山代温泉東口の臨時のりばとして利用されています。そのための石です。

なお、ここは元々は粟津温泉から来る山代温泉西口ゆきが停車していた正式なのりば(3番標識)でした。山代A線の廃止後は金沢競馬場への無料ファンバス専用のりばとなっていましたが、そのファンバスも平成27年(2015年)3月29日の運行を最後に廃止となり、普段は石だけになってしまったのです。
:: 山代温泉桔梗ヶ丘バス停跡の石

かつて山代A線の起終点として栄えていたものの、いまではバス停自体が廃止されてしまった「山代温泉桔梗ヶ丘」。かつて「山代観光センター」のあった場所です。いまでは人通りも少なく、歩道も荒れています。

バス停のあったと思われる場所をよく調べると、なんと草むらに隠れるようにバス停の土台の石が残っていました。
:: 橋立漁港(田尻)の石

加賀周遊キャン・バスの「橋立漁港」バス停の小屋のそばに、石が残っています。
ここはもともと廃止された橋立循環線の「田尻」バス停だったところです。路線廃止により北鉄バスのポールは撤去されたものの、石がコンクリートで固められた部分と癒着してしまっており、撤去できなかったのではないかと思われます。
:: 気多大社の石

羽咋市にある気多大社のトイレ周辺には、どういうわけか「ピノ型」の石が異様なほど多数置かれています。常軌を逸しているほどの群集ぶりですが、かつて気多大社へはお正月にシャトルバスが運行されていましたので、その列整理のための規制線として敷地内にロープを張り巡らせていたことが想像されます。その支柱の土台として用いられていたのでしょうか??

▲異様なほどの石
:: 宝達志水町役場前の石

宝達志水町役場の敷地外の公道沿いには廃止された北鉄バスの「志雄役場前」バス停で利用されていた待合所が残っており、バス停の“ピノ型”の土台の石がそのままになっています。

道路反対側、清水原、所司原方向のバス停だった場所も全く同様で、やはり石も残っていました。
:: 若林の石

七尾市の東往来沿いにある若林バス停(七尾方向)。ここには上屋の下に、なぜかピノ型の石が2つも置いてあります。

わざわざ間隔をとって置いてあるところから見て、これは実は椅子の代わりに使って下さいという意味なのかも知れません。
:: 和倉温泉の石
バスターミナルなど、北鉄の敷地といえば謎の石がつきものなのですが、ここ和倉温泉バスターミナルもご多分に漏れません。

▲黄色い謎の石
和倉温泉バスターミナルの片隅に置かれている謎の石は、黄色く着色されています。誤進入防止のために置かれているのかも知れません。
また、定期観光バスの駐車スペース側にも、もう1つ石が置かれています。

▲定期観光バスの停車スペースの奥に、もうひとつの石
:: お祭り会館近くの石
和倉温泉街の「お祭り会館前」バス停前にある、複雑な形状の和倉温泉交差点。ここから斜めに海側の和倉インフォメーション広場へと延びていく細い道の途中に、なぜか謎の石があります。

▲ピノ型です
これはまったくの謎の石というしかありません。
:: JAおおぞら本店前の石

穴水駅前から北側の白山町交差点へと続いている、特急バスの経路にもなっている道路の通り沿い、JAおおぞら本店前に謎の石が安置されています。
能登は祭りの多いところですが、ここ穴水でも毎年7月下旬に催される「長谷部まつり」など、大きなお祭りで街が賑わう日があり、その際には商店街の通行ができなくなるため、大町、大島町、栄町経由のバスはこちらの農協前通りを迂回することになります。
この石はその臨時ポールのためのもので、毎年の恒例行事であるためにあらかじめ常設されているというわけでしょう。
:: 旧門前バスターミナルの石
門前の走出バス停といえば旧門前バスターミナルのあった場所ですが、いまも残る旧管理棟の建物の脇に、ピノ型の石が残り、かつて北鉄関連の施設であったことを無言で伝えています。置き場所からみて、北鉄の各営業所に設置されている『赤で停まれ 黄も停まれ』の看板の土台だったのではないかと推定されます。

▲旧門前バスターミナル
また、旧バスターミナル向かいには、降車場の目印がわりとして用いられていた、謎の棒の差し込まれた石が残されています。もっともこちらは、現役時代から謎の石状態でしたが……。

▲ここが降車場でした
:: 門前バイパスの石
輪島市門前町の門前バイパス沿い、クスリのアオキ門前店近くに、ピノ型の謎の石が安置されています。總持寺通りで催しが行われる際の迂回ルートとして、ここに臨時停留所が置かれることがあるため、常設されているのでしょう。

▲門前バイパスの石
:: 宇出津駅前にあった石

宇出津駅前(現:能登町役場前)では、まだ奥能登にJRバスが運行されていたころ、バスターミナルに発着するのはJRバスだけで、北鉄バスはターミナル南側の路上にポールのバス停をかまえ、そこをのりばとしていました。降車・乗車ともここで行い、発車したバスはJRバスの並ぶターミナルをうらやましそうにぐるりと一周して転回し、出発していく方式でした。
JRバスの撤退後、数年間のみ輪島駅ゆきがこの場所を使っていましたが、のちにターミナル内にのりばを移動。しかし、この場所がのりばではなくなってからもバス停の土台に使われていた石は長らくその場に残され、少なくとも平成26年(2014年)7月現在では健在でした。しかし、平成27年(2015年)5月に訪れたところ、とうとう姿を消していました。
:: 恋路浜の石
恋路海岸にある恋路浜バス停には、両方向ののりばともに謎の石が転がっています。

珠洲方向ののりばの石です。JRバスから転換された「恋路浜」バス停と宇出津真脇特急線のバス停として北鉄が新設された「恋路」バス停は同じ位置にありながら別々のバス停として共存していた時期があり、2つのポールが寄り添って設置されていました。バス停の統合とともに、特急バス用のポールは石だけになったのでしょう。

また、宇出津方向ののりばには2つの石があります。1つはやはり特急バスの「恋路」のもの。もう1つは「能登半島定期観光バス」のポールの土台だったものと思われます。
ご注意
これらの「謎の石」は、ほとんどの場合トマソンであり、不必要なものであるため、予告なく撤去されることも多々あります(実際にいままでもそうでした)。石に興味を得て、現地へ行ってみたら忽然と消滅していたということもあるかと思いますので、ご留意下さるようお願いします(というか、このページが公開されたことで撤去が進むかも知れません)。
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