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もりさけてん.com20年のあゆみ
最終修正:令和5年11月13日 (10)
2月20日
ホームページサーバーはいまは亡き「ライコス」をお借りしました。高校時代から書き溜めた小説を公開しようと、HTMLの知識もろくにないなりに、大学のPCにかじりついてホームページ開設に文字通り打ち込みました。当初は「紙の小説」などというサイト名を考えていましたが、旧友のトロメカ君が「荒井機工.com」というサイトを開いていたのに影響をうけて「森酒店.com」としました。
「日記」を開設しました。
当時はまだ「ブログ」という言葉は知られていなかったのではないでしょうか。まだまだ旧来の「日記」というシンプルなコンテンツが主流で、トラックバックやコメントの機能もない、まさに日記という感じの体裁でした。
ホームページ名をひらがな表記の〈もりさけてん.com〉に変更し、「紀行文」のコンテンツを開始しました。当初公開は「土佐のりくらべ」「大栃線のアンパンマンバス」の2本でした。
ホームページの名称をひらがな表記に変更したのは、「酒屋さんのサイトと間違えて訪問された方に悪い」という理由でした。当時は私にもまだそういう良心があったということでしょう。この日から紀行文の公開を開始しましたが、このまさに当日、尊敬する紀行作家、宮脇俊三先生がお亡くなりになっていたことが分かったのは、3月4日のことでした。
別館として「路線バスの館」を開設。“ローカル路線紹介”と銘打ち町野線、木の浦線、西保線、動橋線、中宮線、尾小屋線の6路線を公開しました。これが「北陸ローカルバス探見隊」のはじまりです。
高校時代から能登地区・加賀地区の名も無いローカルバスに乗ることに熱中しており、ローカルバスの魅力を多くの人に知ってもらい、1人でも多くの方が、乗りに来てくれたら、との思いから、バス路線の解説ページをつくろうと考えました。
小説のみでは閲覧して下さる方が限られていると感じたという理由も、言いにくいのですが、実際にはありました。
なお、当時は公式サイトにも加賀・能登地区のローカルバスについての案内は一切なく、いまでは考えられないのですが、一体どのような路線が運行しているかすら、遠方の方には分からない状況でした。
路線バスのコンテンツをつくることには、若干の遠慮もありました。当時、みのむしさんの「みのむしくんのホームページ」、Naokiさんの「いしかわ★バス空間」が隆盛を誇っており、二大巨頭という様相。私などがわざわざ参入する余地は本来無かったのですが、上記のような理由から、バス路線について、どうしても語ってみたかったのです。
実は、当時石川県のバスファンサイトのカリスマといえたみのむしさんのホームページでは、能登地区のローカルバス路線の乗り方を解説するようなページの公開を予定されているようでした。長らく「工事中」と記されており、公開には至っておられなかったのですが、私の路線ページ作成は、このページ計画に水を差すこととなる可能性がありました。そこで、おそるおそるという感じでみのむしさんにご挨拶のメールを出したところ、ページ作成を歓迎して下さったうえ、ご自分のページ計画は取りやめ、私に一任するとまで仰って頂きました。
バスファン界のカリスマから認められたことに感激し、満を持してバス路線のページへ参入させて頂きました。
こうした経緯もありますから、簡単に辞めるわけにはいきませんし、少しでも良いものを作り続けていかなければならないと思っていました。そして20年間頑張りました。
「ローカル路線紹介」は、当初は管理人おすすめの路線のみをピックアップする予定でしたが、書いていくうちにあれもこれも紹介したくなり、ついにはコンプリートしてしまいました。ヒマな大学生だからこそできる所業だったと思います。
「ギャラリー」を開設しました。大学生にもなって中二病気味ですが、イラストを公開していたりしていた時代が、このホームページにはありました。思い出したくはありません。
ただ、この頃の「ギャラリー」では、絵だけではなく県外各地のバス写真なども公開していました。また、地元のバス路線の写真をあつめた「津幡線慕情」「かなざわのJRバス」も、このギャラリーに収録していました。
「感想文」を開設しました。
これも当ホームページの黒歴史で、テキストサイトの真似事をしていた時代があったわけです。宮脇俊三の作品も論じていましたが、当時放映されていた「ガンダムSEED」についても各話ごとに感想を書き、掲示板には腐女子さんの書き込みが乱舞したりと、なにかとカオスでした。
そういう、「おもちゃ箱をひっくり返したような」混沌とした何でもありのホームページでありたいと思っていたのですね。
トップページをリニューアルし、TOP看板を設置しました。
キリバン募集開始。
「キリバン」という言葉もいまや死語ですが、当時はカウンターでキリの良い数値を踏んだ方がリクエストを出す「キリリク」というものが流行していました。当ホームページでも「キリリク」を募集し、そのリクエストの結果、開始したのが「失われたバス路線」というページで、このページがキッカケで、管理人自身、路線の歴史について興味がわいていきました。リクエストして下さったはくとさんに感謝しています。この方は明らかに「歴史を変えました」。
別館(路線バスの館)に「失われたバス路線」のページを新設しました。
前述の通りはくとさんからのキリリクで作成しました。路線の歴史を扱ったページとしては石川県初でした。廃止されたバス路線をダイジェスト紹介するというもので、当初は情報も少なく、精度も甘いものでしたが、昔のことを知る多くの先達方に掲示板へ書き込んでいただき、少しずつ、内容を充実させることができました。
(路線バスの館)ローカル路線紹介ページをまとめ、新ページ「ローカルバス探見隊」としてキックオフしました。それ以外の「失われたバス路線」を始めとする雑多な特集ページは「特集ページ」として独立・再編しました。
「探見隊」というネーミングは、宮脇俊三先生の「日本探見二泊三日」から頂戴したものです。前述の通り、この当時は北鉄さんの公式サイトにも能登地区、加賀地区の時刻や路線案内は一切なく、路線探訪はまさに「探険」といっても大げさではありませんでした。
この日より「路線バスの館」の別館扱いを解消し、正式に〈もりさけてん.com〉の一コンテンツとしました。
また、「ギャラリー」を「イラスト」と改称し、県外のバス写真などの公開を終了。イラストを専門的に公開するコンテンツへと移行しました。
ライコスジャパンとインフォシークのサービス統合により、ホームページのURLが変更になりました。また「日記」のレンタル先は楽天に変更しました。
「掲示板」のレンタル先を変更し、アイコン方式にステップアップしました。
(探見隊)「特集ページ」を「雑バス学カガノト」と改称しました。なお、おそらくこの頃には能登地区、加賀地区のローカルバス路線のページ公開をコンプリートしていたと思います。
(小説)初の続き物小説「盆がえり」を開始しました。
ホームページが10,000アクセスを達成しました。
「感想文」「寄贈品」の2コンテンツを廃止しました。
TOP看板を変更しました。
(探見隊)各路線ページへの時刻表の公開を開始しました。
何度も同じことばかり言いますが、当時は公式サイトにも加賀地区・能登地区の時刻表は公開されていませんでした。メモ帳からHTML手打ちでの時刻表作成はしんどかったですが、ローカルバス路線を紹介し、ひとりでも多くの方にその魅力を味わって欲しい! という思いで頑張りました。
事業者さんにとっては、時刻表という間違っていてもらうと一番迷惑な情報を堂々と載せていることに対して、非常に厄介に思われたことと思います。黙認して頂けていたのは、まだネットの普及が進んでおらず、ネット自体がテレビゲームの延長線上にあるような「お遊び」のコンテンツだと解釈されていたからでしょう。いまではまず許されないことと思います。
(小説)「レジェ・パラ」を開始しました。鉄道少年をファンタジー風の味付けで描くこの作品は、当時少し自信があった記憶があります。匿名の掲示板で「地に足が付いている」と評して頂けたことが嬉しかったです。ただ、この作風自体はあまり得意なものではなく、なかなか読み返す勇気が出ません。
ホームページ20,000アクセスを達成しました。これを記念し、「100の質問」をプロフィールページに公開しました。
いわゆる「100質」もいまではオワコンですが、当時は流行しており、様々な「100質」が存在しました。当ページでは「バスファンに100の質問」および「小説書きに100の質問」にお答えさせてい頂きました。
「Web拍手」を設置しました。
(小説)「オリジナル小説リング」さんでのイベント出品作として「磯はなび」を公開しました。
(小説)「オリジナル小説リング」さんでのイベント出品作として「デジャヴュ」を公開しました。
この年、「雑バス学カガノト」の歴史系ページ以外を削除し、「石川乗合自動車史」として再編しました。
いま振り返れば、この年が一番元気だったように思いますね。大学生活もたのしく、旅も繰り返し、紀行文も小説も筆がよく進みました。
ホームページが30,000アクセスを達成しました。
「メールフォーム」を新設しました。
掲示板を変更し、再度画像掲示板を採用しました。
「キリバン」の募集を終了しました。
ホームページ40,000アクセスを達成しました。
(探見隊)初の県外ページとして「加越能バス探見隊」の公開を開始しました。
それまで石川県内のバス路線解説に終始していましたが、このページから県外の路線についての解説にも挑戦していきました。石川県内のように1路線1ページとせず、ダイジェスト紹介となりましたが、作成はかなり楽しかった記憶があります。また、書き進めていくうちに気付く点もあり、より深く路線を学べました。自分にとっても県外の路線の「探見隊」はプラスだったと思っています。
TOPページをリニューアルし、グリーンに加工した写真をランダムで表示させる方式としました。
TOPページ看板を変更しました。
「日記」を廃止しました。
「日記」にかわるコンテンツとして「追伸」を新設しました。
「ブログ」の流行が始まっており、言葉は悪いですが、猫も杓子もブログの時代となりました。その世間の流れに逆行して、管理人は日記をやめて、かわりにログを残さないブログのようなページ、「追伸」を開始しました。「追伸」とは、手紙の本文に付け加える追伸のように、ホームページの本文でお話した内容に付け加えるおまけといった意味合いでそう名付けたものです。
しかし、当時大学4年で将来の不安が色濃く、内容が毎回暗かったため、友人からは「遺書のようだ」と評されたことを憶えています。
「プロフィール」を「はじめに」のページへ統合しました。
ホームページ50,000アクセス達成となりました。
管理人の自宅に念願のPCを導入しました(初代PC)。これによりホームページ更新作業が飛躍的に円滑化しました。これ以前は、全て学校での作業だったのです。PCは友人から無償で譲ってもらいました、当時すでに旧型だったWindows98でしたが、長い間現役で活躍して貰いました。本当にありがとう!
「イラスト」を再び「ギャラリー」へ改称し、以降はTOP写真の収録を中心としたコンテンツとしました。当時はTOP写真をランダムに表示させており、これを収録していました。イラストも「レジェの旅」に掲載しているものを中心に載せていましたが、まぁ「免許維持路線」のようなコンテンツになっていたと自分でも思います。
また、この年、松任線、金沢寺井線、内灘線など、一部の郊外路線に限り金沢地区の路線ページを公開しました。当時「いしかわ★バス空間★」さんで金沢市内のバス路線のページがすでに公開されており、金沢市内は「バス空間」さん、加賀・能登地区は当ホームページという棲み分けができていましたが、どうにも欲が出て、書かせて頂いたのでした。
TOP看板を変更しました。
(探見隊)「中能登特急線」を皮切りに、能登特急バスのページを公開開始しました。
能登の特急バスも、いってみればローカルバスの一種のような味わいがあります。特急バスの情報を載せることは、ローカルバスの旅をされる方にとっても有用と思われましたので、開始に踏み切りました。
掲示板を廃止しました。
これは大学卒業とともに多忙となることが予想されたためですが、その後、平成22年(2010年)に復活させています。
ホームページ60,000アクセスを達成しました。
小説の大幅整理を実施しました。
小説のホームページからバス路線専業としての色彩を強めたことになります。働くようになって、小説を書く気力がなくなってしまったことも理由のひとつでしたが、この時期は金沢市内のページ、特急バスのページ、バスターミナルのページなど、バス路線関係のページ拡充に取り組んでいました。
この時期は、当ホームページはもう小説サイトではない、という思いで、かつてのスタイルを脱却することに腐心していました。原点を忘れて、虚飾を追い求めていた節もないではありません。
(探見隊)「富来」を皮切りに、「バスターミナル集」の公開を開始しました。いまの「主要停留所ページ」です。
追伸100回目を達成しました。
(探見隊)「富山地鉄バス探見隊」を開始しました。
加越能バス探見隊に続く、県外シリーズ第2弾。構想は加越能バス探見隊公開時から持っていましたが、未乗車の路線が多く時期尚早といえ、1年以上を経たこの日に、ようやく公開となりました(現在は公開を終了しています)。
(探見隊)「ローカルバス探見隊」を「北陸ローカルバス探見隊」と改称し、卯辰山線、野々市線、鳴和・増泉線を皮切りに、金沢地区のバス路線ページ公開に本格着手しました。
金沢地区の路線についてページ拡充をしてこなかったのは「いしかわ★バス空間★」さんで金沢市内のバス路線解説がなされていたためですが、この「いしかわ★バス空間★」さんが残念ながら閉鎖されることになり、後継として、Naokiさんの全面協力のもと、金沢地区の路線についても書かせて頂くことになりました。
TOPページをリニューアル。表紙写真および看板の表示を中止し、ページの軽装化を図りました。
ホームページ100,000アクセスを達成できました。
(探見隊)「川中島バス探見隊」を開始しました。
個人的に気に入っていた長野市のバス事業者さんについて、けっこう乗った路線が増えてきましたので、いっそのことと思い作成しました。石川県のホームページが長野のバス路線を語るのは僭越でしたが、アルピコ病にうかされるまま、公開してしまいました(現在は公開を終えています)。
(探見隊)四十万金石線の公開により、金沢地区路線ページをコンプリート完了となりました。
(探見隊)「うつくしい岡山のバス」を開始しました。岡山県の両備グループが好きになったのですが、路線の乗り潰し率は低く、路線ごとに紹介するには至りませんでしたので、将来はいつかと思い作成しましたが、現在は公開を終了しています。
(探見隊)「うつくしい とよたおいでんバス」を開始しました(現在は公開を終了しています)。
(探見隊)「京福バス探見隊」を開始。いよいよ福井県のバス路線について参入しました(現在は廃止)。
追伸200回達成となりました。これを記念して「追伸コレクション」を臨時公開しました。
(探見隊)付録として、初の非バス関連ページ「今町ダンジョン」を公開しました(廃止を経て、現在は観光開発で公開を再開)。
バス紀行文一部作品の公開を終了しました。
(探見隊)初の定期観光コンテンツ「金沢定期観光バスの旅」を公開しました。
(探見隊)「おりんぴあ どりーむの夢」を公開しました。当時好きだった水戸岡デザインについて、その探訪コンテンツとして作成しました。
将来の新機軸としてRPGの制作を開始しました。ホームページとしての公開とはなりませんでしたが、完成させることができ、ネット上でプレイ実況などをして頂ける機会もあり、作者として非常にうれしく感じました。こんな時代が来るのだなと思いました。
(探見隊)探見隊表紙写真を「今月のバス」からランダム表示方式に変更しました。
(探見隊)廃止路線についての個別ページ公開を開始しました。
従来、廃止路線については「失われたバス路線」でダイジェスト紹介していましたが、研究や皆様からの情報提供の結果、かなり内容が充実してきた。そこで、廃止路線についても個別ページを用意することで、より深く解説できるのではないかと考えました。
TOPページのフォントをMS明朝からセンチュリーゴシックへ変更しました。
「バス紀行文」コンテンツを廃止し、「北陸ローカルバス探見隊」へ包含させました。
開設時からのコンテンツだった「紀行文」ですが、内容が古くなってきたことと、容量を削減する必要があり、縮小させていました。実は、この当時ホームページ上で自作RPGを作成・公開する予定でおり、RPGを公開するだけの容量を空ける必要がありました(しかしその後、ホームページでのRPG一般公開は取りやめました)。
(小説)「ローカル線の少女」公開再開を皮切りに、小説コンテンツの更新を2年ぶりに再開しました。
小説サイトとして始まった当ホームページの原点に立ち返ることにしました。個人的なことですが、管理人の勤務体系が日勤に変わり、小説に打ち込めるだけの時間的な余裕が生まれたことも要因のひとつです。
(探見隊)「乗りバスモデルコース」を公開しました(このページは現在公開を休止しています)。
(探見隊)「福鉄バス探見隊」を開始しました。これにより北陸三県の一般路線バス運行事業者すべてについて、探見ページの公開を達成しました(このページは現在公開を終了しています)。
追伸300回を達成しました。
(探見隊)「小谷村営バス探見隊」を開始しました。
あらかじめレンタルしてあったYahoo! ジオシティーズへコンテンツの一部移管を開始しました(今町ダンジョン、今町のバス専用信号)
これは将来的には「もりさけ小型ノベルス」という別サイトとする構想で、アドレスも「kogata」というものを取得していたのですが、その後インフォシークが無料ホームページサービスを廃止することとなり、このときお借りしたサーバーへ急遽本サイトを移転させることとなるなど、状況が変わってしまいました。
(探見隊)停留所一覧の改善を開始。管理人の色覚障害が原因で、健常者の方には非常に見づらい配色となっていたものを改善していきました。
アクセスカウンターをいったん廃止しました。のちに復活させています。
(探見隊)初の鉄道コンテンツとして「419系トイレ前スペースの個体差の研究」をUPしました。
(探見隊)「松本電鉄バス探見隊」を開始しました(現在は廃止)。
この日、インフォシーク無料ホームページサービスの廃止が明らかとなりました。
この8月28日という段階で、10月末の廃止を迫られました。インフォシークの有料サーバーを契約すればそのまま移行が可能でしたが、ホームページ更新のための調査など、ホームページを維持すること自体にすでに費用がかかっており、新たに出費するわけにはいきませんでした。
管理も大変になってきていることから、いっそ閉鎖も視野に入れて熟考した結果、新サイト作成のために取得して、先行的に一部ページを移管していたジオシティーズへの全面移転を決意しました。
移転しなければ無くなってしまうのですから、閉鎖以外の選択は移転しかありません。しかし、移転するにしても、一部ページだけにしようとか、北陸ローカルバス探見隊は県外のものだけを継続させ、県内はダイジェスト紹介にしようとか、はじめは縮小案ばかりを検討し、このように全面移転を決断するまでには、誇張でなく数日悩みぬく時間が必要でした。
私はこの当時、実は手元にホームページのデータを残していませんでした。学校で更新していたホームページ創設期のやり方から変わりなく、更新はそのつど、インフォシークのサイト上にて、つまりオンライン上でファイルマネージャーを用いて、タグをこつこつといじりながら行っていたためです。
いま思うと考えられない方法で管理していたものですが、画像についても同様で、手元にはトリミングやサイズ縮小のなされていない元の画像データしかないわけで、これをそのまま新サーバーにUPするわけにはいきませんでした。
このため、移転に際してはそのつどホームページを表示させ、ページのソースを表示しては保存、画像ファイルをいちいち開いては保存……という作業をまず繰り返す必要がありました。
その数、ページファイル数は272。写真に至っては1000近く。しかし、これをやらなければ、ページが消えてしまう。その一心でした。
掲示板を復活させました(4代目)。
掲示板は一時期廃止していましたが、再び読者の方々と交流してみたくなり、復活させました。
掲示板は、かつてどの個人ホームページさんにも設置されていましたが、ブログやSNSの隆盛の影で、個人ホームページと同様、しだいに廃れてきていました。当ホームページでも平成18年(2006年)2月に廃止していましたが、無料サーバーが廃止になるほどの個人ホームページ冬の時代を自覚するなかで、あえて復活させてみようと思ったのです。
この日、まず能登地区の全ページの新サーバーへの移転が完了しました。また、9月5日から追伸を新サーバーに移転しました。
ジオシティーズへのホームページ移転が完了し、アドレスを変更しました。
移転作業は半月以上かかりましたが、廃止宣告日よりかなりはやく終えることができました。
(探見隊)「失われたバス路線」のページは各路線個別ページへの移管完了により発展的廃止としました。
インフォシークライトのサービスが終了し、旧アドレスのページは閉鎖されました。コンテンツのうち「ギャラリー」のみ移転せず、そのまま自然廃止としました。
(探見隊)背景デザインを変更しました。
探見隊と小説をリンクさせた新機軸「小説+」を開始し、第1号作品として「浜風」を公開しました。その後、「ツバメノタビ」「海峡」と続けました。探見隊のみご覧いただいているお客様にも小説を読んで欲しいと思い、企画したものでした。
下層ページから上層ページへの回遊性向上のため、ページ上部にも上層ページへのリンクを貼るようにしました。
ツイッターを開始しました。
(探見隊)高速バス探見隊を開始し、名古屋・金沢線、京都・金沢線を公開しました。
高速バスについては、管理人は本来であれば専門外です。しかし、ツアーバスが台頭するなか、路線バス事業者の運行する正規の高速バスを紹介していくことは、ひいてはそれらの事業者さんの運行するローカルバスへの応援にもつながるのではないかと考え、作成することにしました。
Web拍手をいったん廃止しました(のちに復活)。
管理人はこの日付けで前職を辞しました。
アフィリエイト広告を導入し、ネットショッピングへのリンク集として「もりさけストア」のコンテンツを開始、追伸ページにも広告を入れました。失職により経済的に不安を感じたためです。しかし効果はほとんどありませんでした。
TOPページを一部リニューアルし、「小説」を「もりさけ小型ノベルス」と改称しました。
この頃より「金沢競馬場無料ファンバス」「三国競艇場無料ファンバス」についての研究を進め、ページ作成にあたりました。
小説「人事部付 北竜戦隊サービス(株)出向」を開始しました。5年ぶりの続き物小説でした(現在は公開を終了しています)。
(探見隊)紀行文の掲載を復活させました。
朝令暮改ですが、RPG作成の構想が溶けたことと、ジオシティーズへのホームページ移転によって状況が変わり、容量に余裕が出来たこともあり、昔書いた紀行文にもアーカイブ的価値があるのではないかと考えました。
「もりさけ観光開発」のコンテンツを新設しました。
これまで探見隊の「付録」として、バス路線と何ら関係のない信号機やショッピングセンターなどについてのページを公開していましたが、これらを収容するとともに、今後も拡充することを見込んでコンテンツを独立させたものです。
(観光開発)初めての家庭用ゲームソフトについてのページ「役満天国の雀士名鑑」をUPしました。
管理人はこの日より新しい職場で勤務を開始しました。
Google利用によるサイト内検索フォームをTOPページに設置しました(現在は撤去)。
掲示板を現行の画像掲示板「ふれあい掲示板」に変更しました(5代目)。
追伸500回を達成しました。
川中島バス探見隊、松本電鉄バス探見隊の公開を終了しました。ページの維持・更新が難しくなったためです。
スマートフォンの普及を見据えて、探見隊各ページで文章の折り返し方法の改善を開始しました。
探見隊各ページで路線名下の経路表記部分にターミナルページへのリンクを追加し、回遊性の向上を図りました。
探見隊TOPページを改修し、そのときどきで話題になりそうな「HOTページ」へのリンク追加など実施しました。
ホームページが10周年を達成しました。
画面の区切りとして使用していたホームページ名を印した緑色の横棒、通称「もりさけバー」の画像化を開始しました(現在は再び文字列化)。
前年10月から取り組んできたページ回遊性改良が完了しました。
この4月には、あわせて次のような改良も実施しました。これは管理人が死亡、また何らかの理由により更新を続けることができなくなった場合を想定してのものです。
この年の1月に、全国的に有名なバスファンの方が癌のため若くしてお亡くなりになりました。誰しもに突然の死が訪れる可能性のあることを再認識させられました。その場合、当ホームページのその後はどうなるか、これを非常に考えさせられたためです。
探見隊TOPページ内の「バス路線のうごき」の記事をステップアップさせ、ラッピングバスや全面LED化など石川県のバス車両の動きについても取り扱う「石川バスNEWS」の囲み記事を開始しました。
(探見隊)車両系コンテンツとして「番号幕の全面LED化改造」についてのページを開始しました。
探見隊TOPページの「石川バスNEWS」の欄を独立させ、新規に「石川バスNEWS」という独立ページを開設。探見隊TOPページのものは「バス路線のうごき」に戻しました。
ぽんさんの「石川乗合自動車ミュージアム」が、この数年前に閉鎖されて以降、北鉄の車両について体系だててまとめるホームページというものが石川県では皆無になってしまいました。このままでは車両について、いつ頃、どんな動きがあったかを後年になって振り返る手立てがなくなってしまうのではないかとの危惧が去来していました。
そこで私は、自分の運営しているのがバス路線についてのサイトでありながら、その是非は別として、緊急避難的に車両の動きについてもまとめることにしたのです。
トップページのレイアウトを変更しました。
「4桁番号とスクロール表示について」のページを開始しました。
「乗らないと調べることのできない」ものですので、みんなで実際に「乗って」調べましょうということで乗車意欲を高めることが願いでした。多くの方にご協力頂きました。
「午前0時の北鉄バス」のページを公開しました。
松任千代野、花里、平和町の各ページを皮切りに目次状の「見出しへのリンク」を新設し、回遊性を高めていきました。
また、12月より「香林坊」を皮切りに主要バス停留所ページの作成を開始しました。それまで停留所ページは「バスターミナル」のみでしたが、普通のバス停についてのページも作成していくことにしました。
「白山さん初詣バス」を公開し、臨時輸送についてのページの作成にも手を広げました。
トップページの部分修正を行いました(石川門)。
閉店する「ラブロ片町」についてのページを公開しました。
この日より、探見隊の各ページでも文章に「段落」をつけることにしました。
コミュニティバスのページへのリンクも各エリアごとの目次に載せるようにし、エリアごとに走っているバスを面的に調べられるようにしました。
この日より、各ページの最終修正日に「更新回数」を記載することにしました。それまでの更新回数が不明なページについては、この日以降の最初の更新日に「R1」と付けました。ただ、これでは18回目に達したとき「R18」になってしまうので、すぐに「1R」などと回数のあとに記号を置くことにしました。
なお、1日に2回更新を行った場合、区別のため「P」を付けています。また、午前中に1回目を行い、午後にも更新することが分かっている場合、午前の更新では「A」を付けます。
「石川バスNEWS」を「いしかわバス通信」と改称し、探見隊TOPページにあった「路線のうごき」を包含しました。
なお、ネーミングのヒントは「ファミコン通信」です。
探見隊TOPページ内に加賀・能登・金沢地区のバナーを追加しました。
「付録」ページに「アラカルト」「ルポ」の項を新設しました。
「紀行文」のページを解体し、観光開発、付録、小説へそれぞれ編入しました。
(探見隊)各地域トップページにおいて、ターミナル・主要停留所ページだけを集めたリンクを上部に設置しました。
「京福バス探見隊」を廃止しました。
高速バス路線のページで「高速バスから乗り換えて……」の項を新設し、まずは仙台線、新潟線に追加しました(*のちに一部路線のみの公開となっています)。
他の匿名掲示板において「もりさけてん」の名を騙った者が迷惑な書き込みを行うという「なりすまし」被害に遭い、ショックを受けました。
たびたび掲示板が荒されるようになったのもこの頃からです。思えば、バス路線だけを扱っていた頃には迷惑なことをする人種から完全にスルーされていたために、平穏が保たれていたのでしょうね。車両についての記述を開始したことで掲示板に車両の話題が増加し、妬みなどから目を付けられるようになったのだろうと振り返っています。
廃止された高速バス路線のページ作成に着手し、まずは「福岡線」からスタートしました。
この10月〜11月にかけて「ほくてつ」を再び精査し、大規模な加筆修正を実施。さらに歴史の項では年月に加えて「日付」も入れることにしました。また、関連事業についての研究を本格的に開始しました。
ホームページ開始当初は石川県のマニアにとって常識と思われていたような事柄についてもできるだけ分かりやすく解説するように文章を加筆、あるいは「石川県のバスの乗り方」のページの作成を行うなど、新しくバスファンになられた方や、県外から来られて石川県のバスに触れる方にも親しみやすい内容とすることに注力しました。
乗車音を集めた新ページ「もりさけ放送企画」を開始しました。
作成にあたっては、大容量の別サーバーをお借りする案、ユーチューブを利用する案などいろいろ考えましたが、結局はYahoo!ボックスにアップロードし、そこへリンクを貼る形としました。ストリーミング再生ができず、完全にダウンロードしてから聴く形となりますので、聴けるまで待ち時間が生じることにはなりますが、スマートフォンでのダウンロードもでき、まずまず思った通りのページとすることができました。
また「北鉄バスのICa」のページも公開しました。「北鉄バスの車内放送」「北鉄バスの整理券」などに続くもので、この年はさまざまな角度から北鉄バスを見つめる「北鉄バスのひみつ」シリーズの作成を進めた時期でした。学研の子ども向け書籍に「○○のひみつ」という人気シリーズがありますが、これをヒントにしています。
まもなく控えた北陸新幹線金沢開業に向けて「おもてなし力」アップを目指し、主に金沢地区の主要停留所ページで観光情報についての記述を増やしました。管理人自身、ページ更新を進めていくにあたって、ふるさと石川の魅力をより学ぶことができました。
「鉄道線ページ」(浅野川線、石川線)を開始しました。
鉄道の分野へ踏み込むのは多数の先達の方々もおられるなかで緊張も感じましたが、その緊張もまたここちよく、初めてホームページを開いた日のことが思い出されました。
「富山地鉄バス探見隊」を終了しました。
各ページに「愛のひとこと」の追加を開始しました(現在は撤去)。
探見隊ロゴを変更しました。
掲示板において、注意書きをまったく読んでいないと思われる書き込みが続いたことから、やむを得ず掲示板の入口となるページを作成しました。また北陸新幹線金沢開業改正を見据え、90ページ以上の更新を行いました。
「北鉄バスのバス車両」のページを公開しました。
「追伸」ページ下部にあったアフィリエイト広告を撤去しました。これによりアフィリエイトから完全に撤退しました。約4年間で入った収益は1,000円程度であり、無意味と判断しました。
スマートフォンからの閲覧時に配置がズレないよう、スマホでは無効化されるタグの使用を中止、系統図のアスキーアートの大きさを調整するなどの更新を開始し、5月13日に集中更新を行いました。
スマートフォンからの閲覧時の見え方に配慮し、CSSの廃止を含む改良を開始しました。
探見隊TOPページに「とれたてニュース」「ピックアップ」のリンクを新設しました。
探見隊TOPページに「今月の行事」を掲載しました。沿線各地の祭りや催しを紹介するものでした。
アクセスカウンターを復活し、5年ぶりに「1」からのスタートとなりました。これを記念してキリバン募集を再開しました(現在は廃止)。
また、メールフォームにお答えする「みなさんからのおたより」を開始しました。それまでメールフォームへ送信いただいたメールについて記載のメールアドレス宛てに返信を行っていましたが、メールをお寄せ頂ける方にも様々な方がおられるため、商業施設などの問い合わせ解答ボードにヒントを得て実施しました。これにより悪質な内容のメールを送り付けられる行為はほぼなくなりました。
探見隊TOPの「HOT」を「旅のはじまり」に変更しました。
各ページに「このページは非公式ファンサイトです」という文言を入れました。また「参考文献」の項を新設しました。
これより、北鉄時刻表をもとに重点的に金沢地区のページを重点的に更新し、内容を充実させました。
各路線ページの「系統略図」を全停留所掲載に改めました。
「WindowsXP」搭載のノートパソコンを友人から譲受し、それまで11年にわたって更新作業に使用していた「Windows98」を置き換えました(2代目PC)。
ダイヤ改正に伴い、更新ページ151箇所という史上最大の更新を行いました
トップページのロゴを変更しました。
追伸900号を達成しました。
新春特別ページを初めて実施し、「とり年さんいらっしゃい」を公開しました。そしてその公開直後にパソコンが起動しなくなりました。
ノートパソコン故障により、中古店より「Windows10」を購入、3代目PCとしました。これによりテザリングが可能になりました。
14周年記念で「†14歳の紀行文†」を公開しました。管理人が14歳のとき初めて書いた修学旅行についての文章でした。
新ページ「探見☆今月のモデルコース」を開始しました(現在は終了)。
各ページに「▲画面のトップへ戻る」というリンクを整備し、回遊性を向上させました。
主要停留所ページについても、路線ページと同様に地域ごとの配色に変更することにしました。
「過去の路線」インデックスを新設し、廃止路線へのリンクを集約しました。
「定期観光バス大百科」のページにJRバスと加越能バスを追加しました(現在は個別ページ化)。
追伸1000号を達成しました。
「高速バス」インデックスを「高速・定観」に変更しました。定期観光バスの個別ページ化を見据えたものです。また、各地域TOPページに「コミュニティバス」「臨時バス」の項を追加しました。
タグで検索できる「「いろいろインデックス」を開始しました。「ニコニコ動画」から着想を得たものです。
長期メンテナンス中だった掲示板を復活させました。
「スキーバス」のページを新設しました。
「その他の高速乗合バス」のページを新設し、ついに元ツアーバスだった路線についての解説にも取り組むことにしました。
「まちバス」ページをついに作成しました。
1月14日
ショッピングセンターに関しての記述強化に取り組み、この日、四十万金石線に「ジャスコグリーンシティ」についての項を追加しました。
主要停留所の各ページにおいて、ミリオンプラザ(大聖寺)、ラパーク金沢(西泉)、アルプラザ鹿島(織姫の里)についての項を追加していきました。
ダイエー(武蔵)、こまビル(小松駅)、アルプラザ金沢(上諸江)、ジャスコ野々市(野々市中央)についての項を追加しました。
サンポアわじま(輪島駅前)を追加。
松任ジャスコ(松任駅前)を追加し、一連のショッピングセンターの記述強化はこれで一段落としました。
この日より西暦は4桁で表示することにし、順次更新を行っていきました。
これまで「平成30年(18年)」のように西暦を下2桁で表記していましたが、翌年はついに2019年ということで、10年代も終わりに近付いています。こうなると将来、たとえば「25年」では「2025年」なのか「1925年」なのか分かりづらいということにもなっていくことが予測されたためです。
「Yahoo! ジオシティーズ」のサービス終了が告知されたことから、ホームページを「FC2」へ移転しました。ページ折り返し方法変更、もりさけバー撤去でスマホから見やすくしました。
「もりさけ放送企画」を廃止し、同ページからインポートして「走行音」の項として各路線ページで個別に公開していくことにしました。
3月31日
「Yahoo! ジオシティーズ」がサービス終了となり、旧ホームページは自動的に閉鎖されました。
ヘッダーを改良しました。またこの日よりフォントを1ランク大きくしました。
「過去の路線」インデックスを強化し、定期観光バスの廃止コースへもリンクするようにしました。
コミュニティバスのページにも路線図を挿入することにし、まずは「なないろバス」「のらんけバス」「のみバス」「なだバス ナディ」に実装を完了しました。
掲示板のレス上げ機能を廃止しました。全てのスレッドがスレッド作成日時順での表示となり、レス(返信)を行ってもそのスレッドが上位に移動することはなくなりました。過去に投稿されたすべてのスレッドにつきましても、全スレッドがスレッドの作成日時順にソートされています。
また、同日より掲示板に入室パスワード制を実施しました(現在は利便性を考えて解消)。
「津幡町営バス」のページに路線図を追加し、これにより北鉄が関係しているコミュニティバスのページすべてに路線図の実装を完了しました。
「市電代替」タグを開始。また元号1ケタの年について「全角」で表示することにしました。
「路線名」の項を新設しました。
山代大聖寺線独立ページをUPしました。
小説「花の少女ガール綾」を開始しました(同年7月12日完結)。
スマートフォン時代に対応して探見隊ページの「フレーム」を廃止しました。同日、ダイヤ改正にあわせて全181ページに及ぶ更新を行いました。
コロナウィルスによる路線休止などの対応に追われました。
探検隊TOPのバナーを変更しました。
「おくのと号」を皮切りに、定期観光バスページの個別ページ化を開始しました。
こんなときに、のんきに定観のページを公開していて良いのだろうかという気持ちもちらつきましたが、こんなときだからこそ自宅でじっくりと読み込んで、そして過去への旅ができるような、そんなページを作ればいいのではないか? そう考えなおし、ステイホームの一助になればという思いで作り込みました。
リンク集で石川県内の乗合バス運行事業者すべて(新高速乗合バス事業者を含む)へのリンクを開始しました。コロナウィルスによる運行状況の確認を行いやすくするためです。
「メールフォーム」を廃止しました。また同日よりアクセス解析を開始しました。
スマートフォン時代に対応してヘッダー部分のリニューアルを開始し、各リンクをカード状の画像に変更していきました(第1弾は富来急行線、崎山循環線など)。
この日より「付け更新」を実施しました。これまで、更新日よりも前に実際の更新を終えていたページについては、更新日に日付けのみを修正して揃えていましたが、これをやめ、事前に更新が済んでいたページはその日付けで更新したことを併記して対応することにしました。
掲示板のパスワード制を廃止しました。
スマホ利用時にボタンを押しやすくするため、TOPページをリニューアルし、超大型バナーを配置しました。
この日をもって「4桁の系統番号スクロール」のページ公開を終了しました。
6月より続けてきたヘッダーのリニューアル、小ネタのタグ埋め込み対応が全ページ完了しました。
「いしかわバス通信」を「いしかわバス通信!」にリニューアルし、車両についての取り扱いをやめました。
TOPページのバナーを一部変更しました。
「付録」コンテンツを「特集」に変更しました。
「あいうえおインデックス」「小ネタ・インデックス」「関連事業インデックス」を開始しました。
「あいうえおインデックス」は意外な路線名の隣に意外な路線名がある、という宝さがしの楽しさが提供できるのでは、という狙いで作成しました。意味もなく国語辞典をめくって偶然開いたページの言葉をなんとなく見る……みたいな、中高生の頃に興じたような遊びができるようにしたかったのです。
リンク集で自治体の公式ページへのリンクを開始しました。コミュニティバスの動きを確認しやすくするためです。
小説「果実の牙 フルーツ・ガール桃子」を開始しました(同年11月5日完結)。
「SSL化」に対応し、アドレスも「https……」に変わりました。
個人的にはさほど必要がないようにも思っていたのですが、ブラウザで不穏な「!」マークとともに、保護されてないとか、安全ではありませんとか表示されることもあり、見ている人には確実に、なんだかいかにも危険なページであるという印象を与えうることから、思い切って取り組みました。
小説「湿った文庫本」を公開しました。
小説「駒帰らず」を公開しました。
「めぐーる」と「しかばす」関連の廃止路線のページを集約して再編しました。後日、「津幡町営バス」「名金線」などでも同様の再編を行いました。
1月18日
この日より停留所ページ改良(テーブル撤去)を開始しました。
1月20日
追伸ページを改良しました。
「加越能バス探見隊」の公開を終了しました。
小説TOPページの看板をリニューアルしました。
「はじめに」「ふれあい掲示板」「追伸」「リンク集」のページにもTOP看板を設置し、ページ全体の一体感を醸成しました。
1月21日
この日、「北陸ローカルバス探見隊」のサービス終了と「もりさけバスランド タノシーズ」へのページリニューアルについて公表しました。
ホームページ開設から20周年を迎えました。
「もりさけショッピ」を開始しました。
旧「北陸ローカルバス探見隊」が公開から20年を迎えました。そして20年間やりとげたこの日をもって、旧ページの公開を終了しました(正確には3月6日朝6時より公開終了作業を行いました)。
小説「そうよ! フューエル・ガール薪子」の連載を開始しました。
(タノシーズ)「ボツ人58号」を開始しました。
「もりさけレストハウス きょうのお食事」を開始しました。
(タノシーズ)「ぼくは排ガスくん」を開始しました。
(タノシーズ)「乗りしんぼうソイグクル」を開始しました。
(タノシーズ)「味わいバス停は生きている」インデックスを、あいうえお順から方面別に変更しました。
(タノシーズ)更新履歴の項目をバナー化しました。
追伸2000号を達成しました。
さらに21周年へ向けて頑張っていきます!!
もりさけてんTOP > 当ページ
平成15年(2003年)
〈森酒店.com〉を開設しました。
管理人はこのとき19歳、大学1年生でした。開設時のコンテンツは「小説」「掲示板」および「リンク集」のみ。小説の公開作品は「みかん」「ローカル線の少女」です。
2月21日
2月26日
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11月22日
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11月30日
12月14日
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7月18日
10月3日
11月21日
12月21日
令和3年(2021年)
1月3日
1月15日
1月31日
2月20日
3月2日
3月6日
6月30日
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9月4日
9月9日
令和4年(2022年)
9月30日
11月19日
11月25日
令和5年(2023年)
2月20日
バスのページを「もりさけバスランド タノシーズ」へリニューアルしました。
2月27日
3月5日
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4月17日
4月19日
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5月9日
10月5日
10月17日
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皆さんのおかげです涙