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若狭本郷の福鉄バス

最終修正:令和5年2月20日 (7R)


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 平成25年(2013年)の梅雨、ひさびさに若狭へ行ってきました。

 敦賀から乗った小浜線の列車は、小浜を出ると、また山並みの合間に海がみえて、勢浜、加斗。水上勉先生流にいえば「牛の寝たような半島」が、ちりめん皺の海のむこうにみえてきます。その牛の背に、半島のさきまで送電線がつづいているのをみながら、次が水上勉先生の故郷の駅、若狭本郷。


 
 ここには福鉄バスの一般路線が2つ、はなれ小島のように残っていました。「本郷線」と「大島線」です。


 
 バス停に貼ってあった、おおい町の高齢者用バス利用券の記入方法。自分で乗降場所をマークしてつかうようです。様式がツーマンバスの車内乗車券のよう。

 一般路線のひとつ、「大島線」塩浜海水浴場ゆきに乗車しました。青いろカラーのエアロミディ、234号車。始発は駅ではないらしく、体操服をきた中学生で混んでいました。福鉄名物、なんだか暗い声の案内放送をききながら。


 
 おおい町役場前を経て、駅の裏側にまわり「ぽーたる」停留所に停車。SLが展示してありますが、かなり小さいサイズで、本物なのかどうか。

 本郷白浜を出ると、バスは能登島大橋のような青戸の大橋で海をわたって、大島へ。大島といっても本当は半島なのですが、島へむかう雰囲気がありました。橋ができる前は、渡し舟だったそうです。対岸へわたって、犬見口、浦底。きれいな海が見えますが、中学生は誰一人、そっちを見ていませんでした。それもそうですね。

 浦底からは、バスは湾にそった旧道をえらびました。「中谷渡船」「井本渡船」「一文字渡し」などとの看板。橋ができて、渡し舟がなくなったあとも、釣り船でご商売されているのでしょうか。中学生がバス停ごとに降りていきました。


 
 終点、塩浜海水浴場着。同じバスで帰りますので……と云うと、なんと、このあとの便はちがうバスが来るとのこと!


 
 この半島の裏手には大飯原子力発電所があるはずですが、あくまで大島の海はしずかでした。


 
 帰りは、なんと神奈中から転入したらしいワンロマエアロスターがきました。

 本郷駅前経由、なごみゆき。しかし幕は白幕でした。中ドアでなく前ドアが開いて、どちらまで? と乗務員さん。なんだか一般路線らしくない雰囲気です。


 
 ぽーたる下車。


 

 次は「本郷線」子生谷ゆきに乗りますが、来たのはこのようなバスでした……。

 
 単なる小型観光バス。放送なし、運賃表なし、降車ボタンなし、運賃箱なしという、徹底した過疎バス仕様! 終点の子生谷をなんと読むのかすら分からず(掲示板で「こびたに」だと教えて戴きました)。


 
 大飯中学校前で降り、水上勉先生の故郷の村をあるいてきました。これがぼくの聖地巡礼ともいえます。


 
 水上先生の生家のあった場所は、今回もやはり分かりませんでしたが、あみだ堂、西安寺は見てきました。一滴文庫は以前おとずれたので、今日は省略。


 
 田んぼのまわりに、高電圧の流れているというワイヤーが張り巡らせてありました。大仁田もびっくり。



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