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省営バス発祥の地・瀬戸
最終修正:令和5年2月22日 (7R)
平成25年(2013年)8月、名古屋の「リニア・鉄道館」をはじめて訪れました。ごく最近まで活躍していた、ちょっと懐かしい鉄道車両の車内外を見ることができ、時間を忘れて堪能したのですが、それらの鉄道車両もさることながら、実は一番のお目当てが、二階部分の暗いところに、ひっそりと安置されている省営バス第一号車でした。「省営バス」はのちの「国鉄バス」そして「JRバス」となるものです。
事前に写真で見たときは、ずいぶん小さく感じ、オモチャみたく頼りなさそうなバスと見えたものですが、実際には意外と大きく、それこそ周遊号のレトロバスくらいの大きさはありました。車内も現代のバスに通ずるものがあり、神話の時代を走っていたかのように思えたこのバスも、確実に現代とつながっているのだなと感じさせるものがありました。 ここからは、また別の日のことです。リニア・鉄道館で見た省営バス第一号車を見て、行ってみたくなったところができ、居ても立ってもいられず、同じ月に再び名古屋へ出かけることにしました。 夜行バスのドリーム名古屋号で名古屋へ入り、名鉄バスセンターから、名鉄バスの瀬戸駅前ゆきに乗りました。この路線は日中は運行しておらず、朝のうちに乗車する必要があります(あるいは夕方からになります)。経路的には、栄・引山方面の路線の延長形ですね。
ここが、省営バス発祥の地です。
かつて、ここに「瀬戸記念橋」というバス駅があり、省営バス第一号路線「岡多線」(岡崎〜瀬戸記念橋〜多治見)の要衝となっていたそうです。モニュメントには『昭和5年の省営バスの創業時から平成16年8月まで、最古のJRバス駅であった瀬戸記念橋駅がここに建っていました』とありました。 JRバス好きとして、一度はここへ来てみたいと思っていたのですが、思っているだけで、いつまでもグズグズと腰を重くしていたところでした。それが、リニア・鉄道館で見た省営バス第一号車に触発されて、ついに……というわけです。 しかし、発祥の地・瀬戸に、JRバスはもういません。 記念橋に別れを告げ、JRバスはもうないので、名鉄バスの しなのバスセンターゆきに乗車しました。しなのは「信濃」ではなく「品野」で、とすると、この地名には見覚えがありました。どうやらこの路線は、かつては多治見方面まで抜けていたJRバス路線を切り詰めたもののようでした。 川の両側に相互一方通行の道がそれぞれ伸び、その道に沿って川の両側に街が広がるという、独特の風景の続く瀬戸の街が尽きると、バスはやがて上り坂に。品野馬場、品野坂上、品野火の見下と、わざわざ「品野」を冠する停留所名に、どことなく国鉄バスの風貌を残しているように思えました。
結局、しなのバスセンターから、瀬戸駅前・陶生病院前経由新瀬戸駅ゆきで折り返しました。記念橋、瀬戸駅前までは来た道をまた戻り、その先は名鉄瀬戸線の線路に沿って、新瀬戸駅へ。途中の陶生病院前は、JRバス時代は瀬戸追分を名乗り、バス駅とともに瀬戸営業所が置かれていた場所だったそうです。
中水野からは愛知環状鉄道に乗り換え、JR中央本線の高蔵寺へ。現在、愛知環状鉄道が岡崎〜瀬戸市〜高蔵寺という区間で電車を走らせており、高蔵寺から中央本線に乗り換えれば多治見はすぐですから、JRバスの走っていた岡崎〜瀬戸市〜多治見といった区間の移動は、電車でまかなえているということになります。そもそも岡多線自体、できた当初の使命は鉄道の先行路線としてのものであり、鉄道さえ開通すれば、使命は終えたことになるわけです。 それでも、発祥の地から省営バスの灯火が消えたのは、淋しいような、皮肉なような話です。そんな風に感じるのはヨソモノだけなのかも知れませんし、またヨソモノの分際でそんな風に感じる筋合いというのも無いだろうとは思いますが、やっぱり淋しいことですよね。
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