もりさけてんTOP > バスTOP > 遊覧TOP > 当ページ
高岡のツーマンバス
高岡駅に平日のみ顔を出す、緑ナンバーの病院バス。知られざるバス事業者「厚生連高岡病院」。
最終修正:令和6年2月2日 (13R)
富山県の高岡市内には、ごく最近までツーマンカーが存在していました。
といっても、加越能のバスではありません。平日のみ、高岡駅と厚生連高岡病院を結んでいる病院バスです。
ここの病院バスは変わっていて、患者送迎バスなのですが営業ナンバー(緑)で、大人150円、子供70円を徴収します。業務もバス会社へ委託しているわけではない模様で、富山県のバス協会にも病院名で加盟されています。
令和5年(2023年)3月27日の新車導入時より、ついにワンマン化されました。
ツーマンカー時代の病院バスには、病院の職員の方が車掌として乗務しておられました。
病院バスという性格から、身体の不自由な方や車椅子の方の乗車の際の介助要員という意味合いで車掌を乗せていたのだと思われますが、介助のみならず、運賃の収受やドア扱い、音声放送の管理も全て車掌が行っており、それらのスイッチは中ドアの後の車掌台にあるという、かなり本格的なツーマン仕様となっていました。
運賃については途中、ころあいを見て車掌さんが車内を巡回し、集めにきますので、そのとき支払う形でした。
ノンステップバスのツーマン仕様などというものは、ほかにはないのでは。異例尽くしの珍しい病院バスといえました。
ワンマン化こそされましたが、緑ナンバーの路線バスというスタイルは健在です。
経路は高岡駅、片原横町、白銀町、南町、病院の順です。クローズドア制で、行きは病院まで下車できず、帰りは途中からの乗車はできませんが、乗車に当たってとくに診察券などの提示は求められず、病院に用事がなくとも利用は可能です。緑ナンバーの有償輸送ですからそれもそうですね。
運行ダイヤは30〜60分間隔です。土日祝、年末年始、お盆は運行していません。詳しい時刻は病院の公式サイトでアクセスのページをご覧ください。
歴 史
この病院バスは、昭和51年(1976年)4月4日付け北日本新聞朝刊の記事によれば、昭和13年(1938年)に運行が開始されているようです。当時はまだ病院が「富山県産業組合第一病院」という名称だった時代になります。
病院はこの当時すでに現在と同じ永楽町にあったようですが、この場所が高岡駅から遠く、通院客、見舞客にとって不便だという声があったため、無料送迎の形でスタートさせたものだったそうです。
戦時中は運行が休止されていたようですが、昭和22年(1947年)より運賃大人5円で運行を再開、その後は物価がどんどん上がっていったにもかかわらず、値上げは長期間にわたって全く行われず、昭和49年(1974年)になって、ようやく30円に値上げされたということです。
それでも昭和51年(1976年)4月1日当時の加越能バスの運賃が80円だったそうですから、その半額以下ということで、相当な割安です。
病院名は「農協高岡病院」を経て、昭和50年(1975年)4月1日に「厚生連高岡病院」と改称。バス運賃も遅くとも平成15年(2003年)頃には100円となっています。
平成31年(2019年)4月1日より、運賃が大人150円、子供70円に値上げされました。
令和5年(2023年)3月27日、新車の導入によってワンマン化。降車時に運賃を支払う一般的な路線バススタイルとなり、ついに車掌さんによる運賃収受は廃止されました。
もりさけてんTOP > バスTOP > 遊覧TOP > 当ページ
▲先代車両・最後のツーマンカー
▲車掌台からドアや放送を操作
▲新鋭のワンマン車両
▲令和の世にワンマン化の告示
参考文献
「北日本新聞」各号