もりさけてんTOP > もりさけ観光開発 > 当ページ

津幡の低いガード下

 IR津幡駅から北へ少し歩いたところに、線路の下をくぐる非常に低いガードが存在します。

 どうやら駅裏手にある石川高専への通学路として利用されているようですね。

 
 ▲津幡にある低いガード

最終修正:令和6年4月1日 (2)

 IR津幡駅から少し北へ歩き、北美表装さんの角から小路に入り、河原市用水を渡ったところが、このガード下です。


 
 まず、手前を走るJR七尾線をくぐるガードがあります。


 
 高さ制限1.7mとなっています。私は身長174cmですが、猫背のためもあってか、とくに屈まずにそのまま歩けました。ただ、さすがに高身長の方はそのままだとつかえるかも知れません。


 
 このガードの名は「七尾線大谷ななおせんおおたに橋梁」というようです。

 ガードは後天的に改良が加えられているようで、銘板によれば完工年は昭和40年(1965年)となっていました。この年、ATSの整備が行われているようですが、あわせて線路の大規模な改修もなされたのかも。


 
 七尾線の橋梁をくぐると、すぐにIRいしかわ鉄道線のもうひとつの橋梁が迫ります。


 
 こちらのガードのほうがレンガ造りで古そうです。IRいしかわ鉄道線(旧北陸本線)が最初に完成したのは明治31年(1898年)11月1日。きっとそのときの構造なのでしょう。


 
 鉄粉がこびりついたのか、樹脂のボードなのに錆が酷いですが、IRいしかわ鉄道線のほうの橋梁名は「かみ橋梁」というようです。


 
 基礎は一番手前の部分はレンガ造りで古いのですが、途中からコンクリート造りに変わり、後年の複線化時に継ぎ足されていることが分かります。

 銘板によると完工は昭和37年(1962年)1月。この年の9月に津幡〜倶利伽羅・安楽寺信号場間の複線化が行われていますから、時期が一致します。


 
 IR線のほうのガードを抜けてきたところです。反対側は七尾線側と非常に似た外観ですね。


 
 線路をくぐった先には、今度は旧8号線をくぐるボックスカルバートがあり、こちらも高さ制限1.7mとなっています。


 
 電車の通過時は、迫力が凄いです。


 
 頭上すれすれが電車になりますので、とても私には通過中にくぐる勇気がありません。なにか落ちてきたら困りますし……。いや、実際に垂れ流しのトイレだった時代には、通過中にくぐるなど無理だったでしょうね。

 このガードですが、今後、IR津幡駅に東口が整備されることが決まっており、これが完成すると高専の学生さんはそちらから直接東側へ出られるようになりますから、用途がなくなり、いずれは忘れられていくのかも知れません。

  


MORI SAKETEN.com SINCE 2003


もりさけてんTOP > もりさけ観光開発 > 当ページ





inserted by FC2 system