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金沢都ホテル地下街の思い出

 金沢駅前の地下に広がっていた、味わいのある昭和的空間。

最終修正:令和5年11月1日 (10R)


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 長らく金沢駅東口を象徴する風景であり続けた「金沢都ホテル」も、とうとう姿を消しました。平成29年(2017年)3月31日限りで営業を終了。解体されています。


 
 「金沢都ホテル」が入っていた「金沢ビル」は、金沢ビル(株)によって昭和37年(1962年)8月4日、日本通運跡地に開業。地下1階に38店舗、地下2階に5店舗と映画館2館を持つこのビルは、まさに駅前の近代化の象徴と言えたことでしょう。

 昔は通称“きんビル”とも呼ばれていたそうです。

 昭和38年(1963年)3月11日に“金ビル”のキーテナントとなる「金沢都ホテル」がオープン。金沢初の都市型ホテルで、近鉄グループの(株)金沢都ホテルが運営。当初はビルの5・6・7階部分に入居していたそうです。

 その後、昭和42年(1967年)9月より金沢ビル(株)そのものの経営も近鉄へと移譲されたそうで、昭和48年(1973年)4月1日には金沢ビル(株)と(株)金沢都ホテルが合併し、「金沢ビル興業(株)」となりました。

 昭和58年(1983年)4月28日には南東側の増築により新館が開業し、このとき建物は完成形となったようです。新館開業時に、旧館6階にあったというフロントは新館1階へ移設、最上階にはレストラン「ベルビュー」と日本料理「杜若」も開業しています。

 平成4年(1992年)2月1日には創立30周年を迎えるにあたり、ホテル名と会社名を同一化することで企業イメージを向上させるという狙いから、金沢ビル興業(株)は再度「(株)金沢都ホテル」となりました。この改称は、建物を所有・管理する近鉄グループの日本海不動産(株)が金沢ビル興業(株)をいったん吸収合併し、合併と同時に「(株)金沢都ホテル」と改称する形で行われたそうです。

 平成11年(1999年)10月1日、(株)金沢都ホテル(2代目)は親会社の近畿日本鉄道(株)と合併し、同時にグループ会社の(株)近鉄ホテルシステムズが「(株)金沢都ホテル」(3代目)という新会社を全額出資により設立。ホテルの経営はこの会社へと継承されました。

 

 平成18年(2006年)4月1日、(株)金沢都ホテル(3代目)は(株)近鉄ホテルシステムズへ吸収合併され、さらに同社は平成27年(2015年)4月1日に「(株)近鉄・都ホテルズ」と改称されました。

 このように長い歴史を誇っていた「金沢都ホテル」ですが、築55年にも及んでいたこともあって、老朽化も著しく、平成29年(2017年)3月31日限りでいったん営業を終了――。解体されました。

 その後、長らく跡地の活用方法が決まらず、駅前の一等地でありながら更地のままに放置され続けていましたが、令和5年(2023年)10月に至って、馳浩知事が60mの高さ制限を緩和できる「都市再生特別措置法」の活用に前向きな姿勢を表明。その流れで、金沢市と近鉄グループの間で同法を活用して開発する方針が定まりました。

 ようやく、再開発への一歩が踏み出されたのです。

    


 
 金沢駅東口のもてなしドーム地下広場から駅と反対の方向へ向かって歩くと、都ホテル地下街へ行き当たりました。地下街の手前には、このようなごく短いエスカレーターがあります。

 かつてはもてなしドーム地下にあたる場所にも金沢ステーションデパートという地下街があり、都ホテル地下街と共存共栄で盛業していたものですが、そのステーションデパートも金沢駅の高架化によって「金沢百番街」として駅構内へ移転し、都ホテル地下街はそのあとに取り残されているという状況です。


 
 エスカレーター手前にも入口があり、手前から入るとそこは地下2階、エスカレーターを登って入ると地下1階でした。とてもワンフロア分の階差があるように見えない高さなのですが、地下2階のフロア内にもさらに下り階段があり、その階段を降りて1段下がったところが地下1階フロアの階下にあたるフロアとなっていました。地下街は構造が複雑で、非常に入り組んでいました。


 
 都ホテル地下街、地下1階の入口。もっとも手前が、いきなり空きフロアです。


 
 地下1階入口をやりすごした右横には地上への階段がありました。これは現在も残っています。


 
 地下1階のドアーを開けましょう。


 
 志摩スペイン村の広告が近鉄資本であることを示しています。左手の鉄格子の降りている店舗は酒屋さんで、ほぼ休業状態でしたが、ときどき店が開いており、店主の方と顔なじみらしいお客が談笑しながら昼酒しているのを見たことがあります。


 
 酒屋さんの自動販売機。


 
 小売店はほぼ全滅状態でしたが、この洋服店は営業していました。

 私は金沢都ホテル地下街にも店舗を出していた和菓子店でアルバイトをしていたことがあるのですが、店主さんは都ホテル店を“ビル”、それから城北ショッピングセンターのお店を“センター”と呼んでいました。

 “センター”はともかく、なぜ都ホテルの店が“ビル”なのか、当時は分からなかったのですが、「金ビル」という呼び名を知ってから、あの“ビル”とは「金ビル」の“ビル”だったのだなぁと合点がいきました。


 
 近鉄沿線御案内です。


 
 奥のほうは飲食店街になっています。


 
 通路に鎮座する、お店のメニューつきの立て看板。


 
 薄暗い地下街のなかで、唯一といっていいほど活気のある一角でした。ここは「栄屋」さんという中華料理のお店なのですが、中華料理だけでなく、定食などをメインとしており、昭和の大衆食堂といった雰囲気にあふれていました。この「営業中」という看板の前あたりへ出ると、気配を察知されるのか入店していないのに「いらっしゃいませー!!」と声をかけられ、もう入らざるを得なくなります笑


 
 「さわらおち」の登場頻度に注目。


 
 サンプルケースにお刺身が存在感を主張していました。


 
 このお店のご主人は非常に気配りの凄い方でした。管理人は以前、接客に行き詰まったら、心を入れ替える意味でも、このお店に来ていました。注文していないのに、小皿に載った冷奴や“さわらの中おち”が出てきたりしたのも特色です。夏場はソーメンや冷やしそばの小鉢が出た場合も。お客を待たせたくないという思いなのでしょうか。これらの突き出しのほかに、週刊誌や新聞が差し出される場合もあります。きびきびした動きのご主人は笑顔でしきりに「すいませんねー」「すいませんねー」と繰り返しました。

 これまたシャキシャキした奥様との、ときに仲が良いがための喧嘩ごしのやり取りも、見ていて楽しいものがあります。そして言い争いのさなか、ご主人はハッと我にかえったようにこちらを振りかえって、笑顔で「すいませんねー」と頭を下げたり。


 
 もうひとつ特色。メニューには「ヤキメシ」とあるのですが、「ヤキメシ」と注文すると、「はいチャーハンですね!」と言い直されます。ならばと次は「チャーハン」と言うと、「ヤキメシですね!」と。これは謎です笑 それと、チャーハンを頼んだ場合、スプーンは紙で包まれて出てきます。なんだか洋食的な雰囲気でしたね。

 管理人は金沢駅の近くで働いていた頃、ほんとによくこのお店でお昼にしていました。最近はあまり訪ねる機会も稀になりましたが、懐かしいお店です。


 
 栄屋のことばかり書いてしまいました。それほど私はこの店が好きだったのでしょうか。この栄屋さんのすぐ前に、地下2階へ降りる階段がありました。階段の下は、かつては「ロキシー」という映画館になっていましたが、晩年は閉館済みで、ホールとしてセミナーやイベントなどの際に使われているようでした。瀟洒な洋館のエントランスのようなムードです。


 
 フロア図です。


    

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