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今町ダンジョン

 国道今町のバス停の先に、ぽっかりと口を開ける謎の地下道。

 そこは世にも稀な構造の奇妙な地下空間でした。

 
 ▲今町ダンジョン


最終修正:令和6年4月1日 (8)

:: 今町ダンジョン探訪

 
 今町バス停(国道郊外方向)でバスを降りると、すぐ先に地下道の入口が見えています。


 
 地下道なのに交差点があり、標識も備えられています。

 
 ▲以前は壁から伸びたアームで標識が取り付けられていました

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 ┃┃♀バス停|
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 この地下道の構造を上から見ると、2本の地下道がクロスする形になっています。このために地下空間なのに標識や横断歩道があるわけですね。


 
 交差点の様子です。ここは自動車も通りますので、カーブミラーが取り付けられています。

 なお、ほんとうに地下トンネルとなっているのは東西方向のラインのみで、南北方向のラインは実際には地下をくぐることなく再び反対側の地上へ出てきます。つまり、単なる堀割なのですが、雨水の浸入を少しでも防ぐために屋根が取り付けられているのでしょう。


 
 頭上を配管パイプが横断しています。


 ……と、そこで下を見てみると!


 
 これが一名“今町ダンジョン”といわしめている理由。水が、しかも真っ赤な水が湧き出しています。

 しかも至るところに。

 雨が降ったからこうなっているのではありません。

 湧いているのです。

 どうも鉄分を含む地下水脈を断ち切ってしまっているらしく、真っ赤な赤水がこんこんと染み出ています。


 
 流れる水。これも雨が降ったあとではありません。つねに濡れています。

 そろそろ脱出したくなりましたね。


 
 反対側、津幡側の出入口です。なお、取り付け道路が一方通行ですので、歩行者は別として自動車は通常こちら側から入ることができません。


 
 月影(東側)の出口です。


 
 月影方向の出口の途中には不気味な通路があります。頭上にある標識は高さ制限1.9m。管理人はゆうゆう大丈夫ですが、背の高い人は通っては駄目なのでしょうか。


 
 この通路は階段になっており、ここから明るい地上に出られます。今町(市内方向)バス停への連絡出口となっています。


 
 今町バス停すぐ脇に設けられている、歩行者専用の出入口です。


 
 こちらは今町の集落側の入口です。東西南北を向くその姿は、横臥し威嚇する何かの生き物のようです。


 
 なお、平成28年(2016年)7月頃より一方通行規制が行われました。


 
 ある正月の夜です。帰省している人が車の停め場所に困ってこぞってここに停めていたようです。ちなみに、以前は普段からここに停めているらしい車も見かけました。地下駐車場と勘違いしている変わった人がおいでたようです。


 
 改修工事中の頃の今町ダンジョンです。平成29年(2017年)8月頃に工事が行われました。


 さて、この「今町ダンジョン」が造られた時期はいつなのでしょうか。

 古い住宅地図を開いてみたところ、昭和49年(1974年)のものではまだ地下道は描画されておらず、代わりに踏切があります。

 しかし、翌昭和50年(1975年)の地図ではその踏切がなくなり、東西方向に線路をくぐる「地下道」が出来ています。ただし、この時点では国道に並行する南北方向の地下道が描かれていませんでした。

 このさらに翌年、昭和51年(1976年)の地図では、ようやく現在と同じ東西南北十字型の地下道が描かれています。このことから、「今町ダンジョン」が完成したのは、どうやら昭和50年(1975年)内のことであるようです。

 おそらく、国道8号線金沢バイパスの開発時、今町から月影町方面への交通が阻害されないよう立体化が行われることになり、この際まとめて北陸本線もくぐる形での地下道建設となったのでしょう。また、これに際して、森本方面から月影町、月影町から津幡方面への交通にも対応できるよう、特異な十字型の地下道が造られたのだと思料されます。


 
 この「今町ダンジョン」の正式名称は「月影架道橋」というそうです。ひところからJR線路下にあるトンネルなどでは、構造物に衝突した際の連絡先と連絡のための名称が掲出されるようになり、この今町ダンジョンにもそれが設置されたことで明らかになりました。

 なんと今町ダンジョンは「橋梁」だったのですね。

 「月影」という名が付けられているということは、地下道ができる前にあった踏切も、おそらく「月影踏切」という名称だったのでしょうね。旧踏切名が架道橋や地下道の名称に継承されるというのは、よくあることです。

  

:: 法光寺と柳橋にも

 「今町ダンジョン」と同じ様式の上屋を持つ地下道が同じ金沢市北部に2ヶ所存在しています。IRいしかわ鉄道線に乗車していて気づかれた方も多いと思いますが、いずれも東金沢〜森本間にある「法光寺架道橋」と「柳橋架道橋」の2つです。

 
 ▲法光寺架道橋

 今町ダンジョンのように構造が複雑ではなく、一本道の単純なつくりですが、小さい窓が連なるスタイルはまったく同じです。また地下道でありながら「架道橋」、あくまで鉄道側から見た「橋梁」だとしている点も同様ですね。

 同タイプの地下道のもうひとつがすぐ近くの柳橋町にあります。

 
 ▲柳橋架道橋(柳橋地下道)

 こちらは入口に「柳橋地下道」としたためられた立派なプレートがあるのですが、鉄道施設的にはやはり「柳橋架道橋」とされているようですね。

 
 ▲プレートには「柳橋地下道」とあります

 この柳橋のほうも交差点があるようなことはなく、一本道の単純なつくりですが、ほかの2地下道より少しサイズが小さく、さらに内部でゆるやかにカーブしているというオリジナルな点も。

 
 ▲柳橋架道橋は内部でゆるやかに曲がっています

 昭和55年(1980年)3月9日付け北國新聞朝刊によると、金沢駅貨物ヤード移転に伴い4月から貨物線の立体化事業が開始され、踏切5ヶ所を撤去……とあります。法光寺と柳橋の地下道は、これに伴って造られたのでしょう。

 
 ▲地下道には不思議な魅力を感じます

  


こちらのページもどうぞ
 (味わいバス停)今町
 →(乗ってみた)[87]津幡線


参考文献
 「金沢市住宅明細図 北部版」刊広社(昭和49年〜51年版)


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