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金沢を見つめた大和・ラブロ片町

 

 平成26年(2014年)3月16日に閉店した「ラブロ片町」。かつてここが大和デパート本店だったことを懐かしく思い出す金沢市民も多いことでしょう。長い間、マチの象徴といえる場所であった旧大和・ラブロ片町。大正12年(1923年)10月に宮市百貨店として開業して以来、全面的な建て替えを一度も行わず、営業を続けながら増改築を繰り返し、現在の建物に至っていたという脅威的な建物でもありました。それもこれで見納めとなります。

 ラブロ片町は、大和が香林坊へ移転したあと、昭和61年(1986年)11月27日にオープン。開店当時の新聞に掲載されていた広告によると、ラブロ(LABBRO)とはイタリア語で「くちびる」という意味だそうです。

最終修正:令和6年4月1日 (12)

 
 ラブロ片町は片町(市内方向)バス停前に位置していました。まさに一等地。というよりは、大和がバス停を呼んだというのが正しいのかも知れません。

 
 平成12年(2000年)当時のラブロ片町です。当時は3階にユニクロやABCマート、4階にタワーレコードやシマムラミュージックなども入り、若い世代で賑わっていました。

 
 バス停前のこの部分は一見、ビルの軒下のように思えますが、どうやら大和時代の昭和47年(1972年)10月の店舗改装の際、1階の館内部分だったところを改築し、エントランスを後退させてパブリックスペースの「コミュニティ広場」としたものらしく、元は写真左手の柱がビルの入口部分だったようです。増改築に増改築を重ねて改造されていったラブロの建物の見所の一つとも言えます。

 
 外壁に埋め込まれたように3階・4階部分まで伸びている柱が気になります。この部分が昔からの構造の名残りなのでしょうか??

 ラブロの建物は宮市百貨店時代である大正12年(1923年)10月開業当時の木造洋館3階建て(一部4階建て)の建物の時代から一度も完全な建て替えが行われておらず、営業を続けながら増改築や改装だけでこの巨大な鉄筋コンクリート地下1階・地上7階(一部10階)の建物へと改造されていったようです。

 
 「株式会社 大和」

 

 
 閉店セールに際し、エントランスのショーケースに各年代ごとの写真や大和の年表が掲げられています。年表を下記に書き写しました。

●大和創業の地 大和の歴史

明治18年(1885年)
 「宮市洋物店」として片町4ヶ所で、それぞれ洋酒、洋服、食料品など舶来品を主に、斬新で高級な店として展開していた

明治34年(1901年)
 宮市合名会社設立

大正12年(1923年)10月
 宮市百貨店創業。木造洋館3階、一部4階建て。当初畳敷きであったが、その後床を木製ブロックに張り替え外履きのまま入店可能となる

昭和6年(1931年)4月
 別館で食品マート開設(*現うつのみやビル隣)。食堂を拡張し催事場新設

昭和13年(1938年)9月
 近代的な増築完成。全国有数の規模となる
 新施設…社交室、特別食堂、喫茶店、理髪美容、写真室、日本交通公社、屋上児童遊園など

昭和18年(1943年)12月
 株式会社大和設立

昭和24年(1949年)6月
 自由経済時代に備え改装と設備拡充を目的に売場拡張
 新施設…映画劇場、グリル、屋上遊園などファミリーセンター完成

昭和30年(1955年)5月
 店舗主要部分木造モルタル塗5階建を耐火建築に建替え。屋上に石川県(1市1個)で初めてミュージックサイレン、その後ミュージックオルゴールが取り付けられた。1日6回の演奏で上空に流れる。

《ミュージックサイレン》
(昭和30年〜47年まで)
 7時 朝
 9時 靴が鳴る
12時 メリーウィドウ・ワルツ
15時 赤とんぼ
18時 埴生の宿
21時 アニー・ローリー

《ミュージックオルゴール》
(昭和47年〜61年まで)
 7時 カッコーワルツ
 9時 浜千鳥
12時 トロイメライ
15時 この道
18時 家路
21時 五木の子守唄

12月24日 聖夜(きよしこの夜)
12月31日 蛍の光
1月1日 君が代

昭和32年(1957年)6月
 木造本館を鉄筋コンクリート地下1階、地上7階、一部8階建に全館改装
 正面入口階段手すりにアンモナイト化石入り大理石使用
 高光一也画伯揮毫の中央エレベータードアを設置

昭和39年(1964年)2月
 大和劇場(5階)廃止(*昭和23年12月から16年間併設)

昭和42年(1967年)6月
 増改築工事。増築部分7、8、9階。9階にスカイレストラン(特別食堂)新設
 日本海側初となる立体駐車場完成(*現在金沢ニューグランドホテルで使用)

昭和46年(1971年)8月
 小橋菅原神社ご遷官と神木の移植(古寺町通り→片町2丁目・現大和グリーンパーキング裏)

昭和47年(1972年)9月
 小橋菅原神社跡地、立体駐車場跡を増築。鉄骨鉄筋造り、地下1階地上7階、一部10階。現在の建物となる
 大和グリーンパーキング(270台収容・自走式・立体)中央通りにオープン

昭和61年(1986年)9月
 大和の店舗機能を香林坊のアトリオに移転

昭和61年(1986年)11月
 ラブロ片町オープン

 
 1階エントランス。ファッションビルらしい、おしゃれな雰囲気です。マチでの待ち合わせのメッカとしても知られていました。

 
 エントランスは3階部分まで吹き抜けになっています。

 
 お店の外を、復刻ボンネットバスが走って行きました。ラブロの建物は、このカラーリングのバスが走り回っていた時代も、もちろん知っているでしょう。

 
 店舗の裏、北側の入口です。道路と少しずれて玄関口が付けられています。こちらはデパート時代の面影が濃い堅牢な雰囲気です。

 
 公衆電話コーナー。いまは2台だけが置かれていますが、スペースからして、かつては3台の公衆電話が並んでいたのでしょうね。

 
 店舗北東側の入口。まるで高架道路の支柱のようなT字型の構造物が建物を支えているようにも見えます。

 
 1階で開かれている片町・大和なつかしの写真展。片町の街並みを含む歴代の古い写真が展示されていました。

 
 大和のシンボルマークの変遷。

 
 昭和42年当時の1階フロアの図面も展示されていました。昭和47年に行われた最後の増改築より前の図面にあたるため、図の右上、旧小橋菅原神社部分の増築がまだ行われておらず、この部分だけが凹んでいる様子が見えます。

 
 店舗東側の階段。金属製の手すりが特徴です。

 
 地下へ降りていきます。

 
 金属製の手すりはデパート時代そのままではないかと言われています。踊り場のファッションビルらしい壁画。

 
 地階には、以前はヴィレッジヴァンガードが入っていました。撤退後は空きスペースとして閉鎖されていましたが、閉店セールに際して、什器売り尽くしコーナーとして開放。ラブロで使われていた備品が即売されていました。これまで商品を陳列するために使われていた什器が、最後には商品として売られることになるとは……。

 
 什器だけでなく、事務室で使われていたものと思われる事務用品まで販売されていました。

 
 試着室には2,000円の値札がありました。後日訪問すると無くなっていたので、誰かが購入したようです。このほかカメラを向けるのを憚られましたが、マネキンも売られていました。もちろん裸です。

 
 パスタとオムライスの店「キャピタル」。この「キャピタル」と雑貨の「みるくモーモ」が、地階で最後まで営業していた店舗となります。みるくモーモのテーマソングと、隣接したゲームコーナーに設置されている「ドラえもん旗揚げ」の音声(声は大山のぶ代さん)が、地下に響いていました。

 
 店舗入口側の階段(いわゆる大理石の階段)から地階へ降りてきたところです。天井のつくりに、時代がかった雰囲気が漂っています。左手がみるくモーモになります。奥の布で隠されたところに、かつてヴィレッジヴァンガードがありました。

 
 反対側から。右手がみるくもーもです。

 
 ゲーム機はなんとチャンスつき!!
 ヤッホー、ヤッホー。

 
 階段の脇の倉庫と思われるドアの開閉部分のみ、床材が貼られておらず、タイルのままの地面が丸く残っています。元々の地階の床は、このタイル張りだったのでしょうか?? 地階は大和時代は食品売り場として使われていました。いわゆる「デパ地下」ですね。いまも香林坊大和の地下食品売り場にある、アメちゃんを満載したテーブルがぐるぐると回転していて詰め放題のコーナーも当時から存在していたと思います。

 
 エレベーター。赤いドアが鮮烈ですね。

 
 エレベーター内の全館ご案内。

 
 エレベーターのランプは8階までありますが、8階のボタンを押しても反応はなく、7階までしか行くことはできませんでした。レトロなフォントの階数表示に注目。おそらく大和時代からのものでしょう。

 
 店舗正面の入口を入ってすぐ左手にあるのが、この階段です。いわゆる「大理石の階段」で、大理石の手すりにアンモナイトの化石が埋まっていることで知られていました。昭和32年(1957年)6月の改装の際に、このアンモナイトの埋まった大理石がお目見えしたようです。

 
 大理石の階段から1階正面玄関を見る。

 
 最後に化石を見に来る人も多かったようで、ついにアンモナイトについての説明書きまで設置されました。

『ラブロ片町にある「アンモナイト」は、中生代(6500万〜2億4500万年前)前期ごろのものとみられています。海洋に広く繁栄し、頭足類に分類されるアンモナイトは、全ての種が平らな巻き貝の形をした殻を持っているのが特徴です。この階段の3階〜6階手すりは、イタリア産の大理石で、黄褐色石灰岩中に直径5〜20センチのアンモナイト・ベレムナイトが20個以上埋まっています』

 
 この階段の床は地階〜2階部分まではブロック模様のビニール製の床になっていますが、3階より上はグレーのタイル貼りになっており、雰囲気が異なります。大和時代のままの床材かも知れませんね。手すりの黄色い部分が、うわさの大理石です。

 
 しかし、3階より上はシャッターが降りたままになっている階もあり、照明もところどころ消されていたりと、薄暗い雰囲気。電鉄魚津ステーションデパートを思い出させる光景です……。

 
 アンモナイト発見!

 
 店舗の中央南側の階段。店舗内でもっとも大きい階段で、上り階段と下り階段が踊り場部分で接続しあう凝った構造となっています。

 
 階段同士が交錯しあう。

 
 個人的には、この階段の風景がもっとも好きでした。

 
 けれども、階段を使う人は実際にはほとんどいなかったでしょうね。店舗中央部にあるエスカレーターが7階まで続いています。昭和42年(1967年)6月11日の改装で新設されているようです。

 
 エスカレーターと、ラブロのロゴ。

 
 上階には、白く光る幻想的な構造も。昭和42年(1967年)当時のエスカレーターは、金沢でも最先端の利器。大和にとっても自慢の設備だったでしょう。特別なものとして美しく装飾されたのでしょうね。

 

 
 これらのマークも、いまとなっては懐かしさを醸し出しています。

 
 2階。エスカレーターの周りに謎の段差があるのが特徴でした。

 
 この段差もまた、増改築の足跡なのでしょうか??

 
 2階は天井の低さや、剥き出しになった配管類も眼を惹きます。スプリンクラーなど防火設備の配管でしょうか。昭和初期の構造から、消防法に適応できる現代建築へと手直ししていった苦心の跡なのかも知れません。

 
 淋しい風景……。

 
 空きスペースは決まってゲームコーナーとなっていました。

 
 3階は古本市の会場に。ダイエー金沢店の晩年にも、やはり古本コーナーはありましたね。照明がかなり明るく淋しい雰囲気はありません。天井にはアルミホイル状のものが貼られています。かつて、この3階にはユニクロやABCマートが入っていました。大和時代も「パリ、銀座、そして金沢」をキャッチフレーズとしたファッション売り場となっていたようです。

 
 なぞの構造物。建物の斜めにクロスした支柱かも??

 
 5階には「献血ルームラブロ」がありました。

 
 5階の空きスペース。しかし外の光りが差し込むこともあってか、どことなく明るい雰囲気です。

 
 [化粧室]との3文字が無骨に示すトイレ。これもまた大和時代からのものかも知れません。ちなみに、ほかの階ではおしゃれな看板に変わっているところがほとんどです。

 

 
 店舗中央南側の、互い違いの階段を登ります。6階に下りたままになっているシャッターにはたのしげなイラスト。かえって淋しさを募らせます……。大和時代、6階はおもちゃ売り場だったようです。もしかしたら、これはその時代のシャッターなのでは?!

 
 めくれた壁紙の下から、むかしの壁が見えていました。

 
 上階は使われていない部分をパネルで仕切った箇所もあり、なんとなく雑居ビルのなかのような雰囲気。

 
 7階へやってきました。ここがラブロでお客が立ち入ることのできる最上階になります。モザイクになった床。やぶれた部分をツギハギしただけなのか、それともこういう模様なのかは分かりません。

 
 7階にはアートシアターいしかわが入っています。

 
 展望が楽しめる休憩場所。大和時代、7階は食堂街になっていたようで、大食堂やスナック、中華料理店などがあったようです。ここも飲食店の跡なのかも知れませんね。

 
 7階から眺める片町。

 
 この日は雪でした。

 
 7階にはアートシアターの「ギャラリー」が並んでいますが、重そうな鉄の扉が冷たく閉じているだけでした。

 
 封鎖された8階への階段は立ち入り禁止になっており、物置と化していました。かつてはこの上の8階が屋上遊園地「ファミリーランド」でした。大和としての閉店後、もう二度と部外者が立ち入ることはできない場所となったのですが……、

 
 なんと平成25年(2013年)7月〜9月にかけてのラブロ片町最後の夏に、この屋上遊園地跡にて最初で最後のビアガーデンが開かれました。これが封鎖されていた屋上に立ち入る最後のチャンスとなりました。この大きなガラスが特徴のテラスのような建屋は、幻の存在となっていた展望レストラン「スカイクラウン」跡です。

 
 盛りあがりました。

 
 ビアガーデン受付場所となったエレベーターホール前には、頭上にこのような看板が……。大和時代から全くそのままになっていたのでしょうね。

 
 このビアガーデンのトイレとして、8階のトイレも開放されました。トイレの前には、いままで拝むことのできなかった、互い違いの階段の最上部の光景が……。

 
 なんともレトロなフォントのスプリンクラーの説明書き。

 
 日も沈み、ビアガーデンはさらに盛況に……。

 
 大和の移転により長らく屋上は閉鎖されていたため、ほとんど手入れがされず草生していたということですが、ビアガーデン開場にあわせて手入れがされたそうです。レンガ敷きの地面からも、当時の光景が想像されます。

 
 この構造物は、かつて屋上遊園地内に敷かれていたというモノレールの支柱では?! とも思えるのですが、どうでしょうか。なおパラソルを固定するための金具などに、かつての遊具を固定するための金具が使われたとも聞きました。なんとなく感動。

 
 屋上から、香林坊大和の方面を見る。

 
 大通りを北鉄バスが走って行きます。

 
 金沢の夜空に、花火が上がりました。


 金沢のマチの象徴・ラブロ片町。80年以上金沢を見つめてきた大和の建物とも、3月16日でお別れです。


【昭和47年当時の大和デパートフロア】
 9階 展望食堂「クラウン」
 8階 ファミリーランド
 7階 ホールと食堂の街
 6階 Pecとおもちゃの街
 5階 住まいと暮らしの街
 4階 こどもときものの街
 3階 ファッションの街
 2階 レジャーと男の街
 1階 銘店街とおしゃれの街
 B階 味覚の街


参考文献
 北國新聞縮刷版


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