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加賀温泉郷

湯快リゾートめぐり

 温泉でのひと浴びは、湯快ゆかいリゾートなどのホテルの大浴場を利用するのも良いものです。メリットは昼間であれば非常にすいていること、ソープ、シャンプー類が完備されていることです。脱衣場には鍵付きロッカーも設置されています。

 湯快での日帰り入浴は、タオルさえ持参すればおおむね700円〜1,000円程度で利用できます。フロントにある自動精算機で支払いの上、レシートを受付へ出せばOKです。

 湯快リゾートは廃業した旅館の建物を買い取って再生させるというビジネスモデルで知られ、館内や浴場にはバブル時代の良き時代の観光旅館の雰囲気が残っていたり、かつての遊興設備を魔改造でゲームコーナーなどに仕上げていたりするのも興味深いです。

最終修正:令和6年4月2日 (2)


:: 山代 彩朝楽さいちょうらく

 山代温泉西口バス停近くにある「彩朝楽」は、湯快リゾート(株)の記念すべき第1号館です。

 浴場はフロントの奥から左に入った階段の上、まず最初に女湯があり、さらに階段を登ったところが男湯です。

 大浴場は「古代檜風呂」と呼ばれ、露天風呂こそないものの、かなり年季の入ったヒノキの浴槽は長年にわたって温泉をたたえ続けたことで表面が柔らかくなっており、やさしく包む込むような湯とともに、疲れた身体をほぐしてくれます。

 
 ▲湯快リゾート第1号の彩朝楽

 元々は昭和32年(1957年)に創業した「花月荘」というホテルで、平成11年(1999年)に女性客の集客を目的として玄関などを改装の上「江戸小町 花ふうせん」と改称、団体旅行中心の集客から、個人や小グループ中心のスタイルへと転換が図られたものの、長引く不況により客足は低迷し、改装費の回収が思うように運ばず、平成13年(2001年)7月27日までに自己破産、競売物件に……。

 これを湯快リゾート(株)が落札し、低料金で宿泊できる新しいタイプの温泉旅館として再生。平成16年(2004年)8月13日にオープンしたというわけです。

 湯快リゾート化に際して、地下のラウンジがカラオケルームに、1階の前オーナー宅と茶室はロビーに、喫茶スペースはインターネットコーナーに。2階の居酒屋は仕切り壁を設けて漫画コーナーに、大宴会場はブッフェレストランに改装されているようです。


:: NEWニュー MARUYAマルヤホテル

 片山津5区バス停から柴山潟寄りに1本入った八汐やしお通りに湯快リゾート「NEW MARUYA」があります。

 
 ▲八汐通りにあります

 このホテルは昭和16年(1941年)に創業したという「まるや」が前身で、いっときは「北陸国際ホテル」という屋号だったこともあります。

 昭和42年(1967年)3月11日に新館「天王閣」が新築落成。その当時は4階にあったという「ネオン噴水展望銀河風呂」が目玉となっていたようです。この銀河風呂は現存しておらず、増築に際して客室に改造されたのかも知れません。

 
 ▲左手前の4階建てが天王閣です。最上階の張り出した部分が銀河風呂跡でしょうか

 昭和46年(1971年)10月1日に新しい本館が完成。これを機に「北陸国際ホテル」と改称されたようです。このときお目見えしたのが、おそらく現在のフロントロビーのある「光輪閣」でしょう。

 昭和48年(1973年)10月15日の広告では鉄筋コンクリート6階建ての「本館」(現在の光輪閣でしょう)、4階建ての「新館」(これは天王閣ですね)、それに12室を擁する、おそらく旧建物だったと思われる「別館」と分かれ、大浴場は本館1階にあったという「電飾壁画大浴場“ファンタジア”」が供されていたようです。この風呂も現存はしていないものと思われます。

 その後、昭和58年(1983年)10月15日に「朝陽殿」がオープン。これが現在お世話になる大浴場やゲームコーナー、カラオケルームなどのある部分です。これにより現有の建物が全て完成しています。

 
 ▲NEW MARUYA

 平成12年(2000年)〜平成15年(2003年)の間に「癒しの宿まるや」という屋号に変わっていますが、旧石川銀行の経営破綻をきっかけに資金繰りが悪化。平成18年(2006年)7月4日に営業を休止するに至っています。

 平成18年(2006年)9月1日から(株)湯快リゾートに引き継がれ、当初は従来通り「癒しの宿まるや」として、通常よりもワンランク上の「創作和食タイプ」のホテルとして営業されていました。

 
 ▲多目的ギャラリーから漫画コーナーに変身

 湯快リゾート化後に、1階にあったディスコティッククラブ「ハレム」がゲームコーナーに、味処うどんコーナー及び多目的ギャラリーが漫画コーナーに変更されています。

 平成23年(2011年)9月1日から屋号は現在のように「NEW MARUYA」となりました。

 館内はバブルの頃を思わせる豪華絢爛な雰囲気が色濃く残っており、廊下にはせせらぎが流れ、それを渡る橋があるなど、実に華やかです。大浴場は柴山潟に面しており、美しい湖面を眺めながらリラックスできるでしょう。

 
 ▲湯上りロビー


:: わんわんリゾート片山津

 ここは現在はペットのワンちゃんを連れていなければ入ることができないホテルになりましたが、以前は「NEW MARUYA別館」として日帰り入浴もできました。

 元「ホテルよしの」だった建物で、片山津5区バス停前の小高い丘の上にあります。

 
 ▲旧ホテルよしのです

 「ホテルよしの」は昭和46年(1971年)10月10日に新築オープン。大理石が敷き詰められた亀甲大浴殿(現在の女湯?)を擁し、北陸一とされた豪華な大ホール「スターダスト」も完成しています。

 平成20年(2008年)6月18日、破産手続き開始……。負債10億円。これを平成20年(2008年)12月19日、湯快リゾートが買収し、女性専用の「花・彩朝楽」として再オープンを果たしました。女性専用ホテルとなったことにより、グレードの高かった男湯のほうが大浴場として使われるようになったものと思われます。

 平成27年(2015年)5月29日に男女共用のホテルに変更され「NEW MARUYA別館」と改称。ただし浴場は男性のみ利用可能で、女性は本館の大浴場を利用する形となっていました。女性専用時代とは真逆ですね……。この頃はビジネス利用も見込んだカジュアルなホテルとして運営されていたようです。

 
 ▲ロビー

 令和3年(2021年)3月20日、さらに「湯快わんわんリゾート片山津」として、犬と泊まれるホテルにリニューアルされました。

 
 ▲ガーデンプールもありました


:: わんわんリゾート矢田屋松濤園しょうとうえん

 ここもいまやペットのワンちゃんを連れていなければお断りというホテルになりましたが、かつては「片山津の歴史は矢田屋の歴史」とまで言われたほどの超名門旅館でした。

 歴史ある旅館も、時代を生き抜いていくためまさかの展開で生まれ変わったことになります。

 
 ▲片山津を代表した名門・矢田屋

 無論、まだ「わんわんリゾート」になる以前のことになりますが、私が日帰り入浴をさせてもらったときは、フロントで氏名を記帳の上、代金を支払う方式でした。その際なにも言わなくてもちゃんとしたカーボン紙の領収書を切ってくれたりと、普通の湯快とは手続きが違い、格式を感じさせました。

 フロントの奥にあるエレベーターで2階へ上がり、出て右手が大浴場でした。

 浴場はやや古めで、ガラス戸の重さにも風格を感じさせました。露天風呂は小振りながら、庭園越しに柴山潟を眺められ、気持ちよく浸かることができました。

 1階のエレベーターホールには色紙が多数飾られていますが、芸能人のサインのようなものではなく、歴代の総理大臣や著名な文豪が一筆書いたもので、中曽根康弘や福田赳夫の書もあります。なかでも木戸孝允の書は群を抜いていますね。

 
 ▲私の好きな水上勉のサインも……

 矢田屋は明治29年(1896年)の創業。元は片山津観光事業という会社が経営していました。

 昭和42年(1967年)9月19日に新館として現在の「松濤園」がオープンしています。

 片山津の観光客減少に歯止めがかからないなか、事業を再編して「松濤園」に経営を集中することになり、平成18年(2006年)1月15日まで営業したあと一時休業し、改装などに入りました。

 平成18年(2006年)1月27日には受け皿として新会社「矢田屋松濤園」が設立され、旅館運営・人材派遣の日本ベストサポートへ運営委託。平成20年(2008年)2月1日からは(株)湯快リゾートへ委託されました。その後、平成28年(2016年)2月1日より正式に湯快リゾートグループによる経営となっています。

 
 ▲堂々たる表札

 令和4年(2022年)8月1日、「湯快わんわんリゾート矢田屋松濤園」としてリニューアルされ、ペットの犬と一緒に停まれる旅館になりました。よって、犬を飼っていない私はもう入ることはできなそうです。


:: あわづグランドホテル

 小松市の粟津温泉バス停近くにあるのが「あわづグランドホテル」です。

 
 ▲粟津温泉の湯快リゾート

 元々は明治元年(1868年)に「対岳館」として創業している老舗ホテルで、昭和44年(1969年)12月21日の新本館オープンにより「ニュー対岳館」に。昭和50年(1975年)には北隣にあったという山本屋旅館を買収し、翌年から改装に着手。昭和53年(1978年)に増築が完成したのを機に「あわづグランドホテル」と改称されているようです。

 その後、昭和63年(1988年)には新装オープンを遂げたようですが、景気の低迷で資金繰りが悪化し、平成15年(2003年)12月、競売物件に……。

 それを湯快リゾート(株)が買収し、平成16年(2004年)11月11日に低料金タイプの温泉ホテルとして再生させたわけです。

 大浴場はなんと畳敷きで、まるでお殿様の風呂のよう。普通にかけ湯を流していいのだろうかと戸惑うくらいです。大きな窓が明るい雰囲気で、気持ちよく温泉を楽しむことができるでしょう。

 
 ▲あわづグランドホテルを横目に走る小松駅ゆき

 
 ▲横から見ると丸みを帯びた建物です


:: わんわんリゾート粟津

 「あわづグランドホテル」の斜め向かい、粟津温泉バス停すぐ目の前に「湯快わんわんリゾート粟津」があります。以前は「あわづグランドホテル別館」として営業されていましたが、これまたペットの犬と一緒に停まれるホテル「湯快わんわんリゾート粟津」としてリニューアルされ、温泉だけの利用はできなくなりました。

 
 ▲わんわんリゾート

 かつては「ホテルはし本 天翔閣」というホテルだった建物です。こちらも「あわづグランドホテル」と同様に老舗として知られていた旅館で、昭和20年(1945年)に創業、その後「ホテルはし本」となったのち、昭和54年(1979年)11月10日に第二新館「大極殿」をオープンさせています。

 その後、昭和60年(1985年)10月10日に、「ホテルはし本 天翔閣」としてリニューアルオープン。新装オープンを知らせる同日付け北國新聞朝刊の広告によれば、鉄筋8階建てで、ロビー、売店、ゲームコーナーのほか、夜はスナックスタイルのお好みコーナーになるという「ラウンジせきれい」、昼間はコンベンションホールにもなるという「ナイトスクェアー舞姫」も完備されていたということです。

 とくにナイトスクェアー舞姫については、
 『生バンドの響きが身体を熱くくすぐる。きらめく照明は、ほのかなはじらいの色さえ美しく映し出す……。ここはときめきとロマンの出会いの場、ナイトスクェアー舞姫』
 と、この時代ならではの煽情的な語り口で紹介されていました。バブルの到来という波に乗り、まさに時代の機運にマッチしたホテルとして栄華を極めたのでしょう。

 
 しかし、長引く平成不況のなか平成12年(2000年)9月に休業……。平成13年(2001年)9月17日に破産宣告を受けることとなりました。これが湯快リゾート(株)によって買収・再生され、平成18年(2006年)11月11日に「あわづグランドホテル別館」としてオープンしました。

 令和4年(2022年)4月28日よりペットの犬と一緒に停まれるホテル「湯快わんわんリゾート粟津」としてリニューアルされました。「わんわんリゾート」形態は県内でも片山津の旧「ホテルよしの」に続く2例目でした。


:: よしのや依緑園いろくえん

 山中温泉にある「よしのや依緑園」といえば、かつて温泉急行線の終点になっていた時代もあるほどの、もはや加賀温泉郷随一といってもよいほどの超々名門旅館ですが、現在は湯快リゾートが経営しており、ここでもタオルさえ持参すれば手軽に日帰り入浴が楽しめます。

 
 ▲超有名旅館です

 伝統の誉れ高い「よしのや」だけに玄関は和風旅館の雰囲気ですが、靴は脱がず、そのまま上がります。右手のフロントに設置されている自動精算機で支払いの上、レシートをフロントへお渡し下さい。なお、令和4年(2022年)7月20日より日帰り利用客は館内では防水紙のテープを手首に巻くことになったようです。意外と丈夫でお湯で濡れても千切れません。

 豪華な雰囲気を味わいながら、エレベーターで地下1階へ。注意したいのは、最初に入ってきたフロントは“6階”であることです。大聖寺川沿いの崖沿いに建っているため、地平の高さが6階になるのです。この構造を念頭に置いておかないと、帰り際に迷ってしまいかねませんので、ご留意下さい(管理人は本気で迷いました)。

 浴場は地下1階といっても半地下構造で、窓側全体は外に面しており、露天風呂もあります。山中グランドホテルと同じですね。脱衣場の手前には鍵付きロッカーも設置されていますので安心です。

 窓に広がる景観は非常に素晴らしく、すぐそばが鶴仙渓の流れ。その幽邃な川の流れを手に取るように眺めながらの入浴です。水音とともに、山中節の哀調を含んだメロディ。手のひらにすくう湯は、せせらぎか湯か。しあわせな気分になります。

 
 「よしのや」は建久3年(1192年)に創業したと伝えられています。なんと“1192つくろう鎌倉幕府”の1192年です。それほどの昔から、たゆまぬ歴史をつむいでいるわけですね。

 明治18年(1865年)、書家の日下部鳴鶴という人が杜甫の漢詩『名園緑水に依る』の一節から「依緑園」と命名。ここに「よしのや依緑園」の名が生まれることとなりました。

 昭和天皇が宿泊したこともある由緒ある旅館で、国内外のVIPの人々が来県の折には、あたかも石川県の迎賓館のように利用され、ときの総理大臣や閣僚も重用。佐藤栄作首相が誕生したといわれる秘密会議「山中会談」が行われたのも、この「よしのや」だそうです。


 
 伝統を重んじるだけでなく、時代と共に建物の近代化も進められ、昭和43年(1968年)1月8日に8階建ての新館(現在の「長生殿」)が、昭和59年(1984年)9月11日に現在のロビーや大浴場のある「月宮殿」がオープンし、いまに続く建物が完成しています。

 しかし、バブル崩壊後の長引く温泉不況のなか、平成19年(2007年)9月28日、運営会社の山中観光事業(株)は民事再生法適用を申請。負債総額22億7,100万円で倒産――。老舗中の老舗といえる旅館の破綻が決して珍しくはなかった当時でも、明らかに別格といえる名門旅館「よしのや」の行き詰まりは耳目を集めました。

 その後、平成22年(2010年)3月5日に湯快リゾートの手により再生。懐石タイプ(高級路線)のホテルとして営業されることとなり、伝統の屋号もそのままに、見事に蘇りました。

 だからこそ超名門旅館の大浴場の湯浴みをわずかな金額で手軽に体験できるようになったわけですね。

 大聖寺川の流れを眺めながら湯に身をひたして、はじめて山中を体験したといえるのかも知れません。総湯やゆーゆー館ももちろん良いのですが、やはり山中温泉を知るには「よしのや依緑園」を訪れることは絶対に必要だと思います。

 
 ▲ディスコを思わせるカラオケコーナー

 
 ▲クラブを思わせるソファーで湯上りの缶ジュースを

 
 ▲バーはなんとスロット台に……


:: 山中グランドホテル

 山中温泉の小高い丘の上、ぬくもり診療所前経由便の「緑ヶ丘」停留所近くに「山中グランドホテル」があります。かつては名鉄グループの「(株)山中グランドホテル」が経営し、温泉特急線の起終点となるなど北鉄ともゆかりの深いホテルとなっていました。

 
 ▲山中グランドホテル

 この山中グランドホテルは昭和42年(1967年)10月1日に開業。その後、名古屋鉄道百年史によると昭和55年(1980年)3月28日に別館が増築されているそうです。

 法人としての(株)山中グランドホテルはホテルの経営のみならず、昭和48年(1973年)5月1日より山代西口駅跡地で山代レジャープラザの営業を行っていた時期もあるようですね。

 平成3年(1991年)1月20日からは温泉特急線に「山中グランドホテル」停留所が新設され、ホテル前までバスの乗り入れが開始されています。

 また同時期に温泉山中線に新設された「緑ヶ丘」停留所も同ホテルへの最寄り停留所となるなど、この時期、バスによるアクセスが非常に向上しています。団体客から個人客へのシフトが見られたのでしょうか。

 しかし、"温泉不況"が叫ばれるなか、山中グランドホテルは平成11年(1999年)11月30日をもって営業を終了し、特急バスの「山中グランドホテル」停留所も廃止となりました。

 その後は数年間、空き物件となっていたようですが、全国の廃業した旅館を買い取り、バイキングなどを取り入れた格安旅館に再生することで知られる「湯快リゾート(株)」がこれを買収し、平成17年(2005年)6月19日に営業が再開されました。

 22-938。
 ▲山中グランドホテルを背に、緑ヶ丘をゆく

 浴場へは、奥のおみやげコーナー右手にある階段かエレベーターで地階へ下りて向かいます。

 地階といっても、建物自体が小高い丘の上の斜面に面して建てられているため半地下構造となっており、露天風呂もあります。山中の街を見下ろす眺望は最高です。貴重品ロッカーも脱衣所に入ったところにありますので安心です。

 「湯快リゾート」による経営となったあとも、建物や浴場の構造自体は名鉄時代からほぼ変わっていないそうで、北鉄・名鉄マニアにとっては往時の雰囲気を味わえるという楽しみもありますね。

 1階ロビー奥にあるおみやげコーナーは、いかにも観光旅館らしい雰囲気を醸し出していますし、地階の浴場のあるフロアには、飲料や軽食、お菓子の自動販売機が並んでいるだけの部屋「自動販売機コーナーこおろぎ」や、閉ざされた部屋も見られ、非常に興味深いところです。

 
 ▲“地下1階”の大浴場へ続く渡り廊下

 名鉄時代は、地階にはゲームコーナー、バー、ダンスホール、お好みコーナー、中広間(白山、日本海、群青)があったそうです。このうちゲームコーナーと中広間は健在です。バーは、おそらく自動販売機が並んでいる「こおろぎ」と呼ばれる部屋にあったのではないかと想像されます。ゲームコーナー左横の閉ざされたガラス扉の奥は、ダンスホールか中広間のいずれかでしょうか。

 過去の“よき時代”の光景を想像しながら、見事にリニューアルされた館内で湯上がりのひとときを過ごすのも、ひとつの楽しみだと思います。



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