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 果実
 〜フルーツ・ガール桃子〜

  第4話 「渡瀬のババァ」

 渡瀬のババア──。
 いまでこそ民話で広くその名を知られているこのババの話は、実話でもあったのです。
 低岡市立中央図書館のデジタル・ライブラリー・コーナーで閲覧することができる、大正時代のある年の10月13日付け百萬石新聞朝刊の3面にも、渡瀬のババのことがたしかに報じられていました。
 よって、これは実話というしかないでしょう。
『渡瀬のバゞァ、實在か!──真實ならば恐るべき犯罪者、児童何人も誘拐の疑惑!』
 このように見出しが踊っていました。
 記事本文におけるババのことに対する形容の仕方は、現代においては必ずしも適切とはいえないようなおどろおどろしいもので、その通りに引用するのがはばかられるほどなのですが、これを読むに、このババの本名、住所、年齢等は不明。渡瀬のババというのは、渡瀬に居住しているというわけではなく、渡瀬近辺の竹藪のなかにしばしば姿を見せることから、そのように呼ばれるようになったというのです。
 ババはその渡瀬からさほど離れていない古びた見捨てられたような塚のかげに庵をむすび、その内部に巨大な釜を据えて、日がな火をくべ、なにやら煮込んでいたといいます。
 私も詳しいことは分かりませんが、ババはいまでいう黒魔術師のようなものだったのではないでしょうか。
 ねるねるねるねのCMに出てくる老婆のようなものです。
 あの老婆は2種類の正体不明の粉にわずかな水を加え、ひたすら匙で混ぜるようにぐるぐると練り合わせ、次第に色が変化して鮮やかな水飴のようになったそれをチップ状の様々な色をした顆粒になすり付け、多量に付着させた状態でためらわず口へ運んでいます。
 もしも初めて作り出した代物であれば、すぐ口へ入れることはさすがに躊躇するのではないでしょうか。たとえ老婆が自らの類まれな魔力に裏付けられた秘術によって作りあげた食べ物であっても、すぐにためらわず口にするとは考えにくい。外見を確認してから匂いを確かめ、よく観察するはずです。
 ですから、あの老婆の場合、何度か作り慣れていると見て良いと考えられます。
 何度も作り慣れている。
 だから、あたかも誰かに解説するかのように「練れば練るほど色が変わって」「こうやってつけて」等とひとりごちているわけではないでしょうか。
 練っているとき「へへへ」と不気味に笑っていますが、これは出来上がった物体が美味であることを知っているがための期待からでしょう。また、口へ運んだあとの「うまい!」という簡潔な一言は、想定の範囲内において期待通りの結果であったことを噛み締めるような反応なのではないかと思われます。
 多くの人は8番らーめんやチャンカレの1口目で、「やはり(期待通りに)美味い!」ということを(言葉に出さずとも)確認しますが、それにも似ているでしょう。
 ですから、えーとなんだったかな、そうです、渡瀬のババアもまた、このねるねるねるねの魔女と同じように、何度も何度も同じように釜を混ぜては、期待通りのものを作り上げていた、その作業については手慣れていたに違いありません。
 異なるのは、作っているのが菓子ではないということです。
 煮込んでいるのは得体の知れない肉や骨で、皮もコラーゲン状にとろとろになって溶けている。動物のくさった匂いがそこらじゅうに漂っていたそうですからね……。
 このことから、渡瀬のみならず、濁沢、黒髪、陣地といったあたり一帯の村々では、夕刻の黄昏どきがきても家へ帰らない子どもがいると、渡瀬のババが来るぞ、と叱るのが、大人たちのしつけになっていた……。
 そう記した地誌を、私は奥能登町立図書館で開いたこともありました。
 渡瀬のババに連れ去られるぞ、言葉たくみに庵へ連れていかれるぞ。庵にはババの身長よりもはるかに高い巨大や釜があり、そこには沸騰した湯がぐつぐつ煮えていて、連れ込まれた子はそこで煮込まれるぞ。
 このように子どもたちをいさめたのでした。
 実話であったとみてよいでしょう。
 なにしろ、朝刊が報じていたのです。
 煮込まれたあとの子どもはどうなるのか。これについて知る人はいなかったようです。
 やはり最終的には喰らっていたのではないかというのが、もっぱらの噂のようでした。
 しかもババは、とくに女児をこのんでいたとされています。
 作者は、この奇妙な人物に興味をいだいたので、今回、フルーツ・ガール桃子の作中に投げ込んでみることにしました。
 そう、そのときまさに、桃子は上陣地の村へと下りるなだらかな坂道を歩いていたのです。
 そのうしろを、白い犬が歩いています。
 ときどき桃子が後ろを振り見ると、犬はたちどまって、尻尾をピクン、ピクッと動かしました。
 どす黒い腐ったマグロの刺身のような土のいろの不気味な塚のかげまで来て、桃子は眼を見張りました。
 とても人が住むと思えない山奥にもかかわらず、塚に覆い被さるような崖に埋もれるようにして、小屋がありました。
 煙がもくもくと上がっています。
 例の庵でした。
「ネコちゃん!」
 桃子は白い犬にきびあんころを食わせました。
 モグモグパクパク。
 犬は無心に食っています。
 あたかもその行為がスイッチになったかのごとく、犬のからだがみるみる変わっていきました。
 シューと空気音がして、ついに犬は少年になりました。
「おれはネコじゃねぇ……」
 金子猫一郎は桃子をにらみながら言いました。
「そんなことよりも、見なさい、ここに、さらわれた早苗がつかまっているに違いない……」
 桃子は庵を指差しながら猫一郎に教唆しました。
 早苗というのは上陣地の村の庄屋の娘で、年齢は11歳。数日前の夕刻、友人何人かと遊んで別れたのを最後に消息が途絶え、村では渡瀬のババァにさらわれたのではないかと、そうした言説が大人の間でも、まことしやかな噂として飛び交っていました。
 それを偶然、立ち聞きのかたちで耳にしたのが桃子でした。
 桃子はある確証を抱いて、渡瀬のババァの棲み家を探し出し、そこを訪れることを決意したのです。
「ここが渡瀬のばばぁのほこらか?!」
「そうかも知れないわ……」
 2人は武器を片手に握りました。桃子は小刀、猫一郎は包丁でした。
「行くわよネコちゃん?」
「おれはネコじゃねぇ!」
 桃子はクスッと微笑しながらそのしなやかな片脚を上げて、粗末な木戸を蹴破りました。
 玄関の木戸が倒れると、なんとその内部にはたしかにババアが立っているではないですか。
 ババアは物凄い髪型でした。
 のびにのびた灰色の白髪が、志村けんのだいじょぶだぁに出てくる博士が実験に失敗して爆発したあとの髪型のように、もうグシャグシャに四方八方に逆立っていました。
 あるいは、宇宙空間に飛び出したスペースシャトルのなかで、無重力を楽しみながら浮かんでいる女性の外国人飛行士のようだといってもよい……。
 そして顔面は土色で、その容貌はシワだらけのちんくしゃでした。
「なにしにきたんじゃ、私が渡瀬のババアだと知ってかい!」
 ババアは大変立腹している様子で、すぐに飛びかかってきました。
「ネコちゃん!」
 桃子は猫一郎をけしかけました。
 すぐに猫一郎はワン! と鳴いて、口から吹雪を発射しました。
「ギエー」
 ババアは直撃! 首が吹き飛びました。
「あっけなかったな」
 猫一郎が額をぬぐいながら桃子を振り返りました。
 そのときです。
 庵の奥のくらがりから、突如、ムササビのように何者かが滑空してきて、猫一郎におそいかかりました。
 その何者かは、猫一郎の首を剥き出しの両脚で挟み込むと、そのまま後ろへ反り返り、見事なウラカン・ラナでテコのように猫一郎を投げました。
 ウラカン・ラナ。
 ルチャ・リブレの技法です。
 小さな巨人と呼ばれ、みちのくプロレスにも参戦していたグラン浜田が得意としていた技でもあります。
「なにもの!」
 桃子はそのウラカン・ラナを駆使して襲い掛かってきた何者かの姿をその目でたしかめて、驚きました。
 なんと少女です。
 少女ではありますが、その風体は異様そのもので、帯のほどけた甚兵衛をまとっただけで、ほとんど裸も同然でした。
 少女はしかも、うーうーとうなっており、目付きは異常としかいいようがなく、白熱する豆電球のように光っています。
 桃子は猫一郎の手をひっぱって無理やり引き起こすと、ほとんど肩を抱えるようにして庵から飛び出しました。
 謎の少女が外までそれを追います。驚くべきことに、ホバー走行のように足を動かさず、地面すれすれを滑って追走してきます。
 うーうー、とうなりながら、怪しい少女は甚兵衛の前がはだけるのも気にせずに、襲いかかってきました。
 その白いへそが、なんとも、まがまがしいもののように桃子には思えました。
「あんたは鬼だね!」
 桃子はその場で突如パラパラを踊り始めました。
 さかんに両手両腕を使って踊ります、踊ります、そして踊ります。
 その動きのなかで、桃子は桃の紋様のある羽織から柄のついたペロペロキャンディー状のなにかを取り出し、その手に保持しました。
 ペロペロキャンディー状といいましたが、本当にキャンディーであるかのように、柄のさきには赤と黄色で渦巻き状になった丸いものがありました。大きさはちょうど回転寿司屋の皿くらいのサイズでしょう。
 桃子はその渦巻きにそって、指さきを滑らせていきました。するとなんとその渦巻き部分がバネ仕掛けのようにパカッと上方へ開きました。渦巻き模様のある面は蓋だったのです。中身は鏡で、それはコンパクトミラーでした。
 桃子は、異様な少女にその鏡面を向けました。
 桃! 百! 桃! 百! 桃!
 そのような文字が、空中に浮かんでは消えています。
 すぐに少女──いや鬼が、もはや不要といえる着物をはだけさせながら両足を踏み切り、飛び蹴りを仕掛けてきました。
 桃子はその脚をかわしつつ、避けざまに両腕でつかむと、ひねりながらねじ倒しました。
 倒れた鬼の少女を、体勢を立て直した猫一郎が馬乗りになって取り押さえようとしましたが、それを少女は恐ろしい腕力で払いのけました。
 ゾンビのように立ち上がった少女の頭髪から、わずかばかりの大きさですが、角がのぞいています。
 そして鬼の少女は唇の端から牙をこぼすように笑みさえ浮かべながら、ゆっくりと桃子との距離を詰めはじめました。
「フルーツ・ミラクルしかないわね……」
 桃子の判断は迅速でした。もはや救う手立てはないからです。鏡をかかげて、少女へ向けました。
「フルーツ・ミラクル! 鏡の刺身よ!」
 桃子が叫ぶや、鏡から光線が一瞬でのびました。
 そして鬼の少女の無垢のように見える肉体をみごとに貫きました。
 鬼の少女は悲鳴とともにくずおれました。
「やったぜ、桃子!」
 猫一郎はガッツポーズを取りました。
 桃子は、うぐぐーと苦しんでいる少女に背を向け、
「爆発」
 そう宣告しました。
 そして桃子の身体が1cmほど横へずれると同時に、少女の肉体から火花が飛び散りはじめました。
 ──少女は爆発しました。
 その爆風がババアの庵を包み隠します……。
 すべてを背にして、すでに歩きだしていた桃子の足元に、白い犬がすりよりました。
「ネコちゃん、わたしはね、こうして鬼退治の旅を続けているのよ……」
 犬はワンと吼えました。
「早苗は、鬼に変えられていた……。おそらく、渡瀬のババアもそうだったの……。この世から鬼をひとり残らず全滅させなければ……ひとり残らず」
 桃子はあふれてくる涙をぬぐいながら、一歩、一歩、また一歩と前へ歩き続けました。

 その頃、剱地沖の日本海に浮かぶ謎の孤島──能登鬼ノ島では、鬼の王国の大魔王とそれを補佐する首席助役ペッぺが大きな水晶玉をじっと見つめていました。
 水晶には、なにかが映し出されていました。
 それはなんと、桃子の姿でした。LIVE中継のように、いましがたの映像が水晶の玉のなかで流れていたのです。
「果実のガール桃子か……、なんとも憎たらしい。あのドスメロがいなければ、今ごろ能登は我々が完璧に侵略できていましたが」
 首席のペッぺが水晶玉に黒い爪の目立つ手をかざして、映像をかき消しながら言うと、大魔王は無言で葉巻を取り出し、その熊のように太い指にはさみました。
 首席のペッぺは、点けたマッチの種火を大魔王の葉巻に移しながら、
「わたくしたち鬼が生きるすべは、邪魔なニンゲンどもを消し去ることが重要です」
 と、また言いました。
 大魔王は無言のまま葉巻をくゆらせると、炯々とした鋭い眼光で虚空を睨みつけていました。


 → 第5話「極悪お好み焼き店」へ

*この小説は完全なるフィクションです。実在の人物・団体・地名・書籍名とは、なんら関係ありません。

  令和3年(2021年)3月20日 公開 (3)


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