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038−18
 
 の少女ガール

  第18話 「大阪から来た少年」


 弟のケリーは、お風呂から上がると冷凍庫を開けてアイスを選び始めました。
「溶けるから決めてよね」
 綾子はパジャマを着たケリーの後ろ姿を茶の間から見ながら、この子も背が伸びたなと思いました。
 以前とかわらない冷蔵庫の大きさと比べると、それは鮮明です。
 冷凍室から立ち上る冷気を正面にして、弟の金いろの髪が濡れています。
 結局、ケリーは赤城乳業の「やわらかしぐれいちご味」を手にして、綾子の向かいの座布団に腰をおろしました。
「お姉ちゃん今日ね、転校生が来た」
 やわらかしぐれいちご味に匙を入れながら、ケリーが言いました。
「転校生?」
「うん、大阪から来たらしいよ」
 実は、弟のケリーのクラスに転校生が来たという噂は、綾子のいる6年2組にも広まっていました。
 なにせ、その転校生は大阪から来たというのです。
 大阪といえば、関西です。福井よりも遠いわけでしょう。
 琵琶湖よりも遠いわけでしょう。
 そんな遠くからこの砂丘の町・八塚に転校生がやってくるとは、驚くべきビッグニュースといえました。
「名前はね、四天王寺前夕陽ヶ丘カン汰くんっていうんだ」
「えっ四天王……なに?」
「四天王寺前夕陽ヶ丘カン汰くん」
「よく覚えられたね……」
「ほんと、なんでだろう……?」
 ケリーはやっと商品名の通りやわらかくなってきた氷いちごを匙ですくいながら、自分でも不思議に感じていました。
 次の日のことです。
 その日、ケリーのクラスはもう教室じゅうが浮き足たっていました。
 3、4時間目の家庭の授業が、待ちに待った調理実習なのです。
 作るのは、めった汁です。
 ケリーは転校生の四天王寺前夕陽ヶ丘カン汰くんと同じ班になりました。
 並んでスギヨの「ビタミン生ちくわ」を切っていると、四天王寺前夕陽ヶ丘カン汰くんが話しかけてきました。
「ケリー小戸羽くんやったね?」
「うん、ぼくが小戸羽ケリー」
「失敬、失敬、小戸羽ケリーくん、きみ切るのごっつ上手いな」
「そうかな?」
「ああ、ほんまやで」
 みんなで作っためった汁は大成功。自分達の手で調理したと思うと、なんともいえぬほど美味に思えたことだったでしょう。
 四天王寺前夕陽ヶ丘カン汰くんは4杯もおかわりして、クラスの男子からも、
「さすが四天王!」
 と人気を集め、一目置かれはじめている様子です。
 ケリーは一緒に調理した仲の子が人気者になりつつあることを、自分のことのように誇らしく感じました。
 そこには、最初に親しくなったのは自分なのだぞという優越感のようなものも帯びていたのかも知れません。
 後片付けの皿を洗いながら、四天王寺前夕陽ヶ丘カン汰くんはまた話しかけてきました。
「ケリーくんな?」
「うん?」
「ぼくな、きみと友達になりたいんや」
 ケリーの手が滑ってお椀がガシャーンとシンクへ落ちました。まさにキッチンシンクです。
「もちOKさ!」
 皿を拾いながら、ケリーの心は甘酸っぱいものに包まれはじめていました。
「ほんまか、なら今日、きみんち行ってええな?」
「えっ今日? うん、OKだよ、OKさ」
 あとから、このときのことを振り返ったケリーは、四天王寺前夕陽ヶ丘カン汰がやけにグイグイ来ることに圧倒されつつも、大阪の子ならこんな感じで社交的なのが普通なのかも知れないと思ったと、このように証言しています。
 この日、学校が終わって一目散に帰宅の途に就いたケリーは、綾子の帰ってくる前にリビングの小規模な整理およびジュース、菓子類等のアメニティの配置を試み、すみやかに実行へ移しました。
 姉たる綾子が親友との買い食い等の日常的遊興を経て帰宅すると、ケリーはさっそくこの姉に友人なる者が来訪する予定である旨を告知し、これがためリビングを自分達に開放するよう要請しました。
 綾子は承諾しつつも、どこか奥歯にものが挟まったような表情を弟に見せていました。
 15分ほどして、玄関のインタホーンが鳴りました。
 ケリーはお湯を張るためにお風呂にいて、その音に気付かなかったようだったので、綾子が玄関で迎えました。
「こんちわー、ケリー小戸羽くんいますか?」
 玄関先に立っている小柄な男の子は、関西ことばの抑揚でした。
「いるけど、きみは?」
「四天王寺前夕陽ヶ丘いいます」
「あら……、四天王寺前夕陽ヶ丘くんね、ケリーの友達で、たしか大阪から来たって?」
「そうです〜、よお知ってますね、ぼく難波っ子ですねん」
「それはようこそ、ちょうど良かった、ね、これ食べない?」
 綾子は四天王寺前夕陽ヶ丘カン汰くんにホカホカの湯気をあげるおまんじゅうの箱を差し出しました。
「うわっおおきに! これ肉まんですね?! もらってええんですか?」
 四天王寺前夕陽ヶ丘カン汰くんが嬉しそうに「肉まんやぁ〜」とおまんじゅうに手を伸ばした瞬間、まさにその瞬間です。
 綾子はカスタネットを手に取りました。
「花開く! フラワースタート!」
 綾子のしなやかな身体の輪郭が、まるで夜の道頓堀のネオンのような極彩色の光に彩られ、きらめき始めました。
 綾子はその場で身体を何回か回転させ、それとともに、虹色に輝く肉体に布状のものが巻き付いていき、自然にそれは着衣になっていました。
 それは顔も同じく、さまざまの色の糸が自分の意思を与えられたかのようにからみあうと、綾子の可憐な横顔を隠す覆面へと変わっていきました。
 花! 華! 花! 華! 花!
 と四天王寺前夕陽ヶ丘カン汰くんの眼には見えたことでしょう。
「わたしは花の少女ガール綾!」
 そして赤い仮面に隠された眼差しを四天王寺前夕陽ヶ丘カン汰少年へ向けました。
「四天王寺前夕陽ヶ丘カン汰くん、ケリーは騙せても、わたしは騙せない! あんた異星人だ!」
 四天王寺前夕陽ヶ丘カン汰は、ふふふふふと10歳の子どもに似合わぬ斜に構えた顔つきで笑いはじめました。
「なぜぼくが宇宙人やと分かったんや? たしかに、お前の弟をだまくらかして、花の少女ガール綾! あんたの弱点や秘密を暴いてやろ思うたのは違いない……しかし、ぼくの変装は完璧やったはずや、あんたは優しいから、年下の子ぉと見れば油断するはずやった! おまえこそ偽者ちゃうんかい!!!」
 綾子は手の平を開きました。そこから溢れた無数の花びらが、まるで意思を持った蝶かなにかのように舞い、一直線に四天王寺前夕陽ヶ丘カン汰の顔面を貫きました。
 四天王寺前夕陽ヶ丘カン汰は叫ぶ間もなく、上半身から真っ赤な色のガスを鮮血のように吹き出し、くずおれました。
 正体を見せた青い身体がドロドロと形を失っていき、やがてただの水溜まりに変わっていきます。
「大阪の人は、肉まんとは言わない、“豚まん”と言うのよ! しかもこの豚まんは551蓬莱の豚まん……例えば新大阪駅構内の売店や週末の大津サービスエリアの売店では店の外まで並ぶほどの行列になり、15分は待たされる……それほどの名物なのよ!! だから、なおさらよ」
 さよう、綾子の言う通りでした。作者も大津サービスエリアの551蓬莱の売店でこの行列を目の当たりにしたことがありますが、驚くべき行列の長さでした。作者はまだ食べたことがないのですが、おそらく凄く美味しいのでしょう。厨房には蒸し上がったばかりの蒸籠が積まれ、活気を呈していた光景をよく記憶しています。
「ケリー……、ごめんね」
 ケリーが柱の後ろで一部始終を目撃していたらしいことに、綾子は気づいてそう告げたのでした。
 けれど、意外にもケリーは冷静な様子でした。
「あいつ異星人だったのか……たしかに四天王寺前夕陽ヶ丘なんて苗字は変だものね、あり得ないよ……」
「泣かなかったね、ケリー」
「うん、もう5年になるんだからね、高学年だからね、だから……」
 ケリーの蒼い瞳がたちまちにじみはじめ、まばたきと一緒に雫が流れました。
 我慢していたのでしょう。
 綾子は弟を抱き寄せました。小さい頃から知っている、懐かしい甘いミルクのような匂いがしました。


 → 第19話「温泉、それは温かい泉」

*この小説はフィクションです。実在の人物・団体とは一切関係ありません。

  令和2年(2020年)5月2日 公開 (4)


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