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  み か ん


 私は、みかんを剥いて遊んでいた。
 橙色の表皮に爪をぐいとめり込ませると、わずかな抵抗を見せながらもずるりと剥けていく。それが何とも云えず愛おしい。みかんは前々から好物で、一日に二十個食べたこともある。だが、近頃はこれを喰べることよりも、剥くことの方が愉しいという事に気付いて、さっきからずっとこたつにこもって皮ばかりを剥いている。
 一時間ぐらい熱中して気が付くと、木箱の中が空になっていた。私は大いに満足したけれど、そこで同時に困惑した。
 飯台の上には、裸のみかんがうずたかく積もっている。これだけのみかんを、今から全部喰うことは不可能と思われる。では明日に廻すかという事になると、明日にみかんを剥くたのしみが失われる。私は、自らの無計画ぶりに歯軋りがするようであった。
 そこへ、誰かが家の戸を叩いた。だれかと思って開けてみると、何だか見たことのあるような、しかし誰だったかは思い出せぬ、その程度の旧友が居た。そうはいっても、誰だったか、と尋ねるわけにもいかないので、よく来た。と笑顔を工面して招き入れた。男は一瞬にこりとしたが、直ぐに能面のような表情になって、一言も口を利かないから、不気味であった。とはいえ、私は男をみかんが満載されたこたつの一角に坐らせ、自分もその向かいに坐った。 「何かね、これは?」と、初めて男が発声した。
「みかんだが、喰うかい」と私は云った。
 男は返事もせずに一個を手に取り、こちらをじろりと睨み付けてから、実を検査するように見回しはじめた。既に皮が剥かれて、裸になっていることを不審に思っているのであろうか。私は、それについて説明をしようとしたが、彼に口を利くことに何か恐怖心のようなものを覚えてきて、声にならなかった。男は、実を一通り眺め終わると、白い薄皮を剥がしはじめた。
 全く、不気味な男である。そういえば、大体本当にこの男は私の旧友なのであったか。その確証は未だに得られていないではないか。もしかすると、人違いかも知れぬ。私は今一度、誰だったか、と尋ねようと思った。しかし、「だ」と頭の一声を発声したその瞬間に、男がじろっと恐ろしい形相で睨んできたように見えた。それでまた勢いを殺がれて、うつむいた。
 彼はまだ薄皮を剥がし続けている。何故そんなに丁寧に薄皮を剥こうとするのか、それが不気味であった。そんな事を考えていると、にわかに喉が渇いてきたので、みかんの山から一個を掴んだ。男が、またこちらを睨む気配がした。
 みかんを喰うときは、一個そのままかぶりつく。こうすると、口中一杯に果汁が溢れる。これが良い。汁が口の隅からこぼれそうになるけれど、それも良い。みかんを一粒一粒喰うのは好きではない。あれは、女子供の喰い方であると思っている。しかるに、この男はどうなのか。薄皮を執拗に剥がして、未だに口に入れるに至っていないではないか。私は、怪しからんと思いながら、みかんの脇腹にかぶりついた。涸れていた喉が、程良い酸味の果汁で潤いを取り戻していく。それに続いて、瑞々しい果肉が喉を撫でていく。やはり、みかんは良い。しかし、皮を剥く愉しみを先取りしてしまったので、少し物足りない。
 喰い終わって、ふと顔を上げた。男はようやく薄皮を剥がし終えたらしく、てらてらと橙色に輝く実が彼の手の中にあった。時間をかけただけに、まるで宝石のように美しい。
 さぞや満足げな顔をしているに違いないと思い、その顔を見てみた。すると、予想とは正反対に、唇を震わせながら怒っている様子ではないか。私は、思わず腰を浮かしかけた。その瞬間、男が手の中のみかんを握り潰してしまった。私は、あっ。と叫んだ。飛沫が、目に這入って浸みた。
 そして男は突如号泣し、みかんの山を抱え込みようにして、そこへ突っ伏した。
 私は驚いて、一体どうしたのかと訊いた。
 彼は、「このみかん達には、どうしておれの好きな皮が無いんだ! どうして! こんなつまらないみかんがあるか!」と、しゃくり上げながら叫んだ。
 私も、それに同感であった。


      ―終―

   平成13年(2001年)10月24日初出


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