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 洞窟の宿


 ナズ・セハーセ東の洞窟は、村民から「墓の上」と呼ばれている杣道を40分ほど歩いたところにあった。道の両側に生い茂っていた鬱蒼としたシダの森が、やがて片側だけ開けて、向かいの山の陵線があらわになった。
 開けたのは、そこが崖だからだ。つま先が弾き飛ばした石ころが、岩肌沿いに転げていった。道は下り坂になって、その崖の下へと斜面伝いにおりていく。しかし、その坂は完全に谷底までは続いておらず、まるで行き止まりのように、黒い口をポッカリと開けた洞窟の入口へと至っていた。
 入口は子どもの背丈くらいしかなく、背をかがめて入ると、低いのは入口の部分だけで、すぐに天井は自由に歩けるほどの高さにかわった。
 マッチの火を石油ランプにうつす。空気はある。ガスが充満しているということもなさそうだ。
 洞窟の地下二階。岩肌のごつごつした壁を手探りで歩き、ときどき姿を現す魔物をいなしつつ、歩きづらい階段を注意深く降りると、やや落ちくぼんだところに出た。
 地面をびっしり覆っている苔を踏み潰したときの濡れた感触は、子どもの頃に踏んでしまった飼い犬の糞を思い出し、ひどく不快だった。
 と、その苔を踏むはずの片足が、水音とともに深みを踏みぬく。水たまりだ。くるぶしまでじんわりと水の冷たい感触が広がった。革靴は水分を含んで重くなる。そのうち、もう片足も同じことになった。
 かなりの間、人間の歩いていない洞窟であることがよく分かった。
 突然、岩壁が白くにじんだように明るんだ。前方に、ひときわ眩しい照明付きの看板で「INN」と出ている。
 暗い洞窟内だけに、そのわずかな明かりだけでも、あたかも外の光が差しているのかと錯覚させる。
 なにも知らない旅人ならば、面喰うに違いない。どうして、こんな洞窟のなかに宿屋があるのかと。しかも、あたりにはごくふつうに魔物が闊歩しているのだ。
 宿のロビーは、やや薄暗いものの洞窟内ということも考えれば、じゅうぶんに明るさを感じた。
 宿の主人は眼を細めながら、
「ようこそ、旅のお方。一晩120シルバーですが、お泊りになりますか?」
 と、どこの宿でも聞かれる画一的な言葉で迎えてくれた。
 主人自ら先に立って、部屋へと案内して貰った。洞窟内らしさはひんやりした空気と窓がないことのみで、岩肌を板で完全に覆ったこの部屋のなかは、一般的な宿屋とさして変わらない造りである。ベッドとテーブルがある。照明はシェードのついた凝ったものだ。
 ひとしきり部屋を見ていると、主人が戻ってきて、盆の上から茶と茶菓子をテーブルに移してくれた。
 今日は妻がいないもので、食事は簡単なものしかお出しできませんが、と申し訳なさそうに主人。もとより食事なら町のほうで済ませてきてあるので辞退すると、ではよろしければお夜食でもいかがですかと、パンケーキの皿を運んできてくれた。
 部屋の内装もあいまって、とても洞窟のなかとは思えない。
 どうしてこんな洞窟のなかでご商売をされているのですか?
 何気なく訊いてみた。
 主人の口元がにわかに引き締まった。
「旅のお方、ここだけの話ですがね……、」
 小声が私の耳元を引き寄せた。
「私どもの“会社”の方針で、ここを残しているんです」
 “会社”。主人はそう言った。
 私はここでピンときた。
 ご主人は……、魔王軍の方ですか。
 私はそのように尋ねた。ある種の覚悟ももちろん含んでの質問だ。
 その通りでございます、と主人。
 苦笑いを浮かべている。
 私は、宿の主人が魔王軍――つまり魔物であることに対して、さして驚かなかった。魔王軍が経営する宿というものは、ごく当たり前に存在していることを知っているからだ。
 カラクリを記しておこう。読者の皆さんは宿に泊まって一晩眠っただけで、体力どころか不思議と傷まで癒えることに疑問を抱かないだろうか。一晩寝たくらいで傷が回復するはずはない。そんなことができたら怪物だ。なんのことはなく、実は宿屋の店主や、宿に専門員として雇われた魔導師が魔法を用いて宿泊客を回復させているのだ。
 こうした宿の多くに、魔物の経営するものが存在している。
 それはなぜか?
 ある魔物経営の宿の主人は私に言ったものだ。マッチポンプですよ、と。旅行者には傷をちゃんと回復してもらって、より強い(魔物の支配力の強い)地域へ出て頂く。そうしないと、強者がうまく旅行者を仕留めるチャンスが生まれてこない。実効支配力が弱く、貧弱な魔物しか配置できていない地域で延々と魔物狩りを続けられては困るというわけだ。
 だから、魔物が経営する宿では、ごく普通の「人間」が経営しているものと変わらないサービスを供している。人間相手だからといって、食事に毒を盛ったり、とつぜん寝込みを襲ったりなどということはない。なぜなら、旅人を回復させるのが使命なのだから。そしてむろん、宿代は着実な資金源となっている。
 なお、蛇足だが、武器屋に流通している武器の一部もまた、じつは魔王軍が死の商人のごとく、あえて人間界へ流通させている事実も最近知られはじめている。
「私はね、旅のお方、」
 主人は、なにか照れたような顔付きで切り出した。
「びっくりさせてしまうかも知れませんけどね、元地獄騎士だったんですよ」
 地獄騎士。
 地獄騎士といえば、魔王軍でもかなりの上級職である。
 地獄騎士にまで登りつめれば、魔王軍四天王の座も射程範囲内に入るといえよう。
 どちらで戦っておられたのですか、と私は訊いた。
「“勤務地”ですか? “勤務地”は、デスメギドのお城でした」
 デスメギド城。まさに魔王軍四天王の一翼を担っていたデスメギドの居城だった場所ではないか。近年になって、城は勇者に落とされたものの、デスメギド自身は存命で、あまたの魔物を率いて、主にグビーモ地方の人々を恐怖に陥れているところだ。
「出向ですよ」
 主人は淋しげに笑った。
 昔を思い出して……というよりは、現在の境遇について自嘲するような笑いに見えた。
「変身の魔法スルトを使って“化けています”。まぁ、人間界に溶け込まないと始まらないビジネスですからね……。姿かたちと一緒に、気持ちも、百八十度変えていますよ」
 たしかに言われてみれば、洞窟ぐらしにしては血色もよく見え、肌は日焼けしてつやつやしているのだ。「つくられた」変身の魔法による身体ゆえのものだろうか。血色といったが、本来、彼らの血液は緑色のはずである。
 そんな主人が、一枚の紙を私に見せてくれた。
 当時の魔王軍公報をコピーの魔法で複写したものだという。
「これが私です」
 主人が、一覧表のなかの名前を指さした。爪は長く、尖っていた。

 新所属 人事部付 魔王イン(株)出向
 新職名 営業係
 氏名  バグドリン・ガブフスキー
 旧所属 デスメギド城 地獄騎士

 見出しの件については、下記のとおり人事異動を発令する。但し、この公報をもって辞令にかえる。
「こんな紙切れ一枚で、いや、紙切れも発行されておらんのです。私のほうで複写して、それが手元にあるだけなんですから。そんな程度の辞令で、次の日から宿屋のおやじですよ。笑うしかない、ハッハハ……」
 本当ですね……。
 私には、そのように答えるしかなかった。絶句である。
 地獄騎士までしていた上級の魔物が、どうしていきなり宿屋の主人をさせられるのか。
「リストラですよ。デスメギド城は、デスメギド様が撤退されて……、まぁ城は魔王軍の施設ですから、魔物はこうして入ってくる人間と戦うために配置され続けはするのですが、さほど必要ない」
 必要ない?
「そうです。“終わった城”ですから。勇者も来なくなる。旅人もそんなに来なくなります。戦う回数が少なくなる。つまり、ほとんど仕事がなくなるわけです」
 しかし、それならば勇者が向かう次の地域へ配置変えをすれば良いのではないか?
 地獄騎士ならば、むしろ引く手あまたではないのか。
「私はね……、仕事熱心過ぎたんですよ」
 ためいき交じりに笑う主人の襟元には、赤色のバッジが光っていた。
 モンスター労組のエンブレムだった。
 “仕事熱心”であったはずのご主人は、そのバッジ一つのために地獄騎士から外されたのだ。
 氏だけではない。氏の同僚の地獄騎士のなかにも、強引な配置転換で降職させられた上に、まったくいままでと異なった部署で慣れない仕事をさせられている魔物は多いという……。
「地獄騎士だった仲間のなかでも、いちばんひどいのはこうした宿屋どころか、薬草や毒消し草の製造をさせられている者もいますし、洞窟の奥で、がいこつのふりをさせられている者さえいましたよ。オブジェですよ、ただの。よくあるじゃないですか、この洞窟には手強いなにかがいると警戒させるために、人間がここで息絶えたという、そういう演出をするわけです。そういう役をさせられた者もいる」
 それではできの悪い学芸会より酷である。私が絶句していると、主人は顔を私の耳に近づけるや、小声をつかって、
「もちろん、その者は、すぐ辞めました」
 と言った。
「とにかく魔物が過員になっているのは理解しますがね……。とくに下級の魔物は“余って”いて、つい最近も、スライムのじつに35%にのぼる数が、慣れないメダルスライムに強制配転。とはいっても逃げ足がその新職種にそぐうわけもなく、大量に殉職。あれは体のいい口減らしではないのかと、モンスター労組による告発が行われたくらいです。宝箱型モンスターのミミックも、勇者らがこれを探知する魔法を身につけ、ほとんど実戦を交えるに至る機会がなくなってきたことから、宝箱内での待機中は休息時間とみなされ、実働時間から外されるようになりました。これではやっていけませんよ。だからなり手もいない。仕方がないので、デスメギド城では代わりにカラッポの宝箱を設置してごまかしていました。とにかくそういうひずみが非常に目立つようになってきた。こんなぐらいなら、宿屋の主人の方がいいですよ、なにも考えずに、気楽でね」
 このナズ・セハーセ東の洞窟内の宿屋は、かつては力試しをする旅人で賑わっていたこともあるそうだ。まだ旅に出てまもないころの勇者が幾度となく宿泊したこともあるという。
「そうした昔話はね、前任者から聞かされただけで、私の代になってからは、泊めた人間は両手で足ります。お客さんには、びっくりさせてしまうかも知れませんけどね、7か月ぶりのお客さんですよ」
 主人も、自分のぶんのコーヒーを淹れてきて、私に出したのと同じパンケーキをつついている。
 パンケーキは奥様(もちろん魔物だ)の得意料理で、見よう見まねで焼くうちに、自分も得意になっていったのだという。結婚して1万700年目だそうだ。
「妻とは、ここの洞窟に行くことが決まったとき、泣かれましてね。あたしは軍門のところへお嫁に来たのに、なんで人間にペコペコするこんなところのオヤジになるんだって」
 ケンカも、ひどくしたという。
 しかし、妻は夫の人生にあくまで連れ添う決意をしてくれた。
「いまでは、こうしてのんびり、狭いながらも一つの城の主。妻も洞窟生活を気に入ってくれています。もともと暗いところを好む、特異な種族でもありますから……」
 立派な奥様です。私はそう言った。
「いえ、バーバリアンですけどね」
 こんどの笑顔は、まんざらでもなさそうだった。
 ナズ・セハーセの宿は洞窟の奥深くにあった。洞窟を抜け出して明るい外へ出ると、ダークバッファローが横臥したように起伏に乏しい丘が連なっていて、その陵線あたりは雲の端とかさなって青白くにごっていた。
 私はそれよりも、緑いろの不気味な血液に濡れた剣をはやく沢で洗いたかった。
 落とした金は2匹で240シルバーと安かった。
 しかしまぁ、箪笥のなかから見つけた「いのちのゆびわ」、これはまぁ、すこしは役に立つ。それとやつの足元にあった「はねぼうし」、これは防具としての価値はないが、210シルバーで売れるわけだから、もらってやった。


*この小説はフィクションです。実在の人物・団体とは一切関係ありません。

   平成31年(2019年)4月1日


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