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  その駅には


 その駅のホームには木造の待合室があった。ペンキを塗った木材でできた作り付けのベンチがしつらえられていて、むきだしの無粋な蛍光灯は部屋を照らすには間に合わず、いつも暗かった。荒れたサッシ。がたつくドア。にごった窓。そのような待合室が、二、三両編成の普通電車しか停まらないにもかかわらず、不釣合いなほどに長く取られたホームの外れの外れ、跨線橋からもずっと離れたところに、忘れられたように存在していた。
 ホームが長いのは、おそらく、特急列車の時代になる以前、急行列車が庶民の足であったころ、急行が足しげく通い、この駅から分岐する支線への乗り換えの便宜もはかって停車していたために、長大編成に対応してこの長さが必要だったのだろうと思う。JRがまだ国鉄であった昔の話になる。しかし、民営化に前後して、急行というものがなくなり、長距離列車が特急のみになったいまは、この駅に停車するのは普通電車だけ。特急列車は、ほとんどがこの駅に停まらず、通過してしまう。もともとが支線への乗り換えにしか価値のない駅なのだった。いまとなっては、支線への乗り換え客は、直通の特急か、あるいは三駅となりの、県庁所在地の街にある中心駅まで出て、そこで乗り換えるのである。こんな、駅しかないような駅は、黙殺する。
 普通電車しか停まらなくなった長いホームは、いまでは三分の一ほどしか使われていない。長編成の列車が到着していた頃はそうでもなかったのだろうが、普通電車しかないいまとなっては、待合室はいきおいホームの外れに位置する恰好になり、電車の乗り口から大きく離れてしまう。いまでは、この待合室を使う人も少ない。そのために、つねにすいている。一人になれる。だから私は、ここを好んでいた。
 夏の終わり頃の、暑い日だったと思う。暑くはあるが、風は出てきたという頃合いだった。そのころ私は、仕事を首になって、時間だけはいくらでもあった。本社から出向してきた上司に嫌われ、その上司に、生意気にもたびたび進言を繰り返していたために、職場批判、上司批判を名目としての諭旨解雇を言い渡され、無職になったのだった。
 情熱を持って勤務していた会社を辞めさせられ、すべてがどうでも良くなった。一人になりたかった。それで、新古書店の100円の棚から買ってきた文庫本をたずさえて、ふらりと来たのだ。職安の近くにある駅までのキップは買ったが、職安に行っても、どうせ職がないことは分かっている。昨日見に行って、今日あるということは滅多にない。それに、雇用保険が下りるようになるまで、あと二ヶ月あった。私の場合、首といっても、解雇となると上司の責任ともなるゆえか、退職届を書かされての解職だったため、形としては自己都合退職で、自己都合の場合、雇用保険は退職日より三ヶ月間あとからの支給だった。だから、あと二ヶ月は貯金を取り崩してくらし、二ヶ月後から、貰える雇用保険は貰っておきたいという打算もあった。
 キップを買って改札を通っても、すぐ間近の電車に乗ってしまわねばならない決まりはない。あの待合室は、電車で通勤していた時分から、やすらぎを得られる場所だった。そのやすらぎの場所で、しばらく時間をつぶしたい。時間は、いくらでもあった。
 普通電車が到着する寸前の数分間だけは、この駅のホームもそれなりに待ち人の姿が目立つが、電車が出てしまうと、ホームは箒掃除をしたあとのように誰もいなくなってしまう。コンコースは薄暗く、人けはなかった。改札口から見えるホーム上も同様で、ホームの向こう側のセメント工場の砂利が、しらじらと見えるだけだった。乗り口から離れた待合室などは、いうまでもないことといえた。一本前の列車が出て間もない。おそらく、例の待合室は無人にちがいなかった。
 これもまた古い跨線橋を渡る。やはり木造だった。ペンキがうすれて、下の木目が透けて見える。ギシギシと軋んだ。駅裏の工場からの、パイプのなかをセメントが流れるサーッという音をききながら、誰もいないホームを歩いた。ホームは長い。その長いホームの端に待合室はある。そこまで歩いていく。この駅の昼間は、つくづくかなしい。かつて、急行列車が中心だったころは、支線への乗り換え客を相手にしてか、ホーム上には、駅弁店、立ち喰いそば、あんころ餅の立ち売りまであったそうだが、いまはそれもない。売店すら店を閉めていた。それらの跡地が、ホームに並んでいる。立ち喰いそば店だったボックスは、ベニヤで塞がれていた。何人の職が、それで無くなったのだろうか。
 ホームの外れの待合室の、たてつけの悪くなったドアを開ける。
 すると、意外なことに、先客がいた。
 入室する前は影になって黒く見えるだけだったが、待合室のなかに入ると、その人影は、ぼさぼさとした頭の、あまり身なりの綺麗とは云い難い男だった。独り言を云いながら、室内をうろうろと歩きまわっている。
 私は男に見覚えがあった。この男は、以前、私が通勤で利用していた別の駅のホームでよく見かけた人物だった。良い印象はない。というよりも、悪い印象を持っている。にごった眼鏡をかけ、いつも薄汚れたTシャツに、毛玉の目立つジャージのズボンといった着衣で、リュックサックを担がずに手に提げている。しきりとシャツをめくっては、小太りな腹のあたりを掻いていた。痒いのは、汚い服を着続けているためか、あるいは何らかの疾病があるのか、私には分からない。
 男は、ホーム上に設置された屑物入れの蓋を勝手に開けては、なかのものを物色するのを習慣としていた。とくに目立っていたのは、新聞・雑誌類を捨てるコーナーに屈み込む姿である。新聞、雑誌類を持ち返って、どうするのか、自分で読むのか、あるいは古本屋にでも売るのか、手探りで調べて獲物があると見るや、すばやく拾い出すと、リュックに入れて、大事そうに持ち帰っていたし、収穫物がないと、顔をしかめながら蓋を戻していた。
 年齢は、おそらく三十二、三だろう。若くはない。かといって中年という風でもない。
 そんな男が、やすらぐつもりで来た待合室のなかにいて、独り言を云いながら、室内を行ったり来たりうろうろしている。いや、はじめは独り言のような低い唸り声をあげているのかと思ったが、見ると、なにやら携帯電話を耳に当てているようだった。男は歩きまわりながら通話をしていた。
「間に合わんかったわいね。」
 男はそう低い声で云っている。この男が言葉をつかっているのを聞くのは、はじめてだった。男はぼそぼそと、電車に遅れた旨を電話の相手に告げているようだった。これに対する相手の声が、電話から漏れて大きくひびいた。相手の声が大きいのだった。大声で怒鳴っているかに聞こえる。
 電話の相手は、さて男の母親か。妻ということはなかろう。中年の女の声だった。声高にがなりたてている。いっておくが、私の立っている場所は、男から数メートル離れているのである。数メートル離れたそこからも、電話口の声が聞こえてくるほどなのだ。
 男は、うん、うん、と繰り返したあと、別にいいわい、と、乗り遅れたことに対してか、または母親の追及に対してのものなのか、いらだたしげに、あるいはあきらめに近い、自暴自棄な態度で、捨て鉢に云った。
 電車に遅れて、男は、取り返しのつかないことになったのかも知れないし、あるいは私のように、早く行こうが遅く行こうが同じの、悠長なくらしのなかの一場面であったかも知れない。しかし、そのわりには、母親らしき女の、くるったような怒り声が、耳にのこる。
 夏も終わりで、開け放された窓から風が吹き抜ける。ホームの軒下に飾り付けられた風鈴が、ゆれて音をたてた。列車が接近することを示す機械音のメロディが鳴って、特急が走り抜ける。会話はその間だけ、音響にまぎれて聞こえなかった。
 特急が去っていったあと、電話機から、母親らしい女の「なに?」とトゲのある大声がきこえた。かなりの金切り声のように思えた。それに対し、
「もう来るわいや」と男。
「なに?」と電話相手の母親。
「もう来るわいや」と、また男。
 その通りだった。特急が先に去っていったあとで、普通電車はそれを追うようにやってくる。あと数分後の到着らしかった。ホームのほうを見ると、跨線橋のたもとにかたまって、利用客の姿がいくつか見えてきていた。
 もしかすると、男は電車に乗り遅れたことで、仕事を首になるような、あるいは見つけた働き口をフイにするような一大事をひろってしまうことになったのかも知れない。通話が終わり、電話をポケットに入れたあと、男はうなだれながら、うー、うー、と低く唸りだした。急に地べたに坐って、いつも提げているリュックサックを開けて、なかから手垢で汚れたノートを取り出した。うー、うーと云いながら、音を立ててめくっている。男のスケジュール帳だろうか。すれば、やはり乗り遅れは大きな痛手だったか。
 男は、働いているのだろうか。携帯電話を持っていることから考えて、男自身、あるいは家族には何らかの収入があると見てよい。駅へ来てはゴミ箱を漁っていた姿からは、普通の社会生活を送っているとはとても思えなかったが、さりとて、決まった時間に駅へ来るのである。電車に乗って、どこかへ行く決まった用事はあるらしいのだ。
 が、男が無職であろうと、いますでに、会社を首になった私は、同じような無職の仲間に過ぎない。世間からは同類と見なされよう。笑うことはできぬ。仕事をしていたときには、このような乞食然とした者など、街の汚点であるかのように蔑むこともあったが、いまではそれもできない。できる立場もないのである。
 乗り遅れた男と、私という、時間を潰したいだけの失業者。かつて、急行と支線との乗り換え駅として賑わっていた時代にも、このような風景はあっただろうか。もしあったとしても、そのころは、こうした数分間のチッポケな人間模様はおそらく、さきほど通過していった特急列車の音に呑まれるの如く、人ごみにまぎれて、見えなかったかも知れない。それくらい、人は多かったのだろうから。いまではうらぶれている待合室のベンチが満員になるくらい、乗り換え客でごった返し、立ち喰いそば店に列が並んでいるような混雑だっただろうから。が、いまはそのような雑踏もなくなり、そのために、この孤独に取り残されたような待合室の一室では、普段ゴミ箱漁りを習性にしている男が乗り遅れて戸惑う姿が、このように浮き彫りになる。そして、閑を持て余して本を手に駅へやってきた私という失業者の姿も浮き彫りになる。それはみじめなことなのだった。人がいなくなるということは、こういうことなのだ。
 ホームを見ると、さきほどは跨線橋のあたりにかたまっているだけだった待ち客も、いつしか人数が増えており、散り散りになって、ホームの乗り口掲示の下で待機していた。九人か十人ほどの人数ではあったが、それでもようやく駅に生気が戻ってきたかに見える。接近のメロディがまた鳴る。こんどは通過ではなく、普通電車が到着する合図である。男は手荒くドアを開けて、それを閉めずに走って行った。私も乗るに違いないと考えてのことか、開けたドアを閉める習慣もないのか、いずれかは分からないが、私はまだ乗らない。ドアをしずかに閉じた。ガラスの向こうに、普通電車がヘッドライトを照らしながら近付いてきた。


*この小説はフィクションです。実在の人物・団体とは一切関係ありません。

   平成26年(2014年)6月30日


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