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 みどり団地


 ある休日、ふと乗りたくなって上安原ゆきのバスに乗った。
 なぜ乗ってしまったか分からない。乗りたくなったからだが、乗りたくなった訳も、分からなかった。ただ、乗りたくなった。それでいま、うしろのほうのシートに坐って、ぼんやり車窓をながめている。
 バスは片町のスクランブルを右へ折れ、長町を通り、JRのガードしたをくぐり、市営住宅の並ぶ旧街道をなぞり、こんどは北陸自動車道のしたも通って、ようやく上安原まできた。
 バスは上安原ゆきだけれど、上安原へきても終点とは告げない。このまま尾山台高校、みどり団地を通って、いつの間にか、さっき来た道へともどるコースになっている。そのあいだに行きの客と帰りの客は入れかわり、バスは来た道を金沢駅へと帰る仕組みだ。つまり、この路線には終点がない。
 終点ではないのだから、必ずしも上安原で降りなければならないことはないが、ぼくは上安原で降りた。といっても、乗りたくて乗ったバスだから、上安原じたいには何の用事もない。
 上安原の停留所を、小学校三年のとき初めて見た。見たというのは、バスはその頃もそのまま金沢駅へ帰る系統を成していたからで、そのときは降りていない。車窓から見ただけである。
 バスには叔母と一しょに乗った。小学校三年。母が家を出て、独りぼっちでしゃがんでいたぼくに、叔母は乗りたいバスに乗せてやると云って、どこへなりと連れていってくれた。あれは夏だった。夏季休暇の自由研究で、どうしても調べるべき課題がおもいつかないでいたところ、バスをしらべればどうやと云い、しらべるために、どこへでもバスに乗せてやる、とさそってくれてのことなのだが、さて実際にはどうか。研究よりも、ぼくの淋しさをまぎらわせようとしてのことではなかったかと今おもう。問いたいが、この叔母はその二年後に癌で死んで、いない。
 そのとき見た上安原は、淋しい集落といえた。バスのはしってきた道はT字路に突当たり、左へ行けば倉部、右へ行けば みどり団地で、バスは右へと行くのだが、その右へちょっと寄ったところに、錆びたバス停が立っていた。ここが、上安原という場所か、と思ったものだ。夏だったはずだが、くもり空の淋しい日だった。
 いま、上安原は、辻にコンビニさえある新興住宅地のなかと化していた。辻は例のT字路である。いまはT字ではない。交差点になっている。突当たりだった道は、そこから真直ぐ行ける道がついて、海側環状道路へと抜けられるようになっていた。海環の沿道には、ロードサイド店が賑やかに立ち並んでいるはずである。
 上安原も、ずいぶん変わったといえる。ぽつりぽつりとむかしからの家が軒をあつめる集落のなか、妙なT字路のかたすみに、吹きすさぶ風のなかに錆びた標識を立てていた上安原の停留所の姿が、いま見た上安原のあたらしい光景のなかに埋もれて消えようとしていた。
 上安原からは、道なりにみどりまで歩いた。尾山台高等学校の校舎をながめながら、歩く。尾山台高校前のつぎが、みどり一丁目である。白いコンクリートの高層団地群をバックにしているが、ここは名のとおり緑の多い団地で、植込みの緑があざやかで気持ちが良い。
 このみどり団地はそういえば、捨村ミユキの生活していた街だった。
 捨村は、高校一年のとき同じクラスにいた。
 同じクラスといっても、男子と女子だから、はじめはお互いに距離をとるもので、接点は多くはなかったが、芸術の選択教科の美術が一緒だった。ぼくの学校の場合、美術の授業では、男女とも機械的に分けられたグループで机を寄せ合い、お互いに協力しながら作品を競作するようなスタイルだった。このようなスタイルだから、一本のバス停で行きずりの人同士に会話がうまれるように、知らない同士でも打ちとけやすかったかも知れない。
 この美術の授業で、机をかこんだものたち同士、ある意味定番の世間話じみた、どこの中学だという話題になって、捨村は、うちはみどりや、知らんやろ、と笑っていたが、ぼくはバスおたくであるせいで、その地名を偶然知っていた。産業展示館の近くやろと云うと、なんで知っているのかと意外そうな顔をした。たしかそれが、はじまりだったか。
 けれども、ぼくはバスにばっかり夢中だった。子どものころ、母親がいなくなったあと、自由研究だと称して乗りまわしたバスの味がわすれられないのかも知れない。これはいまもそうだけど、休みのたびに、バスに乗っていた。バスしか、たのしみがない。逆にいえば、バスでしか、たのしめないような男というしかないのだ。
 バスにばっかり精をだすので、捨村は、
「そんなでこの先アンタ将来不安やわ。」
 などと云って、よくぼくをなじった。云い返したかも知れない。なにも云い返さなかったかも知れない。よくは憶えていない。なにせぼくは、こんどの土曜日、マチ行かんけ、と誘われてさえ、第二土曜はダメだ。行くところがある。と断るようなやつだった。
「またバスだって云わないでしょうね?」
「第二・第四土曜日だけしか乗れない便は多いんだよ。そんな貴重な一日に……、」
「あきれてモノも云えない……。」
「おまえも来ればいいんだよ。」
「MK5。」
「なんやそれ、ふそうのバスの型式のこと?」
 このようなことだから、身体の関係にまでは至っていない。そういうコトをしてないうちは、つきあっているとはいえないと云うやつもいたが……。捨村のくちびるの濡れた感触も、一年生の終わりころには、もうわすれてしまった。乗る人がすくなく減便されたローカルバスが平日のみ運行になり、一日二本になり、そのまま自然消滅していくように、二人であそぶことはなくなっていった。
 団地のなかの交差点を右に折れると、すぐにバス停がある。バスがくるまで、すこし時間があるようだったが、ぼくはしばらくそこでバスを待つことにした。ガラス張りの小屋のあるバス停には、粗末なプランターがいくつか置かれていて、名は知らないが、ちいさな紅い花がいく輪もふるえていた。
 人の声がして、ふと外に眼をやると、ほっかむり姿のおばさんたちが、ホウキで歩道をすいたり、ゴミをひらったりしているのが見える。清掃会社のひとではない。住民によるボランティアの勤労だろう。汗かきながら近所のために奉仕するおばさんたちは、いずれも高齢だった。おばぁさんと云うべきだったかも知れない。
 はじめて、みどりへ来たときのことは記憶にうすいが、みどり一丁目のバス停の目の前にスーパーマーケットがあって、ちいさな商店街風になっていたのは憶えている。当時もかなり、寂れていた。いまはもう、営業しているのかしていないのかも分からない。自家用車を持つ若い世帯は、みな、ロードサイドの大型ショッピングセンターを台所としているのだろう。とすると、このマーケットは高齢世帯のための福祉的なものか。
 そのスーパーとバス通りをはさむように、公園がある。そこに、奇妙な看板をみつけた。「公園の廃止予告」と書かれている。○月○日より、この公園を廃止いたします。と書いてあった。公園というものは、いつまでもありつづけるような類のものと思っていたが、そんな公園も、姿をけす日がいつかは来るのか。公園がなくなるということは、そこであそぶ子らがすくなくなったことを暗示させる。ここにも、団地の高齢化がみえるようだ。公園の廃止予告。廃止というしかつめらしいことばが、公園ににあわず、どこか滑稽にも見えた。
 廃止、か。とぼくは思った。そういえば、捨村が突然去ったのは、あれは何月だったか。冬季休暇の終わったあとだったと思うが、
「あーそれから、捨村は、学校やめました。」
 朝のホームルームの最後に、担任は云い忘れたのを付け加えるみたいに、そっけなく云っただけだった。突然の廃止にも似た、唐突なものだった。
 どこぞで出会ったテキ屋の兄ちゃんとまじわって、子ができてしまったというのが、もっぱらのウワサだった。捨村とおわったあとも、ぼくらは美術の時間で顔をあわせていたし、会話もした。しかし、そのなかでも、そんなような話は聞いたこともないし、寝耳に水。いま子ができたことが発覚したということは、数ヶ月前に交渉があったのだろうと思われるが、その数ヶ月前からも、とくに変わった様子もなく見えた。――あるいは、ぼくはバス一辺倒のせいで、人間の感情のわずかな機微をみつめるような能力がかけていたのか。
 相手がテキ屋という胡散臭さもあって、ひょっとすれば、ある種の犯罪の被害に遭ったといえるのかも知れない。が、どちらにせよ、結果だけを学校は重んじる。子ができたことで、捨村は学校を去った。
 そのあと、連絡はなにも取っていない。
 バス停の、ガラス張りの待合室を、おばさんたちは雑巾でみがいている。しぼった雑巾で、ガラスのよごれをふいている。みがいてはバケツでしぼり、しぼってはガラスをみがいている。待合室のなかの時刻表もみがいている。待合室の前に並んでいるプランターの花には、水をやっている。じょうろのかわりに金属のヤカンだった。
 おばさんの一人は、水をさしたあと、つゆに震える花の花弁に、指さきでなぞるように触れた。そうしながら、これはぼくの見間違えかも知れないのだが、唇をゆがめて、眼をふせて、涙ぐんでいたように見えた。声はたてない。無言で涙ぐんでいた。ほかのおばさんたちは、この、おばさんの一人が泣いていることにも気付かないのか、それとも黙殺しているものか、まったく気にとめずに、清掃奉仕を続けている。
 なぜ、おばさんは泣いていたか。
 じつは、この日のことも、すでにもう十年以上、前のはなしだ。おばさんのなかには、すでに冥界へ行かれた方も含まれるかも知れない。涙を流したおばさんも、そうなっているかも知れない。けれどいまだに、このことを不思議に思っている。この日ぼくは、バスがくるまで時間があったので、おばさんたちの清掃活動を呑気に見ながら、ベンチに待っていたのである。





*この小説はフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません。

   平成26年(2014年)2月14日公開


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