もりさけてんTOP > 小 説 > 修学旅行の列車

026
 

 修学旅行の列車


 岡山から乗った新幹線は、どこかの人影のまばらな駅で、〈のぞみ〉に抜かれるために停車した。私の乗っているのは〈ひかり〉だった。新幹線とはいえ、その新幹線同士で格というものがあって、〈ひかり〉は新幹線であっても、小さな駅のひとつひとつに停まり、そのたびに格上の〈のぞみ〉に先をゆずる。無論、その分だけ時間が余計にかかる。しかし、それだけに空いていることの多いこの列車を、私はこのんでいた。
 向かいのホームにも、青帯の新幹線車輌が停車していて、明るい窓がずらりと並んでいる。あれも自分の乗っている列車と同類か。私はなにげなく見た。行き先表示に「修学旅行」とかいた文字が浮かんでいた。
 たしかにその通りのようだった。四角く並ぶ窓のなかに、黒い服をきた少年たちが、紺色の服をきた少女たちが、あるいはおしゃべりし、あるいはカードゲームなどに興じ、あるいは仲間を小突いていた。どこかの県からきた中学生らしかった。お菓子を喰う生徒もいる。ジュースをまわし呑みする生徒もいる。彼ら彼女らの声がきこえてくることはない。当然だ。だが、窓の奥にみえる子らのはしゃぐ姿に、あたかもこちらの耳にも歓声がつたわってくるようだった。
 追い抜くはずの〈のぞみ〉は、まだ来ない。始発の駅は、きょう風がつよかった。もしかしたらそれで遅れているのかも知れない。腕時計の針をみる。発車時刻になっている。ふたたび対向のホームの列車の窓をみた。
 無音の嬌声がきこえる。「修学旅行」と書いた列車の乗客たちは、みなわらっている。クラスの仲間と一緒の旅行に、ふしぎなくらいの昂奮につつまれているように見える。が、そんななかに、ひとり寂しく坐っている子がいはしないか。私はその思いで、つらなる窓をながめるのである。
 そういう風に見てしまうのは、私の記憶の奥底に、ある景色がいまでも甦るからだ。
 中三の修学旅行、あれはたしか五月か六月だったか。四月にあたらしいクラスになったばかりで、まだ完全には馴染めない子や、はなしたことのない子もいるなかで、私たちは一緒の列車に乗せられて、三年間で一度かぎりの修学旅行に出発した。
 その列車のなかで、私はある少年と隣同士の席になっている。
 はじまったばかりの学級であっても、中三ともなれば、ある程度、クラスメイトとなった顔ぶれの種類や属性は知れる。その種類、種別によって、幼い社会での、各々の他者との関係の仕方、接し方というものが確定していく。そのLという少年の種別は、――種別という云い方にはあくまで相容れぬものを感じながらもあえて云えば、まさに、しいたげられる者というしかなかった。そのほかにどう云うこともできぬ。現実だ。Lくんにふりかかる生徒らの仕打ちは、いじめと云うしかないものだった。
 彼はととのった顔立ちだった。たぶん誰の目にみても、ブラウン管でみる子役と比べてさえ遜色のないものがあったように思う。かわいい子は本来なら好かれて人気者になるのが筋だろうに、Lくんは、どういうわけか、みんなから嫌われていた。病気がうつると云って誰しもが避けた。そのたびに、大きな眼に涙をためてじっとうつむいているのを何度も見ている。私とてえらそうに云えたものではない。実行犯ではなかったにしろ、どこか、はれものにさわるようなもので、近づかないようにしていたから。いらぬ災厄がふりかからぬように。
 車輌の都合からか、私たちのクラスにはなぜか、グリーン車があてがわれていた。無論、私たちのクラスが優秀だからとか、そういう理由ではなかっただろうと思う。学年の優秀者がかためられているはずの一組は一号車、そして二組なら二号車というふうに、機械的に分けられていた。偶然私たちのクラスが、グリーン車に該当する号車と同じ番号だっただけのことだ。ホームにしずしずと列車がはいってきて、私たちのクラスの列の目の前に、クローバーの緑いろのマークがとまった。生徒のだれよりも、引率の教師たちがおどろいたような声をあげた。
 私とLくんの席は車輌の端近くだったと思う。車端部からは、車内にずらり並んだほかの席が見渡せる。落ち着いた配色の大きな座席に、クラスメイトたちの頭はかんぜんに隠れていた。誰もが、グリーン車ははじめての経験だった筈だ。私ももちろんそうだった。隣のLくんも、そのようだった。
 Lくんは、ふだんクラスでみせることのないような昂奮をみせていた。白い歯をみせている。隣席の人間が、表だって被害をくわえたことのない私であることもあって、心をゆるしていたのかも知れない。通路側の席に坐って、リクライニングのレバーに触れたり、フットレストを引き出したりしていた。もの静かな子だと思っていたのだが、そのしぐさには、意外と子どもっぽいものをかんじた。
 列車は私たちの故郷の駅から、速度を増して行って、県境のトンネルをこえた。Lくんとは言葉はかわさなかった。彼はうつむいて、携えてきた文庫本に眼をおとしていた。
 隣県の主要駅にちかづいた頃のことだ。じっとしていられなくなった生徒らが、車輌間をわたりあるいて、せわしなく通路を行き交いはじめた。車輌の端にある私たちの席のちかくで、デッキのドアがしきりに開いたり閉じたりする。そのうち、となりの車輌からBがやってきた。Bはいわゆるワルのグループのひとりだった。一年のとき同じクラスになっていただけだったが、その当時はおとなしいやつだった。最近はなにかに目醒めたように、教師に刃向かっている。Bはにやにやしながら、私の隣の通路側にいるLくんに耳打ちをした。Lくんはだまって席を立つ。Bはひっつかまえるようにして、Lくんを連れて行った。私にはどうすることもできなかった。
 しばらくすると、連中のグループのひとりが、ポケットに手を突っ込んであらわれた。Lくんの席に、ドカリと坐る。たしかZとかいう名前だった。同じクラスになったことはないが、顔も名前も知れている。それほど有名なやつだった。グループのリーダー格か、それに類する立場にいるらしい。
 Lくんはどうしたのか。訊いてみたいが、臆病な私は、なにか云いがかりをつけられるのを怖れて、黙っていた。すると、Zのほうから、問わずがたりに切り出してきた。中学生らしくない、ひくい声だった。
「あいつは、グリーン車はイヤやから、オレとかわってくれって云うてきたんや。めずらしく、いい身分にしてもろうて、ビビったんやろう。それでグリーン車はいややと。ただのアホや。」
 むろん嘘だろう。Bに強要されて、リーダーであるZへのご機嫌取りに使われたのか、あるいはZ自らが命令したものか。知る由はないし、知ったことではないが、私の脳裏には、Lくんの、ふだん見せなかった笑顔がうかんで、かなしかった。
 Zの手下が、入れかわり立ちかわり席へやってくる。挨拶がわりに下らない言葉をかわしたり、コーヒー呑みにいくぞと云っては連れ立って席を空けたりする。しばらくして戻ってくると、コーヒーを呑んできたというZの身体から煙草のにおいがした。連中の間では、煙草のことをコーヒーと云いかえるのが流行っている。
 私はすっかりうんざりしていた。幸いなことに、Zをふくめ、私に難癖をつける者はいなかったから、黙って外を向いていればそれで済んだのだが、胸中はきわめて不愉快だった。
 降りるまでの三時間のあいだ、Bも何度かZの顔いろをうかがいにあらわれている。が、Lくんは戻ってこなかった。
 列車はやがて終着の駅についた。ここから新幹線に乗り換える行程である。生徒たちのだらだらとした列に続いて列車を降りた私は、すぐにLくんをさがした。すぐに見つかった。生徒たちの人波のなかに、心なしか、つかれたような、たよりない足取りで歩くLくんの背中がみえた。髪の毛が、なぜかひどく乱れていた。しきりに、腹をおさえているのも気になった。背を丸めて、歩いていく。
 乗り換えの時間は、限られている。みんな集団になっていそいでいる。私だけが、生徒たちの順番をぬかしてLくんに追いつこうとするのは不可能だった。
 これだけのはなしである。
 私は、向かいのホームにとまる新幹線の窓のいくつかに眼をこらした。みな、たのしそうな車中をすごしているだろうか。私はそれらの窓のひとつひとつを、見守らずにはいられなかった。
 あれから、あのときのLくんと、おとなになってから一度だけ再会することができた。といっても偶然出会っただけのことだ。それも乗り換え待ちの駅頭でのことだった。列車の到着するまでのつれづれに、一こと二こと口をきいた。笑顔だった。私は、あの日々のことをなかったことにするかのように、その話題を避けて、いま現在のことばかり話した。もう私たちは三十四になる。物腰のやわらかい丁寧な口調は、勤め人としてある程度の自負と経験をおびた者であることを示す。それもそうなのだった。あのときの二倍、私たちは生きてきている計算だ。
 彼の整った顔立ちの面影は、今も残っていた。が、彼に未だ細君はないという。ひとりだけ同窓会に来ない彼とは、それきり会うことができていない。


*この小説はフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません。


  平成23年(2011年)1月7日


MORI SAKETEN.com SINCE 2003

もりさけてんTOP > 小 説 > 修学旅行の列車 inserted by FC2 system