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017−4

僕は女の子よりカツカレーの方が好きだ 第4


 ヲ.

 女のひとのからだがあった。
 なぜそこに、と疑問に思うこともなく、身を寄せ合い、そしてリウヤはその相手と唇をあわせた。
 なにしろ生まれてから、はじめてのこと。うまくできるかわからない。けれど、躊躇より先に、リウヤはリウヤの半身に動かされ、熱を帯びてはじけかかった思いのたけをぶつけようとした。相手がリンゴなのか、それとも別の誰かなのかは分からなかった。顔を見ようとすれば、そのあたりがにじむようにぼやけて、分からない。リウヤは仕方なく、前へ、前へ、すすむしかなかった。
 唇のなかで、さっきまでたしかにあった舌の感触がなくなったと思ったその瞬間に、リウヤの視界があかるくなった。窓の外の日差しは、暴力的な明るさだった。
 ――夢は、いつも無粋に終わる。
 みたされない渇きに苦しむというのは、こういうことだろうか。
 眼がさめてしまったことを自覚しながらも、まだ夢のなかに戻れるかも知れないと思い込んで、リウヤは眼をとじたまま、幻想のからだのありかを探していた。

 けだるい身体をもてあましながら午前の授業は終わった。昼休み、給食がおわってから、購買前の自販機で、サクセと落ち合った。あとは五、六限だけだ。音楽、社会でこれは楽勝。安堵感を感じながら、自販機の投入口に100円玉を流し込んだ。
 サクセはミルクたっぷりのホットコーヒー。リウヤはレモン・スカッシュ。サクセがコーヒーを選んだのをみて、いつになく身体を重く感じてもいることから、自分もカフェインをとも思ったけれど、迷ったあげく、やはりレモンにした。舌にしみてひりつく酸味が心地よい。
「欲求不満なのか、」
 コーヒーをちびちびすすりながら、サクセが訊いてくる。
「どうして、」
「酸っぱいものが欲しい時は、欲求不満。」
「だれにきいたの、」
「オレが、そうだからだ。」
「――サクセくん、……ときどき変だね。」
「るせぇ。ちょっとよこせよレモン、」
「だめだめ、間接。」
「いいんだよ。」
 サクセはリウヤから缶をうばいとると、ためらいなくグビグビやっている。気にせんやつやなぁ、と思いながら、リウヤはそれを見ていた。見ながら、あくびをする。開いた口に、ふわふわ、と手をやる。
「きょうはまた、眠そうだな。」
「うん……。」
 サクセが缶を返す。あんまり残っていない。
「まさか、ねむれないとかな。」
 ぎくりとした。黙っていても、その表情だけで図星のしるしには充分だった。実はさきほどの授業でも、居眠りの挙句に恥をかいたのだった。気付くと、先生のつめたい視線がリウヤの目の前にあったのだ。夢までみていたわけではないけれど、意識は完全に飛んでいて、そこから最悪の状況で醒めてしまった。
 枯渕くん、
 声をかけられて、リウヤは反射的に眼をみひらいた。顔をあげると、先生が凝視している。当てられたらしいと気付くや、教科書やノートをあたふたと見廻す。けれど、答えが分かろうはずもない。何を問われているのか分からないのだから、甲斐はなかった。
 ……分かりません。
 いや分かりませんじゃなくて、
 様子がおかしいと気付くと、号令、号令、というささやき声がきこえて、かぁっとなった。
 ……あ、き、起立!
 机をならべる周囲の生徒たちの眼がつめたかった。
 劇のケイコの疲れだろうか。妙に眠いのだった。けれど、たしかにそれもあろうけれど、ほんとうの原因はおそらく、ゆうべの枕もとだった。心が明日へ馳せ、ねむれなくなって。ずっとリンゴのことを考えていたのだ。リンゴが好きだと云っていた小説をパラパラめくってみたあと、唐突に、リンゴはどんな唄が好きなんだろう、リンゴはなにが好物だろう、リンゴの趣味ってなんだろう、リンゴは……、とりとめなく、そんなことをずっと考えていたのだった。そしてそれを思いかえすうちに、昨夜の想い巡りがまた、再開された。
 逢えないかと望み、もし逢えて、もし話せたら、どういうことを話そうと、そのすじを心地よく想い浮かべて、しらないあいだに、顔がほころんでいた。
「どうして、眠れねぇの?」
「……、ん、考え事、してて。ずっと、眠れなかった。」
「梨郷のことを?」
「だから違うって!!」
「大きい声ださなくても分かるって。」
 サクセは珍しくにやにやしている。にやにやしながら、ポケットから目薬を出した。鋭い眼をおもいっきり見開いてしずくを落とすと、ぱちぱちまばたきして、これでよしとばかりに、うるんだ瞳でこっちを見た。
 リウヤは不思議に思った。サクセの目蓋が腫れている様子はない。
「めぐすり、どしたの?」
「好きなんだよ、めぐすり。」
「…………は?」
 ときどきサクセはヘンなときがある。それは長いつきあいだから、リウヤも分かっていたが……。あっけにとられていると、
「云っちまえば、いいのサ。」
 サクセは、妙に達観した表情をうつむかせて、息をはきだすように云った。目薬のうち過ぎで、まぶたのあたりが濡れている。
「すこしは、はなしでもするんだろ。」
「誰と、」
「もう分かってんだよ、とぼけるな。梨郷とだ。」
「…………。すこしっていうか、ほんとにすこしなら、はなしくらい、するって云えるのかも。」
「なんだ、そりゃ。」
 リンゴと、話せない。というか、話せなくなった、っていうんだろうか。ちかづくのも照れくさくって。リウヤは、それは口には出さずに、サクセの顔から眼をそらせて、周期的に点滅する自販機のボタンのあたりをずっと見ていた。制服のそで口の、ほつれて取れかかったボタンを、指さきでいじっている。
「どうやったら、……話せるかな。」
「自分でかんがえるしか、ないだろうな。自分のことだろう、そんなのは……。ココロの問題だ。……ぶつかるしかない。嘘つかずに。」
「――経験者はかたる?」
 妙にあつっぽく力説するサクセに、リウヤは聞いている自分が照れくさくなって、ついふざけてしまった。
「まぁね。」
 サクセは突然、本当に突然、リウヤのブレザーのワッペンをつかむみたいに、そのあたりに手のひらを置いた。そこは――、心臓だ。
「オレならそうするな。」
 リウヤの胸の鼓動をたしかめるように、サクセは胸のあたりに手のひらを押しつける。そうして、リウヤの耳元に顔を寄せる。
 サクセくん、どうしたの? リウヤの胸がざわざわと高鳴る。そしてサクセはまた突然に、口をひらいた。
「枯渕、カレーだ。」
「は?」
「カレーだ。」
 と、サクセは断言した。
「カレー、ですか……、」
「カツカレー喰えば、おちつくって。」
 結局はそこに終結するのか。リウヤは思わず、くすっと笑ってしまった。妙な雰囲気から、安定のカツカレーに戻った安堵感もあった。
「ほんとう、カレー好きだねサクセくん。」
「電話しとけよ。カレー喰ってかえるって。」
「ん……、ウチはいいんだ。そういうの云わなくても。……サクセくんこそ、こんな毎日……、親は怒らないの?」
「そんなこと、いちいち。……そんな親だと思うか?」
「あぁ……、了解。」
 リウヤにも、サクセの両親がどんなタイプの人かはわかっている。自分とおなじ、こわれた家庭なのだ……。


ワ.

 いつもの店に、自転車で乗りつけた。これで何回目だろう。そしてそろそろ二日とあけずにカツカレーばかり喰べている事実にも気付く。ほとんど中毒患者のようだった。
 いつものように、食券を渡すときに「マヨネーズ」と告げる。すると、サクセがするどい眼でこちらを見た。
「おまえ、マヨ頼んだのか。」
「うん。どうして? サクセくんはふつうのなの?」
「おれは、やめた。もうこれは古い。プレーンがいいな。」
「……古いの、」
 そうか、と思った。自分もたいがいLカツばっかり喰べているつもりだったけれど、サクセはそれ以上にLカツ経験を積んで、つぎの境地に達してしまったということなのだろう。リウヤはそれを悟ったので、それ以上のコメントはしなかった。
 Lはすぐに来た。
 手をあわせるのももどかしく、むしゃぶりつく。
 Lカツの、さくりとした衣に歯があたるときの感触。白いごはんに、堅いまでにとろりとしたルウをまぶして、千切りキャベツとともに、諸々をフォークですくい、口へはこび、そして噛む。噛むほどに、それらが舌のうえでとろける、この味覚。
 たまらない。
 つぎへ、つぎへと、フォークをつかう。
 もりもり喰っているときはなぜか、満ち足りない胸の空洞をうめられる気がした。うつろなカラダに、どかどか物量をもってカレーを落とし込む。あぁ、うっとりしてくる……。
 店では無言のままに黙々喰べて、店を出てから、並んで走る帰り道の途中で、言葉を交わした。ロードサイトの灯りも遠くとどかない、薄暗い農道を、自転車のライトで照らしながら走る。
「枯渕さぁ、」
「うん、」
「聞けよ?」
「きいてますよ、」
 サクセの言葉に、しばらく間があいた。聞けよって云っておきながら、とリウヤが思ったころに、サクセはふたたび口をひらいた。
「本当はいる。すきなやつ。」
 すこし、早口だった。
「どっどうしたのいきなり、」
「まぁ聞けよ……、さっきはああ云ったけどな。おそらく、おれもおまえと同じだ。……こわいんだよ。相手に、どういう反応されるかって。云っちまったら、それまでの間柄がこわれてしまうかも知れないって。」
「…………ん、」
 道の狭いところにきたので、リウヤはブレーキをかけた。サクセはそのまま進んだので、サクセの自転車のうしろを追走するかっこうになる。
「サクセくんは、ずるいんだ。人にはあれこれ云っておきながら。」
 サクセの背中に云ってやったら、サクセはうしろを振り返って、
「……そうサ。おれだってガキだもん。」
 そう云ったあと、前を向きなおって、サクセがなにか云っているのは分かったけれど、へんに早口なうえに、こっちを向いてしゃべっていないために、風の音にかきけされて、よくは聞き取れなかった。けれど、
「おれは女よりは、カツカレーの方が好きだ。」
 などと云ったのはきこえた。
「結局、カツカレーなの?!」
 リウヤがあきれたように声をあげると、サクセはうしろを振り返った。ほそい眼を丸くしている。
「おまえ、いまの聞いてなかったの?」
「うん? カレーが好きだって云ったでしょ。」
「……あぁ、そういうことだ。」
 それから、お互いしばらく黙ったまま自転車を走らせて、サクセの家との分かれ道にきた。
「枯渕な……、今日さ、うち来いよ。」
 サクセはすずやかに笑っていた。あまりしない表情だ、とリウヤは思った。きょうのサクセは機嫌がわるいのか、いいのか。


カ.

 玄関をあがる。サクセのうちのにおいだ。つきあたりが階段だった。なぜか、畳んだ洗濯物や小物類がごちゃごちゃと段に置かれていて、これを落とさないよう気をつけて上がらなければならないのは相変わらずだ。
 部屋は、彼の性格に似ずととのっていた。リウヤの部屋のほうが、よっぽど散らかっているくらいだ。本棚にCDが綺麗にととのえられている。
 リウヤはサクセのベッドに遠慮なく腰掛けた。いつもそうしている。シーツはピンピンのパリパリに糊がきいている。スプリングもいつものようによく効いている。
「枯渕ちょっと脚、」
 リウヤの脚をはねあげて、サクセはベッドのしたをまさぐりはじめる。手を入れた場所が場所だけに、リウヤは何をはじめるのかと思ったけれど、サクセが取り出したのは白いレジ袋で、なかから銀いろの缶がごろりと転がり出た。
「なに、これ。」
「見て分かるだろう。」
「おサケ?」
「のもうぜ、」
 のもうぜ、って、のめるわけがない。タイホされる! 彼はどうやってこんなもの入手したのか。ほんとうに、サクセの家は自由だとリウヤは思った。いや、自由というよりも……。サクセの家についたのはもう午後八時前になっていたけれど、そんな時間になっても、彼のおかぁさんは、何も云わない。家にいるのなら、心配そうな顔して、ご飯は食べたの、とか訊いてくるのが普通だと思うけれど、彼のおかぁさんはそうしない。仕方がないのだけれど。
「冷えてないけど、寒いから大丈夫だろ。枯渕は、レモンか?」
「ぼく、いいよ。」
「なに云ってんだよ。男がガキみたくレモンスカッシュなんか飲んでんじゃねぇよ、男は氷結なんだよ。」
「ダメだよ! ぼくら子どもなの! ガキなの!」
「オナカがあつくなって……、いいぞ。ひとくちのんでみろって、」
「ダメダメ。なら、サクセくんだけ飲めばいいじゃない、飲みなよ。」
 サクセは、ちっと舌打ちしたあと、プルトップを引いた。ぷしッと音がする。炭酸飲料と同じ音だな、とリウヤは思った。ごくごくごくとサクセのノドが上下する。ノド仏の突起が影をつくっている。はじめて出会った頃には、なかったものだ。そうか――、ぼくらも、いいかげん、大人になってくんだな、とリウヤはそれを見ながら思う。
 サクセがおっさんみたくフィー、と息をついた。
「文化祭おわったら、受験だな。」
「いやなこと、思い出させるね。」
「けど、たいせつだろ。逃げられないしな。……どことか、考えある?」
「ん、とくに……ないなぁ。」
「なんだよ、隠すなよ、」
「だってほんとに、……どこって云ったって、」
「これはのんだほうが良さそうだな。のめ!」
 サクセはきらきら光る缶をリウヤの鼻さきに押しつける。これはお酒です。と書いてある。
「お酒をコドモが飲むとよくないんだよ! 成長を害するって、」
「おれたちコドモか?」
「えっ、」
 サクセは、自分の缶をひと思いにあおっている。こく、こくとノド仏が上下している。その様子がいやに大人びて見えた。コドモといっても……大人は自分たちのことをコドモというけれど、どうだろう、当たり前の顔してお酒を空けている目の前の親友は、いまひどく大人びて見えて、コドモと断言できるのかどうか。そして自分は、自分はどうか。身体は……おおきくなって、一人でカツカレーを喰いに行けて、――すきな子もいて。
 サクセは、レモンの絵の缶を、黙ってリウヤに突き出す。リウヤはこまった顔をした。内心、一口くらいなら飲んでみても良いかとも思えたのだった。どんな味がするのかは気になる。どんな気分になるのか、も。けれど、口をつけてしまえば、後戻りできないような気がして。開けたら二度と元のように閉められないプルトップが、二度は戻れぬ一方通行のドアの入口のように思えて、リウヤはやはり押し返した。
「ぼくは……コドモだよ。」
「コドモぉ……?」
「うん。……中学生だもの。ハタチじゃないもの。」
「子どもが、女に夢中になって、眠れなくなったりするのか?」
「――それは、」
「おれのサケがのめねぇのか!」
「だから、やだって! ……アルハラだよ!」
「アルハラ?」
「アルコール・ハラスメントだよ! そういうの……そう云うんでしょ! あっ、どこさわってんの、」
 サクセは熱湯にでもさわったかのようにパッと手をひっこめた。
「サクセくん、こんどはセクハラ!」
「……おとこ同士で、なに云ってんだよ、……。」
 サクセはそう云いながら、黙ってしまった。ポケットから目薬を取り出している。きゅるきゅるとフタを回す。なぜサクセが急に目薬を常用するようになったのか、リウヤにも思い当たるふしがない。
「今度はめぐすり?」
「なんだよ、おれは、めぐすりが好きなんだよ。もんくあるか! 酒のんでから云えよ……。」
 なんでそうなるのか。さらにサクセはリウヤの鼻さきに新しい缶をつきだしてくる。缶にストロングと書いてある。ストロングってどういう意味なのか。強い? リウヤが黙って缶をつきかえすと、サクセは黙って、何度かうなづいた。そうして、ぶつぶつつぶやいている。
「サクセくん……だいじょぶ?」
「だいじょうぶだ。おれもお前も、十五だ。十五って云ったら、もう大人だ。十五を四捨五入したら、数はなんだ! サケがのめなくて、どうする……。」
 妙にあつい声で、しきりとよく分からないことを説いてくる。さらに缶をプシっとあけた。酔った熱にうかされてか、サクセは明らかに口数が多い。よくしゃべったノドのかわきを潤すためか、ごくごくごくと勢いよく『ストロング』の缶をかたむけている。
「サクセくん、それストロングなんでしょ? 大丈夫なの?」
「だいじょうぶだ!! このアホ! ダラ! なんで、なんで……、だから枯渕、おまえは、ダラなんだよ!! 女くらい……女くらい……なんだ。おまえは、だからガキなんだよ。酒ものめないで、女、女か!!」
「サクセくん、何云ってるかわからないよ!」
 リウヤは心底こまって、泣き声になってしまった。
「オレのサケがのめれぇろかッ!!」
 サクセが、呂律の回らなくなってきた声を荒げた。こんなとき、普通の家なら、静かにしなさいよ! と声がきこえてくるものだけれど、サクセ家ではそういうことがない。
「大体がだ……、大体、枯渕! おまえは……好きになってくれなくても、けど、好きなんだろ! その、つまり、愛してるんだろう!!」
 強い語調で云われた。サケのにおいがただよってはいるけれど……。するどい眼はまっすぐに、リウヤのほうを見ていた。それだけは分かったので、リウヤは顔をひきしめた。
「うん。もちろん。」
「なら、それでいいじゃねぇか。それだってさ、しあわせなことだよ。」
「それで……いい?」
「好きになって欲しいと思ってスキになるのかよ!! なにか見返りを貰えると思って!! それが愛か!! ダラ!! 愛するのが愛じゃ!!」
 サクセは金きり声をだして、リウヤの両肩にがしっと手を置いた。そうして、おまえは! おまえは! と意味のわからない連呼をしている。吐息から酒のにおいが濃厚にしていた。
「独りで酔っぱらって! なんなの一体……。」
 リウヤは当惑ぎみにサクセの半身をはぎとった。
「おまえ……、おれのことキライなんだろ?」
「え……、」
 サクセはだまったまま、口ごもるリウヤの眼をじっと見つめている。リウヤはどきまぎしながら、やっとのことで顔をそらした。
「い、いや、好きだけど?」
「そんなことは訊いてない! だからガキなんだよっ!! 梨郷といっしょなら、いいと思ってんだろ! 梨郷といっしょなら……!!」
「いっ、いや、それは……、」
「他愛もないヤツだ。おまえはリンゴリンゴリンゴ。」
 サクセはいつになく多弁だった。サケと、夜の気のたかまりが、普段はさめた少年を酔わせているとしか思えなかった。
「他人なんだな、もう、おれ。――トモダチってのを遠くさせるな、人に夢中になったヤツってのは。ましてや女なら、」
 サクセのながい睫毛が、瞳にわずかな翳をつくっていた。目じりの辺りがすこし濡れている。目薬のつかいすぎだ。
 気付くと壁の時計は十一時をまわっていた。
 サクセはこれで五本目の缶に口をつけながら、今晩は泊まっていけと繰り返しさそった。けれどもその口調はすでにまどろみに融けそうで、半びらきの眼はリウヤを見ておらず、ほとんどうわごとのようだった。そして挙句にぱたりと床に倒れこみ、そのまま規則ただしい寝息をたてはじめてしまった。
 リウヤは溜息を吐きながらベッドから毛布をおろし、サクセの身体にそっとかけてやってから、しずかに家を辞した。居間も玄関も、もう暗くなっていた。来客があっても構わず寝てしまうぞんざいさは、かえって気がラクだった。こんな時間なのに、玄関には鍵はかけられていなかった。



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   平成24年(2012年)12月10日


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